ひとりでできるもん8
ぼくは昔から、図鑑とか辞書とか言ったものがとても大好きだった。
知らないことを沢山知ることが出来るし、何よりそれを読むことによって自分の知識や情報が増え、他の人に教えてあげられたり、人見知りを隠せるような話題作りにも出来るから。
子どもの頃は特に、生き物の図鑑が大好きだった。
この世に存在するものから架空のものまで、あらゆる生き物を見て読んで、1人でいろんなことを想像するのが楽しくて仕方なくて、放っておけば朝から晩まで見入っているような子ども。手がかからなくて親は楽だったかな? いやでも本の虫すぎてあまり遊びにも行かなかったから、もしかするとものすごく不安にさせていたかもしれない。
ただその時の本の虫のお陰で、こうして旅に出るその時も、あらゆる記憶を呼び起こし知識を使い、新しい生活にはあまり支障が無かった。
でもぼくが読んでいたのはあくまで図鑑であり辞書であり……。
「鋭く切り立った人をも立ち入らせない岩壁じゃない……」
ほんの少しの間滑空した龍は、ゆっくりと地に足をつけ、やっとぼくを解放してくれた。
見渡す限り緑と所々に小さく可愛い花が咲く大草原のど真ん中。
所々にくぼんだ場所がいくつかあり、赤青黒の龍がくるりと丸くなって眠っている。
ぼくを掴んでいた白い龍は小さく鳴き声をあげるとまたふわりと飛び上がり、少し先にあった丸太作りの家の前で、他の龍と同じように丸くなった。
「あんな所に家があるのは……飼い主さん?」
連れ去られるほんの少し前にフィーが話していた、お世話をする人が住んでいるのだろうか。
他の龍を刺激しないように、忍び足で小屋を目指して足を動かす。
時々足元に可愛らしい花が咲いているものだから、何とか踏み潰さないように進み、無事辿り着いたことに安堵したところでボクをここへ連れて来た白い龍にひと睨みされ、慌てて扉まで逃げてしまった。
「エバ、どこ行ってたの? 心配したよ」
「わっ!?」
お伺いをしようと扉へ向かって腕を振り上げたその時、何の前触れもなく叩くはずだった扉が開き、白い髪の女性が飛び出して来た。
咄嗟のことで避けられたのは良かったけれど、ふらついてしまって、そのまま白い龍にもたれ掛かる形になってしまった。
ゲギャァ!
甲高い鳴き声と共に立ち上がる白い龍。
今度こそ食べられる!
そう覚悟を決めて目を閉じようとしたとき、ぼくの存在になんて気付いていないかのように、龍はキュルキュルとまるで甘えているような鳴き声で白い髪の女性へ飛びついた。
「よしよし、遠出をするなとは言わないけれど、ちゃんと一声かけるなり伝言するなりしなきゃだめだぞ?」
「ギュアァ」
「あのぉ……」
「わっ!?」
やはりぼくの存在は龍や彼女らにはほんの数ミリほども無かったかのようで、驚かさないようにそっと声をかけたつもりだったけれど、逆に思い切り驚かせてしまって、その他の龍たちも雄叫びを上げて飛び上がってしまった。
「わっわっ! 何もしません! ぼくはその龍に捕まってここまで来てしまっただけなのです!」
頭上高くを旋回する沢山の龍。彼女を守るように威嚇している白い龍。
たくさんの鋭い視線に正直、今すぐにでもここから立ち去ってしまいたい。
けれどそんな事じゃあこれからの旅を続けることなんて出来ないだろうし、何よりも、置いて来てしまったフィーを守ることも出来ない。
「……エバ、拾い食いはダメだってあれほど」
「キュキュルゥ」
「え? 私にプレゼントだって?」
「キュ」
「もうなんて可愛いの! 本当にありがとう! その気持ちだけで私は十分だよ、エバが食べていいよ」
「ちょっちょっと! 食べないで!」
慌てて1人と1匹から距離を取るように大きく走り離れる。
それでも不思議そうに、白い髪の女性は首を傾げながらぼくに近付いて来る。
本当に不思議だと言わんばかりの瞳と、興味津々だという表情で、彼女は1歩、また1歩と距離が詰められる。
どうしようどうしよう……本当に食べられてしまう!
どう話せば良いだろうか、どう話せばぼくが旅人だと信じてもらえるだろうか。
ぼく自身もまた1歩後退し、冷たい汗を背中に感じた。
「あなたは皆の大切な栄養源でしょう? 食べられないで一体何がしたいの?」
「ぼくはその、旅をしているんです、しかも今日始めたばかりで」
「高級な食材になる旅?」
「ぼくを食べないで」
さも当たり前のようにそんなことを口走られので、土下座よろしく懇願するように助けを求める。
「だからその、ぼくは旅の途中なんです。まだ始まったばかりなんです。どうか見逃してください」
不思議そうに見つめる彼女は、いつの間にかぼくとの距離を鼻先ほど詰めていて、上から下までこれでもかと言うほど何度も見回したかと思うと、やっぱり不思議そうに首を傾げて見せた。
「何故、旅をするの?」
「1番になりたいからです」
「なんの1番?」
「いろんなことの1番」
「モブキャラなのに?」
「モブキャラでもできるところを見せつけたいんです」
「ふぅん」
モブキャラなのに。
モブキャラだけど。
モブキャラだったら旅をしてはいけないの?
ぼくが初めて他の人たちと違う立場だと言うことを知った時、衝撃以上に腹が立った。
文句のひとつも言わず、両親も親戚も、学校の先生もお店の人も、勇者や旅人や、とにかく強い人たちの言いなりだった。
『死ぬことは無いから大丈夫よ』
そう言ってまた1から命をやり直す大人たちに心底呆れて、こんな大人になりたくないと、ある時を境に強い決意をしたのだったけれど。
「それで、あなたは何が出来るの?」
「……何が……?」
「魔法が使えるとか、剣術が秀でてるとか、何かあるから1人なんでしょう?」
「いや……その……えっと……」
もう1度、彼女はぼくを見回して腕組みをして見せた。
「そうか! 修行の真っ最中?」
「そっそうです! 始めたばかりなので……」
「なぁんだ、それなら早く言いなさいよー」
ばっしばっしぼくの肩を叩いた彼女は、満面の笑みを浮かべると、食べるとか言ってごめんねと腕を引いて歩き出す。
「まぁついうっかり食べられないように気をつけなさいよ? 人手が足りなかったのよ、ちょっと手伝って」
「えっ? えっ?」
グイグイ引っ張られる先は、彼女が出来た丸太小屋。
「餌作りが上手く出来なくてさー、手伝ってよ」
「餌作りですか?」
「出産ラッシュだからさ、栄養たっぷりあげなきゃ」
「そうなのですか?」
ぼくのことを認めてくれたのかどうなのか、さっぱりわからない今だけれども、食べられなくなったということだけは事実のようなので……お手伝いしてさっさと元の場所へ戻してもらおう。
そう思って軽々しくお手伝いを引き受けたのが、運の尽きだった……のかも……しれない。