ひとりでできるもん7
「準備できた?」
街の中心にある大きな噴水広場。
ここから放射線状に道が広がる待ち合わせにはうってつけの場所で、ぼく達はちゃんと出会うことが出来た。
店を出て家で旅の準備をしていた時、ふと思い出したというか気がついた。
どこで待ち合わせをするとか何を持ってこいだとか、旅をするにあたって最低限の会話をしていなかったのである。
ぼくの考え抜いた必要最低限の荷物、と言うか、ぼくには必要最低限の荷物しか持ち合わせていないので、家具を除けば今しがたの準備で家中の荷物が鞄へ入ってしまっているわけで……。
「フィー、大丈夫かな……というか本当に、ぼくなんかと旅に出てもいいのかな」
窓の外に鳥が止まり、どうしたの? と首を傾げてくれている。
「ぼく、今日からやっと旅に出られることになったから、暫くご飯が上げられなくなっちゃった。ごめんね」
「ピィー」
2度3度首を傾げて鳴き声を上げると、他にも鳴き声を上げた仲間たちと飛び立って行った。
ぼくにとってフィーという存在は、神様からのプレゼントじゃないかと思ってしまうくらいに素晴らしい出会いだ。そんな彼女と共に旅に出られるのだから、もっともっとしっかりしなくてはならない。
けれど今のぼくにできることと言えば……何かな……強い意志を持とうとする事。そしてーーーー
怖がらずに1歩を踏み出すこと。
結局、返すことも出来ずに持った来てしまった短剣は、ここで見ると余計に石刀に見える。さっきまでカッコよく美しく光り輝いていたのに、今はまるでただの石のよう。武具というのは時と場所で、こんなにも見た目が変わるものなんだなぁと、改めて握りしめた。
「どうしよう……どこに行けばフィーに会えるかな」
考えてみれば、ぼくの家だって彼女は知らない。逆にぼくも彼女の家を知らない。
彼女がどんな人なのか、どこの生まれなのか、何歳で何が好きで何が嫌いで、どんなことを夢見ているのか、何もかも知らなさすぎる。
そんな人といきなり一緒に旅に出ようと言うのだからおかしな話である。
けれど彼女は僕の目を見てはっきり言ってくれた。
『守ってあげる!』
そんなこと言われたこともなかったし、言われるとも思ってなかったし。嬉しくて仕方ないけれど、でもぼくは誰よりも1番になると決めているからには、ぼくが彼女を守れるようにならなければいけない。
それまで……そうなれるまでだけ、力を借りよう。
自惚れてしまいそうな気持ちを叱咤して、玄関の扉を開いた。
煌々と降り注ぐ太陽の日差しが眩しい。
今日という旅の始まりを祝福してくれているようで、思わず太陽へ向かってお礼を述べた。
とにかく目立つところに行ってみよう。
危険は伴うかもだけど、こんな所で逃げていたら旅なんてできない。
短剣も持ってるし、いざとなれば何とかなるはずだ!
しっかりと施錠確認をして力強く地を踏み込む。いつもより硬い気がするのは決意の表れだろう。
高揚し過ぎないように落ち着きつつも、これからのことを想像するとどうにも上手く表情をキープできない。
「みぃーちゃん気持ち悪いよ?」
彼女は既に噴水の前で待っていて、ぼくを見つけた途端、そう言って笑った。
「何だか落ち着かないのです」
「落ち着かない?」
「期待と不安と楽しみと緊張と……何だかメチャクチャで」
「楽しみにしてればいーよ! さぁ行こう」
僕の手を引く彼女の背中はまるでお母さんのよう。いつか昔、泣き虫だったぼくの手を引いて気持ちが落ち着くまで歩き回ってくれたお母さん、いつか恩返ししなきゃなぁ。
そんなことを考えている間に街の外れ、外の世界との境界である場所へ着いた。
「ご用件は?」
ここを一歩踏み出すと、夢見ていた旅が始まる。
必要最低限の荷物は持った、頑張って貯めたお金だって全部持って来た。武具も短剣の他にそれに劣りはしても使えそうな物も幾つか持参している。抜かりは無いはず。
なのにいざここへ来てみれば、不安やほんの少しの後悔にも似た感情が沸き始め、ぼんやりと護衛の人を見つめてしまった。
「みぃーちゃん?」
「うぇ?」
「ご用件は何ですか?」
不思議そうに見つめるフィーと、不審そうに僕を見る護衛の人。
こんなところで躓いていたら先に進めないじゃないか!
大きく息を吸い、元気よく頭を下げる。
「旅に出ます! この街にはお世話になりました!」
「旅ですね、ではこの出国証明書にサインを」
「はい!」
それでもやはり夢見てこの瞬間を楽しみにしていたのだから、緊張感が体温を上げ浮足立とうとするぼくもいる。
まるでお出かけ前の子ども心、きっときっと、これから楽しい事がたくさんあるはず。
負けてしまいそうな気持はどこへやら。
自分の名前を記入し、開けられた柵を通り抜ける。
最初の1歩を外へ踏み出した。
これでぼくも1つ進んだんだ。
感慨深くなってもう泣きそうになってしまう。
まだ何も始まっていないのに、大袈裟すぎるぞぼく。
少し遅れて出てきたフィーは、薄い上着を羽織っている。
今まで見て来た薄い、今にも中が見えてしまいそうな服装では無く、ちゃんとした旅仕様のようだ。
「フィー」
「なぁに?」
「あのあの……」
やはり旅をするからにはきちんとしておかなければいけない事がある。
チーム名もまだ決めていないし、ちゃんとした自己紹介もしていない。
そして何より――――。
「あのね、これからその……沢山迷惑をかけてしまうかも知れないし、沢山助けてもらうかもしれない。でもね! ぼくも……絶対フィーだけは守りたいってその……思っているから……その……」
「うん」
決して口を挟もうとせず、焦らすこともしない彼女は、ドキドキしてうまく言葉が出ないでいるのに、ただじっと視線を合わせて待ってくれている。
太陽の日差しが頭上高くに昇り、じりじりと熱が肌を刺激しながら背中を押してくれる。
ガンバレガンバレ!
「これから、最後のゴールまで……よろしくお願いいたします」
さっき護衛の人へして見せたように、今度はゆっくりと確実に、フィーへ向かって頭を下げた。
ぼくと出会ってくれたお礼と、ぼくの仲間になってくれると言ってくれたお礼と、これから何が起こるかわからない不安を共有することへのお願いの気持ちを込めて。
けれどフィーから何も言葉が返ってこない。
もしかして、旅に出る前にこんな事をしてはいけなかったのだろうか。それとも言葉が間違っていたのだろうか。
それとも本当は……フィーは本当に単なる興味だけで付いて来ているのかもしれない。
長い沈黙の後、思い切って顔を上げてみれば、フィーはぽろぽろと涙を流していた。
「わっ!? ごっごめん! 何か酷い事言ってしまったよね! ごめんなさいごめんなさい!!」
「違うよ、謝る事じゃあない」
そう初めて言葉を口にしたフィーは、ごしごしと乱暴に自分の顔を拭う。
「わあっ!」
「わぁ!? 何ですか突然!?」
そして突然大声で叫んだものだから、思わず飛び上がってしまって笑われてしまった。
「みぃーちゃん優しいね、こちらこそめちゃくちゃ迷惑かけると思うけど、私の事が不必要になるまでよろしくね」
「不必要になんてならないよ」
「だって1番になったらもう私なんていなくても平気でしょう?」
「そんなことない! ずっとずっと仲間だもん!」
無意識に声を張り上げてしまって、自分で自分の言葉に驚いた。
なんて恥ずかしい事を言ってしまっているのだろう。
慌ててごめんともう1度謝ると『謝るの禁止~』と鼻を抓まれてしまった。
「これからもよろしくね、みぃーちゃん」
「こちらこそです!」
だんだん街が遠くなっていき、何もない草原をひたすら歩いていく。
どこへ向かうかなんて決めてはいないけれど、とりあえず道なりに真っ直ぐ進もうと2人で決めたので、しっかり足を踏み込み進む。
この先にはどんな街があるだろう?
頭上には鳥が飛び、ゆったりと雲が流れている。
足元では緩やかに吹く風に乗って、草花が気持ちよさそうに揺れていて、清々しい香りが鼻腔をくすぐる。
「そう言えばさ」
「何ですか?」
何となく何も話さずに歩き続けていた中で、ふと思い出したようにフィーは、空を見上げた。
「最近この辺でドラゴン? 龍? とかいう生き物が飛び回ってるから気をつけてねって、行商の人が話してたんだよねぇ」
「龍?」
図鑑では見たことがある。
確認されているだけで4種類、赤青白黒、それぞれの色を持つものがいて、属性や能力も違う空想上の生き物、だと読んだけれど……。
「うん。行商人が何人も連れ去られてるって」
「空想の生き物じゃないんですか?」
「昔はねぇ、でも今は研究も進んでちゃんと “巣” も見つかって、お世話してる人もいるらしいよ」
「お世話ですか」
これは驚きだ。
図鑑によればかなり凶暴で気分屋で、走るのも飛ぶのもこの世の生き物の中で1番早いと書いていたはず。そんな生き物をお世話だなんて、どんなにすごい人なのだろうか……。
きっと物凄く強い人なのかな!?
ぼくの知らない世界がまた1つ増え、これから訪れるかもしれない夢の世界に、期待で胸が高鳴る。
「図鑑でしか見た事ないけれど、きっとすごい人がお世話してるのでしょうね! 龍……どんな生き物かなぁ」
「そうだねぇ、きっとあんな感じ?」
「どれどれ?」
フィーの指さす先。太陽の少し横に黒い点が2つ。
眩しくてよく見えなくて、手で影を作りながら『2匹もいるよ!』と、テンション高く話してくれる横で、必死に目を細めてみても、よく見えない。
「眩しくて見えない」
「えぇー? あっ! でも近付いてる? 見えやすくなってるんじゃない?」
「ホントだ!」
旋回しているように見えた黒い点は、徐々に近づいてきているようにも見える。
どこかに獲物でも見つけたのだろうか。ぐんとその姿が近づいて、もっと良く見えるようになった。
「大きいねぇ」
「フィーは見たことあったの?」
「むかーし1度だけね、でもこんなに大きいのは初めて」
2人並んで見上げた遥か先にいたはずの青い龍と白い龍、瞬きほどの早さ……といえば大袈裟かもしれないけれど、それほどに早い速度で近づいてきてーーーー。
「え?」
ふわりと世界が動いた。
「みぃーちゃん!」
フィーが咄嗟に手を伸ばしてくれたのも間に合わないほど、一瞬にしてぼくは空高く舞い上がった。
「フィぃぃぃぃぃぃ!」
「みぃーちゃん待って!」
「離せぇぇぇぇ!」
鼓膜を震わせるほどの鳴き声を上げた青い龍の足の中で、僕はあらん限りの力を振り絞る。
「みぃーちゃーーーーん!」
「離してぇぇぇぇ!」
がっしりと掴まれた足はビクともしない。その上太陽の光で鋭い爪がきらりと光る。
ギュァァァァワァァァ。
今度は白い竜が甲高い鳴き声を響かせ、ばふんっと大きな翼を羽ばたかせ、2匹揃って一気に空高く飛び上がってしまった。
「ふぃぃぃぃぃ!」
「みぃーーちゃーーん!」
どんどん離れていくフィーと、緑が美しい草原も小さくなっていく。
ばっさばっさと翼が振るわれる度に、息苦しいほどの圧力がかかる。ぼくは一体どうなってしまうのだろうか……。
なんとか抜け出せないかと諦めずにもがき続けても、ほんの少しも動くことはない。
折角旅を始めたのに。折角足を踏み出せたところだったのに。
まだ何も始まっていなかったのに!
「離してぇぇぇぇ!」
もう1度大声を出してみたけれど、眼下は既に小さくなっているし、ましてや龍に言葉が通じるのかわからない。
「離せぇぇぇぇ!」
言葉も虚しく、彼らは僕を握ったまま飛び続けて行った。