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第二章 最初の活動はおあずけで

第二章 最初の活動はおあずけで

 理事長室を飛び出した準は昇降口に着いた。急いで靴を履き、正門と校舎の間にあるグラウンドまで出た。

 かなり広いグラウンドでは、各部活による新入生の勧誘が繰り広げられていた。


 ちょうどいいとばかりに、準は、野球部の人を探すことにしたが、グラウンドは雑然としていて特定の部活を探すことは不可能に思えた。


 ふと周りを見渡すと、勧誘につかまっている新入生がかなり多い。

 雑談に花を咲かせている者。しつこい勧誘を断り切れずに困っている者。中学の先輩と再会してきゃあきゃあ抱き合う者。

 色々な状況の新入生がいたが一つだけ共通点があった。

 それらは皆、女の子だということだ。

 改めて女子ばかりだということを思い知らされる。

 ほとんどの新入生が勧誘にあって思うように進めない中、準は比較的楽に進むことができた。

 準に声をかけてくる者は少なかったから。


 一応、準に声をかけてくる人もいた。しかしそういう女子は、準が振り向くと「きゃっ」と恥ずかしそうに去って行くか、もしくは、楽しそうに「きゃー」といってわいわい騒ぐか、そのどちらかだけだった。

 おそらく、去年まで女子校だった関係で男子が珍しく、どう扱えばいいのかわからない者がほとんどなのだろう。


 とにかくこのままでは埒があかない。そう思った準は、いったん校舎前に戻ってグラウンドを見渡すことにした。

(最初からこうするべきだった……)

 なんとか校舎前に戻り、後悔しながらグラウンドをじっくりと見まわした。


 比較的大きなグラウンドには、中心にトラックがあり、校舎から見て右手にはサッカーゴールが二つならんで倒されていた。左手には部室が並んでおり、さらにその左にはハンドボール、バスケット、テニスコート二面が順に並んでいた。


(改めてみるとけっこう大きいグラウンドだな。色々なコートが専用にあるし、これだと野球部のグラウンドは別の敷地にあるのかも……)


 準がそんなことを思いかけた時、部室棟に向かって右奥に金網のフェンスがあり、そこにドアがあるのに気づいた。

(たぶん、あそこだな)

 準は金網の方へと走り出した。

 

 準は金網の向こうに探していたものを見つけた。


「さぁこーーーっい!」

 野球部の練習にはつきものの、大きな掛け声が響いていた。しかし、その掛け声は普通の野球部よりも高い声だった。

 金網の向こうでは五人の少女が練習をしていた。どうやらノックの最中のようだ。

 準は一瞬、声をかけよう、と思ったが考え直し、メンバーのレベルを確認させてもらうことにした。

 準の位置はバックネットより少し三塁ベース寄りの位置だった。五人全員がよく確認できる。

 五人の位置は、ホーム付近からノックする人が一人。セカンドに一人、サードに一人。外野に二人だった。


 一塁ベース上と、ホームベースより少しバックネット寄りで、ほんの少し三塁寄りの位置、それぞれにトスバッティング用のネットがあり、二塁ベース上には、ポールがあり、上部にバケツがつけられていた。人数が少ない中でノックを円滑に進めるための工夫だろう。

 準は五人を順番に観察することにした。


 まず、ノックをしている人。

 右打ちなので準の位置から顔は見えなかった。後ろから確認できたのは両肩の上で二つにまとめてある髪型だけだった。

 グラウンドで一番大きな声を出しているのはこの人。よく通る心地よい声だと準は感じた。


 ノックは適確だった。

 各ポジションにまんべんなく。ゴロ、フライ、ライナー。正面、ギリギリ届く当たり、届かないと判断し次の行動に備えなければならない打球。

 これだけ聞くとただ単に打球がばらついていると思うかもしれない。しかし、彼女のノックには一定のリズムを感じた。一定の間隔で、右に左に、強く弱く。守っている側もリズムを感じているかのように軽快な動きだった。準はオーケストラの指揮者の姿を彼女に重ねていた。


 次に、セカンド。

 彼女は唯一、準に気付いているようだった。時折、準の方をちらっと盗み見ては落ち着かない様子だった。準には彼女が頼りなく見えた。現に彼女はおどおどして見えた。

 

 しかし彼女は守備に関しては鉄壁だった。素早い反応で打球が飛んだ瞬間に移動し、確実に捕球。そこから、顔を上げるよりも早く、右手で二塁ベース上にあるバケツにトス。これがすべてバケツにおさまる。ダブルプレーを取るためのプレーだ。

 とにかく一連の動作に一切無駄がない。こういうのは女性特有の洗練された動きかもしれない。最小限の動き、最小限の力で堅実なプレー。彼女の少ない動きにあわせ、肩よりも少し長い、緩やかな髪がゆれていた。


 サードはとにかく外見が目立っている。

 五人の中でひときわ背が高い。準よりも高いかもしれない。

 輝くブロンドの髪に、遠くからも目立つ青い眼。

 おそらく外国人だろう。

 守備の方は普通だと思った。守備範囲も決して広いとは言えない。まあ、準の思う普通というのは一般的な男子高校野球でのレベルなのだが。

 その分、肩は強かった。ファーストまでの送球は矢のような送球という形容がぴったりだった。

 

 外野の二人は髪の長さが対照的だ。ショートカットの小柄な子と、腰の上まである長い黒髪をポニーテールにしているスラリとした人。

 ショートカットの子は足が速い。男子と比べても遜色のない瞬発力だった。また、打球に対する読みがすばらしい。常に落下点までの最短距離を一瞬で見つけているようだった。これによって彼女の守備範囲はかなり広いものになっていた。

 ただ、外野手にしてはすこし肩が弱く、浅い外野フライでもホームベース後ろに準備されたネットまではツーバウンドが精一杯という様子だった。

 

 外野のもう一人、ポニーテールの人のプレーはグラウンド上の誰よりも輝きを放っていた。

 彼女のプレーのどこがいいかを上げることよりも、どこが悪いのかを探す方が難しかった。

 グラウンド上の誰よりも速く動き、落下地点まで一切の無駄を排除した動きで向かう。

 トップスピードに乗るまでの速さはいままで準が見たどの選手よりも速かった。

 そのうえ、返球もこれまた完璧だった。本塁に帰ってくるランナーをタッチアウトにする際、キャッチャーがタッチする位置、すなわち、ホームベースよりほんの少し三塁寄りの位置をボールが通過したのち、計算された位置にセットしてあるネットの中へと収まっていた。

 まさに、神技だった。

(すごい……ポニーテールの人は特にすごいけど、それが浮き立たないくらいまわりのレベルも高い。こんなメンバーのなかでおれは野球していくことになるんだ……)

 準の顔には自然と笑みが込み上げてきた。

 もう、見ているだけでは限界だった。

 準は意を決し、金網の扉をあけ、グラウンドへと入った。

 

 グラウンドに入ってすぐにノックをしていた髪を二つに括った女子が準に気付いた。

「えっと……君は?」

「あ、はい。おれ、才木準といいまして、理事長から」

 そこまで言った時に、準の言葉は遮られた。

「あ、そっか! 君が新入部員の才木準くんだね! 理事長から話は聞いてるよ~、期待の天才新人キャッチャーだって」

 どうやら理事長が無責任なイメージを植え付けているようだ。そう察した準は、さっさと誤解を解くことにした。

「いや、おれ、キャッチャーはほとんど……」

 しかし、準が言い終わる前に、彼女は後ろを向いて、

「お~い、みんな~! 新入部員だよ~、しゅ~~うご~!」

 と、グラウンド中に響く声で叫んだ。

 すると、残りの四人はそれぞれのペースで集まり始めた。


 その間に、目の前の彼女は準の方を向いて、

「あたしはこの部のキャプテンやってま~す! 遊ぶに上って書いて、ゆかみ。二年E組の遊上佳奈ですっ! ポジションはショート! よろしくね、才木くん」

 と、眩いばかりの笑顔で言った。もちろんその笑顔は、部長からただの新入部員に向けられた笑顔だと準は分かっていた。が、それでも準は思わずドキッとしてしまった。

 メンバーが集まってくるまでの間、自然と佳奈の方に目が向く。

 身長は準より少し小さめ、一六〇センチくらいだろう。両肩の上で二つにくくられた髪と目尻が少し下がって優しそうな目が印象的だった。


 最初に、外野を守っていたポニーテールの人が準たちの所に着いた。彼女は不思議な生き物を見るような目つきで準を観察し始める。

 次に、サードの外国人らしい子が、ブロンドの髪をなびかせてやってきた。最初はけだるそうにしていた彼女だったが、準を確認すると、何かはっとしたような顔つきになった。

 外野を守っていたもう一人のショートカットの子と、セカンドの子は、集まるのにもう少し時間がかかりそうだった。

 それを確認した佳奈はやれやれといった様子で口を開いた。

「先に二人に紹介するね。新入部員の才木準くんで~す!」

 佳奈にうながされ、準も挨拶しようとした。

「どうも、才木準です。よろ……」

 ここまで言いかけた時、外国人らしき子が待ちきれなくなったかのように突進してきた。

「ウェールカームッ!」

 ボンッとしたものが準にあたり、やわらかい感触で準は包まれた。

「うぐっ、むうぅ」

 準は手足をばたつかせたが、いっこうに準のからだが解放される気配はなかった。

 そろそろ本格的に息が危ない、そう思い始めそうになった時、

「こらっ、アリス、離してあげなさい。まだ、自己紹介すんでないでしょ」

 佳奈の注意によって、ようやく準を拘束する力が弱くなった。

「承知したのよさ。離れるのは至極残念……また、後でしたげるよん」

 アリスと呼ばれた彼女はいたずらっぽく準にウインクして、日本語でそういった。それは、一部、不自然な部分があるものの、とても流暢な日本語で、彼女の外見からは想像もできないほど日本人的な発音だった。


「まったく、かわいい新入生がおびえちゃったらどうするのよ」

 佳奈はあきれたように言った。そして残りの二人も集合したのを確認し、続けた。

「じゃあ、全員そろったみたいだし、改めて紹介するね。新入部員の才木準君。期待のキャッチャー候補で~すっ!」

 佳奈が準の横で両手をひらひらさせて紹介した。

 若干のやりづらさを感じつつも、準も自己紹介をはじめた。

「どうも、才木準です。一応、小、中とずっと野球やってました。キャッチャーはあんまり自信ないんですけどがんばります。よろしくおねがいします」

 準はこれらの言葉を言い終わると、深々と頭を下げた。

 まばらな拍手。

 準が頭をあげて確認するとどうやら拍手をしていたのは佳奈とアリスだけのようだった。


 ポニーテールの人は何かを考えている様子だったし、セカンドの子はもじもじしていた。

 ショートカットの子にいたってはなんだか準をにらみつけているように思えた。

(あ、なんか疎外感)

 心が折れそうだった。


「え、え~、まぁ、気を取り直しまして。今度はみんなの紹介するね」

 微妙な雰囲気を感じたのか、佳奈があわてて動き出した。

 まず、準の正面に立つポニーテールの人の隣に立って、言った。

「この子は、センターやってる子で、仲上あすかっていうの。二年生だよ。C組ね。ほら、あすか、自己紹介しなよ」

 最初に佳奈が紹介したその人は、準が練習を見学していた時に超一流だと思った人だった。しかし、彼女はまったくの上の空で、佳奈の声が聞こえていないようだった。

 先程からずっと、きりっとした目で準の方を見つめている。

 その、持ち前のきりっとした目つきと、ポニーテールのせいなのか、準には彼女が、よく漫画などにでてくる剣士のイメージと重なった。


「こら、あすか聞いてるの?」

 なかなか口を開かないあすかにしびれを切らしたのか、佳奈があすかの肩を揺さぶりながら言った。

 するとようやく気付いたのか、あすかは、はっとしたような顔をして準を見据えた。

「きさま、才木……とかいったな?」

 あすかはキッと準にするどい視線を向けた。

(き、斬られる……?)

 さっきの剣士のイメージのせいか、とっさにそう思ってしまった。

「は、はい……そう、で、す」

 なんとかして声を絞り出す。

(この人はもしかしたら、とってもクールで、とっても恐ろしい御方かもしれない……ぜったいに逆らわないようにしよう)

 準はそんな掟を自然と作り出してしまった。しかし、あすかの発言により、その掟は早くもいらないものとなるのだった。


「そうかそうか、きさまが、理事長が言ってた才木準とやらか。野球は詳しい、プレーは乏しい、器用貧乏、野球大好き才木準!」

 選挙のPRのようなフレーズを言い放つと、あすかはアッハッハと陽気なアメリカ人チックに笑いだした。

 あすかの放つ言葉、ひとつひとつが、準に突き刺さる。

 無邪気な言葉は、時に、悪意をもって放たれた言葉よりも人を傷つける。

「こ、こらっあすか! たしかに理事長はそんなこと言ってたけど、直接本人に伝えてどうするのよ? もっと、知識だけはスゴイらしい、とかオブラートに包んでいいなさいよ!」

 佳奈がとうていフォローになりえないようなフォローで取り繕う。

(いいんだ……どうせおれは……)

 準は予想外の強烈な追撃に、よろめいた。

 あわてて佳奈がフォローに入る。

「あぁっ! 準くん! 落ち込まないでっ! あすかも悪気があって言ったんじゃないの! あの、この子、野球はすごいんだけど、その、バカだから!」

「ナ、ナンデスト?」

 今度はあすかがダメージを受けて崩れ落ちた。

「か、佳奈……わ、わたしはバカなのか? そうなのか? 死んだほうがいいのか? いらないのか?」

 あすかはヒザをついたまま涙目で、佳奈にすがりついた。

「い、いやぁ……今のは、言葉のアヤだから……その、ほら! この場合のバカっていうのは、ちょっぴりお茶目で愛嬌があるっていう意味だよ!」

 佳奈は明らかに苦しい言い訳でその場を濁した。あすかはそれを聞くと、すっと立ち上がり、

「やっぱりな! この大天才のあすか様がバカなわけないもんな ワッハッハ」

 と元気に笑い、続けざまにまだ立ち直れていない準に向かって続けた。

「なぜ落ち込む。少年よ! 何でもそこそこのプレーができるっ、てことは、すべてのプレーを一流にできる可能性があるのだぞ! この、あすか様のように!」

 自分にむかって親指をたて、あすかは不敵に笑った。

(いや、それができないから器用貧乏とか言われたわけで……まあいいや)

 準は少し自嘲気味の笑みを浮かべて立ち上がった。そんな準をあすかはじっと観察し続け、ポンと手を叩いた。

「よしっ! わかった! 少年よ、きさまをこのあすか様の弟子にしてやろう! 今日からお前は私の弟分、いや、弟だ! よかったな。ワッハッハ」

「あ、あっはっはー……」

 準はあすかにあわせて力なく笑った。

(こ、この人の相手、疲れる。バカと天才はなんとやらってやつ……)


 そんな準の気持ちを察してか、佳奈が間に入って宥める。

「こ~ら、また、わけわかんないこと言い出して。準くん困ってるじゃないの! ……でも、弟っていいわね。わたしも弟くんって呼んじゃおうかしら?」

 佳奈はクスッといたずらっぽく笑いながら言った。

 一瞬、

(この人の弟ならいいかも)

 なんて考えがよぎった準だった。


「あすかのせいでちょっと時間がおしてるわね。残りの三人は手短にお願い。アリス」

 佳奈はそう言って、アリスに目配せした。

「おっけい。ワタシは三浦アリス。二年B組なのよん。ユーみたいな可愛い男の子なら大歓迎なのよ」

 そう告げるとアリスは準に向ってウインクした。

(なのよん? 発音は完璧日本人なのにちょくちょく変だな)

「準くん。アリスは両親の影響で、語尾があやふやになっちゃってるの。本人は正しいと思ってるから、そっとしてあげて」

 佳奈が準にそっと耳打ちした。

「は、はぁ……それにしてもまったく、違和感無い? 日本語ですね。ハーフかなんかですか?」

 準はたじたじしながら質問すると、佳奈が代わりに説明役をかってでる。

「や、こうみえてもれっきとした日本人だよ。と言っても、日本に帰化したイタリア系ブラジル人の父親と、これまた日本に帰化したアメリカ人の母親の娘だけどね」

(や、ややこしいな……)

 失礼とは思いつつも、思わずそんな感情へと行きついてしまう。


「じゃあ、次は葵の番よ。……葵?」

 佳奈があすかのうしろにいる、セカンドを守っていた子に呼びかけた。

 しかし、その子はあすかに隠れるようにして、準に顔を見せようとしない。

「こら、葵、ちゃんと顔出して挨拶なさい」

 佳奈がたしなめると、葵は、あすかの後ろからひょこっと顔だけを出した。そして怖々と準を見た。

 小動物みたいな子だな、と準は思った。

 しばらく準を見つめた後で、葵はようやく口を開いた。

「こ、ここ、こんにちは。セ、セカンドの二神葵です……二つの神でふたがみ。佳奈ちゃんと一緒の二年E組です。よ、よよよ、よろしくお願いします」


(二年……先輩だったのか……)


 葵のおどおどした態度から、準は、葵が準と同じ一年だと思い込んでいた。

(それにしても……ビクビクし過ぎな気が……守備練習では鉄壁だったのに)

 準が訝しんでいるのを察してか、佳奈がとっさにフォローを入れる。

「ごめんね~、準くん。葵は男の子が苦手なの……でも、徐々になれるはずだから気にしないでね。よしっ最後に! 綾ちゃん! 行ってみよ~」

 元気に佳奈が告げた。しかし、あすかとともに外野を守っていた少女、綾から帰ってきたのはそっけない返事だった。

「一年A組、七山綾。外野手」

 ショートカットに鋭い目つきの綾は、準の方を全く見ずに冷たく言い放った。故意に準の方を見ないようにしている。そんな感じだった。

「え……それだけでいいの?」

 佳奈が困惑している。

 綾は何でもないかのように、

「ええ。十分です。早く練習再開しましょう」

 そう言い放ち、ぷいっとグラウンドの方を向いた。

 佳奈はよりいっそう困った様子で、

「じゃ、じゃあ四人は二人一組でトスバッティングやっててちょうだい。私はもう少し準くんと話してるから」

 そう指示をし、四人はそれぞれ移動を始めた。


「七山さんっていつもあんな感じなんですか?」

 準は、綾の態度に疑問を感じ、佳奈に尋ねた。

「いやぁ、あたしもその辺はあんまり断言できないな~ でも、彼女、春休みの間からうちの練習に参加してたんだけどね、あんなにそっけない子じゃなかったと思うんだけど……それよりも、準くん?」

 急に、佳奈が準に向って咎めるような声を出した。

「は、はい? なんでしょう?」

 思わず、びくっ、と肩をすくめて返事をする。

「七山さんじゃなくて、綾ちゃんだよ? ウチは、全員下の名前で呼び合わなきゃだめなんだから。野球はチームワークが大事だからね」

 佳奈が頬を膨らませた。

「は、はい! すいません! ……佳奈さん」

 準は初対面の女子を下の名前で呼ぶことにかなりの抵抗を感じる。

「もう、別にさんとかもつけなくていいのに~、佳奈って呼んでよ~」

 佳奈が少し寂しそうに言う。

(う、そんな寂しそうな顔をされると……)

「じゃ、じゃあ、佳奈……先輩。これでどうですか?」

 これが、準が歩み寄れるぎりぎりのラインだった。

「う~ん……まぁいっか。呼びたくなったらいつでも佳奈って呼んでね」

 佳奈は首を傾けてにっこりとやさしく準に笑いかけた。

 そんな佳奈に見惚れ、思わずポーっとなってしまう準。

(か、かわいいな……なんか、やさしいお姉さんって感じ……って何を考えてるんだ!)

 そんな準の心を読んだかのように、

「お姉ちゃんって呼んでもいいんだよ?」

 などと、佳奈はタイムリーな言葉を的確に繰り出す。

「な、ななな、何を言い出すんですか!」

 あわてて否定するしかない準。頭に浮かんだ雑念を振り払うために、準は無理やり話題をつくることにした。

「そっ、そういえば理事長は二年生が四人、一年生が二人って言ってましたけど、あと一人の一年生はまだ入部してないんですか?」

 準の質問に、佳奈は得意げに答える。

「その点は心配しないでいいよ。今日はちょっといないけど、綾ちゃんと一緒で、春休みから練習に来てたんだから。その子には準くんとバッテリーを組んでもらうからね~、準くんもたぶんビックリすると思う。間違いなくどこに出しても恥ずかしくないエースだよ! 楽しみにしといてね」

 佳奈はまるで自分のことを話すように嬉しそうだった。

「それは、楽しみですね。……でも、ほんとにおれがキャッチャーでいいんですかね? さっき練習見せてもらいましたけど、みんなかなりのレベルじゃないですか。たぶん一番レベル低いですよ? おれ」

 準がずっと気になっていたことも聞いた。

「あら、うれしいこと言ってくれるんだね~、でも、あの理事長が推薦したんだからきっと大丈夫だよ! 準くんならきっとできるんだから!」

 佳奈は心底準に期待しているようだった。全く疑いのない笑顔。

 がんばろう、と思わずにはいられなくなる。


「それにね」

 少し間があって佳奈が続ける。

「あたしたちも助かるんだよ? 準くんがキャッチャーしてくれると。キャッチャーって一番激しい衝突があるポジションだから、男の子がやってくれたほうが心強いもん」

 なるほど。

 確かに、キャッチャーは一番肉体的接触が大きいポジションである。クロスプレーでは相手をブロックする必要が出てくる。中にはでたらめな力で体当たりしてくる危険な人も少なくない。男女関係ない草野球では女の子がやるには危険すぎるポジションだ。


 ここまで考えて、準は新たな疑問に行き着いた。

「でも、おれ、ほんとに入部していいんですかね?」

 佳奈は一瞬ポカンとして、聞き返した。

「もしかして、さっきの綾ちゃんのこと気にしてるの?」


「いや、違います。あ、いや、それはそれで気になりますね。綾さんはおれのこと快く思ってないみたいですし、葵さんなんて男が苦手なのにおれが入っちゃったら嫌なんじゃないですか?」

 佳奈はそれは違うというように手を振りながら答えた。

「それは大丈夫だよ。ウチの部は去年あたしたちの入学にあわせてできたんだけどね、その段階で、今年から男子の入部も受け入れるって決まってたんだから。葵もそれが分かってた上で入学したんだし。だから、準くんは何も気にしなくていいんだよ。……他になにか気になることがあるの?」

 佳奈は、準が何を言いたいのかよく分からない様子だった。

「あの、高校野球って、高校女子硬式野球もあるじゃないですか? おれが入らなかったら女子硬式野球部として、それの全国大会とかを目指して活動できるんじゃないんですか?」

 近年、野球をやる女性は少しずつ増えている。しかし、いまだに甲子園などの公式戦には女子の出場は認められていない。そのかわりに作られたのが、高校女子硬式野球だ。毎年春と夏に全国大会が開催されている。もちろん、男子の甲子園と比べれば規模や注目度もまったく違うが、それでもれっきとした全国大会である。

 準の発言に佳奈はようやく合点がいったようである。そして、クスッと笑って言った。

「準くんったらそんなこと気にしてくれてたんだ? でも、いいのよ。みんな女子硬式野球がやりたかったら、そのための部がある学校に行ってるよ。でもね、ここにいるみんなが選んだのは、男女関係なく、男子と対等の条件で試合ができる“野球”っていうスポーツなの。だから、準くんが気にすることは全くないんだよ?」

 佳奈がほほ笑む。


(ああ、そうか……ここにいる人たちはみんな純粋に野球が好きなんだ。性別なんて関係なく、ただ“野球”がしたかったんだ。つまり……おれと一緒なんだ)


 佳奈の言葉を聞いて、準は理事長との会話を思い出していた。

「逆に、準くんはうちでよかったの? 甲子園目指したくなかったの?」

 今度は佳奈が質問する番だった。

 佳奈が聞いてくるのも当然か、そう思いつつ、

「まあ、最初はその気持ちもあったんですけど……でも、おれが受かった高校はここだけだったんで。それも理事長のおかげですし……」

 準が話すにつれて佳奈はかなり気まずそうな様子へと変わっていく。

「う、うわぁ……聞いちゃまずかったことを聞いてしまった気が……」

 準から目をそらすようにして話す佳奈を見て、あわてて準は付け足す。

「い、いや、最初は、ですよ? もう今はそんな気持ちまったくないです。理事長の言葉に気づかされたんですよ。おれがやりたかったことは、甲子園を目指すことじゃなかったんです。ただ純粋に野球ができる。それだけで十分なんですよ」

 そう言って佳奈に笑いかけた。

 その時に佳奈がポツリと、

「……準くんも理事長にうまく乗せられちゃったんだね」

 そう呟いたのには全く気付いていなかった。

「まあ、いいや。そういうことならいいんだ。うん。準くんが入部してくれてうれしいよ! じゃあ、改めて……ようこそ~、珠風学園草野球部へ!」

そう言って、今まで佳奈が見せたどの笑顔よりも嬉しそうな、輝くような笑顔を準に向けた。

 (この人の笑顔は、人を、和ませる、幸せな気持ちにする、そして、虜にする。恐ろしい笑顔だ)

 準は佳奈の笑顔を直視できなかった。


「じゃあ、準くん。今日はこれからどうする? あんまり残り時間ないけど練習してく?」

 佳奈が準に尋ねる。準は最初から練習に参加するつもりだったので、すぐに応えようとした。しかし、返事をする前に校内放送のアナウンスにさえぎられた。

「一年B組の才木準くん。才木準くん。今すぐ理事長室までお越しください。繰り返します……」

 準は佳奈と目を合わせた。

「呼び出されちゃったね~」

 と、佳奈。

「呼び出されちゃいました」

 と、準。

「しょうがないね。行っておいで~、練習は明日からがんばろうねっ!」

 佳奈は少し残念そうだった。

「はい、いってきます。じゃあ明日からまたよろしくお願いしますっ!」

 準は佳奈に頭を下げると、校舎に向って走り出した。


 最後に、佳奈が準の背中に向かって気になることを呼びかけた。

「あんまり、理事長にのせられちゃだめだよ~」

(?)

 準には佳奈の発言の意味が分からなかった。

 


「ごめんね。また来てもらっちゃって。さっき伝えそびれたことがあって」

 準が理事長室に着くと、理事長は開口一番、そう切り出した。

「いえ。問題ないですけど。何でしょうか?」

「野球部の今後の活動についてちょっと、ね。で、どうだった? 自分の目で見た感想は?」

 理事長は準が満足しているとわかって聞いているようだった。 

「はい、想像以上でした。守備練習を見ただけですけど、かなりハイレベルなメンバーだと思いました。鉄壁の守備のセカンド、葵先輩。強肩のサード、アリス先輩。俊足の外野手、綾さん。そして、超一流のあすか先輩。こうなってくると部長の佳奈さんもかなりのレベルですよね」

 なんだか、理事長の思い通りになっているみたいで少し癪だったが、準は素直に感想を述べた。

 理事長は準の口から直接答えを聞けて満足そうだった。

「そう言ってもらえるとうれしいわね。お察しの通り、佳奈もすごいわよ? 葵と佳奈の二遊間は最早芸術の域ね。……ところで、エースはどうだった? バッテリーとしてやっていけそう?」

 理事長はなぜかニヤニヤしている。

「いや、それが、今日は練習に来てなかったみたいで。会えませんでした」

 準は理事長の表情に疑念を抱きながらも答えた。

「あら、それは残念。いろいろ面白くなると思ったのに」

 理事長はニヤついた顔を崩さないままだった。

 面接の時も感じたことだが、理事長はいたずら好きなネコのようだった。


「では、本題に入ります。才木くん、君は、珠風商店街祭りを知ってるわよね?」

「ええ。知ってますよ。ゴールデンウィーク中にあるやつですよね? おれも珠風市民ですから」


 珠風商店街祭りというのは、準が住む珠風市の大きなイベントである。その祭りは市で最大の商店街、珠風商店街で、ゴールデンウィークの二日目から最終日まで行われる。

 その祭りの内容は、商店街ぐるみのセール、などといったありがちなものとはまったく違う。商店街の各店舗がそれぞれの店舗前で、本来の店とはあまり関係ない出し物を演じたり、出店を出したりする。その内容は様々で、たこ焼きやかき氷のように普通の縁日のような出店もあれば、本屋の店員によるマグロの解体ショーや、精肉店のおばちゃんが演じるヒーローショーなど一風変わったものもある。 


「じゃあ、その祭りの前日に、商店街の野球チームとのエキシビジョンマッチがあるのも知ってるわよね?」

 理事長が続けて質問してくる。

「はい、知ってます。でも、ここ何年か、挑戦するチームが現れなくて、試合、やってませんよね」

 準は当然その試合のことも知っていた。


 五年前に開始されたこの企画。県内の草野球チームならどこでも挑戦できる企画で、勝てば豪華賞品、負けると祭りの間無償で商店街の手伝い、というものだった。

 そんな条件だったが、商品がとても豪華で、野球の練習器具なども商品に入っていたため、最初の二年は多くのチャレンジャーが名乗りをあげた。しかし商店街チームはすべてのチームに圧倒的大差でコールド勝ちした。その後、挑戦するチームは現れなかった。

 そう、去年までは。

「今年、ウチの部が挑戦しますって申し込んだから、絶対勝ってね」

 こともなげに、理事長が言った。

「はい、分かりました。……って、えぇっ!」

 準は理事長の発言が理解できなかった。


「もう一度言ってもらえますか?」

「今年、ウチの部が挑戦しますって申し込んだから、絶対勝ってね」

 理事長から先ほどと一字一句違わない返事。

 理事長は、何かおかしいことでもあるの? といった表情だった。

「本気ですか? いや、正気ですか?」

 準はまだ信じられなかった。

「本気で正気よ。大丈夫よ。去年メンバーが四人しかいなかった時、よく商店街チームにまぜてもらってたんだから。あの子たちの方がレベル高いはずよ」

 まあ、あの先輩たち四人ならありえないこともないかな、と準は思いつつも、まだ残っている不安を口にした。

「でも、あと二人メンバー足りてないですけど……」

「うん、それはわかってる。だからね、あなたは今日から、あと二人、新入部員を見つけること。そしてピッチャーとの信頼関係を築くこと。その二つだけを考えて動きなさい」

 と、また無理難題を押し付けてくる。


「いや、後者はともかく、新入部員なんてそう簡単に見つからないんじゃ……」

 準は、大半が女子のこの学校で、新入部員を二人も見つけるのは到底不可能だと思った。

 しかし理事長は、

「大丈夫よ。わたしの見込みではあと二人、すんなり入部してくれる子がいるはずよ。それも君のすぐ近くにね。明日にでも九人そろうはずよ」

 クスっと意味深な笑みを浮かべてそう言った。

(近くに……おれの近く……あっ、ハヤトがいる!)

 準は親友のことを思い出した。ハヤトならすんなり入部してくれるだろう。

(そう考えると、あと一人か。……なんとかなり、そう?)

 すこしだけ希望を持った。

 そして、準は理事長に、気になっていたことを聞いた。

「ちなみに、出場の意図は?」

 理事長のまゆがピクッと動いた気がした。しかしすぐに、理事長はすました顔で答える。

「早い段階で試合はしたいと思ってたの。九人そろえて本当のチームになるためにね」

 もっともらしい返答。そして、理事長は続ける。

「商店街チームだったらあの子たちと互角以上の戦いが出来るし、商品の野球器具がもらえれば練習ももっといいものになるでしょ? みんな、あなたたちのためになると思ったの。あなたたちならきっと勝てる、そう信じてるから、勝手に応募したの」

 理事長の目はまっすぐだった。少なくとも準にはそう思えた。

「そんなにおれたちのためを考えて……」

 準は思いっきり感激していた。こんなに生徒思いの人、そうはいないはずだ。

 しかしそんな準の思いをよそに、なぜか理事長は笑いを堪えるのに必死な、今にも吹き出しそうな顔をしていた。

「理事長? どうしたんです?」

 準は不思議そうに理事長の顔をのぞきこんだ。それに気づいた理事長はあわてて、

「あら、な、なんでもないわよっ。うん、すべて、あなたたちのためなんだから。だから絶対勝てるよう努力してね!」

 といって、ファイトッと右腕をつきだしたポーズをとった。

 準もそれ以上は追及しなかった。

「負けたら廃部とかないですよね?」

 一応、準は確認しておくことにした。

「ん。あんまり考えてなかったわねぇ。とりあえず、祭りの手伝いはしなきゃでしょ? あとは……じゃあ、負けちゃったら、部から同好会に格下げとかにしちゃう?」

 理事長は罰ゲームでも告げるような口調で言った。

「思い付きでそんな過酷なペナルティを設定しないでください。廃部にならないんなら安心です。まあ、とりあえず全力はつくしますよ。もう、行ってもいいですか?」

 準は理事長室から出ようとする。

「はい、いいわよ。とりあえず、新入部員の件がんばってね~」

「わかってます。では、これで失礼します」

 今度はゆっくりと出て行ったので、去り際に理事長が言った言葉を、準は聞いた。

「私を熱海へ連れてってね」

(熱海?)

 なんのこっちゃ、と思いつつ理事長室をあとにした。

 


 理事長室を出て昇降口にたどり着くと、意外な人の姿があった。

 両肩の上で二つに留められた髪に、目尻がすこし下がった優しそうな目。

 佳奈だった。

「佳奈先輩」

「あ、準くん! 待ってたんだ~、ねぇ、一緒に帰ろ?」

 準が声をかけると佳奈は笑顔を向ける。

「え、一緒に、ですか?」

 予想外のお誘いに準はたじろぐ。すると、佳奈は少し表情を曇らせて、

「いやなの?」

 と、首を傾げて聞いてくる。

(その、仕草は反則だと思います……)

 準は慌てて否定の言葉を述べる。

「いや、まったく嫌じゃないですよっ! これっぽっちも! ……でも同じ方向ですかね? おれは橋の向こうですけど?」

 

 橋というのは、珠風市で一番大きな川である玉野川にかかっている橋のことである。

 珠風市の位置関係としては、校門を出て右手に行くと駅があり、その近くに商店街がある。逆に、校門を出て左に十分ほど歩くと玉野川が流れている。準の家は川を越えてまた五分ほど進んだところにある。ちなみに徒歩一分で幼なじみの美月の家で、五分程でハヤトの家となる。

(佳奈先輩の家の方向やいかに?)

 などと次回予告めいたことを準が考えた瞬間に、

「あたしも橋の向こうだよ~じゃあ一緒に帰れるね!」

 と佳奈。

「あっさりですね」

「何が?」

「いえ、何でもないです」

「じゃあ、行こっ!」

 元気に佳奈が歩き出し、準も佳奈の左側に並ぶ。


 校門を出て左に曲がり、桜並木の下を二人で歩く。

 何か会話しなければ、と準が焦り始めた時、佳奈が先に口を開いた。

「理事長の話って何だった?」

 佳奈はこれが聞きたくて準を待っていたのだろう。

 準は理事長室での会話を説明する。

「~と、いうわけでして」

「なるほどね~」

 準はだいぶ説明をはしょったが佳奈には十分伝わったようだ。

「でも、なかなか厳しいな~、商店街チームに勝つのは簡単にはいかないよ?」

 佳奈は伸びをしながら言った。夕日が佳奈を照らすよう射していて、伸びをする佳奈の姿は青春ドラマのワンシーンみたいだった。

「やっぱりですか? 先輩たちは一緒に練習してたって聞きましたけど、先輩の目から見た感想は?」

 好奇心旺盛な準の質問に佳奈は少し困ったようだった。

「う~ん、どうだろ~。絶対勝てないってこともないとは思うんだけど、負ける可能性も同じくらいかな。年々衰えてはいるけど、何せ十年以上前とはいえ、甲子園出場者とかもいるからね~」

「なるほど。五分五分ってところなんですね」

 やはり、商店街チームはかなりの実力のようだった。

「うん、ウチはまだ九人そろってないしね~、準くんのがんばり次第かもよ~?」

 佳奈がいたずらっぽく言った。

「うわぁ……かなり、プレッシャーですね……」

 準は少し自信なさそうな表情を作ってみた。

「冗談だよ、冗談! 一緒にがんばろっ! ね?」

 佳奈は準の正面にまわり両肩をつかんで励ましてくれた。

(ふりだったんだけどな……)

 本気で励ましてくれる佳奈を見て少し申し訳ない気分になった。


「とりあえず、一人は入ってくれると思います。おれの親友なんですけどね。少年野球もやってました」

 準はとりあえずハヤトのことを事前に言っておくことにした。

「あら、それは助かるわね! じゃあ実質あと一人なんだね! 九人そろうのかなぁ~? たのしみだなぁ~」

 佳奈は心底うれしそうだ。

「ええ、何とか探して見せます!」

 準は体の前で握りこぶしをつくって、元気よく言った。

「ふふっ、楽しみにしておくね」

 佳奈は優しい表情を浮かべる。子供の成長を見守る母親の眼差しだった。


 そのあとしばらく、佳奈に野球部のことや、学校のことなどをいろいろ教えてもらった。そうこうするうちに二人は橋に着いた。渡りながら準は質問した。

「先輩の家は、橋渡ってどの辺ですか?」

 佳奈はすぐに返事をしてくれる。

「ん~っとね~、橋渡って左手にバッティングセンターがあるの知ってる?」

「あ、はい知ってます。うちから自転車で五分くらいなんでよく行きますよ」

 準の脳裏に幼い頃からよく行くバッティングセンターが浮かぶ。

「そこの近くなんだよ。じゃあ準くんの家と結構近いんだね~、準くんも橋渡って左側?」

「いえ、うちは右側です。橋渡って、右に曲がって五分くらいですね」

「あら、じゃあここでお別れだね」

 佳奈は少し残念そうだった。二人はすでに橋を渡り終えていた。

「あ、そうですね。じゃあまた明日、練習で。ハヤト、あ、いや、さっき言ってた友達、必ず連れて行きますから」

 準は佳奈に少し小さく手を振った。

 佳奈は笑顔で準のほうを見て、歩き出し、大きく手を振り返した。

「うん、じゃあまた明日ね。準くんが入ってくれて、とってもうれしかったよ~」

 そう最後に告げると元気よく走って行った。

 そのまま準は、なんとなく、姿が見えなくなるまで佳奈を見ていた。

 こうして準の珠風学園初日は終わった。

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