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プロローグ

プロローグ

 

「才木準さん。中学からの書類によれば、成績はそこそこ、特に取り立てるほどの特徴もなく、敢えて言うならばすこし女っぽい顔立ち……え、これだけ?」

 書類を手に持つ女性は呆れ顔で書類から顔を上げ、テーブル越しのイスに座った少年に聞いた。

「はぁ……、そういうのは見せてもらえないんで、よくわからないです。でも、もう少しこう、なんか書いてないですかね……」

 少年、いや、才木準は困惑する。



「これだけじゃあねぇ……おっ?」

 ため息とともに女性が書類をめくる。すると退屈そうにしていた女性の目が半目から僅かに開かれる。


「あら? もう一枚あるじゃない。野球部の監督さんからだわ。えーと、才木はとびぬけた力を持っているわけではないが、そこそこの肩と送球の上手さでうちのレフトをしっかりと守ってきました。守備力、足の速さも普通。よって守備範囲もいたって普通。長打力こそないが球をしっかりととらえ、三振はほとんどしない。一方で、外野フライを量産。しかし、野球に関する知識は豊富で、監督の私より技術的なことに詳しかったこともしばしば。何よりも野球を愛する気持ちが強く、これは何物にも代えられない長所であり、才能であり、可能性であります。どうか彼の才能を拾ってあげてください。先日二十勝を達成した石熊投手がドラフト五位だったように、かつてとある有名校が、セレクションでのちにメジャーへ行くことになるスーパースター野、えぇいっ! 長いわっ! ……でも、面白そうじゃない?」

 女性の口の両端が持ち上がる。その表情は、獲物を見つけたネコのような表情だった。


「才木くん」


「はい? 何でしょうか?」


「この成績ならうちの学校に入ることができないこともないです」


「はぁ?」


「ぶっちゃけて言うと、この珠風高校の理事長である私の一存で決めることができます」


「は、はぁ」


「うちの高校に入りたいですか?」


「ええ」


「では、条件があります」


「何ですか?」


「うちの野球部に入りなさい――」









第一章 憧れの高校野球は男女混合で


 春。それは出会いと別れの季節。その、出会いにおける最も主要なイベント、入学式がここ私立珠風高校でも行われていた。

 そんな中、新入生の才木準は入学できる喜びを噛みしめていた。そして、それと同時に、ここ半年に起こった苦難の数々を思い出していた。



 野球部の監督のススメにより、ある高校から合格の内定をもらっていたこと。その高校が経営不振により経営母体が変わり、内定が取り消されたこと。急いで受験勉強したこと。試験当日に会場を間違えて遅刻し見事に不合格になったこと。

 そして、わらにもすがる思いで、最後に受けた高校が珠風高校だった。



 珠風高校は去年までは女子高だったが、今年から男女共学になった。つまり、準たち新入生男子は男子の一期生となるわけだ。

 男女共学といっても男女比率は圧倒的に女子の方が多い。



 男子は何人くらいいるのだろうか、と準は入学式場を見まわす。

 見渡す限りの女子、女子、女子。

 会場全体を見回しても男子は二桁に届くかどうかというところだった。



 準の脳裏に不信感が募る。野球部が存在するのならば、男子が二十人くらいはいるものだと思っていたからだ。

 でも、入学できる喜びでいっぱいの準にとって、そんな疑問は長続きしなかった。



 また野球ができる。高校野球ができる。勝利を目指して一つのボールを追いかける日々が戻ってくる。


 準は叫びだしたくなるような衝動を抑えるのに必死だった。元々あまり感情を表に出すようなタイプではないが、口元には自然と笑みが浮かんでいた。遠足前夜。修学旅行の布団の中。大晦日の夜。そういった時の気持ちに近かった。何かが起こりそうな、何かが始まりそうな、そんな気持ちでいっぱいのまま、入学式は終了した。



 

 入学式が終わると新入生は各教室へと移動。準も自分のクラスを確認し教室へと向かう。


 準が着いたB組の教室にはすでに二十人ほどの生徒が入っていた。


 しかし、教室の中には女子しかいない。

 まさか、クラスに男子は一人だけなのではないか、そんな不安が準の頭をよぎる。世間ではそんな状況をうらやましい、と思う男はたくさんいるだろう。

 でも、正直、準はそれだけは勘弁してほしいという気持ちだった。


 多数の女子の中に男子が一人という場合、その男子の存在は恐らくないものとなる。女子校のようにふるまわれ、例え、女子が気にしないと言っても、一人の男子は居心地の悪い思いをする。きっとそうに違いない。



 そんなことを考えていると、教室に見知った顔の男子が入って来た。準は思わず声を出していた。


「おい! ハヤト!」


 声をかけられた男子、佐野ハヤトは準に気付き、笑顔を向けてきた。

「準! お前同じクラスか! ってか同じ学校だったんだな。お前も珠風受けたってことは知ってたけど、まさか受かってたとは」

 ハヤトは嬉しそうにニヤリ、とした。

「うるせぃ! おれだって必死だったんだよ」

 準も笑顔で言い返す。


「でも、ほんとによかったな。推薦が取り消しになった後のお前、正直見てらんなかったもん。珠風の結果だって怖くて聞けなかったんだぜ。」


「……そっか。ハヤトなりに心配してくれたんだな。悪かった、変な気つかわせて」


「いいってことよ! でもこれでまた三年間一緒だな! 周りにはかわいい女の子がいっぱいいて、お前が隣にいる。おれたちの高校生活はパーフェクト間違いなしだな!」

 


 ハヤトがいる。


 準にとってこれほど頼もしい味方はいなかった。ハヤトの言葉通り準の高校生活は順調に始まったと思えた。

 佐野ハヤトは準にとって間違いなく親友と呼べる存在だった。

 小、中と同じ学校で、一緒に登校し、少年野球も同じチームだった。中学に入った時にハヤトは、先輩後輩の関係が嫌だ、と言って野球部には入らず、サッカー部に入った。だからと言って二人の関係が特別変わるわけでもなかった。

 身長は準と同じくらいで一七〇センチちょい。

 親友に対してそんな評価を下すのも変な話だが、顔立ちは決して悪くない。むしろいいぐらいだ。準はそう思っていた。ただ、本人の軽い言動と男にしては少し長めの茶髪のせいか、女子からは軽薄だと思われていたようだ。



 準から見たハヤトは才能のかたまりだった。少年野球は四年生の時から一番でセンター。中学から始めたサッカーでもすぐにチームの司令塔に抜てきされた。勉強もろくに授業を聞かずにいても赤点などとは無縁の成績だった。



 何をしてもそこそこだった準が、ハヤトのことを羨ましいと思ったことが一度もなかったと言えば嘘になる。

 しかし、準は、ハヤトに嫉妬しているよりも、一緒になって楽しむほうが有意義だと思っていた。準にとってハヤトは、超えられなくても超える必要がない壁、そんな存在だった。



 ハヤトがいるなら残り全員が女子でもいいや、そんなことを準が考えていると、

「知ってるか? うちのクラスって、男子は二人だけらしいぜ」

 何てことをハヤトが言ってきた。

「は? いや、そりゃ、今、それでもいいかなぁって思ってたけど、本音と建前は別にあるわけで……う、うそ、だろ?」



 準は動揺を隠せなかった。

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫……」

(……まいったな)

 

 確かに、さっきまで男子二人でも十分だと思っていた。しかし、人間、何か手に入ると次が欲しくなるものだ。まあ、なってしまったことは仕方がない。そう割り切るしかなかった。

 ふと思い出したように、ハヤトが新たな話題を提示する。


「あ、そだ。桐野もうちのクラスだったぞ」


「美月が? あいつも珠風? 美月くらいならもうちょい上の学校行けたんじゃないのか?」


「ばーか。大事なのはどこに行くか、じゃなくて誰と行くか、だろ? よっ! この色男!」


「何言ってんの」


 桐野美月は幼少時からの女友達だった。家が近所で家族ぐるみで仲がよく、ハヤトと出会うまではよく一緒に過ごした。付き合いの長さならハヤトよりも上だった。


「はぁー、もったいねぇなぁ。桐野あんなにかわいいのに。肝心のお前がそれじゃあな」


(かわいい……か)


 確かに、客観的に見ても美月はかわいい方だろう。それは準も分かっていた。少し小さめの体、くっきりとした大きめの目、肩まである少し赤みがかったふんわりとした髪、それぞれの要素が持ち前のやわらかい雰囲気を際立たせていた。

 

 しかし、物心ついた頃から一緒にいたためか、準は美月を異性として特別意識したことはなかった。そして、それはたぶん美月も同じだろう、そう確信していた。


「おーい、桐野! 準だぞ! 準がいるぞ!」


 ハヤトが少し大きめの声で教室の入り口の方向に呼びかけると、


「え、準? ほんとだぁ! 準だ! 準がいる! わーい!」


 飼い主を見つけた子犬のように、うれしそうに美月が走ってくる。美月にしっぽがあれば、おそらく全力で左右に振っていたことだろう。ものすごく微笑ましい光景だった。


「ほんとに準だぁ! 受かってたんだねぇ、よかったぁ」


「うん、おかげさまで。美月も珠風だったんだ。もう少し難しいとこに行くかと思ってたけど」


「うん。最初に準が行く予定だったとこは男子校だったから諦めてたんだけどね。でも、準が大変なことになって、珠風受けるって聞いたから私も珠風受けることにしたの。ここなら一応パパも許せるそこそこの難易度だったから」



 そういえば美月の父さんは典型的な学歴重視の教育パパだったな、と、そこまで考えて準はある違和感に気づいた。


「……おれが珠風受けるから? 美月?」


 そう問いかけると美月は、はっとしたように口を押さえた。そしてブンブンと音が出るほど手を振り回した。

「わー! 違う! 違うの! ただ、珠風も受験候補の中にあったし、どうせなら準達と一緒の高校のほうが心強いし……」

 そう答えながらうつむく美月の顔は真っ赤になっていた。

 準も自分の顔が熱くなっていくのがわかった。ふと隣を見ると、ハヤトが準を見ながらにやにやしていた。


「いやぁ、なんだか暑いなぁ。春だからなの? ねぇ、準きゅん?」

「だまれ、ばか」

 準は横でからかうハヤトを一蹴し、急いで話題を変えることにした。



「でも、美月は、俺が珠風受かったこと、知らなかったの? うちの親と美月の親の仲なのに?」

「やぁ……それがね、うちのママ、結果聞くのが怖くて、その話題、避けてたみたいなの。正直、私ですら絶望的だと思ってたから、準が受かるのは……あはは、ごめんね」


 美月が申し訳なさそうに言った。確かに、それを否定することはできなかった。


「でも、ほんとによく受かったよなぁ。お前。だって、珠風よりも簡単なとこ、いくつも落ちてただろ?」

 ハヤトがのんきに聞いてきた。


「うん。でも、ここの面接の時に理事長らしき人が、条件を呑めば合格させてやる、って言ってさ」

「条件? どんな?」

 ハヤトと美月、二人ともが首を傾けた。


「それが、野球部に入れってさ」


「え?」

 二人の声がまた重なる。


「何だそりゃ? お前なら言われなくても入ってただろ?」

 ハヤトは拍子抜けしたように答えた。一方、美月は何かを考えている。


「当たり前。野球したくて高校まで来たんだから」

「そうだよなぁ。お前、ほんと野球しかしてなかったもんなぁ」

 ハヤトが少し遠い目で言う。

 準はそんなハヤトを見て、ふと思いついたことを口に出した。


「ね、ハヤト、ハヤトも野球やらない? この学校なら一年のおれたちが最上級生じゃん。先輩だっていないよ。それに、お前だって、野球好きだろ?」

 ハヤトは虚をつかれた様子だった。

「そっか、おれたち一年にして男子の最上級生か。また野球、か。……それもいいかもな」

 ハヤトはまんざらでもなさそうだ。

「だろう? お前がいたらけっこういいトコまで行けるはずだって」

「まぁ、考えてしんぜよう」

 ハヤトが尊大な態度をとる。


(まったく。コイツはすぐ調子に乗る)


 そんなことを思いつつ、準は内心飛び跳ねて喜びたかった。

 しかし、そんな準の気持ちに水をさすかのような発言が飛び出る。


「でも、野球部なんてほんとにあるのかなぁ」


 美月だった。


「え、どういうこと? 美月」

 すかさず準は聞き返す。

「だって、うちって去年まで女子校だったでしょ? そして今年の新入生、男子は八人って聞いたから」

 



 美月の発言の直後ホームルームが始まったため、それ以上詳しい話はできなかった。


(男子が八人? 冗談だろ、おい)


 少し離れた席の美月と目が合う。美月は心配そうな表情を浮かべていた。


 準は美月の勘違いだと思いたかった。勘違いであって欲しかった。

 しかし、準も入学式で覚えた違和感を忘れたわけではない。男子が少なすぎる、という違和感を‐‐

 あれこれ悩むうちにホームルームは終わった。最後に多数のプリントが配布される。これを受け取ると今日はもう放課後。先生が締めの挨拶をして教室から出て行った。配られたプリントの中の一枚を手に取る。


 「クラブ委員会一覧」


 その紙にはそう印刷されていた。


 準は必死で“野球部”の三文字を探した。


 くまなく、隅々まで、きっちりと。


 しかし、その三文字はどこにも見当たらなかった。裏面を見た。しかし裏には“同好会一覧”と書かれていた。


 準は何も考えられなくなった。手に取ったプリントを何度も見た。しかし、そこに準が求めた三文字はない。あるのは準にとって何の意味も持たない記号の羅列だった。

 美月とハヤトが近寄ってきた。


「あ、あのさ、準……」


 美月がおそるおそる話しかけてきた。しかし、準はそれをさえぎって、

「理事長室に行ってくる! 二人は先に帰ってて!」

 そう答えるや否や走り出していた。

 



 校内をがむしゃらに走りまわった結果、意外とすぐにその部屋は見つかった。



 “理事長室”そう書かれていることを確かに確認して、準は扉をノックする。

「ハイ、どうぞ」

 中から聞き覚えのある声を確認し、準は扉を開けた。


「失礼します。一年B組の才木準です。理事長さんに聞きたいことがあって来ました」

 そして大きなイスに腰掛けている女性をキッと見据えた。


「あらあら、一年生が私に何の用かしら?」

 理事長は少し面白そうに準を見た。


 理事長は意外と若い、と準は思った。面接の時には気にする余裕がなく、気付かなかった。


(三十代……いや、もっと若い)


 そんなことを考えているうちに理事長の方から話しかけてきた。

「どうしたの、私に聞きたいことがあるんじゃないの? 才木君?」

「あ、そうです! あの、理事長は面接の時に、僕に野球部に入れ、って言いましたよね?」


 準は我にかえって強い口調で言い返した。

 すると理事長も何かに気づいたようだった。そして、


「そっか、君はあのときの子か。監督さんからの推薦状があった。ええ、たしかに野球部に入りなさいって言ったわよ。それがどうかしたの?」


 悪びれずそう言ってのけた。どうやら理事長はことの重大さを理解していないようだった。


「野球部なんてどこにもないじゃないですか! しかも男子が八人って……新しく野球部を作ったところで大会にも出られないじゃないですか! どういうことですっ!」


 準は思わず声を荒げていた。しかし、理事長はまったく動じていなかった。むしろポカンとしているようだった。そして準にとって予想外のことを口にした。


「なに言ってるの? 野球部ならちゃんとあるわよ?」


「へ?」


 準は思わず間抜けな声をあげていた。


「野球部ならちゃんとあるわよ。今、君が持ってる部活一覧表にもしっかりと載ってるじゃない。」


「え、そんなまさか……ど、どこにですか?」


 準は手に持っていたプリントを理事長につきだした。

 理事長はプリントを受け取るとある一か所を指し示した。


「ここよ、ここ」


 理事長が示した場所にその文字はあった。しかし、それは準が求めていた三文字ではなく、四文字だった。

 


“草野球部”

 その四文字。



「く、草野球……」

「ええ、そうよ。草野球部。まあ、公式の連盟には加盟してないから、世間的には同好会扱いだけどね。今は二年生の女の子が四人だけだけど、新入生の女の子二人はもう入部が決まっててね、あなたが七人目ね」



 準は頭の中が真っ白になった。

「れっきとした野球部よ。わたしの読みではすぐに九人そろうはずだから。今年はいいトコ狙えそうだわ。それよりちょうどよかったわ。私の方からもあなたに話があったの。当面の野球部の活動についてなんだけど‐‐」


「ふざけないでくださいっ!」


 気づいた時には目の前に平然と座っている理事長を睨み付けて叫んでしまっていた。


(草野球? 女の子が六人? おれが七人目? ふざけんなっ! ふざけんなっ!)


「ふざけんなっ! 何ですか、草野球って! 女の子と野球? そんな遊びのためにおれは高校に来たんじゃないっ! おれはちゃんとした野球がしたいんですっ!」


 一気にまくしたてていた。すると今までまったく動じなかった理事長の表情も真剣なものへと変化していった。


「才木君、君の気持ちもわからなくはないです。……でも、今の発言は撤回しなさい。うちの子だって遊びで野球やってるわけじゃないわ。真剣に野球やってます。それに、ちゃんとした野球って何? 女の子が野球しちゃおかしいの? 女の子がする野球はちゃんとした野球じゃないの?」


 理事長の言葉のひとつひとつが準に突き刺さった。準の先程までの怒りは一気に萎んでしまった。変わりに申し訳なさと居心地の悪さが込み上げてくる。理事長の顔を直視できず、手の先、指の先まで、体中が硬直した。


 やっとの思いで準は言葉をしぼりだした。

「すいません、言い過ぎました……」


「よろしい。ちゃんと自分の非を認められる男の子えらいぞ」


 理事長はほほ笑んで準の頭を乱暴にクシャクヤっと撫でた。その行動によって準はようやく体が動かせるようになった。そして、まだ残っていた思いを吐き出した。


「確かに、感情的になって言い過ぎてしまいました。でも、おれがやりたいのは、硬式野球なんです。甲子園目指して三年間努力する、高校野球なんです」



 理事長は真剣な表情に戻って何かを考えこむ。そして、


「そもそも、君は野球がしたいの? それとも甲子園に行きたいの?」


 そう問いかけた。


「え?」


 準は理事長の質問の意図がよくわからなかった。


「だってそうでしょ? 野球がしたいなら草野球でも野球は野球じゃない。硬式野球って言ってたけど、うちの草野球部は基本的に硬球を使っているから、ほとんど硬式野球部と一緒よ。それに甲子園じゃなくても草野球の全国大会だってちゃんとあるんだから。大した違いなんてないじゃない」


 準は思ってもみなかったの反論に会い、反応がワンテンポ遅れてしまった。


(あれ? そうやって考えると大した違いはないかも……)


 そこまで考えて、準は自分が流されそうになっていることに気づく。そしてあわてて反論した。



「いや、でも、やっぱり女の子ばかりだとレベルが……」

「それならまったく問題ないわ。うちの女の子はみんなそれぞれ有名なシニア出身よ。それも男の子にまじってレギュラーを確保していた子ばかりだから。あなたが加わって、あと二人入部したら、そんなに野球のレベルが高くないうちの県でなら、夏の甲子園予選の県大会ベスト8を狙えるくらいの実力になるはずよ」



 シニアというのは中学の部活ではなく、クラブチームみたいなものだ。ちなみに少年野球のクラブチームはリトル。一つのクラブチームがリトルとシニア両方を持つことも少なくない。エスカレーター式の学校みたいなものだ。


 シニアと中学の部活、両者の大きな違いは、中学の部活が軟球を使用するのに対し、シニアでは硬球を使用する。早めに硬球に慣れたいと思う連中はたいていシニアに行く。よって、自然と内容も、部活よりハイレベルなものとなる。


「そんなに全員すごいんですか?」


 いくらなんでもそれは言い過ぎだろうと思う準だったが、理事長の自信満々な顔を見ていると事実のような気がしてきた。


「一度見たらわかると思うわよ。他には聞きたいことある?」


「でも、やっぱり野球やってる身としては甲子園の魅力は捨て難いんですけど……」


 準の発言に、理事長は呆れたように答えた。


「またそんなことを言って。いい? 草野球の全国大会を勝ち抜いた場合、プロ球団が使ってるドームで試合ができるのよ? 甲子園にも負けない魅力だと思うけど?」


 完全に準の負けだった。そしてトドメとばかりに理事長が口を開いた。


「ここで最初の質問に戻るけど、あなたは野球が好きなの? それとも甲子園を目指すのが好きなの? どっち? 本当に野球が好きだったら、どんな状況であれ野球ができることに感謝すると思うけどね。まあ、それでも甲子園を目指したいって言うんなら止めはしないけど。転校でもすればいいじゃない? ただその場合、高校の連盟の規定で一年間は、大好きな、野球の試合はできないけどね?」


 理事長が挑戦的な目つきで準を見ている。



(おれは……甲子園を目指したいのか?)



 準は、それは違うな、と思った。どこの高校にも入れない可能性があった時期の自分を思い出した。そして今日、入学式が始まった時の自分の気持ちも。


(いや、違う。おれは野球がしたかったんだ。この学校に入れなかったら草野球すらできなくなっていたかもしれない……そうだ。入学式が始まった時のおれは、野球ができる、ただそれだけでうれしかったんだ。それだけで十分だったはずだ)


 そして、準は自分の気持ちをはっきりと確かめて、頭を下げた。



「おれ、ここで野球やります! やらせてください!」


 一瞬‐‐頭上から「よっしゃ」という声がした気がした。


 すぐに理事長を見たが彼女は平然としていた。


「理事長、今、何か言いましたか?」


「い、いいえ、何も言ってないわよ。そんなことより、よく入部するって言ってくれたわ。ありがとう。あなたが入部してくれたら百人力よ!」


 理事長は明らかに取り繕った態度で準の返答を歓迎する。


 (怪しい)


 そう思ったが、話が進まなくなるので準は気にしないことに決めた。



「でも、そんなにみんなレベルが高いんなら、おれ、戦力になるんですか?」

 入部するにあたって、気になることを聞いた。

「大丈夫よ。あなたの推薦状を読んで私はあることを思いついたの」

「あること?」


 準は皆目見当がつかないまま理事長の顔をみた。彼女はよくぞ聞いてくれた、という自信満々な、いわゆるドヤ顔で準のほうを向く。


「あなたにはキャッチャーとして守備の要になってもらいます」

 理事長はどうだ! といった様子で準を指さしていた。


 少しの静寂‐‐


 のち‐‐


「はぁ? キャッチャー?」


 準はポカンと口を開けたまま答えた。

「反応が薄いっ!」

 バシッっと理事長がチョップをくらわせてきた。

「あいたっ! 何するんですか! ってかおれ、キャッチャーなんか少年野球でちょこっとしかしたことないですよ?」


「大丈夫、あなたならきっとできるわ」

 理事長はニッコリしながら、一枚の紙を取り出して続けた。


「そこそこの肩と送球のうまさ、監督の私より技術的なことに詳しい。監督さんの推薦状にあった言葉よ。キャッチャーに必要な条件だと思わない?」

「いや、それだけじゃ何とも……」

「思いなさいっ!」

 ビシッと再びチョップ。

「あいたっ」


「とにかく、もう他のメンバーにはあなたがキャッチャーをすることは伝えてるわ。今日中に顔でも出して挨拶に行ってきなさい」


「は、はい……じゃあ今からいってきます」

 準は釈然としないままではあったが、理事長室を出ようとした。

 その時、後ろから声を掛けられた。


「才木君」


「はい?」

 準は顔だけ振り向く。


「野球を一番知っている者がキャッチャーをやるのよ。がんばんなさい」


「ハ、ハイ……」

 あいまいに準は頷いた。


「それと……」


「まだなにか?」


「また野球ができてよかったわね。期待してるわよ」

 理事長が笑顔で言った。その笑顔は、一点の曇りもない、そんな表現がふさわしいものだった。そして、それは準に、理事長はいい人だと信じ込ませるのに十分だった。

 準はさっきよりも大きな声で返事をした。

「ハイッ」

 準は勢いよく理事長室を飛び出す。


 そのため、準が出て行く時に理事長が

「説得成功! ちょろいわね」

 と楽しそうに言ったのが聞こえなかった。

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