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セカンドライフ

作者: 楽描ばぁど


 まだ陽も昇らない時間、雪の積もる暗い山路を歩く。一歩一歩、自問を重ねるように。一歩一歩、今日までをなぞるように。




 妻は私が定年を迎える前に亡くなった。退職してからは、ただ何をするでもなくその日が過ぎるのを待つような生活を送った。


 妻には生前『貴方は仕事ばかりで趣味がないから』『人付き合いがないから心配だ』とよく言われていた。当時の私はその意味を理解できず、心配を重ねる妻の性分に呆れたものだ。

 実際に仕事も身寄りも失って、初めて妻の言っていた事を理解した。



 私はいわゆる仕事人間だった。


 生活の何よりも仕事を優先して会社に尽くした。

 自分のやるべき事は働いて家庭を支えることで、それが正しい在り方だと疑わなかった。

 家の事はすべて妻に任せきり。世間で言う家族サービスというものは何一つしてやらなかった。


 妻が体調を崩してからは、より仕事に励んだ。自分にはそれしか出来る事がなかったからだ。そんな私に妻は愚痴の一つも言う事はなかった。我儘も、文句も、弱音や甘えた言葉も聞いた覚えはない。ただ、仕事ばかりせずにもっと自分を労る様にとよく言われたのは覚えている。


 妻は私をどう思っていたのか。私なんかと一緒になって幸せだったのだろうか。今更になってそんな疑問を覚えても、それを知る術はない。




 何もせずともやってくる毎日を、ただ何をするでも無く、何をして良いのかも分からず、何の気力も持たずに過ごした。

 テレビでは少子高齢化が問題だと謳う傍らで、長寿健康法や、長生きに繋がる研究がもて囃されている。

 喪失感が強かった頃は、孤独死という言葉を耳にするとざわつきを覚えたものだが、聞き慣れてしまえばそういうものだと、私もただそういう類の人間であっただけだと思うようになった。

 非生産的に生を浪費している自分は世間からどう見られているのだろうか。そのような事を頭の片隅に小さく抱えながらも、何も為す事のない自分への、何も成す事のない日々に疑念や不安を覚える事も徐々に忘れていった。




 ある日の事だった。ふと、テレビ番組の特集が目に留まった。内容は、若者達の間で出勤前に非日常な事に挑戦する事が流行しているというものだった。

 ある若者は日も昇らないうちから家を出て、漁港で魚を買い出し、公園の片隅で持参した調理器具を使って海鮮焼きそばを作り、それを一人で食してから仕事に向かう。

 またある者は、朝一の新幹線で地方に赴き、名物を食べてからすぐにとんぼ返りして出社。他にも急流下りやスキューバダイビングなど、とても早朝から、しかも仕事のある日に行うものではないだろうというレジャーをこなし、その足で出勤していた。彼らはそのような奇行を毎朝のように行っているという。何故彼らがそのような事をするのか、私にはてんで理解できなかった。だというのに何故だろうか、私の目にはその若者達がとても輝いて見えて、無性に惹きつけられた。


 テレビで見た若者達の姿がどうしても忘れられず、先のそれについて調べた。こうした行動は「エクストリーム出社」というものだそうで、テレビで紹介されていた通り、会社に向かう前に何かしらのレジャーを行ったり、イベントに参加するというものだった。それらを行う者たちで集まった会もあり、その会員数は数千人に上るという。この様な事を行っている人が何千といるとは、にわかには信じられなかった。



 それから数日後、私は山を登っていた。

 あの若者らを知って以来、焦燥感が沸いて仕方なかった。久しく忘れていた、ただ無為に日々を過ごす事への不安感を思い出し、それを払拭するように山に足を向けていた。

 この山は妻との数少ない思い出の場所だ。見合いで知り合った後、初めて共に出掛けたのがこの山だ。私も妻も特別登山が趣味というわけでもなかったのだが、何故ゆえ初デートがハイキングになったのかは覚えていない。

 土むきだしの道ではあるがハイキングコースが決められているさほど険しくもない山なのだが、久しく動かしていなかった老体には酷烈に感じた。息は切れ切れになり、足は棒になったかのようにあがらない。しかし、それと同時に清々しさがあった。幾年も心にかかっていた靄が晴れたような、腰まで沈んでいた沼から抜け出したような、そんな青天井の気持ちを覚えた。


 そこからは堰を切ったように、私はあらゆるものに挑戦した。

 パソコンを購入し、家にインターネットを引いた。気に入ったのはグルメ探訪だ。話題の店を調べては日本全国に足を運んだ。ロードバイクを始めて日本を縦断した。釣り、ダイビング、ボルタリングにバンジージャンプ、スカイダイビングと、目に付く限りのものに挑戦した。それまでの私からしたら自分でも信じられない程の変わり様だ。

 挑戦の日々には子供の頃に置き忘れてきてしまったような充実感があった。あの日にテレビで見た若者と同じように、今の自分は輝いていると感じられた。それまで屍だった自分が息を吹き返したかのように思えた。




 とある日、社交ダンスに挑戦しようと思い立ち、近所の教室に通い始めた時の事だ。

 教室には見覚えのある顔がいくつかあった、妻の葬儀に参列頂いた方々だ。私に近所付き合いは無く、顔を合わせたのもその時だけの筈だが、向こうは私の事をよく妻から話に聞いていたと親しげに迎えられた。

 仕事一筋で家庭に見向きもせず、人間として面白みもないであろう私の何を話す事があった言うのか。そう思ったが、彼らは思い出話に花を咲かせるように妻から聞いた私の事を、そして何より妻自身の事を、私以上に知っているかの様によく話した。


 その光景にやっかみを覚える自分がいた。

 妻の事を知りたい。生前は仕事に明け暮れて何一つしてやらなかったというのに、今更になってそう思った。


 これまで亡くなった妻の事に関しては無意識に避けていた部分が在ったと思う。自身の趣味によく誘ってくれていた妻に碌に構ってやらなかった自分が、今更になって趣味・娯楽に興じ、人生を謳歌している事に後ろめたさがあったのかもしれない。それを表す様に、これまでは外で行う事、家から離れる趣味ばかりを無意識ながら選んでいたように思えた。


 私は改めて家の中を見返した。そこに見たのはあの日、テレビの向こうで輝いて見えた若者と同じ輝きだった。部屋の端々に妻が人生を楽しんだ跡が残っていた。何故今日まで目を向けることがなかったのか、何故今まで気づくことがなかったのか。いや、今の私だから分かるのかもしれない。妻は今の私と同じ位に多趣味だったようだ。

 妻は私の気づかない所で、私の思っている以上に充実した毎日を過ごしていたのかもしれない。もしそうならばいい、そうであって欲しいと思った。そして、よく自分の事を話してくれていた妻の話に真面目に向き合わずに聞き流していた当時の自分が恨めしいと思った。


 それからは妻の足跡を追うようにインドアの趣味にも時間を費やすことが増えた。歌の会や絵画、料理の教室にも通うようになった。驚いたのはそれらの何処にも妻を知る者がいた事だ。妻の存在が多くの人の中で息づいているのを感じた。

 私はどうだろうか。共に暮らしていたにも関わらず、私と妻の間にあるものは他の誰よりも薄い繋がりなのではないだろうか。楽しげに話す妻の友人らを見る度に、後悔の念が積もった。そして必ずと言っていい程、妻から私の話を聞いていたという話題が出る事にも、言い様のない気持ちが生まれた。



 社交ダンスの教室に通い始めて半年程が経った頃だろうか。大会に参加してみないかとの話を頂いた。大会といっても順位にはあまり拘らない、シニアで集まるパーティーの様なものだという。その話の流れで衣装の話をしていた時に、妻が私の衣装を用意していたという話題がでた。私にとっては初耳だった。

 前に一度、妻にダンスの衣装を披露された事があったのは覚えている。そしてその時に一緒にダンスを習わないかと誘われた様な記憶も微かに残っている。

 そういえば妻の入院の準備で押入れを漁っていた際に、披露された妻のダンス衣装と共にもう一着、派手な服が仕舞われているのを目にした事をふと思い出した。

 私は家に帰るなり押入れをひっくり返し、その服を引っ張り出した。あの時は気にも留めず、広げもしなかったその衣装。そうか、これは私の為のものだったのか。誘っても私が首を縦に振る事はないと分かっていただろうに、それでも妻が私の為に仕立てた物だったのか。

 私は時間も忘れてその衣装をただただ眺めた。胸に渦巻く気持ちは言葉では言い表せない。私が人生で一度も袖を通した事がないような派手なその服を、ただただ眺めた。


 ふと思い立ち、私は家を飛び出した。向かうのは趣味に目覚めて最初に登った山、妻との唯一と言っていい行楽の思い出のあるあの山だ。

 まだ日も上がらない時間、呼吸の度に肺が冷気で満たされ、風が顔に刺さる、それでいて体は芯が燃えるように熱い。足元もおぼつかない雪の積もる暗い山路を一歩、また一歩と進んだ。冬の山に一人で、ましてやこんな時間に立ち入るなど馬鹿げているが、それでも今でなければいけなかった。


 私と一緒になってお前は幸せだったのだろうか。お前の人生は幸福なものだっただろうか。お前に会えたら話したい事が沢山あるんだ。料理を覚えた。ダンスを踊れるようになった。仲間だって増えたし、家庭菜園はお前が世話していた時よりも立派なものにしたんだ。お前に沢山話をしたいんだ。お前の話を沢山聞きたいんだ。お前に沢山謝りたいんだ。お前に沢山感謝を伝えたいんだ。


 私が山頂に着くよりも早く、日が顔を出し、山を照らし始めた。私はその場で足を止め、日が昇る様子を拝んだ。目の前に広がる景色に息を呑む。何十年も過ごしてきた街の初めて見る姿、私はまだこんな景色を知らずに今日までの日を過ごしてきたのか。



 さて、今日は何をしようか。

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[良い点] 読みやすくて、一気に読めました。 段落もきれいにわかれていて、日常の中に時々やってくる壮大な感情の波がダイナミックに伝わってきて、淡々とした文章の中に共感する感激がありました。 [気になる…
[良い点] こうやって自ら振り返って顧みて手探りで動いてゆけるのならば主人公は大丈夫そうな気がしますね。 [気になる点] 息子や娘はいるのか。いるとしたら孫はいるのか。恐らくどちらもいない設定なのでし…
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