前編
我輩はホームレスである。名前は優。
現在の住居は町中にある公園だ。ここを新居にして早1週間。
25歳になってこのようなことになってしまうとは思わなかった。
家が跡形もなく全焼してしまったのだ。
その時のことは正直覚えていない。気づけば家のあったはずの場所で倒れていた。
当時は何度も「これは夢だ。朝起きたら家のベッドで目覚めるんだ……」と現実逃避したものだが、いくら現実逃避を繰り返しても何も変わらなかった。
その中で我輩は悟った。折角の時間だ。過ぎた過去を悔やむより、今を大切にしよう、と。
我輩は全身に太陽の光を浴び、公園の滑り台で目を覚ます。自慢の寝床だが、固いのが玉に瑕だ。
滑り降りると、公園内で子供たちがボール遊びをしているのが見えた。
我が城に土足で踏み入る不届きものめ。だが、今日は許してやろう。我輩は優しいからな。
朝からあほなことを考えていると思いながら、設置された水道に向かい水を浴びる。うむ、今日も冷たくて気持ちがいいな。
顔を洗っていると子供たちがこちらを指さしていることに気づいた。いらっときたので顔を向けると子供たちは驚いたように走り去って行った。
なんて失礼な連中だ。我輩をあざ笑っているのか? 最近の子供は常識を知らないと思いながら、顔を拭く。
さて、今日はどこをぶらぶらしようか。
我輩の日課は、町中をあてもなくぶらつくことだ。だが、声をかける人などいないし、かけてくれる人もいない。
それどころか我輩を無視して突っ込んでくるような奴ばかりだ。こちらが躱さなければぶつかっていたぞ。
大勢の人が行き交う中を、我輩は1人で歩いている。
友人や会社の同僚、夫婦。どんな形であろうと話し相手が存在する。我輩は孤児だった。友達はいたが、人見知りだった我輩には多くもなく、疎遠になってしまった。
職場でも常に1人で、心を許せる相手もいなかった。結局我輩は歩み寄ることが怖かったのだ。
我輩は耐えきれなくなって、人込みから逃げ出した。
思わず逃げてしまったが、特に当てもない。さて、どうしたものか――ん?
道端に小さな地蔵が倒れているのが目に入った。誰かに倒されたのか、かぶっていた傘が取れ、落ち葉が積もっている。相当長い時間このままにされていたようだ。
罰当たりなことだ。我輩は地蔵を抱きかかえ、元々あったであろう場所に立てる。ボロボロになった傘を拾い、軽く結び直した後かぶせた。
こうして見ると立派なものじゃないか。こんな立派な地蔵様に目を向けないなんて、世の中寂しいものだな。
何となく地蔵様と自分が重なってしまいつらくなった。今日はもう戻ろう。達者でな地蔵様。
我輩は逃げるようにその場を後にした。
公園に戻ってきたが、することがないので滑り台で寝そべり、空を見上げながらなんとなくさっきの地蔵のことを思い浮かべた。
倒れたまま自分では立ち上がれず、誰も助けてくれない。
―――――――、
我輩は孤独だ。寂しい。温もりがほしい。
誰か、我輩を……
――――――む? いつの間にか眠っていた様だ。時計を見ると2時間ほど経っていた。
公園は、朝のにぎやかさが嘘のように静かだ。
「キミ。そこのキミ」
さて、この後どうしようか。時間だけはあるから、今日も1日妄想に費やそうか。
「キミだよキミ。聞こえていないのかい? それとも無視? それなら傷付くな~」
まさか、我輩の妄想は1段階レベルアップしたのだろうか。なにやら女性の声が聞こえてくる。もしや我輩のこと呼んでいるのか?
いや、幻聴だろう。わざわざ、こんな怪しい人間に話しかける人間など、この町には――
「とう」
「あ痛っ!」
だ、誰だ我輩に石をぶつけるのは⁉ まさか、ホームレス狩り? 我輩、1文も持っていないぞ! やめて、何度もぶつけないで!
慌てて滑り台から降り、犯人の姿を捉える。
「私だ」
「どちら様です?」
砂場の上で傘を被った黒髪おかっぱの少女が仁王立ちしていた。このあたりの高校生なのだろうか、セ―ラ―服を着ている。
しかし、童顔なのに出るところは出ているな。スカートの中がもうちょっとで――もうちょっとで下が、下が見えそう‼
我輩の視線先に気づいたのか、少女がにやにやと笑みを浮かべる。
「私の下着が見たいのかい? キミにだったら――いいよ」
「ふぁ⁉」
少女がスカート捲し上げ、白い下着が‼ これは、童貞である我輩にはきつい。
我輩の負けだ。敗者は素直に意識を手放すことにしよう。
「――――――ミ。鼻血まみれのキミ」
「う……う~ん。は!」
気づくともう夕暮れになっていた。
今日は良く眠る日だな――あれ?
「ワァオ⁉」
我輩は少女に膝枕されていた。
飛び上がり、土下座をする。
「すみませんでした。魔がさしたんです。お願いします。通報だけはしないでください」
このような少女の下着を覗こうとした上に膝枕まで強いたことがばれたら社会的に死ぬ。
ただでさえお先真っ暗なのに、僅かな光も無くなってしまう。
「ぷっ、あははは! 安心して。通報なんてしないよ。私が望んでしたことだし」
少女にハンカチを渡され、鼻血で汚れた顔を拭く。後で洗って帰そう。
「私はね、キミが好きになったんだ」
「俺は貴方のことをどこのどなたか存じませんが」
「もう忘れちゃったのかい? 朝抱きかかえてくれたじゃないか」
彼女いない歴が年齢と同じ我輩がこの美少女を抱きかかえた⁉ 我輩が今日抱きかかえた物なんて――
「その顔は、どうやら思い出してくれたようだね」
「もしかして、もしかしたら、もしかしなくても変なことをお聞きするかもしれませんが、……あの時の地蔵様でしょうか?」
「その通り! 私が地蔵だ!」
なんと! あの地蔵様がこんな美少女になってしまうとは、世の中捨てたものじゃないな。
何でもかんでも女の子になっているが、実際に見てみると胸に来るものがある。
「私がここに来た理由は単純明快。キミを好きになりました。お願いしますデートに行きましょう」
.
地蔵様は早口で喋りながらこちらに手を差し出してくる。我輩がデートに誘われる時が来るとは、感慨深いものがあるな。
まあ、相手が地蔵であることはひとまず置いておこう。
「俺が素直に頷くと思っているの?」
地蔵様の顔が絶望に染まる。
当たり前のことだが、見ず知らずの他人にいきなり好きと言われても、喜びより疑問と恐怖しか出てこない。
人の心ってやつは繊細なものだ。例え純粋な好意でも裏を探ってしまう。会ったことのない他人の言葉なら、なおさら信じることはできなかった。
「あはは、やっぱり突然こんなこと言われても困るよね。キミが私の話を信じる理由もない。」
地蔵様は手を下げ、一人納得したように頷く。
浮かべた笑顔は、誰が見ても無理をしているとわかるほどぎこちなかった。
「断られることも予想してなかったわけじゃないんだよ? ただ、実際言われるとものすごくつらい。悲しい」
目尻に涙をためながら地蔵様が天を仰ぐ。
恐ろしくわかりやすすぎて、何だか馬鹿らしくなってきた。
「わかったよ。特に用事もないし、どっかに行こう」
「本当かい? こんな簡単に乗ってくるなんてキミの将来が心配だよ。騙されないようにしてね」
無性に地蔵様を殴りたくなったが見た目は少女だ。欲望に身を任せれば破滅は必須。我輩は大人だからな我慢しよう。
「善は急げ。すべてが過去になる前にレッツゴー!」
「痛い! え? この子見た目のわりにパワーすごい」
地蔵様は下げていた手で我輩の腕を掴み、走り出す。
そういえば、こうやって誰かの手を握ったのっていつ以来だろうか。
そんなことを思いながら我輩は地蔵様と共に走った。