幕間『アリスリット号の秘密』
譲治の意識がノアで目覚めてから1年が過ぎた。
「なによあの玩具」
地球の海に浮かぶ白い船を見てノアが言った。
ノアはあれからアバターを解除していない。第二次性徴期の真っ最中の彼女の身体は1年でかなり身長が伸びて、女性的なスタイルになってきている。
対してほぼ変化のないおっさんの譲治はノアの言葉に嘆息をつく。
「まったく、俺の最高傑作なんだがな。まあ、俺は完成させられなかったんだが……彩兼の奴いい感じに仕上げたじゃないか」
海原を駆ける白い船。アリスリット号を見つめる譲治。心の中で息子への称賛と僅かな嫉妬を抱えながらその姿を眩しそうに見つめている。
だが、ノアを満足させるものではなかったようだ。
「ただの水上船舶じゃない。せっかくバイオクォーツをあげたのに。ジョージならもっと面白いものを作ると思ったんだけどな」
確かに現在の地球の船舶よりは先進的な技術を積んでいるが、アルコード文明人のノアの目にはアリスリット号は海の上を走るただの小舟にしか見えなかった。
ノアかつて譲治に与えたバイオクォーツ。万能因子マターを操るための媒体であるそれを使って彼がどんなものを作るんだろう? ノアはそれを楽しみにしていた。だがそれが海に浮かぶただのお船では拍子抜けもいいところである。せめて宇宙船くらいは作ると思っていたのだが……
「せっかくマターのエネルギー化にまで成功してるのに……」
譲治はマターをプラズマに変化させることに成功していた。わずか数年でそれを成したのは大したものなのだが、あの船に積まれているM.r.c.sとかいう装置は、プラズマを物質を分解することに利用していたのだ。船の動力には海水を分解して作った水素を燃料に内燃機関を回している……
「馬鹿なの?」
「ハイキングに行くのにテクノマテリアルで弁当作るのと大してかわらないだろう?」
「ぜんぜん違うわよ! いくらなんでも非効率じゃない。もう少し頑張りなさいよ!」
「おいおい、俺は冒険家だぜ? マターの研究で一生を終える気はねえよ。まあ、終わっちまったんだが……」
それに気が付いた譲治がニヒルに口元を歪めた。
「それにそう馬鹿にするもんじゃないぜ? 見ろよ。どうやらうちの愚息はこっちに気が付いたようだ」
「え? 嘘?」
確かに進路を変えたアリスリット号が真っ直ぐこちらに向かってくる。
深宇宙探査艦ノアのステルス機能は現在の地球のレーダーやセンサーでは見破れないはずだった。無論譲治が何かしらの合図を送ったわけでもないことはわかっている。
「この艦のステルスフィールドが、周囲の消えちゃおかしいものまで消しちまってたんだろう。便利なものに頼りすぎだぜ? ノア」
「ふん! なによそれ! ただのまぐれだわ」
負け惜しみのように口を尖らせるノアだが、その目はアリスリット号へと向けられている。正確には操縦している少年にだ。
鳴海彩兼。譲治は自分の息子というが全然似ていない。似ているのは眼差しに宿る目の輝きくらいだろうか? ステルスフィールドを透過し、こちらを捉えているように真っ直ぐ向けられた視線に心臓が高鳴り、ノアは顔が熱くなるのを感じていた。
「ああ……父親である俺が言うのもなんだが、アイツめっちゃモテるからな? ライバルは多いぞ?」
「そんなこと聞いてないわよ!」
そっぽを向くノアに苦笑する譲治。
(オリジナルのアルコード人であるノアと彩兼なら、組み合わせとしては有りなんだがな)
譲治の考えなど露程も知らず不機嫌そうに背を向けるノア。
「さて、アリスリット号を完成させたあいつに褒美をやらないとな」
臍を曲げたノアに代わってコントロールを預かった譲治はステルスフィールドを解除する。八角形のリングと多面体で構成された深宇宙探査艦ノアが頭上に現れ、驚く息子の顔に満足したのか、譲治は満面の笑みを浮かべている。
「なに? 感動の親子の対面でもするの? 悪趣味よ?」
「まさか! あいつにくれてやるのは最高の冒険さ」
深宇宙探査艦ノアのワームホール発生機能が稼働を始める。空間に空いた穴は亜空間へつながるファルプへの入り口だ。それにはノアも流石に慌てる。
「ちょっと! ここでそんなことしたらあの船が巻き込まれるわよ!? 貴方の子供が乗っているんでしょう!? 死んじゃうわよ!?」
小さな地球製のクルーザーに亜空間を航行する機能が備わっているはずがない。
亜空間と呼ばれる宇宙の外側にあるその空間は、時間の流れも不安定で通常の物質は形態を維持することができない。乗っている彩兼は亜空間で体が変質、または船体と同化して確実に死ぬ。
「さあ、アリス。頼むぜ」
譲治が何かの信号をアリスリット号に送ったようだ。ノアはそれに気が付いていたが、何をしたのかはわからなかった。
ワームホールに飲み込まれる寸前、アリスリット号の彩兼は空間のゆらぎの余波で意識を失ったようだ。
「ほら言わんこっちゃない!」
「まあ見てろって」
ワームホールを閉じて彩兼を救助しようとするノアを譲治が止める。その後すぐにアリスリット号は亜空間へと飲み込まれてしまった。
「ちょっと!?」
「大丈夫だ。ほら見なよ」
亜空間において通常の物質はその状態を維持できなくなり崩壊する。しかし、小さな白い船は亜空間の中で健在だった。
いつの間にかアリスリット号の船体の周囲に八角形のリングが出現しノアの横を並走するように亜空間を航行している。そのリングはノアのものと同型で、アリスリット号にあつらえたようにダウンサイジングされたものである。
流石のノアもそれには驚いたようだ。
「巡航亜空間航行船の召喚ですって!? アスラネットワークサービスレベル7以上の利用権限が必要なのよ? どうして!?」
「そりゃ、俺の息子がそれを持ってるからさ」
ノアは一瞬呆けた顔をしたが、すぐにその理由に気が付いたようだ。
「なるほど。そういうこと。でもあの子は地球人で全身生身のはずよ? アスラネットワークサービスへのログインができないはず……まさか、あの船がハッキングしているの?」
「御名答! アスラネットワークと接続するタキオンパルスの再現はプラズマ作るより楽だったぜ?」
そう言ってノアにウィンクする譲治。
「なんてことを……」
アスラネットワークサービスとはアルコード文明人がファルプに設置したインフラシステムだ。スプーンから宇宙戦艦までのあらゆるインフラをナノマシンとテクノマテリアル技術で提供するサービスのことである。
液体を自由に道具に変化させたり、遠くの人間と会話したり、時に巨大な兵器を召喚したりと、その利用者を地球人が見たらまるで魔法を使っているように見えるだろう。
しかし、その利用には体内にアスラネットワークサービスと交信するためのタキオンパルス発生器官を持っていなければならず、地球生まれで完全に生身である彩兼にはそれが無い。それを補ったのがM.r.c.sにブラックボックスとして隠されていたアスラネットワークサービスへの接続システムだ。譲治がアリスリット号のAIに信号を送り、巡航亜空間航行船の召喚を本来の利用者に成り代わって行わせたのである。
「やられたわ。ジョージは最初からあの船でファルプに乗り込むつもりだったのね」
アリスリット号は無事にファルプへたどり着いた。今は何事もなかったように海を漂う白い船をノアは既に馬鹿にしていなかった。
アスラネットワークサービスへの接続端末。あの船の真価はそこにある。アスラネットワークサービスが利用できれば、動力や推進機は必要ない。人が乗るだけのゴンドラさえあればいいのだ。
おそらく譲治は息子にも秘密にしているのだろう。事がうまくいってにまにましている。
「ジョージ、貴方もしかして、出生についてあの子に話してないわね?」
「ああ、これがうまく行かなかったら普通の地球人として生きていけばいいわけだしな。これは嫁とも話して決めたことだ」
「そう。でも勝手に子供をこっちに送るなんて酷いことするわね。旦那を失って息子まで失踪なんて、私なら耐えられないわ」
「あ……」
ノアの言葉に笑みを浮かべていた譲治の顔が凍りついた。
「やっぱり考えてなかったのね」
「い、いや……戻ろうと思えばまた……」
「無理よ。アスラネットワークカスタマーセンターはもうあの船の不正ログインに気が付いたわ。既にあの船からのタキオンパルス通信はブロック済みよ。今後接続を認めるかはこれから審議して決めるそうよ」
アスラネットワークサービスの運営からリアルタイムでやり取りをしているノアがそれを譲治に告げる。
「何!? たった1回でバレたのかよ……アクセス権は本物なわけだしわからないと思ったんだがな」
「私が通報したもの」
「お前かよ!」
「私の前でドヤ顔で不正アクセスをしたジョージが悪いわ。私の仕事はファルプの管理と保全よ? 当然じゃない。でも地球人のやったことだから貴方の息子にペナルティを負わせることは無いそうよ」
アルコード人による不正ログインならば当然ペナルティがある。だが地球人がやったことならばそれは事故という考え方のようだ。人の道具を動物が使ったとしても罪にはならない。それで何かあっても罰せられるのは道具の管理側だ。
「けれどアスラネットワークサービス側は、本来の利用権限を持っていなくてもサービスが使えてしまうあの船のシステムを問題視しているわ」
「それは……」
現に今それをやったのが譲治だ。譲治は巡航亜空間航行船を呼ぶために、彩兼の利用権限と、アリスリット号のタキオンパルスを使用してみせた。
地球のインターネットに例えるならば、アリスリット号というサーバーと、彩兼というクレジットカードをつかい、誰でも自由にネットのサービスを利用できてしまうということである。
今はもう運営側に近い立場となった譲治にもそれが問題であることは理解できた。
「はぁ、仕方ない。こっそり俺が送ってやるか……」
肩を落としてため息をつく譲治の肩に手を置くノア。譲治の頭から下の自由は効かなくなる。
「おい。どういうことだ?」
「ふふふ。ジョージはちょっとやりすぎたわ。罰として時間をしばらく凍結するわ。大丈夫、私達にとって時間の凍結なんて大した罰じゃないのよ。だって時間なんていくらでもあるんですもの。ちなみに私が貴方にバイオクォーツを貴方にあげたときに受けた罰は10年だったわ」
頭から上だけ動く譲治の顔がが絶望的な表情を浮かべる。
「ちょ、ちょっと待て! 今いいとこなんだ!」
異世界へワープした息子がどんな反応を見せるのか? そして何を経験するのか? そんな面白いものが見れないなんて酷いじゃないか!
「知らないわよ。それじゃあ、おやすみなさい」
「こら待て、ノア……!?」
譲治の時間が停止する。それが解除されるのは明日か、はたまた100年後か?
時間凍結は彼等にとって一般的な刑罰だ。感覚的には一瞬で未来に飛ばされるわけだからそれなりの恐怖がある。だが、それらの刑罰が設定されたのがかなり古く、既に10万年を生きているノア達ファルプに残るアルコード人にとってはあまり意味のある罰ではない。ただし、家族や親しい人間がいるものは別だろう。共に生きる時間を失うことになるのだから。
「貴方の大切な家族は私が見守っててあげる。だから安心しておやすみなさい」
譲治の耳元で囁くと、ノアは動かなくなった譲治を残してその場をあとにする。
「こんな感覚初めてなのよ」
譲治の息子という少年を見てからというもの、どうも身体の様子がおかしい。
身体が熱い。でも不快ではない。
これは……
10万年生きて、彼女は初めて恋をした。




