幕間『コスモリウム・ファルプ』
死んだはずの男は虚無の中で目を覚ました。男の名は鳴海譲治。事故で命を落としたはずの彩兼の父親である。
意識ははっきりと自分の存在を認識し、情報が思考の中を駆け巡る。感覚はなにもない。体の感覚は勿論、光も熱も感じない。だが、恐怖は無い。
ああ、そうか。俺は死んだんだったな……
譲治は状況を理解していた。
自らの死を自覚しているにもかかわらず、彼の心は冷静だった。肉体を持たない今の彼は脳内分泌物による感情の起伏が起こらないのだ。
「起きた? 気分はどう?」
誰かが語りかけてくる。それは音ではなく、情報として直接思考に割り込んできた。譲治はそれが誰なのかを知っていた。
「良いわけ無いだろう? 俺は愛する妻や子供達を遺して死んじまったんだぞ?」
何者かに向かって返答する。無論声を出したわけではない。今の譲治には口も耳も無いのだから。だが、自分の意思を情報として交換することができることを譲治は知っていた。
「私も貴方があんな死に方するとは思わなかったわ。本当、わからないものよね」
「見てたなら助けろよまったく……」
「地球人の貴方を助けるのは規則違反だから仕方ががないわ」
「……ったく。あの軽トラのおっさん。絶対化けて出てやるからな!」
「できるわよ? やる?」
「冗談だよ。それよりこの状態をなんとかしてくれるか?」
「そうねテクノマテリアルでアバターを形成するわ。……ほら、これでいい?」
一瞬で譲治の肉体が形成される。
テクノマテリアル技術。万能因子であるマターを用いてあらゆる物質を作り出す技術である。記録されていたデータから肉体を作り出し、ついでに生前お気に入りだったジャケットにジーンズ、それにテンガロンハットも形成される。
重力を感じた。
心臓が鼓動を始め肺が空気を求めて呼吸を開始する。目を開くとそこには殺風景な空間が広がっている。
「ぐはっ!?」
肉体を得た譲治だが、すぐその場に崩れ落ちた。
「あら、ごめんなさい。死にかけの肉体データをセーブしたのよね。忘れてたわ」
譲治の肉体の記録は軽トラに轢かれ、死ぬ直前にとられたものだった。
肋骨骨折、内臓破裂、頭蓋骨損傷……
「お、おい……俺また死ぬのか?」
「貴方はもう自分の意思では死ねないわよ?肉体が停止してもね。とにかく治療するわ。ちょっと待ってね」
譲治の時間が止まる。その後しばらくの間をおいて再び時間が正常に流れ出した時には、肉体の傷は全て癒やされて苦痛は引いていた。だが傷が癒えても譲治は立ち上がることができなかった。
「……腹減った」
譲治の口からかすれた声が漏れる。空腹なだけでなく、口の中もからからだ。
分子レベルから再現されたテクノマテリアルの肉体は人の体と同じ機能を持っている。そため腹も減るし、喉も渇く。怪我をすれば血も流れるし老いても行く。子供を作ることさえ可能だ。
「医療用ナノマシンを入れて時間を加速させたわ。それで胃の中が空っぽになったのよ。それじゃあ、再会の記念に一緒にお食事でもどう?」
譲治の横には異星の衣服を身にまとった少女が立っていた。姿はほぼ地球人と変わらず、髪は透けるような金色。顔立ちは愛くるしく横に長く伸びた耳はエルフを思わせるが、彼らのような完璧な美を備えてはいない。ある意味人間らしい不完全さを持っている。
「久しぶりだな。ノア」
ノア。それが彼女の名前だ。アルコード文明と呼ばれる何処か遠い宇宙の彼方にある高度な文明からはるか昔に地球にやってきた来た少女であり、この深次元探査艦の名前でもある。ここは彼女が操る宇宙船の中なのだ。
「ええ、ジョージは随分老けたわね」
「20年ぶりだかららな。お前は、変わるわけ無いか」
「私の肉体データは12歳のときのものでセーブされているもの。この身体を形成するたびにこの姿に戻るから仕方がないわ」
「どうせなら俺の体も若くして欲しいところだが、できないんだよな」
「ええ。セーブデータの改竄はできないわ。でもその見た目も渋みがあって素敵よ」
「ありがとよ」
白い歯を見せてニカッっと笑う。
テクノマテリアルで作られた肉体はいつでも記録された状態へのリセットできる。しかし、肉体の記録データの改竄は許されないため、譲治は若い頃の肉体を手にすることができないだけでなく、リセットするたびに死にかけの苦痛を味わうことになる。
「まあ、よぼよぼの爺さんになるまではこの身体でいさせてもらうか」
「ふふ。わたしもそうしようかしら? これまで30歳くらいまでしか肉体を持っていたことがないから」
元々アルコード文明人の寿命は地球人とほとんど変わらない。身体能力も同程度だ。些細なことで病気になるし怪我もする。
それから譲治とノアは殺風景な部屋で向かい合って食事をする。
机も椅子も地球のファミレスにあるようなもので、ふたりが口にするのも特別な料理ではない。譲治はハンバーガー。ノアはカレーライス。アルコード文明人は味覚も地球人と変わらないのだ。
青い星を背景にハンバーガーにかぶりつく譲治。ノアもカレーライスを馴れた手付きでスプーンでよそい美味しそうに食べている。
それらの食料は彼等の肉体を構成しているのと同じテクノマテリアル技術で作られたものだ。普通に消化されて血肉となる。
そして時には喉をつまらせることもある。
「んがぐぐ……」
詰まったハンバーガーをコーラで流し込むと、譲治は一息ついて口を開いた。
「ふう……また死ぬかと思った。それで、俺がここにいるのはなんでだ?」
「何言ってるの。以前死んだらこの艦の管理を代わってくれるって言ったわよね?」
そういえばと、譲治は昔のことを思い出す。ノアはかつて地球で譲治に出会って意気投合し、譲治は自分が死んだら彼女と船の管理者としての役割を交代すると約束していた。彼はその時ノアからアルコード文明についてと亜空間にある別の世界の存在を知らされた。それが譲治の意識がここにある理由である。
「ああ。けど本当に貰っていいのか?」
「かまわないわ。この艦ももう10万年前のぽんこつよ。役割なんてほとんど無いわ」
「俺にこれ譲ってお前はどうするんだよ?」
「何万年もやってきたんだし、もう開放されてもいいじゃない。まあ、この2000年くらいは見ていて楽しかったけど、見ているだけじゃつまらないわ。母星に帰っても今更だし、人としてリテルスで過ごそうかと思ってるの。そこで恋をして、子供を育てて、おばあちゃんになって静かにリテルスの大地で眠るの。まあ、今すぐ丸投げしたりはしないわよ。後任の指導はちゃんとするわ」
ノアが生まれたのはもう10万年も前のことだ。その間肉体を何度も出したり消したりしているので、彼女自身も、自分が生者なのか使者なのか実はよく分かっていない。
ノアは悠久を生きる存在であることを捨てて、人間として生きることを望んでいた。楽しげに夢を語るその顔は12歳の少女のものだった。
「リテルス。もうひとつの地球か」
「ええ、前に話したわね」
彼ら、アルコード文明人は10万年程の昔に地球へとやってきた。だがその際に生態系を崩壊させる大事故を引き起こしてしまう。そこで彼らは事故を起こした地球を太陽系ごと時間線上から切り離すと亜空間へと隔離した。それによって事故を起こす前から続く太陽系と、別の次元に隔離されたふたつの太陽系が生まれたのだ。
アルコード文明人は、隔離した太陽系をコスモリウム・ファルプと名付けて地球の再生を行った。
「ほら、あれがそうよ?」
彼らは今、コスモリウム・ファルプにいた。太陽を中心に1.5光年で亜空間に隔離された世界。
その第三惑星である青い星は譲治が生まれ育った地球ではなかった。破壊された大地と生態系をアルコード文明によって再生され別の歴史を歩むことになった異世界の地球である。彼女たちはその惑星をリテルスと呼び、長らく観察対象としていたのだ。
「あれが……ん? なあノア。ここは亜空間に隔離されているんだよな? なのになんで遠い星や銀河が見えるんだ?」
「時間の流れを合わせるためよ。ここは宇宙から完全に切り離されているわけじゃないわ」
「なるほど。凄い技術だな」
「星系丸ごと亜空間に移すのは流石に大変だったみたいね。わたしは子供だったからよく知らないけど、事故を起こした私達が責任を持って元に戻すのが当然でしょう?」
10万年前といえば現代の人類が誕生した頃だ。アルコード文明人は地球人の未来を摘み取ってしまったことに責任を感じ、地球の時間を事故が起こる前に戻した。そして事故でダメージを負った地球、リテルスでは生態系の再生のために様々な実験や観測を行われた。
「リテルスの再生もその後の経過の観察もとっくの昔に終わっているのよ。地球よりちょっと遅れちゃったけど文明も生まれたわ。あの星はもう彼らのものよ。私達の仕事は実はもうほとんどなにもないの。また変な事故が起こらないようにたまに亜空間を見て回るくらいね」
譲治は地球と一見変わらない青い星を食いるように見つめる。
(ここに来るために俺は……まさかこんな簡単に来ちまうとはな……)
自分の知らない未知の世界がそこにある。冒険家の血が騒ぎはじめていた。




