課題
サーチライトは既に消されていて、マストの先で律儀に灯る3色の航海灯と星明かりが暗い海に白い船体を浮かび上がらせる。
彩兼はカイロスにまだアリスリット号を見せていなかったことを思い出す。
「ああ、紹介がまだでしたね。これが俺の船。アリスリット号です」
カイロスは何処か呆けたような表情でアリスリット号を見つめていた。
初めてアリスリット号を見た人間の半分はこんな顔をする。
そしてもう半分は子供のように目を輝かせる。ファルカは後者だった。
「アヤカネ君。君が住んでいたのは23世紀の地球ですか?」
「いえ、2023年の地球です」
一般的な地球の船舶とはまるで違う意匠のアリスリット号。
「あれ、武装してたりはしないですよね?」
カイロスはアリスリット号が未知の武器を積んでいることをフリックスから聞いている。だがそれを知らないふりをして彩兼に訪ねた。
「まさか! 形は変わってますけどアリスリット号は民間の海洋調査船です。武装なんてしてませんよ。このドローンにもシールドとティザーガンくらいしか装備していません」
「なるほど。それもそうですね」
すっとぼける彩兼。
知らないふりをするカイロス。
空気を読んだAIが彩兼の指示を待たずにマストに装備された荷電粒子砲の発射口と、空中に待機していたリフレクター・ドローンを船内に収納する。
カイロスは風精霊の眼でそれに気がついていたが何も言わなかった。
実際それが一見武装とわからなかったというのもある。
この世界の危険性は彩兼よりカイロスの方がよくわかっている。
彩兼が地球の武器を持ち込んでいたとしても、彼がそれを国内で悪用、または製造技術を広めたりしない限り、今後旅をする上で必要だろうと目を瞑るつもりでいたのだ。
お互い知らないふり、気が付かないふりをする狐と狸の会話に、おしゃべりなお魚さんが割って入る。
「アヤカネのお船にはぷらずまかしたじゅういおんをあこーそくとーしゃするへーきがあるんだよね。にゃっ!?」
彩兼は彼女の首に回した腕に力を込めた。
(こいつ意味わかってないくせに言葉だけしっかり覚えてやがる)
だが、カイロスは今のファルカの言葉でそれが何か大凡理解したらしく顔をひきつらせていた。
流石彩兼が生まれる遥か以前から地球とファルプを行き来していただけのことはある。
「……君はそれをどう使うつもりですか?」
「自衛のため。それ以外にはありません」
「そう願いたいものです」
カイロスからそれ以上の追求はなかった。
「それで、燃料はどれくらい? あとどれくらい動けそうですか?」
この世界には精油技術なんて無いため燃料の補給は不可能だ。
一般的なクルーザーは実は恐ろしく燃費が悪く、1リットルで1キロも進めない。アリスリット号くらいの大きさならば燃料タンクの容量は2000~3000リットル。航続距離は精々1000キロ程度なのだ。
これでは世界を旅するなんて不可能である。
カイロスが地球から運んでくるにしても全然足りないだろう。
そこのところどうするのかとカイロスは言っているのだ。
「この船はソーラーボートです。燃料は必要ありません。速度は快晴で20ノットくらいですね」
またしてもすっとぼける彩兼。
地球でも普段アリスリット号はソーラーボートのフリをしているため、そのための方便を答える。
だが、そこでまたおしゃべりなお魚さんがいらんことを言う。
「海の上を浮かんで走るんだよ! マロリンより速かったんだから! ふぎゃっ」
彩兼は更に腕に力を込めた。
「本当ですか?」
こくこくとうなずくファルカ。
腕に込める力を更に強める……静かになった。
カイロスの顔はひきつった上に脂汗が滲んでいた。
マロリンはこの世界でも最速の一角とされ、その最高速度は時速300キロに達する。
それを越える? 浮かんで走る?
「ロボットに変形したりしませんよね?」
「それだけは絶対に無いです」
それは大事なところなのできっぱりと否定する。
「はあ……全く貴方はなんてものをこの世界に持ち込んでくれたんですか……」
「魔法に比べたらやってることは児戯みたいなものなんですけどね」
彼等が使う魔法。アリスリット号でさえ玩具に見える摩訶不思議なその力を彼等は刃物としたり、 カーペットに絵を描いたりと、日常の道具として使っているのだ。
まさに進みすぎた科学は魔法と区別がつかないというやつである。
「君はその気になればいつでも旅立つことが出来るのではないですか? 僕の元で働かなくてもよかったのでは?」
だが彩兼は頭を振る。
地球と行き来出来るカイロスとの繋がりはもちろんだが、それ以上に彩兼が欲しているものがある。
「そうはいきません。この世界は地球と違いすぎますから。俺にはそれを学ぶ時間が必要です」
彩兼が最も必要としているもの、それはこの世界の知識である。それを得るのにマイヅル学園はうってつけだった。
給料までもらえてなおよろしい。
冒険には相応の準備が必要だ。それが困難であればあるほど、冒険家は入念な下調べを行い、幾多のシュミレーションを重ね、綿密な計画を練り上げる。その上で必要な技能を取得し、トレーニングを行う。
いきあたりばったり上手く程度ならそれは冒険にならない。
少なくとも旅の障害となりかねない魔獣や、地政学などを知らずに旅立つ気にはなれなかった。
海に出てしまえばもうこの世界には彩兼を助けられる人間はいないのだ。
「ふむ。流石ですね」
彩兼の慎重な意見にカイロスが感心したように笑みを浮かべた。
「ではアヤカネ君に課題を出しましょう」
「課題?」
「はい。それが果たせたら、君を教授に推薦したいと思います」
教授という言葉に彩兼は心が動く。
教授! それは冒険者の称号!
インディーな人を初め冒険家の多くは優れた学者でもある。決して新人が来ると絡むマッチョな荒くれ者を指す言葉ではないのだ。
父親の譲治にしても確かアメリカの大学の名誉教授だった。
「うちの教授は地球で言えば人間国宝みたいな感じで扱われますから、貴族の権力にも対抗できますし、この国の領主はその研究に可能な限り協力する義務が定められています。お給料も増えて万々歳。どうですか?」
彩兼はカイロスの提案に食いついた。
「やらせて下さい!」
「結構。ですが今日はもう遅いですから詳しい話は明日にしましょう。ファルカ君ももうおやすみのようですしね」
「まったく。しょうがないな」
彩兼の腕に抱かれていつの間にか寝こけているファルカを揺さぶってみる。起きない。
「まったく自由な奴だな。仕方ない。女子寮まで運んでやるか」
よっこいせと彩兼はファルカをお姫様抱っこする。
「ああ。彼女ならそのへんに寝かせておいて構いませんよ」
「いいんですか? それで?」
ファルカは寮に入っていなかった。
制服や教材などだけ学園の更衣室に預けて、自身はこの入り江一帯をねぐらにしながら学園に通っているらしい。
「それがメロウ族というものです」
「それ、長官も言っていました」
「ふふ、アヤカネ君も一度メロウ族の里に行ってみるといいです。凄いですよ。夜に彼等のねぐらに行くとですね、そこかしこでこう……」
「長官から絶対に近づくなって言われました」
「ふふふ、彼もあれで案外純情なんですよね」
こうして夜は更けていった。




