出歯亀
頭ひとつ分空いていたふたりの距離。それを縮めてきたのはファルカだった。
彩兼はまたしても負けた気になった。5歳も年下の女の子に自分は全く敵わない。なんとも情けない気持ちになる。
腕が触れ合う。たったそれだけで熱い血液が心臓から一気に体中に送り出され、体中が沸騰寸前なほどに熱い。
相撲をしたとき全身でぶつかり合ってもこうはならなかった。
どうする俺!?
抱き寄せるべきか? その後は?
キス……とか? それで……
いや待て落ち着け。ファルカはこれでもまだ13歳だぞ!? アウトっ!
だがここは異世界。日本の常識に縛られる必要は……
そもそもこいつ……俺のこと好き……なのか?
それに俺は……どうなんだ? ファルカは可愛いけど、俺が好きなのは……俺が恋してたのは……
心のなかで警告がなる。
同時に夜空に警笛が響いた。
ファルカを抱きしめようと伸ばした手が止まる。
『6時方向20メートルに不審者を感知しました』
耳に付けたハンズフリーマイクから警告を告げるAIの声。
伸ばした手は何も掴むことはなく、彩兼はその場にずっこけることになった。
「もう! 何なのよ!?」
無粋な警笛に驚いたファルカが不機嫌そうにアリスリット号を睨んでいる。
「……後ろに誰か隠れている」
「えっ!?」
害意がある相手かはまだわからない。だが彩兼は小声でファルカに警戒を促す。
ただ偶然ここを訪れただけの生徒かもしれない。
これまで出会った人達は皆彩兼に友好的だった。しかしそれで気を緩めるほど彩兼はこの世界を信用してはいない。
ぼやぼやしてたら後ろからバッサリ……地球でもありえる話だ。
彩兼は火照った頭の中身を強引に切り替える。
「アリス、人数は?」
『1名、3分前からこちらの様子を伺っています』
出歯亀か?
「対処する。ガードを」
『ガード・ドローン発進』
アリスリット号のリアデッキが開く。そこは格納庫になっていて鳴海家自慢のマシンが詰め込まれている。
そこから人間程ある大型のドローンが2機、ローターを回して飛び立っていく。
「アリス! サーチライト!」
アリスリット号のサーチライトが対象が潜んでいると思われる茂みを照らした。
ガード・ドローンもその場に到着し、飛行形態から4脚の接地形体に変形。シールドを構えて彩兼とファルカの前に降り立った。
「な、なにこれ!?」
「ああ、俺の用心棒」
「へ、へぇ……」
ガード・ドローンにはアサルトライフルのフルオート射撃や至近距離のショットガンにも耐えられるシールドと、2基のティザーガンが装備されている。
もし暴漢が襲って来たとしても容易に制圧できるだろう。もっとも相手がフリックスのような化け物でなければの話だが。
彩兼はファルカを背中に庇うように立つと、パレットを手にしてサーチライトで照らされた茂みに向かって声を上げた。
「隠れているのはわかっています! すぐに出てきてください! 3、2、1……」
彩兼がカウントを終える前に、その人物は茂みから顔を出した。
「ま、待ってください! 僕ですよ!」
それは細長い耳を持ち眉目秀麗な、ふたりも知っている顔だった。
「「学園長!?」」
両手を掲げて姿を表したのは彩兼の雇い主でありマイヅル学園の長、カイロスだ。
彩兼はAIに警戒を解除させるとパレットを下ろす。
「やば……」
カイロスの顔を見るなりこっそりとその場から逃げ出そうとするファルカ。よほど先日の罰が堪えたらしい。
だが彩兼は彼女の細い首に背後から腕を回してそれを捕らえる。
「……こらまて」
「あぅ……」
頬を染めながら彩兼の腕の中にすっぽりと収まったファルカ。抵抗しないのは逃げても無駄であることを理解しているだけではなさそうだ。
その様子にカイロスはわざとらしくため息をつく。
「やれやれ、まったく。ラブの波動を感じて来てみればアヤカネ君、我が学園では恋愛は禁止だと言ったでしょう?」
ラブの波動ってなんだよ?
彩兼はその言葉をそのまま信じたわけではないが、とりあえずそこには突っ込まずにおいた。
「俺達は偶然ここで会って、それで少し遊んでただけです」
それではいそうですか。それじゃあもう遅いからふたり共明日に備えて帰って寝なさいね。と言って開放するほどカイロスは甘くなかった。
むしろ遊びの部分に関心を引いてしまったようだ。。
「ほう? 例えば? まさかお手々つないで散歩してただけ。なんてことはないでしょう?」
「何を期待してるんですか貴方は!?」
顔を近づけてくるカイロス。その目は少女漫画の登場人物のように輝いていて、ここで彩兼達を罰せようなどという意思は見えない。
単純に他人の恋バナが好きなのだろう。
「えっと、水かけっこして」
「追いかけっこして」
「相撲してあたしが勝った!」
「そのご褒美にお願いを聞いてあげてました」
それを聞いたカイロス。ああと芝居臭い動作で天を仰いだ。
「まあ! なんてことでしょう! ロマンチックな夜の海で若い男女がきゃっきゃ、うふふと波打ち際で水かけっこ!? 捕まえてごらんなさい! と追いかけっこ? それから冷えた身体を温め合うように肌を合わせて……女の子からのおねだりを……!? いけません! いけませんよアヤカネ君!」
そこに学園長室にいるときのような、威厳と知性に溢れた美貌のエルフの面影はなかった。
案外これがこの男の本性なのかもしれない。
「……でっかい水柱で攻撃されて、海に放り込まれましたが何か?」
「ああ、なるほど。先程大きな魔法の力を感じましたがファルカ君の仕業でしたか」
長く国の中枢に居座っているカイロスを含め、マイヅル学園に通う魔族の生徒は国内の魔族排斥主義者に常に狙われている。
また、学園で研究されている地球由来の技術もこの世界では万金の価値がある。それを盗み出そうとする者も後を絶たない。
そういった手合から学園を守るためカイロスは風の精霊の力で敷地内全域に常に気を巡らせているのだ。
また、異種族が一堂に会するためトラブルも起こりやすい。
特に魔法を使った喧嘩でも起ころうものなら周囲にも被害が及びかねないため、その場合カイロス自ら事態の沈静化のため現場に赴くことが多かった。
「ラブの波動を感じて来たんじゃなかったんですか?」
「ええ、感じますよ? ビンビン感じます。肩すら抱けなかったのに、今は随分積極的じゃないですかアヤカネ君?」
「やっぱり出歯亀してたんじゃないですか!」
彩兼はまだファルカを腕の中で捕らえたままでいる。
海に放り込まれて体が冷えたせいか柔らかくて温かいファルカは手放し難い。
「出歯亀とか人聞きの悪い。あんなものがあったら様子を見るのも仕方がないでしょう?」
彼の視線は既に彩兼達ではなく後ろのアリスリット号に向けられていた。