黒星に願いを
・MIX相撲が苦手な方はご遠慮ください。
・人がいちゃいちゃしてるの見ると水をぶっかけたくなるような方はご遠慮ください。
彩兼は細身ながらも鍛えた体をしているが、特に相撲が得意なわけではない。だが、砂浜の上。ビーチ相撲でなら話は別だ。
日頃から砂浜でトレーニングしてきた彩兼は砂の上での体の使い方を知り尽くしている。『ビーチは海洋学科のテリトリー』それが彩兼が通っていた若浜高校での常識だ。そのため土俵の上では敵わない相撲部員にだって砂浜でなら負けたことはない。
だが、やはり相手が悪かった。
(やっぱり凄い力だ……これが魔族!)
ファルカが凄い力で彩兼を押す。彩兼も砂に足をかけて踏ん張るが、ブルドーザーのように押してくるそのパワーに全く歯が立たない。普通に土俵の上だったらあっさりと負けていただろう。
「ほら! もっと押してきなよアヤカネ!」
彩兼の胸に頭を付けて、ファルカはぐいぐいと押してくる。その表情は見えないが、まだまだ余裕がありそうだ。それに勝負を楽しんでいる。
(馬力はあるけど体重は軽い。一瞬でもチャンスがあれば……けど、動画で見たより上手くなってるじゃないか)
彩兼も非力なわけではない。華奢な女の子ひとり投げるくらいわけはないが、ファルカは彩兼の懐に潜り込むと、その身体を下から上へと力を込めて押してくる。
動画で見たファルカは力に頼っているだけに見えたが、今の彼女はそんなことはない。基本を抑えた彼女の相撲は彩兼につけ入る隙きを与えず、足場の悪い砂の上でも全く危なげない動きを見せている。
力だけでなく実は技量でも彩兼に有利はなかったのだ。
(それでも! 相撲の本場日本人の男子として、異世界の女の子に負けるわけにはいかんのだ!)
負けたくないという心。最後まで勝利を諦めない気持つ者が土壇場のチャンスを掴むことができるのだ。
彩兼はそれを信じて砂を踏みしめ、圧倒的な力に抗う。
彩兼は彼女の上体を起こそうとファルカの腹から手を回す。体を密着させて寄りに持っていければ身長のある彩兼が有利になると考えたからだ。
細く締まったウェスト、滑らかな腹部から彩兼の手に余るほどに膨らんだ胸に手が触れて彩兼の力が一瞬緩む。
その瞬間を逃さず、ファルカは彩兼の腕を難なく払いのけると、先んじて自ら体を当ててきた。彼女の頭が顎から顔へと当たり、こすれあうように頬と頬が密着する。
間近で感じるファルカの息遣い。そして全身で感じる彼女の感触に緊張した彩兼の腰がくだけ、足の力が抜ける。
その瞬間勝負は決まった。
ファルカは彩兼のショートパンツを掴むとその体を持ち上げる。
(こいつこのまま押しきれば勝てるくせにわざと? させるか!)
ファルカはあえて派手な技で勝とうとしている。そうはさせまいと彩兼も最後の悪あがきにファルカの腰に手を伸ばすが……
(掴む場所がない!)
ファルカの腰にはいつものボロ布パレオが巻かれているだけだ。そしてその下は何も穿いていないことを彩兼は知っている。
(積んだ……)
彩兼はそれを掴むことが出来なかった。
「とりゃぁぁぁ!!」
抗うことを諦めた彩兼を、ファルカは一切の手加減なく海に向かって投げ飛ばす。おそらく彼女は例えパレオがまくれて丸見えになっても気にせず彩兼を投げただろう。
結局彩兼は心技体の全てで負けていた。身体能力や技術だけでなく、相手を負かそうという気持ちや覚悟でも負けていた。
(完敗だ……)
冷たく暗い海へと放り込まれて、彩兼は自分の弱さと甘さを痛感したのだった。
ずぶ濡れになった彩兼が砂浜にもどってくると、ファルカは勝ち誇ったように腰に手をやってにやにやしている。彩兼を気持ちよく負かしてすっかり機嫌を直したようだ。
体に巻いた布が乱れて刺激的な格好になっているが気にする様子もない。
「もう! アヤカネ全然弱いじゃない。同じ人族でも以前相手した女の子の方がずっと手ごわかったよ?」
以前に映像で見たルルホのことだろう。確かに負けはしたが彼女はファルカを相手にいい勝負をしていた。
その動画は既にカイロスにコピーを貰い、アリスリット号の重要ファイルの中に保存されている。
「……まったく。足場の悪い砂浜ならチャンスが有ると思ったんだがな」
その言葉にファルカが笑った。
「あははは! ばーか! 小さい頃から海で遊んでるあたしに砂浜で勝てるわけないじゃない!」
それに気付かされた彩兼は手のひらで額を叩いた。相手の得意な領域に飛び込んだのは実は自分の方だったのだ。
「それで? まだやる?」
「いいや、俺の負けだ」
両手を空に掲げて彩兼が降参の意思を示すと、ファルカは小さな拳を握って満面の笑みを見せた。
フライトユニットで地上から5メートル程をホバリングしながら、腕を組んでファルカを見据える。それから低く、威厳を込めて彩兼は言葉を発した。
「さあ、願いを言え。どんな願いでもひとつだけ叶えてやろう」
「なんでそんな上から目線なのよ」
「これが地球式の願いの聞き方なんだ。ほら早く言え」
ファルカはその態度が気に入らなかったようだ。口をへの字にして足元に落ちていた貝殻を拾うと、彩兼の頭に投げつける。
「痛っ! 何するんだ!」
「むかつくから今度でいいよ! だから降りてきなさい!」
ファルカが当たると痛そうなサザエを手にしたのを見て、しかたなく彩兼は地上に降りる。
地上に降りるとすぐに背負っていたフライトユニットも外して砂の上に下ろした。その周囲に焼けた匂いが漂う。
このフライトユニットは小型で強力な水素ラムジェットエンジンを2基積んでいる。そのため機動性は高いが、人が背負って使うには発熱量が大きすぎるという欠点があった。
連続稼働は10分程度が限界で、その後はしばらくの冷却時間が必要になる。
「もう、大体アヤカネは何しに来たのよ? 変な勝負仕掛けてくるし、わけわかんないよ」
「それはだな……」
彩兼が指を鳴らすと海中からアリスリット号が静かに浮上してきた。
「いつのまに……でもなんでここに?」
「警邏庁の港は遠いし目立つからこの入り江を拠点にしようと思ったんだ。そしたらファルカがいるの見つけて、それで……」
「それで?」
どうしてこうなった? 青い瞳が彩兼を捉え、そして問いかける。彼女の真っ直ぐで強い視線に、彩兼は観念して胸の内を白状した。
「……ファルカと遊びたかった」
「最初からそう言え!」
ファルカは彩兼に飛びかかるとその場に押し倒す。彩兼は抵抗することなく体の上にのしかかるファルカを見つめていた。彼女から目を離すことが出来なかった。
先に視線を外したのはファルカだった。
「も、もう! 素直じゃないな、アヤカネは」
「そういうもんなんだよ。……素直に遊ぼうって中々言えないんだ」
『気になる子には特に』という言葉は胸の奥しまっておいた。
「ふうん。めんどくさいんだね」
「そういうもんなんだ」
ファルカの頭に手を伸ばした彩兼は星明かりに照らされた髪をそっと撫でると、ゆっくりと体を起こしてファルカを引き剥がす。これ以上はまずかった。本気で彼女が好きになってしまいそうだった。
異種族であるファルカを地球には連れていけない。この世界で彼女と生きるために故郷と家族を切り捨てる覚悟は彩兼には無い。
砂浜に座った彩兼の横にファルカが座る。肩と肩の間は拳一個分。
「ねえ、アヤカネ」
「うん?」
「お願いがあるの」
「うん」
「アヤカネはいつか旅に出るんだよね?」
「うん」
「それに、あたしも連れてって」
「え? 本気か?」
彩兼の旅は当てがあるかもわからない果てしないものだ。その上目的を果たせば、それが世界中のどこだろうとそこで別れとなる。
「意味わかって言ってるのか? 世界の裏側で置き去りにされるかもしれないんだぞ?」
「いいよ」
ファルカは微塵の躊躇もなくそれを受け入れた。
「メロウのあたしなら何処の海にいたって自分で帰れるから、いいよ。あたしはね。彩兼が何処に行くかが見たいんだ」
嬉しかった。涙が出そうになった。
彩兼はずっと旅の喜びを分かち合えるパートーナーを求めていた。親友も、クラスメイト達も、冒険家を目指す彩兼を応援してくれはしたが、一緒に行きたいとは誰も言ってはこなかった。
だから彩兼にはファルカの言葉が滅茶苦茶嬉しかったのだ。
「あたしが見てないところで帰っちゃうなんてやだよ。だから……お願い」
彩兼はファルカを抱きしめたい衝動を抑えて小さく頷いた。
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