ルネッタリア王国の基礎知識
10代の若者から色恋を取り上げるなど拷問に等しい。幾ら学業に励むべき! と目くじら立てて教育しようとしたところで無駄というもの。
マイヅル学園では生徒の恋愛を禁止しているのも建前のようなものだ。
これには社会的な事情があり、異種族間ではまず祝福されない。同種族であっても、この学園に通う生徒の大半は良いところの出自であるため、親が決めた婚約者がいたりする。
「まあ、そういうわけですからくれぐれも生徒に手を出さないでくださいね」
「はい……」
渋々と返事をする。いずれ帰るつもりだとはいえ多少はロマンスを期待していたのだ。事実ファルカにはかなり好意を持っている。
「異種族との間で子供ができた場合、父親は去勢された挙げ句一生鉱山労働ですのでそのつもりで。あと最近は魔族の女性が人の男性を力づくでってのが増えてきてますから気をつけてください。あ、向こうのゴムはもってます? いざとなったら手早く気付かれないように着けるんですよ? なかったらこれを」
カイロスは懐から日本でならコンビニでも買える、一般的な男性用避妊具を取り出す。
「なんでそんなもん持ち歩いてんですか!?」
「僕もこの世界では非力な部類ですからねぇ……」
だが、種族的に非力(物理)でもカイロスならば経験と魔法でどうにでもなるはずだ。
(このスケベエルフめ……)
口には出さないが、この男とは仲良くしておこう。その方がきっと楽しい。そう考えた彩兼である。
話は代わり、特別講師として採用が決まった彩兼はカイロスと雇用条件などについて話合う。
学園の簡単な規則の説明を聞いた後、給金、業務内容、期間といった事柄をカイロスが紙にしたためながら話は進む。
彩兼には学園敷地内に住む場所を提供される他、支度金1000ルランと月1万ルランを給料として支給するという。
因みにルランとはルネッタリア王国の貨幣単位だ。
「……この1万ルランってどれくらいなんですか?」
「ふむ、例えば一般的な宿代が食事抜きで、一泊50から100ルラン程度ですね」
「なるほど」
日本の宿の宿泊費に当てはめると、ルネッタリア王国の物価は日本の100分の1くらいと考えることができる。
1万ルランは日本でなら100万円。月の報酬としては大きな額だ。
「そんなにもらっていいんですか?」
「この学園の正規職員はもっと多いですよ。研究費や助手を雇う費用も含まれていますからね」
「なるほど」
マイヅル学園はルネッタリア王国の最高学府なだけあって、そこに務める職員はかなりの高待遇だ。給料は良いし、休日も多い。だが、それに見合った成果も求められる。
研究資金込なら決して多い額ではない。だが、それを渡すということは、何らかの成果を期待されているということだろうか?
しかし、彩兼の予想に反してカイロスの意図は全く別のところにあった。
「できれば何もしないで欲しいです。この金額はほとんど口止め料と思ってください」
「……なるほど」
この世界で余計なこと話すな、伝えるなということらしい。
彩兼の持つ知識や技術は世界のパワーバランスを容易に覆してしまう。カイロスはそれを恐れているようだ。
例えば警邏隊が使っていた武器は原始的で、使われていた鉄の鋳造技術も低いものだった。だがカイロスがその気ならばもっと進んだ武器を広めることもできただろう。カイロスはあえてそれをしていないのだ。
「郷に入らば郷に従うのが冒険者の嗜み。もとよりそんなつもりはありません」
「それを聞いて安心しました」
「ところでそれはお金ですか?」
「ええ」
ルネッタリア王国の貨幣を知らない彩兼のために、カイロスがテーブルの上に流通している硬貨を並べる。
100ルラン銀貨、50ルラン銅貨、10ルラン青銅貨、1ルラン硬貨は真鍮のようだ。また、より価値が高い金貨もあるという。
彩兼は100ルラン銀貨を手に取ってみる。図柄は三日月と楓。精緻な細工が施され完成度はかなり高い。
「130年前この国に流れついた船にはニッポンジンの他にフランス人が乗っていました。この国の貨幣は彼らが持っていたフランを参考にしたのですよ」
貨幣経済はアルフヘイムでは発達していたが、ルネッタリア王国が建国されて100年程は文化レベルに差がある原住民族との併合や、資源の不足から貨幣経済が衰退していた。
だが、渡界してきた日本人から鉱山の在り処を知らされ、金属資源を確保できるようになると国は一気に豊かになり、貨幣の重要性が増していくことになる。
そこで当時持ち込まれたフランスの硬貨を参考に、新たに貨幣が造られた。それがルランである。ルランとはフランに敬意を評して名付けられた。
「もしかして、この街の領主はその子孫なのですか?」
ここに来るまでにマイヅルの領主がシャルパンティエ公爵だと聞いて、彩兼は疑問を感じていた。シャルパンティエ(Charpentier )とはフランス語読みで、英語圏ならばカーペンター読むはずだ。
笑みを浮かべて肯定するカイロス。
「ええ、そのときの訪れたフランス人の子孫ですよ。当時の王族と結婚し、この国でも随一の大貴族となられました。いずれお会いすることになるでしょう」
「あはは……貴族様ですか。どうも緊張しますね」
彩兼は何度か地球でそういった社交界に顔を出したことがある。一見優雅で華やかな誰もが憧れる世界だが、実際そこは金と権力が鎬を削る権力者達の戦場だ。
些細なことで力と大金が動き、末端の人間の人生が大きく左右される。そのような場所にいる人種に、彩兼は恐怖を感じずにいられなかった。
「ふふふ、何を言っているのですか? 確かにシャルパンティエ公は国を代表する貴族ですが、君は既にフリックス君やファルカ君と話しているではありませんか」
カイロスの言葉にキョトンと首をかしげた。
フリックスと誰だって?
「フリックス君はフリント子爵家の現当主ですし、ファルカ君はアルタミラ侯爵家のご令嬢です」
「アルタミラ? 貴族のお姫様? ファルカが?」
「彼女から聞いていないのですか?」
「ええ、何も」
フリックスはわかる。だが、まともに服すら着ていなかったファルカが侯爵家の令嬢というのは意味がわからない。
侯爵といえば上から国王→公爵→侯爵と上から3番目の爵位である。子爵であるフリックスよりふたつも上だ。
(長官がファルカに妙に敬意払ってたのはそのせいか)
フリックスはファルカ殿と敬称をつけて呼び、彼女の発言も決して無下にしなかった。立場とTPOの範疇内で彼は彼女を上級貴族のお姫様として扱っていたのである。
「……案外、当人も忘れているのかもしれませんね」
「いいんですか? それで」
「あはは、実はこの国では魔族の里や集落を収める者に侯爵という爵位を与えているのですよ」
爵位とは序列を表す称号だが、地球でも国によって制度が違ったりする。国土や国力、歴史などで貴族の概念も変わるからだ。
例えばルネッタリア王国では以下のようになる。
国王→国家元首。世襲
公爵→王を輩出するための王族。ルネッタリア王国には3つある。世襲。
侯爵→有力な魔族の集落のリーダーに与えられる。例えるなら在日米軍司令官。世襲されるかどうかはその集落のルールによって異なる。
伯爵→地方領主。例えるなら大名。世襲。
子爵→高級官僚や、公領の代官に与えられる爵位。基本一代限りだが領地管理のために世襲が認められる場合もある。
男爵→辺境領主。伯爵家の親族が与えられる。世襲。
士爵→一部の官僚や代官に与えられる。世襲ではない。
貴族の主な仕事は領地の統治である。国土が樹海に覆われたルネッタリア王国での領地の管理には開拓も含まれるが、それは何十年に渡る事業となる。そのため貴族は多くの場合世襲が認められていた。
魔族のリーダーを侯爵としているのは、その里や集落、または縄張りを国内にある外国としてその自治を認めるためであり、王国側の都合でしか無い。
そのためメロウ族のように納税の義務も無く、領民がほぼ全員学歴なしで住所不定無職といった社会だと、群れのボスが国内でどんな身分にあるかなど知りもしない。
ファルカも自分が上級貴族のお姫様であるという自覚などなく、それどころか一応あるはずの家名を覚えてすらいなかったのだ。
「それがメロウ族というものですから」
「それ、長官も言っていました」
最後に雇用契約の期間についてだが、カイロスが提示したのは1年というものだった。
1年の間にこの世界に慣れて資金をためる。その後地球に帰る手段を探す旅に出る。
彩兼には都合のいい条件だが、意外と短いと感じた彩兼にカイロスが理由を説明する。
「君の持つ知識や技術がどんな争いの火種になるかわかりませんからね。長くいると学園が国内のパワーゲームに巻き込まれる恐れがあります。生徒を預かる身として僕はそれを望みません」
渡界人が現れたという情報は次第に王国内に広まっていくだろう。そしてその処遇を巡って権力者同士で対立が起こりうることが予想できた。
「この街の領主の祖先、当時青年だった彼が王家の姫を娶るとなったときは当然貴族達の反対を受けました。それを黙らせたのがサドガ島にある鉱山の情報です」
その後シャルパンティエ公爵家を興した彼は、当時開拓中だったこのマイヅルの地を受領すると、街を採掘船団の拠点として発展させた。シャルパンティエ公爵家は王国経済の源泉を握ったことで新興貴族ながら王国一の大貴族へと伸し上がることが出来たのである。
そういった前例がこの国の歴史にあるのだ。
「この国の貴族達が君を手に入れるためにどんな手段を使ってくるかわかりません。僕の心配がわかりますか?」
「それ、長官にも言われました」
「ふふふ。流石は……ですからくれぐれも女の子に釣られてほいほいついていかないように」
カイロスが賢者の板と呼ぶ自身のタブレットPCを彩兼の眼の前でひらひらする。
「以後気をつけます……」
「よろしい。ではここにサインを」
先の不安を拭えないまま彩兼は雇用契約書にサインした。