奸計対策
「……師匠、今戻りました」
……アズさんですか? 随分と早かったですね? 魔獣の方は片付いたのですか?
「……はい。リーパーの大規模な群れが川を遡ってサバミコの町を襲撃。町に大きな被害が出ましたが、警邏隊とメロウ族によって撃退されました」
……リーパーが川を!? ふむ、それはきな臭い。詳しい話を聞きたいところですが、まずはお疲れ様でした。それで、彼は? ナルミ・アヤカネ氏を無事に保護することは出来ましたか?
「……はい。事件の解決にはあの馬鹿……いえ、アヤカネ氏も協力してくれまして、あたしは彼の船で今港に帰ってきたところです」
……船ですって!? まさか……?
「いえ、アレよりずっと小さな船で、渡界してきたのもアヤカネ氏1人のようです……たぶん」
……ほう? たぶん、ですか?
「……それが彼の船の中では何故か風の精霊との交信ができなくて……風精の眼が使えないので確認出来ません。しかも意思を持つように喋るし、勝手に動くし、阿呆みたいな動きをします。あと便所は最高でした」
……さっぱりわかりませんが中々面白い体験をしているようですね? 今は外に?
「……はい。中だと風精通話も使えないので」
……ふむ? クレア君とサクラ君もそこにいるのですか?
「……いえ、クレアとサクラはマロリンと帰りました。船にはあたしとファルカ、それからフリックス長官が乗っています。長官の計らいで警邏庁の桟橋を使わせてもらうとのことです」
……おや? フリックス君がそこにいるのですか。それなら安心です。彼はアヤカネ氏をどう見ているようですか?
「……随分気に入られたようです」
……ほほう! 彼の眼に適うとは会うのが楽しみです! わかりました。そちらにはクロトを迎えにやりましょう! 聞いていましたね? クロト。
……はい、お祖父様。けれどてっきりご自分が行くものだと思っていましたが?
……ふふふ、お迎えするのにもそれなりの準備があるのです。ニッポンジンの彼にふさわしい最高のおもてなしを考えなくてはなりません。
……まあ! また何か企んでいるのですね! 120年ぶりの渡界人なんですからあまり恥ずかしい真似はなさらないでください! 歴史的な一大事なのですから!
「……よせクロト。言うだけ無駄だ。それにあいつにはそんな気を使う必要なんてないぞ?」
……おや、奥手のアズ君が随分と親しそうではありませんか。アヤカネ氏はどうやらアズ君の眼にも適ったようですね。これは興味深い。
……ええ、とても興味深いですわ。もしかしたらアズさんにも春が訪れたのかしら?
「……ば、馬鹿言ってんじゃねぇ! お前が考えてるような事は絶対ないからな!」
……そんなに否定なさらなくても。余計に怪しいですわ。
……ふふふ、よしなさいクロト。アズ君も疲れています。からかうのはまたにしましょう。
……はい。お祖父様。
「……ったく。クロト、おまえ後で覚えてろよ」
……まあまあ、詳しい報告は明日で構いませんから今日はゆっくり休みなさい。クレア君達も同様に……おや、噂をすればちょうど帰ってきたようですね?
「……本当ですか!? よっしゃぁ!!」
……さて、警邏庁宛に一筆したためますのでクロトは学園長室まで来てください。アズ君、また後ほど。
***
「うわーーっ! 凄い! 立派な街ですね!」
「王都からも近く流通の要所だからな。都市としては国内でも五本の指に入るだろう」
マイヅルはルネッタリア王国の北方に位置するシャルパンティエ公爵領の都だ。公爵領は日本の京都府北部の沿岸一帯にあたる。
平地こそ少ないが海運と漁業。そして金採掘船団の拠点として発展した港湾都市で、湾内は大小様々な船が行き交い、沿岸を埋め尽くすかのように建物が立ち並ぶ。
マイヅル湾に入ったアリスリット号は他の船に見つからないようにミラージュパネルを展開し、姿を隠しながらゆっくりと警邏庁の基地を目指していた。
彩兼はアリスリット号の上部に登り、都市の様子を双眼鏡で眺めてうわー、うわーと声を上げている。
その横では彩兼から借りた双眼鏡で遊ぶファルカ。フリックスはその様子を微笑ましそうに眺めながら時折彩兼の質問に答えている。
そして船酔いで苦しんでいたアズはといえばリアデッキに出て何やら1人でぶつぶつ言っている。
「あの子何やってんの?」
彩兼はリアデッキで不審な行動をとるアズを眺めながらファルカに聞いた。当人に聞こうとすると睨まれて片手でしっしとされるからである。
「きっと学園長先生とお話してるんだよ。エルフの人達は風の精霊と友達だから離れた場所でも魔法でお話出来るんだ」
これは風精通話といって風の精霊の力で遠距離の人間と会話するいう魔法だった。範囲内にいる使い手に一斉発信する無線のようなものらしい。すぐそこにいるかのように同時会話もできるという。
「へぇ、なるほどね。でもあの子エルフだったのか」
確かにアズは魔法が使えて耳も少し尖っている。そういえばマイヅルから来た3人娘の種族を聞いていなかったことを思い出す彩兼。
しかしファルカはそれを否定する。
「違うみたい。アズ先輩のこと実はあたしもよく知らないんだよね」
ファルカが言うにはアズ、クレア、サクラの3人はとても強い魔法の力を持っているという。そのため学園長自ら直々に指導を行っているとのことだった。
それを聞いて彩兼はフリックスが彼女達を学園長の愛弟子と呼んでいたことを思い出した。
極めて希少な攻撃魔法の使い手であるクレア。
魔獣の感情をコントロールできる(ある程度脳が発達しているのが条件)サクラ。
そしてアズは魔法においてコモン・エルフの3倍の能力を持っているという。例えば風精通話の効果範囲は発信者の力量によるため、相互に会話するにはお互いの発信範囲内に入らなければならない。それは一般的なエルフで半径5キロ程度とされているが、アズは自分の声を届けるだけなら20キロはいけるらしい。
「……あの子態度だけじゃなくて声まで馬鹿でかいのか」
小声で呟いたつもりだったが凄い形相で睨まれた。ものすごい地獄耳だ。既に2回殴られている彩兼はこそこそとファルカとフリックスの影に隠れる。
「もう! アヤカネカッコ悪い!」
くすくすと笑っているファルカ。だがフリックスはやや神妙な顔をして何やら考えているようだ。やがてその口からとんでもない発言が飛び出す。
「もう少し女に慣れておかんとこの先心配だな。よし、今度馴染みの店を紹介してやろう」
国の秩序と安全を守る警邏庁の長からの風俗のお誘い。流石の彩兼もびっくりだった。
「なななななななんてこと言ってんですか! 長官自らそんなの勧めないでください!」
「心配するな。12歳以上しかいない合法的な店だぞ?」
「……」
世界変われば児童の基準も変わる。この国では子供として大人に守られるのはその歳までなのだ。
「……冗談はよしてください。長官」
「冗談ではないぞ? お前のことが知れ渡れば貴族や豪商、裏表問わず様々な勢力がお前を手に入れようとするだろう。お前にはそれだけの価値がある。縁談も無数に舞い込んでくるだろうし、当然奸計も仕掛けられるだろう。……俺の心配がわかるか?」
「……まじっすか?」
「ああ、覚悟しておくことだ」
彩兼はこれまでハニートラップの類を受けたことが無かった。彩兼に近づく女狐は親衛隊と公安によって暗に排除されていたからである。
その手の諜報が得意な国が、曲がり角での衝突イベントを諜報員にパン咥えさせて本気でやろうとした事件は公安で長らく語られることになったほどだ。
彩兼は現在精神的にも不安定な状態だ。1人異世界に飛ばされて、人を食らう魔獣との戦いまで経験すれば無理はない。
表向きは観光気分ではしゃいでいても、実際は今も心の底で不安と寂しさを抱えている。フリックスはそれを見抜いているのだろう。そして間諜というのはそういった心につけ込んでくる。
フリックスも伊達や酔狂で言っているわけでないのだろう。彼は決して笑ってはいなかった。だが、真剣な彼の前に割って入る猛者がいた。ファルカである。
「だめーっ! アヤカネはあたしの!」
後ろから彩兼に抱きつくと、まるで縫いぐるみでも扱うかのようにひょいと抱えあげて独り占めを宣言する。
それには流石にフリックスも困った顔をした。
「ファルカ殿。俺はできればアヤカネを種無しにしたくないのだが」
「おおおお、俺だってされたくないですよ!」
抱えられたまま抗議する彩兼。ファルカの柔らかさや、サラサラとした髪が触れてくすぐったい。
「うー、それは……」
ファルカは可愛くてスタイルも良くて、何より一緒にいて楽しい。彼女として申し分ないのだが、異種族が付き合うには男の去勢がこの世界でのルールだ。流石にファルカも我を通しづらくなったのかややたじろぐ。そして彩兼を開放すると、しっかり目を見て言った。
「だったらアヤカネのお嫁さんはあたしが探す! 大丈夫! 絶対いい子みつけてあげるからね?」
正直大きなお世話だった。
「あの……俺は、いつか地球に帰るよ? こっちで所帯を持つ気はないなぁ」
「うっ……」
一瞬口を閉ざし寂しそうにしたファルカだったが、それでも彼女はめげなかった。
「それでもっ! アヤカネのことはあたしが護るよ! メロウ族の威信にかけて!」
「おいおい……」
勝手に種族の威信をかけていいのかよと話し半分に聞いていた彩兼だったが、フリックスは違ったようだ。
「ふむ、ならば警邏庁はファルカ殿をサポートしよう」
「本当? やったぁ!」
「……長官。いいんですか?」
「奸計を仕掛けるにしてもファルカ殿程の器量の娘が常に横にいれば手を出しにくいだろう。それにメロウ族を敵に回すような馬鹿な貴族や商人もそうはいないから悪い話ではない」
前向きなフリックス。彼にしてもファルカと協力することは悪い話ではないらしい。
こうして当人の目の前で、非公認の彩兼親衛隊が誕生したのである。




