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千年書館

林檎と鳩と泡沫と

作者: 琳谷 陸

林檎と鳩と泡沫と




 はじめに、闇があった。


 はじめに、悲しみがあった。


 はじめに、竦む心があった。


「「「だから……」」」




 真っ暗。上も下も右も左もわからない。

 ただわかるのは、自分が今、生まれかけていること。

(何のために?)

 ぼんやり考えた問いに応えるように、声が聴こえた。

『助けて』

 誰の声か。不思議な事に、その答えも一瞬で了解する。

 創造者の声だ、と。

 今この瞬間、自分を生み出そうとしている者の声だ。

(助ける……?)

 何故。自分にそんな事をする必要は無いはず。

(無視、しようかな)

 そうしたらきっとこの意識も闇に融けて消えるけど、別に構わない。生まれたくて生まれるわけじゃない。

(それに、嫌い)

 求めるだけの者は嫌いだ。自分に出来る事もしないで、すがるだけの甘ったれが、一番嫌い。

 だから、耳をふさいでしまおう。

 聴かなかった事にしよう。

 会ったこともない。相手は自分を知らない。なら、そのままで良い。

 そう思ったのに。

(うるさい……)

 ――――助けて。

(ヤダよ)

 ――――助けて。

(しつこい……)

 段々と腹立たしくなってくる。自分は微睡み融けてしまいたいのに。

 いっそ応えてみようか。

(生まれて、それで殺しちゃおうかな)

 そうしたら、静かに微睡み消えてゆけるかも知れない。

 ジリジリと熱される鉄のように、ゆっくりゆっくり、暗い感情に染まっていく。

(俺の眠りを、俺の意思を妨げるなら、排除しなきゃ)

 手段は何でも良い。絞め殺すでも毒殺でも、焼き殺すでも。引き裂いて直接鼓動を止めるでも。

 目を開ける感覚。それでも闇は闇で、どちらも変わらないと思いつつ、ゆっくり手足の感覚も確かめる。

 どことも知れなかった空間に、足をつける地面が出来た。

「……アレ、なに?」

 本当の暗闇なら見えないはずのもの。少し先に、大きな姿見があるのが見えた。

 何となく、アレが生まれ出る為の、創造者の所へいく為の入り口のような気がする。

 ひとまず姿見に向かって歩く。

(これ……)

 近付く度に、自分のものじゃない感情と記憶が流れ込んでくる。

(馬鹿なんじゃないの)

 ある時は報われないと知っているのに机に向かい、ある時はその結果を否定され。

(やるだけ無駄ってわかっててやるなんて、ほんと呆れる)

 どれだけ慕おうと、出来損ないだと切り捨てられる。

(……馬鹿だね)

 それでも、自分にはそれしか出来ない事も、知っている。それがどんなに努力しても、否定される事も。

 でも、それしか出来ないから。

(…………)

 だから、諦めない。自分に出来る事は全てやる。

 足りない認められない。

 それなら、足りるように。認められるように。

 何が足りない。足りないものは、どうやったら足りる。

 認められるには、どうしたら良い。他に取れる方法は?

 ――――どんな事をしてでも……。

(ああ。助けてって……)

 自分も、手段の一つ。

 自身の足りない部分を、補う為。自分の全てでも足りない事を成す為に。

(ふふ……あはは……そっか)

 寄り掛かる事なんて、最初から頭に無い。

 呆れるくらい、不器用で非効率的。もがいて足掻いて、突き放され叩き落とされても。

 馬鹿かと思うくらい諦め悪く。

 寄り掛かる事を覚えれば、簡単に手に入るものもあるだろう。

(でも、緩やかに腐って堕ちる)

 熟して甘い果実のように。

 諦めてしまえば、大抵の事は凪のように。

(脱け殻のような人形になれるのに)

 硝子ケースの中で、綺麗に飾られて愛でられれば、眠るように死ねるのに。

(良しとしないんだ)

 一歩、姿見に近付く毎に、創造者の望みを理解する。

(悪くない、かも)

 醜いくらい、見苦しく。

 泥に落ちた真っ赤な林檎。

(悪くないって言うか……)

 でも、熟れて甘い果実は泥にまみれれば、腐り落ちる果肉を養分に種を芽吹かせる。

 そうして、また新たな生命へ繋がっていく。

 美しく醜く、見苦しく潔く。相反して、同一。

(わりと好み)

 姿見に映っていた自分の姿が、近付く度に揺らぎ、形を変える。

(キミが、俺の)

 夕陽を溶かしたような金の髪。鬼気迫るように一心不乱に、自分を造り上げるその姿に。

(主人(マスター))

 鏡の向こう側へ手を伸ばした。

 それは、俺の意思。




 流れ込んできたのは、胸を締め付けるような悲しみ。

(苦しい……)

 悲しい。

(この痛みは、誰の……)

 創造者の。

(押し潰されて、飲まれてしまいそうな……)

 気付けば、井戸の縁にいた。

 井戸は恐ろしいほど透き通る(かなしみ)で満ちている。

(溢れて、飲み込まれるのでしょうか)

 ぼんやりと。そんな事を思った。

 この井戸から溢れて水が、自分も、何もかも、飲み込んでしまう。そんな想像。

 あまりにも透明で、水などないように見えるけれど、手を伸ばせば真冬の氷水すら温かいと思える温度が伝わってくる。

(希望というものを、信じていないかのよう……)

 痛みに似た哀しみと、抱える記憶が流れ込んでくる。

「あ……」

 自分のものではないのに、自分が感じているかのように思えて。

 酩酊に似た感覚に身体が傾ぎ、井戸の底を覗き込む。

(何かが……)

 冷たい冷たい水底に、何か光るものがあった。

 不思議なその光に、届くはずもないのに冷たさも構わず手を伸ばす。

(暖かい)

 芯まで凍るような冷たさが徐々に指先から解けていく。

(この方は、希望に(すが)らない)

 冷たく凍えるような記憶を抱えて、哀しみに沈んだとしても。

(希望に、立ち止まったりしない)

 水底の光の中に、姿が見える。

(どんな方でしょう?)

 思い、記憶。その中に、当人の姿は映らない。

(もっと、近くに)

 見たい。

(あなたに、会いたい)

 哀しみも全て抱えた上で、それでもその先を目指す強さ。希望をただ望むのではなく、それを本当にする為に、進むその姿をもっと近くで。

(私の御主人様(マスター))

 支えたいと思ったんです。

 私にできる、全てをもって。




(のぞ、み)

 どうしたい。何をしたい。

(強い、望み)

 ゆらゆらとたゆたう水底で、それはきらきらと輝いて見えた。

 暖かい流れと冷たい流れが入り乱れ、やがて溶け合って一つになる。

(望む、景色)

 指先に触れた望みの温度に、笑みが浮かんだ。

(綺麗……)

 望みの形は、心の形。

 触れて目の前に浮かんだ望みの光景は、とても綺麗だと思った。

(ハッピーエンド……)

 それは、自分の物語には無かったもの。

(……できる、かな)

 ハッピーエンドを得られなかった自分に、できる事はあるのかと考える。

(得られなかった。けど、できることは、ある……)

 望みのハッピーエンドは、とても難しい。そこに至るまでに、きっともっと傷付くこともあるだろう。

 怖くて、傷ついて、立ち竦むなら。

(護りたい……)

 護ることなら、きっとできる。

 進む為に休む時間くらい、稼げると思うから。

(護るために、会いに……)

 憧れる光景を望む人に会いたい。

 水面へ手を伸ばし、水底を蹴る。

 徐々に近付く光の中に、姿が見えた。

(マスター……きっと、絶対に……護る)

 壊れない光に、惹かれて。

 傍で護りたい、って、思ったの。



「「「だから、会いに行く。そして、ずっと傍に」」」



 その望みを叶えるために。



 終

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