3
かつて村人たちが利用していたため、ウドゥ湖までは道らしきものがあった。生え伸びた草や倒木にやや迷惑しながら、五人は湖へ向かう。
歩きながら、メルは何度かあくびをした。それにウィリーが目敏く反応し、にやりと笑う。
「昨日は二人で何してたんだ?」
「あぁ?」
先頭を歩いていたザンが首だけ半分振り返る。こちらはまったく眠そうではない。からかう相手を軽く睨みつけた。
「気色悪ぃ言い方すんな」
「ずるいぞお前ばっかり」
「ガキといたって楽しかねえよ」
「おや。名前で呼ぶことにしたんじゃないんですか?」
ロイもまた、憎らしいほどにこやかだった。
「・・・聞いてんじゃねえよ」
ザンは小さく悪態をつき、大股で先へ行く。
「メルちゃんメルちゃん、俺の名前も呼んでみてっ」
ウィリーが自分を指してねだると、メルはぱちぱち瞬いてから、
「ウィリー」
素直に呼んだ。
「ちなみにメルさん、私の名前は覚えていますか?」
「ロイ」
「はい。ありがとうございます」
ロイは嬉しげに微笑む。
それからメルは、隣で読書をしながら歩いている男を見上げた。
「ノア」
まるで話を聞いていないかのようなノアだったが、一旦本から視線を外し、
「・・・メル」
小さく、呼び返した。
「おい、いつまで気色悪ぃことやってんだ」
だいぶ先で、ザンが歩みの遅い仲間を待っている。
「どうする。このまま森の中うろつくだけかよ?」
「いえ。やはり、おとりを使うのがいいと思うんですよ」
「ジジイか?」
「そうではなく」
結論を急ぎがちな仲間を留め、ロイは丁寧に説明した。
「昨夜は言いませんでしたが、不純を司るバイコーンは二心、二股の象徴であり、純潔を穢す者でもあります。ユニコーンが純潔の守護者であるのに対しバイコーンはそれらを害す存在なのです」
「要するに?」
「バイコーンは純潔の乙女に誘われて現れるということです。おそらく五十年前も湖で水浴びをしている娘たちにおびき寄せられたのだと思います。しかし元来、人前に現れることを好む生き物ではありませんから、誘われたはいいものの、いざ行ってみると大勢人がいたことに驚き、逃げてしまったのではないかと」
「じゃあ不純な男の前に現れるってのは嘘だったわけ? なんでそんな嘘を」
「そうでも言っておかないとジェフさんが意地でも付いて来そうな気がしたので」
「っつーことは、やっぱそいつをおとりに使うって話か」
ザンがメルを指す。
「バイコーンは他に善良な夫や恐妻を持つ夫のことも狙いますが、我々の中には該当者がないので、そうなってしまいますね。もちろん、水浴びをする必要はありませんが。どうでしょうかメルさん」
ロイはゆっくりと噛み砕くように言葉を重ねた。
「相手は命を狙ってくるわけですから、これはとても危険な作戦です。我々が必ず助けられるとは限りません。もし、メルさんに身を守る方法がないのであれば、おとり作戦は採れません。それらを踏まえて、どうですか? できそうですか?」
「できる」
周りが拍子抜けするほどに、メルはあっさり即答した。
「無理しなくていいんだよ? 怖かったら別の」
「怖くない」
ウィリーの心配も軽くかわして、メルは先に歩を進めた。が、しばらくしてから思い出したように振り返る。
「純潔ってなに?」
「大人になりゃわかる」
「ふうん」
そうこうするうち、五人はウドゥ湖に到着した。
向こう岸まで数十メートルはある広い湖は底まで見通せるくらい、水が透き通っている。
美しい湖畔にメルだけを残し、男四人は銃を構えて木の影や草場に隠れた。湖畔の程近くまで森の木々は迫っており、メルまでの距離は極端に離れてはいない。
メルの傍には草に隠れて、ノアが描いたバイコーン捕獲用の魔法陣がある。そこに目標が足を踏み入れた時、発動するようになっている。
メルは岸に腰掛け、最初はぼうっとしたり、濡れない程度に湖面を靴底で叩いて遊んでいた。湖の魚が音と波紋に驚いて逃げる様子をじっと観察していたが、やがてそれに飽きると歌い出した。
「――ん? アンセム、じゃないな」
湖と同じく透明なメルの歌声は、アンセムとは違いウィリーらにも理解できる言葉だった。
「ただの童謡ですね。懐かしい、孤児院で子供たちがよく歌っていましたよ」
「どんな歌でもメルちゃんが歌うと神聖なものに聞こえるなー」
「暢気な奴」
こそこそ言い合う二人の横でザンは呆れていた。
「魔物に狙われてるって、わかってんのか?」
「わかっているからこその行動かもしれませんよ」
「あ?」
「黙って待っているよりは声を立てたほうがバイコーンに気づかれやすいかもしれません。メルさんもメルさんなりに、色々考えているんだと思いますよ」
「そーかあ?」
「にしても、メルちゃんって度胸あるよなー」
ウィリーはふと真顔になる。
「たった一人でシュトラールからよこされて、死体にも魔物にも俺らにも怯えないのがすごい。何をしてたら、そんな度胸が身につくんだか」
「彼女は何者なんでしょうねえ」
「? なに言ってんだお前ら」
怪訝そうにしているザンに、ロイもウィリーもそろって溜め息を吐いた。
「アレシア様の言う通り、ザンはもう少し頭を鍛えたらいいと思うぞ」
「まず考えるという行為を選択肢に加えてもらいたいですね」
「・・・てめえらがバカにしてくれてるってこたぁわかったぜ」
ザンは凄んだが、隠れている最中では何もできないとわかっているので、誰も特に気にしなかった。
「ノアだって少しは思うところくらい――」
後ろにも同意を求めようとして、ウィリーは硬直した。
一言も喋らず静かに控えているノアの隣に、同じく静かなノアがいたのである。
「・・・え、なに? 新手の魔術?」
「魔物です!」
真っ先にロイが銃を構えて右のノアを撃った。しかし標的は素早く跳んで逃げ、銃弾は地面を抉っただけ。
突然、四人が飛び出して来たため、メルは歌を止めた。後から出て来たもう一人のノアに驚きもしたが、ともあれ立ち上がって四人と合流する。
「おい! なんなんだあれ!?」
「シェイプシフター、様々なものに変化する魔物ですっ。銀の弾で心臓を撃ち抜けば死にますが、彼らの身体能力は高いので普通に狙ってもまず当たりませんっ」
「じゃあ」
仲間の視線が集まる前に、ノアはすでに本のあるページを開いていた。
「・・・ナーム、フジューム」
呪文を唱えると、炎が地を走って魔物を追撃した。接触の瞬間に激しく爆発し、もうもうと煙が立ち昇る。
しかし、風がそれを吹き散らした後には、ウィリーの姿の魔物が平然と立っていた。
「俺になった!」
「シェイプシフターは変化した相手の姿形だけでなく、記憶や能力、思考、性質まで完璧にコピーできるんです。ウィリーになられたら魔術も効きません」
「なら殴り倒してやるだけだ!」
「いや、それは」
ザンが地を蹴ると、魔物は腰の銃を抜き放った。
「ぅおっ!?」
間一髪で弾丸はザンの頬かすめ、後方へ抜ける。
「シェイプシフターは相手の持ち物まですべてコピーしますよっ。気をつけてくださいっ」
「先に言っとけっ!」
ザンが後ろに吠えた隙に、魔物は湖畔を離れて森の中に入る。
逃げたかと思われた魔物はすぐに木の上から、今度はザンの姿に化けて現れた。
「うわ一番厄介な奴になりやがった!」
「ザン! 一旦下がってください!」
ロイが呼びかけたものの、ザンはすでに魔物を迎え撃っていた。
「っらぁ!」
尖った拳を魔物が避けて、勢い余り地面を抉る。すかさず、あいた腹に魔物の膝が入ったが、ザンは咄嗟に片手で防御し、蹴り飛ばされた勢いを利用して宙で後方回転し、着地した。そして一息もいれずに距離を詰め、魔物の顔面に拳を叩きこむ。しかし魔物は倒れるのと同時にザンの腕を掴んで森の中まで投げ飛ばし、自身も後を追って森に入った。
そして再び二人が森から出て来ると、他の者にはもはや、どちらが本物かわからなくなっていた。
「完璧見分けつかなっ」
「だから下がれと言ったんですよ」
ロイは諦め、銃を降ろした。
「こうなったらザン一人で片付けてもらうしかありません」
「でもさあ、残ったザンが本物かどうか俺らにはわからないんだよな?」
「最悪、シェイプシフターと今後仕事をしていくということになるかもしれませんね。それが嫌なら、一か八かでどちらかを撃ってみてもいいですよ。ほら今、組み合っているので当てられると思います」
「いや~、間違えたら毎晩枕元で怒鳴られそうだからやめとく」
ロイ、ウィリー、ノアはすっかり傍観を決めこみ両手を下げてしまう。
ただメルだけは、胸に手を当てて歌い出した。
「―――」
聞き慣れない言葉が響き渡った途端、湖側にいたザンが突然頭を押さえて呻きだし、その隙を逃さず、森側にいたザンが相手の顎を狙って下から拳を叩きこんだ。
殴られたザンの体は空を舞い、派手な水しぶきを上げて湖に落ちる。
「っしゃあ!」
岸に残ったザンが勝利を確信し、雄たけびを上げた。メルの歌が止んだ後も、湖からは何も出て来る気配がない。
ザン以外の一同は、その場からじっと動かずにいた。
「? どうした」
ザンが不審がって仲間を見ると、彼らはなにやら思案顔でいる。
「え~っと、これは本物のザン?」
「シェイプシフターを見破るのはほぼ不可能です」
「疑ってんじゃねえよ!」
「すぐ怒鳴るのは本物っぽいけどなあ」
「わかりませんよ。性格まで完璧にコピーできるんですから」
「てめえら、わかってやってるだろ!」
「もちろんです。そしてまだ終わっていません」
ロイが注意を促したと同時、突如として水の柱が立ち昇る。その頂上には、ノアの姿をした魔物があった。
魔物ノアが右手を動かすと、水の柱が更に幾本も立ち昇って生き物のようにうねり、岸辺の人間たちへ襲いかかった。
「うわやばっ!」
「しゃらくせえ!」
ザンが地を蹴り飛び上がる。しかし魔物のいるところまでは届かず、途中で襲い来る水の触手を足場に飛び上がろうとした。
が、片足が水をすり抜けた。
「っ、なに!?」
触手に絡め取られ、空中で身動きのとれなくなったザンに向かって、魔物が光弾を放った。避けられるはずもなく、ザンはまともに攻撃を受けて落下する。
さらに光弾を叩き込もうとする魔物に、ロイが発砲して気を逸らし、その間にザンは空中で体勢を整え、なんとか着地した。
「一旦退きましょう!」
「大したことねえ!」
吠えるザンだったが、銃弾を軽くいなした魔物が次々と光弾を放ち、水の触手が暴れるために反撃に転じる暇がなく、森の中へ逃れざるを得なくなる。
「めっちゃ強くない!?」
避けられない光弾を素手で受け流しながら、ウィリーが叫ぶ。
「ノアの技術にもともと魔物が持っている魔力が上乗せされているんですよ!」
「そんなんありかぁっ!?」
「ジェフさんの家へ避難しましょう! こちらが姿を隠せばシェイプシフターの暴走も止まるはずです!」
「ほんとかよ!?」
半信半疑の仲間たちだったが、森の入口に近づくにつれて、頭上から降る光弾は収まり、ジェフ老宅に着く頃にはすっかり静かになっていた。
工房で作業をしていたジェフ老は、突然男たちが息を切らして飛び込んで来たことに目を丸くする。
「なんじゃあ? どうした、バイコーンは見つかったんか?」
「いえ。それが、他の魔物に遭遇してしまいまして」
息を整え、ロイはいつもの笑みを浮かべて答える。
「そういやザン、大丈夫なのか? さっきまともに魔術喰らってたろ」
「・・・そーなんだがよー」
ザンは、自分の体を不思議そうに触っている。魔物の放った光弾は物に当たると破裂し激しい熱を発していたのだが、正面からそれを受けたはずのザンには傷一つないどころか、服すらも焦げていなかった。
「お前も魔術効かない体質だったっけ?」
「覚えはねえな」
「祝福の歌」
メルが話に割って入った。
「? どゆことメルちゃん」
「祝福の歌を聞いた人は一回だけ、魔の力を跳ね返す。ずっとは、効かないけど」
ハンナに求められメルが食堂で歌ったアンセムは、聞いた者に一定期間、一度だけ魔術などを防ぐ力を与えるものだった。
「あれ、そーゆー歌だったのかー。ってことはザンが無事だったのはメルちゃんのおかげなわけだ。感謝しとけよ?」
「偶然だろ」
ザンは鼻を鳴らしただけで、礼を言うことはなかった。それでもメルには特段気にする様子もない。
「もう一回歌ってもらったらどうだ? そしたらシェイプシフターがノアに化けても特攻できるじゃん。討伐依頼ないとはいえ、あれやっぱ退治しといたほうがいいっしょ」
「だったら何度でも喰らえるお前が特攻しろ」
「そりゃ魔術は効かないけど、他は普通だから無理だって。それに効かないってわかってても当たるの怖いんだよ」
「弱虫野郎が」
「弱虫で結構。ってことでメルちゃん、念のためにもう一回この特攻野郎を祝福してもらえる?」
メルは頷き、すう、と息を吸い込んだ。
「・・・」
しかし口を開けただけで、しばらくすると歌うことなく再び閉じてしまう。
「やっぱり、イヤ」
そっぽを向いてしまうメル。
ウィリーは、ザンの肩に手を置いた。
「とうとう嫌われたな」
「なんで微妙に笑ってやがる」
「ちゃんとお礼言わないからだぞ」
「別にいらねえ」
ウィリーの手を払い、ザンもそっぽを向いた。
「拗ねるなって」
「拗ねてねえ!」
一連の会話を片耳で聞いていたロイは、ジェフ老への事情説明を中断し、三人の元へ寄って行く。
「メルさん、疲れていませんか? あれだけ走った後ですし、二階を借りて少し休憩しましょう」
さりげなくメルの手を取り、後方へ目配せする。
「・・・クゥシファイ」
ノアがメルへ手のひらを向け呟いた途端、少女の心臓付近が青く輝き出した。
瞬間、ノアは銃を抜き放ち、銀の銃弾が光を貫く。
突如響いた轟音に誰もが目を剥き驚くなか、前方に傾いだメルの体は、途中で黒い煙となって消えてしまった。
ふー、っとロイは長い息を吐く。
「シェイプシフター、討伐完了です」
「・・・えーっと、どゆこと?」
ウィリーとザンはよく事情を飲み込めていない。
「今、ここにいたメルさんはシェイプシフターだったんですよ。あれだけ走って息を切らしていないのはおかしいですし、アンセムを歌えなかったのは己が魔の存在であるためです。シェイプシフターの退治はこうして不意打ちするのが一番いいんですよ」
ノアがかけた《暴露》の魔術に反応し、心臓が青く輝いたのは魔物の証だったのだ。
「・・・まあ退治できたんならいいけどよ、本物はどこにいるんだ?」
家の中を見回しても、メルの姿はない。一瞬安堵したロイも、笑みを引きつらせた。
「・・・おそらく、森の中ではぐれたんだと思われます」
「やばいじゃん!」
怪物メモ
・シェイプシフター
妖怪だとか悪魔だとか幽霊だとかで、詳細は不明。
脱皮して変化するらしい。