4
高い天井から、傘の付いた青いランプがいくつも吊り下がっている。
丸く広い空間の中央に、本物の鎖に縛られた巨大な門がそびえている。
奇妙なことに、門は壁に付いているのではなく、扉のみで直立していた。
その前に、人影がある。
巨大な扉と比べればごく小さな生物に見えるが、それは普通の大きさの、人の男だった。
白黒のチェック柄のシルクハットをかぶった燕尾服姿のその男は、悠々とした動作で振り返る。
「―――奇遇だ」
男はまるで道化師のように、右頬に涙、左目の周りに星のペイントを施しており、白い手袋をはめた右手を芝居がかった動作で広げてみせた。
「まさかこんな場所で人に会うとは思ってもみなかった」
「てめえが村を荒らしてる魔術師か」
「むぅ?」
ザンの問いかけに、男は眉をひそめる。
「なんのことだ?」
「とぼけんな。アンデッドに夜な夜な近くの村を荒らさせてんだろ。何が目的だ」
「ふうむ? ――なるほど、そうか。ということはグラウクスの人間だな。魔術師となって久しいが、初めて会ったよ」
男は左手にある銀色のステッキを回し、優雅にお辞儀した。
「私の名はユング。以後、お見知りおき願いたい」
「おうよ、たっぷり知らせてもらおうじゃねえの。牢屋ン中でなあ」
即座にザンが床を蹴り、男に殴りかかった。
「なんだ!?」
男は咄嗟にステッキを横に構え、かろうじてザンの拳を受けとめたが、衝撃は流しきれず鎖の扉に背を打ちつけた。すかさず男の胸ぐらを捕まえたザンだったが、
「シャムス!」
ステッキの先から強烈な光が発せられ、ザンはたまらず男を放り投げた。
「ぐっ、つ、てンめええっ!」
両目を押さえ、ザンは苦しげにうめく。その間に男は呪文を唱えて宙に浮き、巨大な扉の上に乗った。
ウィリーとロイが発砲したが、弾丸は見えない壁に阻まれ届かない。
男は門の上で、歪んでしまった己のステッキをなぞり、驚きを隠せないでいる。
「素手で合金を曲げるとは、一体どういう馬鹿力だ? とても人間業とは思えんぞ」
「下りて来やがれっ!」
目を押さえ、ザンが叫ぶ。
それへユングは殊更に穏やかな口調で語りかけた。
「グラウクスの者たち、汝らは誤解している。私はアンデッドに村を襲わせてなどいない」
「アンデッドを作ったことは認めるわけですか?」
ロイが声を張り上げ問うと、ユングは鷹揚に頷いた。
「ここを探し当てるために人手が必要だったのだ。おそらくはほんの一部が、私の命令を離れて村に出て行ってしまったのだろう」
「意図してもしてなくても、実際に被害は出てる。大人しくお縄にかかってもらいましょーか」
銃口を向け続けるウィリーに対し、しかしユングは暢気に腕組みなどをしていた。
「それは困る。私はこの《遺跡》の封印を解かねばならないのだから」
「馬鹿な、人に解けるものではありませんよ」
「卵を割らなければオムレツは作れない。挑戦することが肝要なのだよ。というわけで私は忙しい。邪魔な梟たちのお相手はこっちだ」
ユングがステッキを放った。先が床に触れた途端、円状に青い光が放たれ、獣が一頭、飛び出した。
獅子の頭と、硬い鱗に覆われた胴体、毒蛇の尻尾を持つ、巨大な獣。
「キマイラですね」
ロイが言う。
「マンティコアとは違い、人工的に作られた生き物でしょう」
「悪趣味だなあ、魔術師って」
「ウィリーはザンを下がらせてください。ノア、援護を頼みます」
向かってくる獣にロイが威嚇射撃し、その隙にウィリーはザンを回収してメルのいる入り口付近まで下がらせた。
「メルちゃん、ザンをよろしくっ。いざとなったら盾にしていいから」
「ざけんな・・・」
抗議の声すら今のザンは弱々しい。
「悪いドラゴン、どうしたの?」
「ザンは人よりちょーっとばかし光が苦手なんだ。でも大丈夫。どうせすぐに治るから」
ザンをメルに預けたウィリーは、すぐさまロイの応援に向かった。
「こいつの攻略法は?」
「魔術師によって作り方が違うので、定まった退治法はありません。とりあえず、鱗のある部分に銃弾は効きませんでした。あと、ガーゴイル同様火を吹くようなので気をつけて」
その瞬間、大きく開いた獅子の口から火炎放射器さながらに勢いよく炎が噴出し、床を走った。間一髪でロイとウィリーは左右に避ける。
「あっつっ!?」
「これは魔術とは違うので触らないほうがいいですよ?」
「言われんでも!」
「目を狙いましょう。一番柔らかいところなら銃弾も通るはずです」
「りょーかい!」
すると銃を構えた二人の後ろから、ノアが肩を叩いた。
「ん? なに?」
「ここに・・・誘導」
と、床にチョークで描かれた絵を指す。
「わかりました、全員後退っ」
「オッケーっ!」
三人はキマイラに背を向け、全力で走る。彼らを追って大きく踏み出したキマイラは、ちょうど絵の上に降り立った。
「・・・カウィ、ラービタ」
ノアの声に呼応し、絵から光の帯が幾本も伸びてキマイラの体に巻きつく。怪物は暴れて逃れようとするが、魔の束縛は簡単には切られない。
身動きの取れなくなった獣の瞳を、左右に回り込んだロイとウィリーが狙う。銃声と共に鮮血が飛び散り、魔獣の絶叫が響き渡った。
「――ぅぉらああっ!」
そこへ更に、ザンのかかと落としが脳天に決まり、キマイラの体は床に伏せる。
「あれ、もう復活したの? おめめ大丈夫?」
「痛えよめちゃくちゃなっ! あのクソ野郎殴り飛ばさねえと気が済まねえっ!」
ザンは充血した目でユングを見据えた。
しかしまだキマイラは死んでいない。
ぐあ、っと起き上がるや魔術の拘束を振り切り、視界を奪われたため四方へ向かって闇雲に炎をまき散らし始めた。
「大人しくしやがれっ!」
その横面をザンが渾身の力を込めて殴り、キマイラの体が床を滑る。
ロイに抱えられて逃げているメルは、戦いの様子を眺めていてとうとう尋ねた。
「悪いドラゴンは、本当にドラゴンなの?」
それにロイは曖昧な笑みを浮かべた。
「ドラゴンとは違いますが、確かに普通の人間ではありません。できれば、他の人には秘密でお願いします」
メルに言って、ロイはポーチから特別大きな手榴弾を取り出した。
「ザンっ、これをキマイラの口の中に入れてください!」
宙に放られた弾を、ザンが器用に受け取る。
「こっちだ化け物っ!」
獣が振り向き口を開けた瞬間、ピンを外して手榴弾を投げ込んだ。それは喉の奥に引っ掛かり、ちょうど体内から吹き出した炎に触れ、爆発を起こした。
獣の体が八方に飛び散り、肉片からめらめらと火が立つ。それもやがて灰となる。
「次はてめえだ!」
間髪いれず、ザンは扉の鎖を伝って素早く上へ登った。が、辿り着く前に魔術師は飛び降りて逃れ、その際にすぐ下にいる者たちを散らすため、呪文を唱えた。
「ナジュム!」
魔術師の指先から閃光が走った。
しかし、それは最も近くにいたウィリーに当たり、霧散してしまう。
「なっ!?」
「魔術は効かないんだなあ、これが」
すかさず捕まえようと襲いかかるウィリーを魔術師は転がりながら避け、手に隠していた小さな玉を投げつけた。
「っ、なに?」
ウィリーの体に当たって跳ね返り、床で砕けた玉から燐光が噴き出す。その光の靄の中から、暗緑色の巨大な犬が現れた。
「ぅおわぁっ!?」
牛並みの体格を持つ犬は、目の前にいたウィリーへ真っ先に襲いかかる。ウィリーは慌てて後ろへ飛び、かわってザンが上から襲撃をかけたが、犬の体の一部が霧となり、手応えを得られず拳を床に打ちつけた。
「こいつ殴れねえぞ!?」
「ちょ、物理攻撃効かない系は反則ーっ!」
ザンとウィリーがかわるがわる犬の標的となって走り回っているところへ、ロイの冷静な説明が入る。
「クー・シーですね。妖精を虜にするとは、命知らずなことをしますねえ」
「暢気に言ってないで攻略法っ!」
「やってみます」
ロイはメルを背後に残し、進み出る。そして音もなく走り来る犬に囁いた。
「緑の服、金の飾り」
メルの知らない言葉だった。
犬はロイの直前に急停止し、毛並みに隠れていた深緑の瞳を大きく見開く。
戦慄していた。
その犬の頭へ、ロイは黒い手袋をはめた手を添えた。
「主人を思い出したなら、とっとと丘に帰れ」
冷たく言い放った次の瞬間には、犬の姿が煙のように消えてしまった。
あっという間の出来事に、メルは理解が追いつかない。
「どうして、消えちゃったの?」
「ママが恋しくなったんですよ」
ロイは微笑むばかりで、何も確かな説明をしなかった。
一方で、我が耳を疑っている者がいる。
「今のはまさか、《妖精の呪文》か・・・?」
一同が声を探すと、魔術師は足場となる場所もない空中に逃げていた。
怪物メモ
・キマイラ
天然物は山羊の胴体。伝承によっては聖獣だったり悪魔だったり。
兄弟が多い。
・クー・シー
スコットランドの番犬妖精。
クーは犬、シーは妖精の意。