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ごとごとと汽車が揺れる。その揺れに合わせ、乗降口の窓に張りつく少女の金髪もふわふわ揺れていた。
朝早くに首都を出発し、およそ半日。窓から見える景色はずっと荒野で変わり映えがない。
王国の支配する大陸において、人の住める土地は限られている。下手に森など焼こうとすれば、たちまちそこを棲みかとする魔物が飛び出し暴れ回るのだ。街と街をつなぐ汽車が近年になってようやくできたばかりで、目的地に着くまで間には何もない。線路が魔物の潜む森や山を避け、生命のない不毛の荒野を通ってゆくためである。
しかし少女は汽車に乗り込んでから、席を立ってまで、変わらぬ景色を飽きもせずに眺め続けていた。
「お茶はいかがですか?」
そこへ、ロイが水筒から紅茶を汲んで差し出した。
メルは湯気の香るカップをしばらく見つめ、受け取る。そして赤髪の男がいる二人掛けの席の隣へ、わざわざ移動してからカップに口をつけた。
「こっち来んなっ」
「すっかり懐かれてるねえ」
向かい合わせの席に座っているウィリーが、少女へ笑いかける。
「メルちゃんメルちゃん、俺の隣もあいてるよ。そんなゴロツキみたいな男はやめて、こっち来ない?」
「おー行け行け」
ウィリーが手招き、ザンがしっしと手を振るが、やはりメルは動かない。
冗談めかしても断られれば残念そうに、ウィリーは肩をすくめた。
「ダメ? こんな奴のどこがいいの?」
「悪いドラゴンみたいだから」
即答だった。
「なんなんだよソレ」
「メルちゃんはドラゴンが好きなの?」
「大好きっ!」
ぱっと勢いよく立ち上がったものだから、紅茶が少し床に零れた。
「早く会いたい! 今日、会える? クエレブレ? ガルグイユ? ズメイ? ワイバーン? それともジラント? ウェルシュ・ドラゴンもすてき! ドラゴンベビーも見たい! 山、登る? 洞窟の中?」
「何言ってんだお前」
「? ドラゴンに会いに行くんでしょ?」
「はあ?」
「とりあえず座ってください」
ロイが傍にやって来て、興奮するメルを座らせ、自分はウィリーの隣、メルの正面に腰を下ろした。
「メルさん、よく聞いてください。我々はこれからアンデッド退治に行きます。ドラゴンには会えません」
「・・・え?」
青い瞳が大きく大きく見開かれる。
隣でザンは呆れていた。
「話聞いてなかったのかよ」
「この先にトルンという村があります。そこで墓場から死者が蘇り、村を荒らし回っているとの通報があったんですよ。我々はアンデッドの退治と、なぜ死者が蘇ったのかの調査に行きます」
ロイから丁寧な説明を受け、メルの表情にはみるみるうちに陰が落ちる。
「・・・ドラゴンには会えないの?」
「はい、残念ながら」
「そんなに会いたかったの?」
ウィリーの尋ねに、メルは頷く。
「だって、ドラゴンに会えるって・・・だから、来たのに」
メルはとうとう、うつむいてしまった。傍目に可哀想なくらい落ち込み出したため、ウィリーなどは慌てた。
「今回はダメだったけど、そのうち会えるかもしれないよ。大丈夫大丈夫」
「・・・ほんと?」
メルはわずかに顔を上げた。
「それまでお前が逃げなかったらの話だけどな」
ザンはわざとらしい口調で続ける。
「アンデットは怖ぇーぞぉ? 心臓を打ち抜こうが脳みそ抉ろうが死なねえからな。お前、剥き出しの内臓見たことあるか? すげえ匂いするんだぜ。吐くなよ」
「ちょっとちょっとザン君? その脅し方はいくらなんでも・・・」
止めようとしてきたウィリーのことは、「うるせえ」と一蹴する。
「胃なんか破れて、歯はぼろぼろのくせによ、奴らの食欲には底がねえ。どこまでも追っかけてくるぜ。捕まったら最後、力じゃ振り払えねえよ。わらわら集まってきて、皆で仲良く骨まできれいにしゃぶってくれるんだぜ? ぞっとするじゃねえか。言っとくが子守唄なんざ効かねえぞ。奴らは耳が腐ってやがるからな」
メルはきょとんとした表情で、青い瞳に意地悪く笑う男の姿を映していた。
「怖がってちびんなよ」
「ザン、女性相手に失礼ですよ」
「ガキに言ってんだ」
「うわ、こーんな美少女ちゃんつかまえてよく言えるねー。ほらメルちゃん、悪いドラゴンの言うことなんか気にしないで、こっちおいで。あー怖い怖い」
ウィリーはメルの肩を抱いて、通路を挟んだ反対側の席へ移動する。
そこには我関せずの態度で静かに赤い表紙の本をめくり続けているノアがいた。二人が正面の席に座ってもこの男は無反応で、目線を上げることすらしない。
隣があいたのを機に、ザンは座席に寝転がる。
「さすがに、イビるのはやめてあげてくださいよ」
小声で諫めてくるロイのほうを、ザンは見向きもせずに目を閉じた。
「あのくらい言っときゃ、余計なマネしねえだろ。隅でガタガタ震えてる分にゃ構わねえが、意気がって前に出られちゃ邪魔でしょうがねえ」
「それはそうですが。憎まれ役を買うのが好きですよねえ。毎度ご苦労様です」
「っせえな」
適当にロイをあしらい、寝に入る。
それからしばらくして、汽車が終点に到着した。
**
トルンは大陸首都から見て西に位置する小さな村だ。昔ながらの農耕と牧畜を営み、ひっそりと穏やかに人々が暮らす。
駅からは遠く、馬車を調達して一行がようやく村に辿り着いた頃には、夕方となっていた。
「・・・しっかし、まだ避難してねえとはなあ」
各種銃火器の組み立て作業を行いながら、ザンがぼやいた。
村には人が残っており、ザンらはまず彼らの盛大な歓待を受け、空き家を借りてアンデッド退治の準備を進めていた。アンデッドに襲われてもなお村人が全員で逃げなかったのは、畑や家畜を放っておけなかったのと、村を怪物に占領されることを良しとしない勇敢な心を持つ者があったためだ。
アンデッドは太陽の光を弱点とし、活動は夜に限られるため、まだ日があるうちは閑散としているだけの村である。
薄闇が満ちる頃、装備を整えた一同は墓地へ向かった。村人たちから聞いたアンデッドの発生場所は、集落の外れにある墓地と、そのすぐ傍に広がる森。いずれも死者が弔われた場所だ。
五人が墓地に足を踏み入れると、本来なら整然と墓標が並んでいるはずが、地面のあちこちに穴が開いていた。掘り返されたのではなく、埋まっていたものが這い出たような土の盛り上がり方であり、何かが地面を引き摺った跡がある。
墓地にはまだ、なんの影もない。メルは興味津々で奥へと進み、手近な穴の底を覗き込んだ。
「メルちゃんメルちゃん、危ないよー」
しかしすぐにウィリーに回収され、墓地の入り口へ戻される。
「メルさんはノアの傍にいてください。くれぐれも離れないでくださいね」
「おい、来たぞ」
サングラスをはずし、森の奥に目を凝らしていたザンが仲間たちへ警告した。
やがてちらほらと人影のようなものが、木々の間からまばらに出て来る。それと共に、腐臭が各自の鼻腔をつく。
ウィリーが口笛を吹いた。
「さすが。目聡いねえ」
ザン、ロイ、ウィリーはそれぞれに銃を構え、一斉に駆け出す。
両手で持つ長い銃口の根元は彼らが背負うシリンダーに繋がっている。バックパック式の火炎放射器だ。トリガーを引くと、暗闇を彩る激しい炎がアンデッドの群れに襲いかかった。
「おらおらおらぁっ!」
「ザン、森まで燃やさないでくださいよっ」
「あいつ、これ持つと異様にテンション高くなるよなー。お、まだ動くか」
切っても撃っても死なないアンデッドであるが、その知能は低く動きは緩慢である。元は単なる死体であるため、燃やし尽くせば灰となり無力化できる。グラウクスが相手にする魔物の中では比較的退治の容易な部類に入るものだ。
ただし骨まで燃やし尽くさねばならないために手間がかかり、更に腐臭と死肉の焼けるすさまじい匂いに加え、見た目のグロテスクさから、アンデッド退治は職員に最も忌避される仕事である。と同時にそれは、グラウクス内で汚れ役担当となっているザンらのチームには非常によく回される仕事であると言える。
小一時間ほど、燃やし尽くすとアンデッドは現れなくなった。
「燃料まだあんぞ。森、行くか?」
まるで疲れた様子のないザンの提案に、しかし仲間たちは難色を示す。
「村への侵入を防げば今夜は十分だと思いますよ。森の調査は日が昇ってからのほうが賢明です」
「あぁ? めんどくせえ、いっぺんにやっちまおうぜ」
「我々はあなたほど夜目が利かないんですよ」
「俺もヤだよー。髪にも服にも匂い付いたし。早くお風呂入らして」
「女かっ」
「闇雲に突入する前に調べることがあるでしょう」
ロイは足元に転がっているものを拾い上げた。
腐りかけ、ところどころ骨が見えるアンデッドの右腕である。本体はすでに焼失しているが、腕はびくんびくんと激しく痙攣している。
「そういやメルちゃん大丈夫か?」
思い出したウィリーは、急ぎ足で待機組のいる墓地の入り口に行く。
すると、地面に座ってわずかな月明かりで読書をしているノアの肩にもたれかかり、メルは寝息を立てていた。
「どうだ? ガキはちびって・・・」
馬鹿にしようとやって来たザンも、その様子に閉口する。
「気を失っているわけではないんですよね?」
ロイの尋ねに、ノアはメルの枕になったまま、緩慢な動作で首肯した。
「慣れない遠出に疲れたんですかね」
「いやいやだとしても寝ねえだろ普通っ。どーゆー神経してんだ?」
「ザンにだけは言われたくないと思うけどまあ、度胸はあるよな」
「先にメルさんを宿に運びましょうか」
「はじめっから寝かしつけときゃよかったんだ」
だが運び出される前に、メルは騒がしい男たちの声で目を覚ました。
「・・・終わったの?」
あくびをし、まだ眠そうに目をこする。
「てめえ人が仕事してる時に寝るんじゃねえよ」
ザンに睨みつけられても、メルは少しも動じない。視界が暗く、相手の細かな表情まで見えないせいでもある。
「だって、やることない」
「見てろ! 目ん玉おっ開いて見てろ!」
「見てたよ? 口から火を吹いてくれるなら、ずっと見てられた」
「だから俺はドラゴンじゃねえって言ってんだろぉがっ!」
怒鳴り散らすザンに対し、メルはのんびり、あくびを返す。
「終わったの? もう帰る?」
「まだ少しかかります。メルさんは先に休んでいてもいいですよ」
「・・・ううん。いる」
メルは立ち上がり、スカートの土を払う。
枕の役目を終えたノアの前には、アンデッドの腕が差し出された。
「これお願いします」
ノアは無言で、腕を受け取る。ロイは手袋をしていたが、ノアは素手のまま。腐った肉を掴むことにまったくためらいはなかった。
「・・・魔術」
しばらくし、ノアが緩慢に言葉を紡ぐ。
「術式は・・・蘇り・・・使役・・・ただ、縛りは、甘い」
「そうですか」
「? どうしたの?」
短い単語に納得する面々の中で、メルだけが理解できていない。
「今、ノアがアンデッドの体に残っている魔術の痕跡を読み取ったんですよ。つまり、この村のアンデッドは魔術師によって作られたのだということです」
「どうして、そんなことがわかるの?」
「ノアは魔術にとっても詳しいんだよ」
ロイの説明を継いだウィリーほうに、メルは顔を向ける。
「・・・魔術師が、どこかにいるの?」
「そ。その人を捕まえたら俺たちの仕事も終わりってこと」
「どこにいるの?」
「さあ、そこまではわからない。近くにいるといいけどねえ」
「おそらく・・・いる」
ノアが再び口を開いた。
「この、アンデッドは、術者の支配下に、ある・・・必ず、近くに、いるはず」
「森だろ森。あと隠れるとこなんざねえんだからよ」
「いずれにせよ調べるのは明日ですね」
「じゃ、今夜の見張りはザンにまかせて、メルちゃんは俺と一緒に戻ろう」
「おい待ててめえウィリー」
さりげなくメルの手を取り、宿へ帰ろうとした男の肩を、すかさずザンが捕まえた。
「どさくさに紛れてラクしてんじゃねえよ」
「ザンは夜行性なんだからいいだろ?」
「人を獣みたく言うな!」
「でもメルちゃん眠そうだし。俺も着替えたいし」
「百歩譲ってガキはいいがてめえはざけんなっ!」
「夜中に騒がないでください」
徐々に声が大きくなっていく口論を、見かねたロイが割って入った。
「見張りは交代でやりましょう」
「え~」
「当たり前だっ!」
「最初は私とザンでやりますから、ウィリーはメルさんとノアを連れてさっさと戻ってください。二時間後に交代ですよ」
「はいはい」
緩慢な動作で立ち上がったノアとウィリーに挟まれて、メルは墓地を出て行く。
それを見送ってから、ザンはロイに話しかけた。
「そういや俺らのことは、あのガキにゃ隠しといたほうがいいのか? やっぱ」
「彼女はあくまで部外者ですからねえ。ですが、最悪ばれたとしても上がなんとかしてくれるんじゃないですか? でなくば、どんなに追い返したくとも我々のチームには入れないでしょう」
「そういうもんか? 俺とノアは、けっこーやべぇと思うが」
「わかっているなら自分で気をつけてください」
「へいへい。めんどくせえのを押し付けられたもんだぜ」
暗闇の向こう、本来なら見えるはずもない遠くに揺れる金色の頭に向かって、ザンは舌打ちした。
怪物メモ
・アンデッド
物語によって設定が色々。
よく人を食べる。