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静かな農村の片隅に、物騒な爆発音が響いた。
「―――だあぁぁぁっウィリーっ! なんで今ので後ろに回らねんだよっ!」
「無茶言うな!」
目つきの悪い赤髪の男が怒鳴り声をあげ、ニット帽をかぶった男が負けじと怒鳴り返した。
「あいつの尻尾にゃ毒針が生えてんだぞ!? 回りこめるかぁ!」
「だぁらそれをぶった切れっつってんだろがっ! 死ぬ気でやりやがれっ!」
「そーゆーお前がやれよっ!? ほら行け鉄砲玉!」
「ざけんな死ぬっつの!」
「じゃあ俺に言うなよ!?」
ニット帽の男が叫んだ瞬間、彼らの間を毒針が裂いた。
針と称されつつも、実際は矢のごとく太いそれは、板の間に深く突き刺さる。人間たちは素早く後ろへ飛び退き、攻撃を逃れていた。
「二人とも、喧嘩してる場合じゃありませんよ」
場違いに穏やかな声は飛び退いた彼らの傍から。眼鏡をかけている黒髪の男が、化け物の眉間を狙って拳銃を発砲し、毒針を飛ばしてきたソレを後ろへ下がらせる。
「ふざけているとマンティコアの夕飯にされてしまいますよ」
マンティコア。
赤い毛皮、毒針の生えた節のある長い尾を持ち、三列に並ぶ鋭い牙を持つ人面のライオン。際限ない食欲の持ち主であり、尾を振るって毒針を飛ばし、獲物を仕留める。
それが今、彼らが対している化け物。
「ウィリーがさっさと奴の後ろに回りこんで尻尾切り落としゃよかったんだ!」
「別の手を考えましょう。このまま正面から発砲を続けても埒があきません」
「ンじゃもう一発手榴弾お見舞いして怯んだ隙にウィリーが」
「だからその話やめっ! バカなの!?」
帽子男が絶叫するが、目つきの悪い男はポーチから一番大きな手榴弾を取り出し、安全ピンを外す。
ところが投げる直前に、背後からそれを掠め取る青髪の男があった。
「っ、てめ何する・・・」
青髪の男は非難を浴びる前に、手榴弾を上へ放った。
「ッ!!」
天井にぶつかり手榴弾は爆発。下にいる者全員に瓦礫が降り注ぎ、人も化け物も逃げる間もなく埋もれてしまう。
たった一人、崩落から逃れた青髪の男が、マンティコアを下敷きにしている瓦礫の上に立ち、隙間から怪物の体に手を添えた。
どん、と巨体が一度揺れ――
怪物は、事切れた。
**
あるところに、闇の蔓延る世界があった。
魔物、悪魔、妖精、精霊、魔女、妖怪・・・人々は魔の存在に怯えて暮らす。しかし人間は大人しくそれらに蹂躙されるものではない。太古の昔からずっと、彼らは非力ながらも魔と戦い続けてきた。
そしていつしか、退魔を専門とする組織が作られた。
闇夜を見張る梟の集団。その名も、《グラウクス》。
「――この馬鹿どもがぁっ!」
ヴィオラ王国、首都テールピース。
組織の本部にあるオフィスの一角で、今日も怒鳴り声が響き渡っている。声の主は神経質そうに目を吊り上げる中年の男。普段、オールバックにした銀髪には少しの乱れもないのだが、先程デスクを思いきり叩いたせいで前髪がひと房降りた。
怒りの対象は横一列に整列させられている、四人の青年。
一人は赤髪橙瞳、異様に悪い目つきの上にサングラスをかけている男で、不機嫌に腕を組んでいる。
一人は青髪灰瞳、微動だにせず佇む気配の薄い男で、まるで眠っているかのように目を閉じている。
一人は黒髪黒瞳、縁のない眼鏡をかけ、黒い手袋をはめている男で、愛想笑いを浮かべている。
一人は茶髪黄瞳、ニットの帽子をかぶり、胸元や腰や耳や指にシルバーアクセサリーをじゃらじゃら付けていている男で、今にも逃げたそうに視線を空へさまよわせている。
名前はそれぞれ、ザン、ノア、ロイ、ウィリーといった。
そして彼らを部下に持つ、今まさに怒り狂っている男はゼノンといった。
「お前たちだけだ! 依頼先から感謝でなく苦情をよこされるのは!」
「あぁ?」
ザンはサングラス越しに上司を睨みつける。
「ンでだよ、魔物はちゃんと殺してやったじゃねえか」
「大事な村の集会所ごとなっ! 見ろこの請求書を!」
ゼノンがデスクの上の書類を再度叩く。
「全額、お前らの給料から差っ引くからな!」
「なっ!?」
慈悲のない宣告に対し、ノア以外の三人はそれぞれに動揺を見せる。
「納得いくか!」
「黙れ!」
「しかし、魔物退治で家屋が破損することはあらかじめ了承を頂いているのでは?」
冷静にロイが指摘する。しかしゼノンは再びデスクを叩いた。
「森にいたものをわざわざ村まで引き連れて来た上での全壊だぞ!? さらに他の住居も半壊状態にまでしたそうじゃないか! 魔物よりも被害を広げておいて、まったく弁償せずでいられるか! むしろ一部の請求だけに留めてもらえたことに感謝しろ!」
「・・・ですよねえ」
「負けんなロイ!」
事は三日前。
とある森に人喰い魔物が出たとの通報が、この対人外生物駆除専門機関の《グラウクス》に寄せられた。付近の村人たちを緊急避難させ、ザン、ノア、ロイ、ウィリーの四人組のチームがこの危険な魔物の退治にあたったのだが、各々の想定よりも格段に大きな犠牲を払ってしまったのである。
しかし、ザンはどうしても納得できなかった。
「手榴弾を天井に投げやがったのはノアだ! 引くならこいつから引きやがれ! 俺ぁ関係ねえぞ!」
指をさされてもノアは目を閉じたまま、会話に関心を示さない。
ゼノンは、なんとか責任を逃れようとするザンをこそ厳しくねめつけた。
「村人たちが最も怒っているのは大切な天使像を壊されたことなんだが?」
「あ、それはザンだったよな。マンティコアから逃げてる最中に蹴倒してたっけ」
「ウィリィィィっ!」
「ともかく、連帯責任だ」
ザンがウィリーの胸ぐらを掴み上げ、ゼノンは眉間に手を当てていた。
「まったく、お前らはいつもいつも・・・」
「つーか多少の犠牲は仕方ねえだろ。俺らに回ってくんのは厄介な仕事ばっかなんだからよ」
ウィリーを放し、言い逃れをあきらめたザンは開き直る。まったく反省のない態度に、またしても雷が落ちるかと彼の仲間が身構えたところ、
「うむ。そのことに関しては私も日頃から申し訳なく思っている」
「・・・は?」
部下たちに対する、上司の表情はいつの間にか緩められていた。
「厄介事は厄介者にまかせてしまおうという組織のスタンスの中で、懸命に仕事に取り組む諸君らを、毎度叱りつつも心中では応援しているさ」
「ま、待てっ。何を企んでやがる?」
かえって不審を感じ警戒しだす四人。ゼノンは席を離れて、奥のゲストルームに繋がる扉へ手をかけた。
「頑張る部下たちにプレゼントだ」
ゼノンが中に呼びかけた、次の瞬間。
その場の誰もが息を呑んだ。
まばゆい金色の髪が、肩の上をふわふわ浮いている。海より深い青の瞳が、周囲を映し込んでいる。白磁のような肌は光を反射し輝く。
幅広のリボンを頭の片側に一つと、シャツの胸元に付けて、十も半ばといった年頃の、まるでこの世のものとは思えぬほどに美しい少女が、扉の向こうに佇んでいた。
「彼女はメル。諸君らの新しい仲間だ」
「・・・はあっ!?」
騒ぐ男たちに対して、紹介された少女はというと、小首を傾げていた。
「どーゆーことだ!? なんでこんなガキっ・・・」
「彼女が戦うのですか?」
サングラスをずらしてザンは混乱気味にわめき、ロイは眉をひそめた。
「彼女は《コーリスター》だ」
ゼノンの言葉に、場は一瞬静まった。
ややあって、ロイが口を開く。
「《シュトラール》の誇る聖歌隊員ですか? 《アンセム》を歌い、魔を祓うという」
彼らの所属する組織グラウクスは人外の者―――魔物、悪魔、妖精、精霊、またはそれらに関わる魔術師や魔女から人々を守る実動部隊。鉛と火薬をもって生身で戦う。
それに対し、《シュトラール》とは天の加護をもって人民を守り救う組織。《アンセム》という、かつて天使が地上に残した救いの歌を歌い、魔を祓う者を《コーリスター》と呼ぶ。アンセムを歌い力を引き出せる者は素質のあるごくわずかな人間で、シュトラールはこのコーリスターたちを捜索し養護している。
グラウクスは確かに魔から人々を守ってはいるが、魔物の数にはキリがなく、また彼らの武器はごくごく普通の銃火器類であるため、その攻撃が通用しない場合があり、なおかつ魔物たちの蛮行を未然に防ぐことはできない。
そのため国民は、グラウクスよりもっと古くから天使信仰と共に存在するシュトラールに加護を願う。シュトラールはアンセムの刻まれた石を魔除けとして販売したり、コーリスターたちのコンサートを開くなどして、大陸中に浸透している。国王ですら彼らの加護を受け、議会の中にも信者は多い。
しかし、グラウクスに属する者たちはそれぞれに微妙な面持ちとなった。
「コーリスターなんて、役に立つのか?」
ずらしたサングラスを直し、真っ先にザンが疑念を吐き出した。
「天使だの救いの歌だのって、うさんくせぇ。そんなので魔物を追っ払えるなら苦労はねえっつの」
物理的な力でもって魔物を滅ぼしているグラウクスの人間にとって、シュトラールの唱える退魔法はどうにも信用ならないのである。
「どーゆーわけでこんな可愛いコーリスターちゃんがウチに来ることになったんです?」
ウィリーは大人しく佇む少女に、にやけ面で手を振る。
「実は先日、シュトラールの大司教らと会談があってな。我々の仕事をぜひ手伝いたいと執拗に持ちかけられたのだ。それで、コーリスターの中でもとびきり優秀だという彼女が送られてきた」
「優秀、ねえ?」
「しかし、実際の魔物退治は訓練を受けた人間でも大変ですよ? 彼女には酷なのでは」
ザンからは疑わしそうな、ロイからは心配そうな視線を送られている少女は、じっと動かず何も喋らない。正面を凝視している。
かわりにゼノンが答えた。
「その通りだ。よって仕事の際も彼女の身の安全は一般人と同様、最優先にしろ。大事な客人であるからに、決して怖い目に遭わせるな」
「は、あ? なんだそれ」
ザンが上司の物言いに眉をひそめた。
「なんでンなお荷物押し付けられにゃあ・・・」
「メル、これが君の仕事仲間となる猿どもだ」
ゼノンは部下を無視して、少女に優しく言い聞かせた。
「粗暴な連中だから嫌なことがあればすぐに教えてくれ。どんな些細な不満でもいい。決して我慢したり無理してはいけない。いいね?」
「おい!?」
納得がいかず怒るザンの肩を、ロイが後ろから押さえた。
「上は彼女の口から帰りたいと言わせたいんですよ」
少女に聞こえないよう、耳打ちする。
「あぁ?」
「大事な客人を我々のチームにいれる意味を考えてみてください。怪我をさせるまではいきませんが、ちょっと怖がらせてお家に帰してあげようということでしょう」
「・・・そういうことかよ」
意図がわかり、ようやくザンの怒りは収まった。
「俺はぜひぜひ一緒に働いていきたいけどなあ」
ロイ同様、言外に含まれる上司の意図を察していたウィリーは、頭の後ろに手など組みつつ暢気に言った。
ノアはというと、やはり無関心な態度で再び目を閉じていた。
その時、ゼノンから懇々と説明を受けていた少女が不意に動く。
「メル?」
少女はデスクを回り、ゼノンの説明中もずっと見つめ続けていたもの――ザンへ向かって、猛然と進んだ。
「っ、な、んだぁ?」
相手がのけぞるほど近くで、ようやく少女の歩みが止まる。
逃げようとするザンのシャツを掴み、右手を伸ばして、その顔にあるサングラスを取り去ってしまう。
「おい!?」
少女は非難の声を無視し、青の瞳にザンの姿を映して、形の良い唇をぱかりと開く。
「悪いドラゴンっ!」
「・・・は?」
唖然とする周囲に構わず、少女は嬉々として「悪いドラゴンがいるっ!」と連呼する。
ややあって、ロイが気づいた。
「あぁ、ザンは蛇目ですからね。ドラゴンに似ていると言えば似ているかも」
「そゆことなの?」
「どーゆー意味だっ!」
「! 火、吹く!?」
「吹くかボケェっ!」
期待に輝く少女の顔へ怒鳴り散らすザン。しかしそれにも少女ははしゃぐだけだった。
「・・・まあ、仲良くやってくれたまえ」
ゼノンは気を取り直し、部下たちへ言い渡す。
「では諸君、次の仕事だ」
怪物メモ
・マンティコア
意味:「人を食らうもの」
生息地:インドなど
備考:軍隊一つ食べられるらしい。