ゾンビの正体……そして彼方へ
おはようございます。
読んでいただきましてありがとうございます。
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人間らしさなんて少しも残っていないゾンビ。
紅く充血した瞳、血を滴らせながら貪り食われる人肉。
砕ける骨。
引き裂かれる皮膚。
耐え難い光景が巨大なクリスタルガラス張りのモニターに映し出されていた。
背筋が凍りつく寒々とした映像だった。
合成画像などではない。
混じりっけなしの事実。
「――以上が各コロニーに発生したウイルス性寄生虫の実害です。ヒトゲノムの核ゲノムミトコンドリアゲノムに寄生して人間をゾンビ化させます。寄生個体の維持のために新鮮な細胞をつねに摂取することにより肉体を維持……」
『空船』の偉い学者さまのご高説がスピーカーをとうして会議室に響く。
この中央都市が鎮座する惑星型コロニーは無人エリアと勘違いされたのか? 軍事境界線でもあるように巨大な宇宙怪獣もウイルス兵器の散布被害はまったくない。
これは『空船』にとっておもわぬ僥倖だった。
「あっ! 先生――っ」
モニターに投影されている学者さまのご高説を完全に無視した金髪美少女がニヤリと口角をあげて僕の腕に腕を絡めてひっぱってきたーっ!
会議室の中でひときわ美の異彩を放つ少女に軍服を着こなした男性たちの視線がグイッと集まる。
ハチミツやメープルシロップのように甘ったるい香りを漂わせる金髪をふわ
りっと浮かせて北欧系の碧眼。
流麗な身のこなし。
白銀アスカが白人特有の純白の頬に朱色の熱がおびる。
「無事だったようだね」
「無事ってぇぇ――っ。しっかり探してください! もう、先生は大胆です! わたくしのこと放置プレイばかりして。キュンって火がつくじゃないですか」
良い火災報知器を紹介したい気分になるぞーっ!
アスカは本心から安堵したように頬をスリスリしてくる。
真面目だった学級委員の面影の欠片もない。
アスカの胸に秘めている強い思慕が一気に流れ出たのだろう。
それにしても……兎に角目立つ。
血気盛んなむさい男たちばかりの会議室でアイドル張りの美少女と戯れあっているのだ。
――こ、これって完全に百合のお花畑を演出してしまっていないですかーっ!?――
今更理性や感情のせめぎ合いをしてもしかたがない。
僕は何気なくアスカの頭に手をのせて優しい手つきで撫ぜた。
「ど、どどどどど、ドメスティク・バイオレンス。甘美です。もっと、ああっん。もっと、もっと、もっとをモットーに」
こら、アスカ。顔がアへっているぞ、真面目な学級委員のあの人はどこに。
心地よいのだろうアスカのとびっきり可愛い顔のままウットリと瞼を閉じている。
その顔が吐息のかかるほどの距離に寄せられると、ぎゅうぎゅうと両腕を絡めて『いっぱい密着をしたいぞ』という想いとともに抱きついてくる。
アスカの驚愕した声にまわりは何事かと、現在進行形でこちらを見る視線がうなぎのぼりに増えてくる。
初見比250%まで上昇中ーっ!
「う、うへへ。天使だ。マジ天使がいる」
「おおおっ神だぁ。姉妹レズプレイの神だぁぁ」
「フルーツポンチのなかにあるマスクメロンのように崇高な存在だぁぁぁ」
おいおい、男共……今は深刻な会議のはずだろう。
――こらーっ! そこの学者、オペラグラスで覗いてくるなーっ!――
必死な表情で『空船』を襲っている脅威を説明する学者よりも僕とアスカのレズプレイ風な抱き合いに向けられた視線のほうが熱いかも。
そ、そこのキミ、アイドルじゃないからサインはしないよ。
「先生―っ。わたくしの愛しい、愛しい、愛しい、アスナさまぁ。好き、好き、大好き。もう、わたくしを食べてほしいですよぉ。むしろ、わたしくのきめ細やかな素肌をデザートに」
アスカさーん、その瞳の色はイっちまっているよ。
聞きなれたアスカの声は桃色吐息。
「アスナさまぁ」と言いながらも条件反射で白いお肌を真っ赤に染める。
もはや、タガが外れて大興奮大暴走したアスカに僕を先生と敬う姿勢は息をひそめてしまった。
「は、ハーレムだぁ」
「ライオンやアシカのハーレムより百合の花畑だぁ」
「ああっ、その百合に毒されたい、ラリっちゃうぞ、ラリラリっちゃうぞ」
『空船』の軍兵は変態だらけなのかぁーっ!
もう、ラリって警察に捕まってください……むさい男性諸君の顔で人物神経
衰弱ができそうなほど皆、同じ顔で萌えている。
僕はアスカの手をとるとすぐに引っ張って危ない変態が集う会議室から駆け出した。
「ムフフ……愛の逃避行ですね!」
「アスカーっ! お前もラリっているのかーっ!?」
「そんなの今更ですわ! わたくしはアスナさまにお熱なのですよ」
「その熱病はマラリアみたいだぞーっ、すぐに病院にいきなさい」
「アスナさまがわたくしを孕ませてくださいましたら喜々して産婦人科に行きますよ」
アスカはこうなることがわかっていたように目を輝かせて僕の腕に抱きつく。
計画的犯行!?
僕はまんまとアスカの術中に落ちたようだ。
形勢逆転……グイグイと通路を市中引き回しのごとく引っ張られて街のショッピングセンターにありそうな『レ・モンド』などと軍部施設に似つかわしくない『空船』のカフェチェーンに入る。
ややドン引きしている給仕の人に案内された席は衆目にさらさせる通路側。
カフェを宣伝するためのモデルのような二人がゆっくりと席に着く。
生活の一シーン、まるで舞台装置のような役割を果たしている歩道通路と広場にあるオープンすぎるカフェの通路側の席……ある種の罰ゲームみたいだぞーっ!
給仕の人にミルクと砂糖たっぷりのカフェオレを二つとフルーツパフェを注文。
僕もアスカも甘党というカテゴリーでは共同戦線がはれそうだ。
「もう、ア・ス・ナさまぁったら強引。愛の大逃走劇……むふっ」
「こら、なぜ僕をアスナさまと呼ぶんだ!? 一応、日雇いの臨時だったとはいえ先生なんだけど……」
「もうーっ、アスナさまはそっちのプレイがお好きなのですか!?」
「プレイってなんやねん!」
乙女心に火がつきすぎて大火事をおこしていそうなアスカに僕はしっぽりと溜息を吐く。
ほどなくして給仕のスタッフがカフェオレとフルーツパフェをテーブルへ運んできてくれた。
僕は気持ちを落ち着かせるために濃いコーヒーに同量のホットミルクが注がれた濃厚なカフェオレを口に含んでゴクリっと喉を潤す。
「ああっ、幸せですわ」
パフェスプーンに生クリームと桃をのせてパクリ。
アスカはうっとりしながらフルーツパフェに舌鼓をうつ。
僕もアスカに負けずにレトロチックなパフェを緩みきった表情で頬張る。
生きて帰って良かった的な破顔の面持ちに僕も少しだけ納得してしまう。
生きて帰ってきたからこそ今があるのだ。
にしても……この広場から突き刺さる衆目の視線。
僕の目の前ではアスカがさらっとした金髪を揺らしてきめ細やかな星くずのようにキラキラしたプリズムをこぼしてパフェとカフェオレを交互に堪能している。
――ほら、そこの男性諸君! 鼻の下がのびすぎているぞーっ――
僕とアスカが腰掛ける席をカフェ店内や通路を行き交う軍人や民間人がざわ
ざわと騒ぎながら羨望と嫉妬と妄想を宿した熱い瞳に二人の姿を焼き付けるように見つめてくる。
原因は極めて簡単。
白銀アスカの類まれなる美貌がお目当てだろう。
まったく、アイドル事務所がなぜほっておくのかというほどの一級品。
不意にどこかしらから『お願いです。俺たちとデートしてください』の下心見え見えな野郎たちの意思が伝播してくる。
――今って『空船』の緊急事態ですよねーっ!?――
あっ、そこのキミ、薔薇の花束なんていらないから買わないでーっ。
「もう、騒いだところでどうにもなりませんね」
口元に生クリームをつけたアスカからそんな言葉が出る時点で呆れ半分、感心も半分の奇妙な感情にとらわれる。
それは指す意味が恋愛のことではなく『空船』の現状を悲観しての言葉だからだ。
そんな言葉をつぶやいたアスカの様子に僕は一瞬だけ戸惑いを見せた。
その戸惑いは『空船』の現状に対してではなくアスカの成長に対してだった。
フルーツがたっぷりすぎるパフェをもくもくとつつきながらアスカの本音。
口調こそ柔らかいが悲観的要素を充分に滲んでいる。
もう、テレビの中の対岸の火事ではすまされない。
そんな意思表示のあらわれでもあった。
「そうだな……もう……」
「す、すみません……こんな暗い話題をしてしまって」
アスカはバツが悪そうにペロッと舌をだした。
僕もこの戦況を切なく感じてしまっていた。
帰宅したくても僕の住処があった第三居住区コロニーは正体不明の生命体が溢れかえっている。
たとえ全てを駆逐したとしても姉貴と共に過ごした住処に帰ることは難し
い。
――もう、我が家に帰れないのかな――
「アスナさま」
アスカは透き通った碧眼の瞳で僕の目をじーっと見つめていた。
記録映像でしか見たことのない地球を覆う海のように吸い込まれそうな蒼く
澄んだ瞳。その綺麗な瞳に見入ってしまった僕は恥ずかしそうにすっと微笑んだ。
「夢みたいです。ずっと二人っきりになりたかったから……」
アスカはその場に立ち上がると、まるで周りの人間に見せつけるようにチェック柄のスカートがひらりっと舞って白亜の太腿をチラリと見せつけると僕
のとなりの席に腰をおろした。
そして大人っぼい仕草で僕の右肩にしなだれかかる。
14歳とはおもえない魔性を秘めた美少女っぷりを神々しく発揮してくるぞーっ!
「アスナさまはずっと、ずっっっとわたくしの憧れの的。ジャックと豆の木の豆が空から落ちてきたほどの衝撃やいなり寿司を食べている狐を見たほどの衝撃をわたくしにくださいました」
――どんな衝撃やねんーっ!――
とってもスイートな声音で口説き文句? を並べるアスカ。
スプーンでパフェをペチペチ叩きながら雄弁に語るその姿は清楚な感じがまったくない女子力が高い魔性の小生意気属性です。
語られる僕は地球史の授業で見た富士の樹海で落語を拝聴している気分。
ようするにアスカの口説き文句の意味がわからないということだ。
「なぜ、人は人を好きになるのでしょう。伝えられなかったことがじれったくて。わたくし……たとえうまくいかなくても死ぬ前にうちあけたいもん。ずっとずっと憧れていて、逢うたびに綺麗になって、凄く良い匂いがして……勝負下着も真っ青なの」
アスカ……公衆の面前でのその言葉は僕の心が真っ青です。
そんな僕の気持ちもおかないなくアスカは僕の胸をツンツンつついてくる。
「もう、この感じ最高」
いつもの冷静さを失いフンフン鼻息荒く大興奮のアスカ、僕の瞳はひなたもびっくりするほどうっそり澱んで光を失ってしまった。
あっけにとられたというか呆然というか。
しばし、だんまりを決め込んでいた僕は小さく嘆息すると軽く頭をかきながら言葉のバランスを崩したアスカに。
「出来れば、手短に話してくれるかな……本題」
この言葉に大きく反応したアスカの碧眼は大きく開かれる。
ふんわりとブロンドの前髪を揺らしてうっとりとした表情。
脳みそが疲れきって練乳みたいにドロドロと溶けてしまったような悦に入った恍惚感。
甘えるような吐息とともに。
「こんな世界……滅ぼしちゃおうよ……」
柔らかく極上の気分に包まれたアスカ。
凝り固まった世界に柔軟剤をいれるような想いを吐露。
僕はその声につられてアスカを見つめていた。
生きることに頓着した生者の瞳はない。
照りつけるような眼力。
傷つけられた人間の尊厳を代弁する言葉。
僕の震える心の奥にねっとりとした闇が表情をほころばせながら広がっていく。
いかがでしたか?
『こちら陽気なたんぽぽ荘』も宜しくお願いします。




