竜探し
それは、竜の里から遠く遠く離れた王都での出来事。
サフェルディアの国王キルフェニクスはその王城に一匹の竜を招き入れた。竜の名はジュード。金色の鱗が美しい、天より生まれた竜である。ジュードは人を形取って人に紛れた。金色の髪を始めとしたその容姿はそうサフェルディアでも珍しくないものだったが、唯一、その黄金の瞳だけが異彩を放っていた。覗き込んだ全ての者に相手は人ではない、竜なのだと感じさせるほどに濃い魔力を秘めていたのだ。
竜の力は竜玉に宿る。竜の魔力はその瞳に宿る。
ジュードの黄金の瞳は言い伝えは本当だったのだと王城の者に知らしめ、そして、数百年ぶりにサフェルディアに竜が居を構えたことは国中を活気づけた。
かつてサフェルディアに竜が居たのは、もう何百年も前のこと。伝説では、満天の星空の夜、真っ白な竜の子どもが空から落ちてきて、この王城で大人になるまでを過ごしたのだという。
竜の子どもを育てたのは当時の王女。竜は彼女を母と慕い、愛し、ずっと側に居続けた。彼女が婿を娶り女王になって、息子が生まれ、老いて、息を引き取った時。国中を真っ白な光が覆って、きらきらと金色の粒が降り注いだ。そして、白い竜は、大きな声で鳴いたのだ。国中に響き渡る大きな声で。
もしかしたら、白竜は鳴いたのではなく、泣いたのかもしれない。それほどまでに白竜の嘆きは大きく、失意のままに白竜は城を飛び出して、そのまま離れてしまったのだという。
ジュードという黄金の竜は、その白い竜に用が有るのだと言った。
「キール。」
国王を幼名で呼ぶその竜は、黄金の瞳をやさしく細めた。
「そろそろ彼女が戻ってくる頃だろうから、迎え入れる準備をしてくれないか。」
「『彼女』?何の話だ。」
わかりやすく眉を顰めるキールに、ジュードはくすりと笑った。
「白い竜さ。かつてこの国に落ちて、人に育てられた異端の竜。僕はあの子に会いたくてここに来たんだ。」
「白い竜!」
何を言い出すかと思えば、おとぎ話の存在だ。キールも幼少の頃には眠る前に何度も乳母に聞かせてもらった。
「実在してるのか。」
「そりゃあそうさ。あれは伝説でもおとぎ話でもない。ただの事実だよ。」
ジュードは言った。確かに『彼女』なる白い竜はこの国に落ちてきて、人に救われ、生かされ、育てられたのだと。
「白い竜と知り合いなのか。」
「いや?」
「じゃあ何だ。一方的に知ってるだけか?」
「知ってる、なんてもんじゃないよ。僕はあの子を娶るために骨を折って人の里まで降りてきてるんだからね。会えなくちゃ困る。」
「めとっ・・・・は?」
すっとんきょうな声を出すキールを、ジュードは慈しみ深い瞳で見つめた。
「竜は、自然と自分が番う相手が分かるんだ。番う相手が人だろうと、竜だろうと、魂と魂が最初から結びついてる。人は魂の繋がりがわからなくていろんな相手とくっついたり離れたりするみたいだけど、竜は違う。僕はね、あの子を愛するために生まれてきたんだよ。」
絶句するキールをにこにこしながら見守る金の瞳はやさしく細められて、ここにはいない白い竜を想っているのだと察するにはあまりにも容易すぎた。
「すると、お前は・・・。嫁探しにここに来たのか。」
「そうなるね。僕は僕のお嫁さんであるあの子――――――白銀のステラに会いに来たんだ。」
そもそもジュードという竜が初めてこの国に姿を現したのは、キルフェニクスが生まれた時だ。黄金の竜は王子が生まれた朝、その報せが城下町を駆け巡ったのと同じ頃に不意に空から降りてきて、王城の上で翼を広げ、大きな声で鳴いた。
人々は竜を恐れる前に、その美しさに見惚れ、キルフェニクスは竜に祝福された王子として国中に愛された。
黄金の竜はそれからも節目節目にキルフェニクスの前に現れては、その瞳でじっとキルフェニクスを見て、何も言わずに去って行った。
当時キール王子と呼ばれていたキルフェニクスが初めてジュードと言葉を交わしたのは、キルフェニクスが15の成人の儀を迎えた時である。
塔の屋上で翼を休めてじっとこちらを見ているだけの竜に問いかければ、竜は黄金の輝きを放って人のカタチを取って言った。
『僕はジュード。黄金のジュード。天の竜の国から来た。――――暫くこの城に滞在したいのだけれど。』
そうしてそれから10年間、黄金の竜は人の姿でこの国をのんびりと楽しんできた。いつか白銀の輝くを手にすることを願って。
「さぁ、キール。僕のお嫁さんの名前は覚えてくれたかな。」
「はぁ?」
「君の祖先が育てた、君たちの娘だ。」
「――――――俺の祖先が育てたからと言って、その竜は俺を親とは思わんだろう。」
「いいや、君は竜のことを何にも分かってないね。竜は人への恩を忘れない。その血を、その力を、その願いを、想いを、瞳を、魂を、受け継ぐ限り。僕たちは君たちのことを息絶えるまで、同じように愛するだろう。だって、君たちは人間だ。短い生命を、子へと子へと託して、死んでいく。そうだろう。」
「・・・・・・。」
言い淀むキルフェニクスを、黄金の竜は微笑ましく見つめた。その微笑みはキルフェニクスが物心付いた頃からほんの少しも変わりなく、老いの陰りもない。
「――――――――白銀のステラ、か。」
一瞬の出来事だった。キールが呟いた途端、視界が真っ白に眩しくて、思わず眼を細めた。
「何だ!」
「大丈夫さ、キール。彼女が目覚めただけだ。」
動じないどころか楽しそうですらあるジュードの瞳がいっそう竜に近づいて人ならざる光を宿すのを遠目に、キールは子どもの頃に何度も聞いたおとぎ話を思い返した。
『━━━━その竜が城に降ってきた時、世界全部が白光に晒されて、誰もが眼をつぶった。そしてもう一度開いた時、城の上空に翼を広げた小さな竜が、聞くものの心が締め付けられるような、悲しい叫びを上げたのだ。』
伝説と同じように、白光が視界の全部を覆い尽くして、キールがもう一度その眼を開いた時、城の上空には白銀の竜が翼を広げていた。ただその姿は幼さとはかけ離れた大人の骨格で、神聖さすら感じるほど美しい。
キールが眼を奪われているうちに竜は淡い光に包まれ、瞬きの間に眼前にこの世のものとはかけ離れた気配の美しいひとが立っていた。女性として、というよりは、まるで絹の布の輝くさまや白磁の壺の滑らかさのような、そんな美しさ。
この世のものならざるひとは、一歩進んで、涙を流した。
「ママにそっくり。」
「え、」
すっと美しいひとの美しい腕がこちらに伸びてくるのをスローモーションで捉えながらも、身体は動かない。
「ヘンドリック、シルヴェリア、ジョーゼフ、ジョゼット、カーラ、キルフェニクス。あなたたちはみんな、ママにそっくりよ。髪や瞳だけじゃない。魂のいろまで、そっくり。」
いずれもキールの先祖、王家に名を残した者たちの名だとキールが理解する前に、腕が背に回って、抱きしめられる。
「ずっとここで眠りながら、見ていたの。ママは言ったわ。『この家が大好き。守ってね、ステラ』って。」
「━━━━それで、ずっとここに居たのか。」
「そうよ。ねぇ、キルフェニクス。あなたがわたしの名を呼んだの。ママの血を引く者が、わたしの名を、呼んだのよ。忘れられてしまった、わたしのなまえを。ママが付けてくれた、呼んでくれた、わたしの、。………どれだけ嬉しかったか分かる?懐かしさで泣いてしまうほどの喜びが、ここにあるのよ。」
涙を流す竜は、ぎゅう、とキルフェニクスをきつく抱きしめた。
視線を彷徨わせれば、にこにこと笑顔を貼り付けたジュードが目に入る。
――――――許してあげる。
唇だけでそう囁いた竜の瞳がぎゅうと細まっているのを見て、キルフェニクスは体が強張るのを感じた。だが、ジュードはほんとうに怒っているわけではないらしい。ただにこにこと事態を見守っている。
「ねぇ、キルフェニクス。かわいいキール。ママの息子。お願いが有るの。」
「・・・・・・我が国の伝説の竜、白銀のステラ。あなたの願いを聞こう。」
「またこの城で、暮らしたいの。人のカタチで良いわ。もう一度、ママの過ごした、ママの守った、ママが暮らしたお家で、暮らしたいの。」
天の竜の里に帰らなくて良いのか、とは言わなかった。キルフェニクスはゆっくりと頷き、「歓迎するよ、ステラ。」と右手を差し出せば、ステラはその手を取って、甲に口付けた。
「パパ。」
見た目からは想像できないほど幼くつぶやかれた言葉に、キルフェニクスは一瞬思考が追いつかなかった。
「――――――――――いやいやいやいや。」
この竜、今俺のことパパって言った?
無意識にジュードに視線をやれば、「ほら見ろ」と言わんばかりの顔。
「パパ。かわいいキール。あなたはママの息子。わたしの父であり、兄であり、弟であり、息子であり、一番のお友達になってくれるわ。ママとわたしがそうだったみたいに、きっとあなたとも。」
「分かった。分かったから、パパって呼ぶのはやめろ。俺はまだ独身で、あなたよりもずっと若く、幼い。」
「『あなた』だって。」
「笑うな、ジュード!」
ぷーくすくす、とキルフェニクスを馬鹿にした所でステラは初めてジュードの方を見た。ステラとジュードの眼と眼が合って、キルフェニクスは緊張した。
『竜は、自然と自分が番う相手が分かるんだ。番う相手が人だろうと、竜だろうと、魂と魂が最初から結びついてる。』
ジュードはそう言った。ならば、ステラにだってその結び付きが見えているはず。
ステラは硬直したままで、ジュードはにこりと愛想良く笑った。
「ステr「パパ!!」・・・・・。」
ステラはキルフェニクスを「パパ」と見上げた時と同じ幼さで、ジュードが唇ひとつ動かした瞬間にキルフェニクスの後ろに俊敏に隠れて、その背に抱きついた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
無言でキルフェニクスを見つめるジュードは、やはり顔に笑顔を貼り付けている。
「・・・・・・お、怒るなよ、ジュード。」
「・・・・・・・・・・・・怒っちゃないさ。」
今度こそ嘘だろ。そう言いたくなるくらい沈黙が痛かったが、ジュードはじっとキルフェニクスの腹に回されたステラの白い腕を見つめている。
「おい、ステラ、」
「たすけて、パパ。」
まずい、本当に怯えている。
「その竜、きっと私を食べに来たんだわ。だってその竜から見たことのない魔法の帯がわたしに向かって伸びているもの。」
「魔法の帯?」
「ステラ、それは魔法じゃなくて、「あの夜ここへ落ちて来た時伸びてきた物と同じよ!!」・・・・・・・。」
「・・・・・・。」
えーと、つまり。
「・・・・・・僕が産まれたその日に、白銀の竜が落ちていったのだと聞いたけど。」
「・・・・・・・。」
つまり、ジュードが産まれた日、きっとジュードが言う『魂と魂が結び』付いたのだろう。竜の眼に帯として映るそれにステラは驚き、怯え、天から地に落ちたのだ。
えー。
「・・・・・・キール。」
「何だ。」
「契約の延長を申請する。」
「はいはい。」
もう好きにしてくれとキルフェニクスは投げやりに国賓の滞在延長を許した。
だって、伝説の白い竜とか竜の祝福だとか大袈裟に騒ぎ立てて、ジュードはきっと何百年もステラを探してたっていうのに、当のステラが落ちてきた理由が、まさか、そんなしょうもない事だったなんて。
なんて、自然な在り方なんだろう。
キルフェニクスは自分の背後に隠れるステラをジュードが情熱的に見つめるのを観察しながら、これからの事を思い浮かべて、思わず笑ってしまった。
竜二匹に囲まれた生活は、きっと穏やかで楽しく、愉快なものになるだろう。
サフェルディアの竜母姫、ステラの言うところの「ママ」がきっとそうだったように、きっとキルフェニクスは彼らのことを愛せるような、そんな気がした。