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とあるマニアの狩猟記  作者: 高空天麻
とある少年少女の邂逅
9/21

1-8

 女王と謳われる深緑の飛竜は、こちらの姿を捉えても、クックゴアのように甲高い声を上げたりはしなかった。

 ただ静かにこちらを視界に収め、距離を測るように真紅の瞳を光らせている。

 マークもレナードも、剣を抜かない。

 普通の相手なら、抜刀状態でも立ち回れるだろう。だが、女王は何度も言っている通り、通常のモンスターとは様々な面で一線を画している。納刀している方が、安定して動けるのは間違いない。


「マーク、クックゴアを相手する時と同じように、陽動をお願い。その隙をぬって、私が攻める。……頼むわよ」

「ええ」


 小さく答え、マークは右へ、レナードは左へ、それぞれ敵の目を分断するべく歩き出す。

 女王は、まずどちらを狙うべきか数瞬悩んだようだった。だが、本能的により危険な方を悟ったのだろう。その瞳がレナードの方を向いた。

 その瞬間、マークは動く。

 右手を閃かせ、女王へとペイント弾を放り投げる。弾は狙った通りの軌跡を描き、女王の顔へと命中。鮮やかな色彩と刺激臭が敵の顔面にベッタリと付着した。

 その色と香りが、女王の機嫌を逆なでする。

 敵がこちらへと振り向いたと同時、地を揺るがす咆哮が放たれた。途端、マークは本能的に両手で耳をかばってしまう。


(しまった……!)


 敵の目前で硬直してしまったらどうなるか、など今更言うまでもないだろう。加えて相手は女王だ。そんなにわかりやすい隙を、見逃してくれるわけもない。


「マーク、スタン行くわよ!」


 マークよりも遠い位置にいたためか硬直が早めに解けたらしいレナードが、一声かけると同時にスタングレネードを投げつける。

 瞬間、閃光が弾け、その場にいる全員の目を灼いた。

 これにはクインバーンでも耐えられないらしく、敵が悲鳴を上げながら後退る音が響く。

 そして、そこでようやっと彼の身体が動くようになった。剣を抜き、なるべく足音を立てないように接近していく。

 スタングレネードの光をまともに見てしまえば、少なくとも十数秒間は視力が戻らない。

 ならば、


(……その隙だらけの間に、ダメージを与える!)


 音もなく敵の頭部へと近付き、まずは一撃と剣を振り上げた。


 その瞬間、丸太のように太い何かが左側から恐ろしい勢いで襲ってくるのを、マークは視界の端に捕らえた。

 そう知覚し、対応しようとした時には、既に彼の身体は宙を舞っている。

 何も出来ないまま数メートルも空を飛び、何度か地面を転がってようやっとマークの身体が止まった。


「が……ッ!?」


 激痛に、声を上げることも出来ずに呻く。

 偶然、それがぶつかってきたのは左手に持っていた盾の部分であり、幸いにして骨が折れたような感触はない。

 だが、マークの思考は別の衝撃に叩きのめされていた。


(迎撃され、た……?)


 スタングレネードは確かに炸裂したし、爆発した位置も完璧だった。追撃をしてこないで、鼻を利かせながら辺りを見渡している所を見ても、まだ視力が回復していないことは間違いない。

 にもかかわらず、


(視界を潰されて、気配も消していたのに、こっちの動きを予想して迎撃してきたっていうのか……!?)


 弾き出された結論に、自分の頭から血の気が引いていくのを感じる。

 彼がこれまで戦ってきたモンスター達の大半は、スタングレネードで視界を奪うとパニックに陥っていた。

 混乱のあまりに暴れ出すモンスターもいたが、所詮は見えてない状態でのものだから、何の問題もなかったのだ。

 だが、彼女はこちらの動きを読み、的確に判断して対応してきた。


 これこそが、女王。


 自然界の頂点として君臨し、人間達との戦いを生き抜いてきた、絶対的な強者。女王という二つ名は、伊達でも酔狂でもないのだ。

 その事実を再認識させられ、マークの肌が粟立つ。

 ダメージで笑う足を必死に動かして彼が立ち上がったのと、クインバーンがこちらを向いたのはほぼ同時だった。

 レナードはどうにかして自分の方へと注意を向けようとしてくれていたが、彼女の位置はマークから見てクインバーンを挟んだ向こう側。

 その位置関係ではスタングレネードも意味を持たないし、おまけにこの女王はレナードが攻撃を加えても、まずはこちらを狙ってくるだろう。

 地力では、人間が竜に勝つことなど出来はしない。知識の限りを尽くし、数多の攻撃と策略を持ってして、初めて人は自然に立ち向かうことが出来るのだから。

 何度も人と戦っているモンスターであればあるほど、それを本能的に理解している。


(仕方ない、切り札を切る時だ……!)


 轟音と共にクインバーンが一歩、また一歩と距離を確実に詰めてくる。それを見ながら、マークは空中に指を躍らせ始めた。

 その軌跡をなぞって光が生まれ、宙に複雑な文字が、式が、グラフが、ありとあらゆる表現方法で描き出されていく。

 それは、とある魔法陣だ。

 呼吸すら忘れ、一瞬のうちに大量の情報を空間に描き込んでいく。瞬きするほどの間に魔法陣が完成。ニイッ、っと口元に笑みを浮かべ、声を発する。


「パラライズ・ランス!」


 起動ワードと共に、魔法が発動する。麻痺毒がたっぷりと練り込まれた光の槍が生み出され、女王へ向かって放たれる。

 クインバーンも危険を察知したのか、首を振って避けようとするが、その巨体はどうしたって一瞬ではそこまで動けない。

 その深緑の鱗に槍が激突し、弾けた。途端、槍に込められた呪いが電流のように女王の身体を駆け巡り、その行動を阻害する。


「グギュウ、グガァ……?」


 困惑するような声を漏らしながら、クインバーンは痺れを払おうと身体を震わせる。だが、全身を奔る呪いは、その程度で消えるようなヤワなものじゃない。

 とはいえ、〈パラライズ・ランス〉も万能というわけじゃない。敵を止めていられるのは、あと十秒といった所だろう。

 魔法は機械と違って、発動までに準備が必要なために、即応力は低い。単純な話、魔法陣を描いている間に、銃で撃たれればそれで負けてしまうのだから。

 だが、知識さえあるなら、魔法は応用力の点で機械を大きく上回る。

 そして、魔法を囓っているマークはそれをよく知っていた。

 女王がのたうち回っている間に、彼の手の中で二つ目の魔法が完成している。それを見てクインバーンは必死に身体を動かそうとするが、それが上手くいかないのを確認してから発動した。


「クイック・スタン!」


 小さく展開された魔法陣から白い弾丸が放たれ、女王へと叩き込まれた。

 ダメージはなきに等しいが、一瞬だけ相手の動きが止まる。その二重拘束のせいで、これまで冷静に敵の動きへ対応してきた彼女の思考が乱れた。


 その隙を抜いて、マークはどうにか敵の目前から抜け出す。

 足はどうにか動いてくれる所まで回復している。クックゴアと戦った時よりスピードは落ちているものの、まだまだ動くことは出来る。

 レナードの方は、剣を収めたままクインバーンの左側へ動いていた。それに合わせて、彼は右側へと回り、クックゴアの時と同じように翼膜を斬り付ける。

 だが、先ほどとは全く違う感触が伝わってきた。見れば、傷こそ入ってはいるものの、裂けてはいない。

 舌打ちをしたくなったが、そこをグッと堪えてもう一度、先ほどよりもさらに力を込めた一撃を入れる。だが、やはり傷付けるだけに留まってしまう。

 決定打とは、なりえない。

 聞いた話では、クインバーンに限らず飛竜やワイバーンと呼ばれるモンスター達は、数時間にわたって空を飛び続けることが可能らしい。

 翼膜がこれだけ強靱なのも、それを考えればむしろ当然だと思う。だが、敵の強靱さは、戦う側からしてみれば、鬱陶しいおまけに恐ろしいことこの上ない。


 その二撃で、女王の敵意は完璧にマークへと向いた。

 距離から言えばレナードの方が近いにも関わらず、だ。さっきの魔法で制止をかけたのは、相当彼女の敵意を煽っていたらしい。

 無論、陽動役からすれば、望んだ結果なのだが。

 敵がどう動いてくるかを予想しながら油断なく観察していると、その口元から火の粉がハラハラとこぼれ落ちるのが見えた。


(やばっ!)


 全身を急かした本能に従って、彼は横っ飛びに思いっきり跳躍する。

 瞬間、彼が元いた場所を豪炎の弾丸が通り抜けていった。燃えることすら許されずに炭化した草を見て、マークの背筋に冷や汗が流れ落ちる。

 あんな攻撃が直撃すれば、まず確実にマークは死ぬことになるだろう。彼が今来ている革鎧など、植物を炭化させるほどの火力の前には何の訳にも立たない。


(クソ、止まったら確実にブレスが飛んでくる。だけど、むやみに近付けば爪と尾に邪魔される……!)


 おまけに、スタングレネードで目を眩ませても落ち着いて対処してくる、というおまけ付きだ。容易には死角が見つからない。

 マークは知らないものの、これこそがクインバーンの強みなのだ。

 何か一つが飛び抜けているわけでもないが、全ての面において平均よりも高い水準にあるために隙がなく、しかも万遍なく強い。

 だからこそ、彼女は数多のモンスター達の上に立ち、多くのハンターに恐れられるのだ。


 攻め入る隙を見つけられないまま、時間だけが過ぎていく。レナードの方も尾に阻まれて懐へ入ることが出来ないままのようだ。


「グゥオオオオオオオオオオオ!!」


 咆哮と共に、女王の首がこちらを噛み砕くべく伸ばされた。

 それそのものは直線的な動きなので避けやすい。敵の牙が直撃する直前で躱し、すれ違いざまに敵の首へ剣を突き入れる。

 が、鱗に阻まれて、やはりダメージらしいダメージは与えられなかった。

 そして、レナードもそれは変わらないらしい。元々、マークも彼女も手数で敵を少しずつ弱らせていくタイプの戦い方をしている。こんな短い時間では、彼らの持ち味を出していくことは難しい。

 クックゴア相手では通っていた刃も、女王相手ではさすがに殆どダメージが見込めていない。尾の一部の鱗が削れているが、それ以上の戦果は無いようだ。


(ここは一旦退くべきか……)

「レナ! 退こう!」


 言って、彼は再び〈パラライズ・ランス〉の魔法陣を描き、クインバーンへと放つ。

 槍は女王の翼に当たり、再度敵の動きを阻害した。

 その隙に、マークはクインバーンの身体の下をくぐり抜けてレナードと合流、アイコンタクトを交わし、そのままエリアの外を目指して坂を全速力で駆け下りていく。

 坂を半分ほど下った時、背後から身の竦む咆哮と共に、翼を羽ばたかせる音が聞こえた。とっさに岩陰へ身を隠したのと、空を覆う影が通過していったのは、ほぼ同時だった。

 影の動き方からして、旋回しながらこちらを捜している。隣で表情を強張らせながら空を仰ぐレナードに、苦笑を浮かべながら言う。


「撤退するのも一苦労、って感じですね」

「全くね。……一旦ベースキャンプまで戻りましょう。そうでもしないと、落ち着けないわ」

「同感です。……ヤツが見逃してくれればいいですけど」

「見逃してくれないなら、出し抜くまでよ」


 ですね、と返しながら、しかし同時にマークは頭の隅っこでこう考えていた。


(……こりゃ、思っていたよりも骨が折れそうだ)


 消えることなく、執拗に踊り続ける巨大な影は、その思考を音もなく肯定しているように見えた。




「よ、ようやっと着いた……」

「んっとに長かったわね……」


 撤退開始から約一時間、それだけの時間をかけてようやく彼らはベースキャンプまで戻ることが出来た。

 安堵してその場に崩れ落ちるマーク。それをバカにしたりすることもなく、レナードも椅子に深く腰掛けて大きく息を吐いた。

 ただ逃げるだけでここまで消耗させられるとは。

 それほどに、女王の追跡は執念深かった。上手く岩壁や大木の陰に隠れてやりすごしても、動き出した途端どこからともなく現れ、目前に降りてくるあの恐怖は、何度体験してもそうそう慣れられるものじゃない。


「で、どうするつもり?」


 一度深呼吸をして意識を切り替えてから、レナードはそう切り出した。

 その言葉は、続行か放棄かを問うものではない。ここで引き下がることを是とするような人物でないことは、これまでのやり取りでいやになるほどわかりきっている。

 だから、彼女が聞いたのはこの先。

 どうやって、あの女王を倒すべきか、だ。


「そうですね……」


 そのニュアンスがわからないほど、彼もバカではない。指を顎にやりながら、思考を巡らせていく。

 ブレス、爪や牙による直接攻撃、巨体に似合わぬ素早さと、相手の長所を挙げようとすればいくらでも出てくるが、一番面倒なのが、強者らしからぬ学習スピードだ。

 これまで成長してくる中でどれだけのハンターとやり合ってきたのか、ハンターの基本となるスタングレネードからの集中攻撃や、様々な方向へ分散してターゲットを集中させない立ち回りがかなりしづらい。

 特に、前者への対応を的確にされ続けてしまうと、二人しかいない現状ではダメージソースが足りずにじり貧になっていく可能性が非常に高い。


「レナードさ……」


 ん、と言いそうになった所で、ジトーっとした目で見つめられていることに気付いた。ああそうか、と気付いて言い直す。


「えっと、レナ。スタングレネードって、あといくつ残ってます?」

「あと三つ、ね。あまり余裕があるとは言えないわ」

「いや、僕もそんなもんです」


 クックゴア討伐を考慮して準備をしてきたのだから、玄人なら二つ、素人でも五つ持ってくれば事足りる。

 マークが実力未知数の新人であったことを考えても、五つ持ってきていれば充分だろう。

 クインバーンと遭遇し、なおかつ狩ろうとしていること自体がそもそもイレギュラーなのだ。

 マークが持っている物と合わせれば、残りは八つ。一個目はとにかく、二個目を使った時に与えられたダメージを考えると、あんまりホイホイ使うわけにはいかない。

 他の爆弾や罠もない。素材を集めようとしても、その為の道具が足りない。

 まさに、ないないづくしだ。

 あるのは、スタングレネードに携行食料、それに回復役と砥石といった所だろうか。それだけで女王にケンカを売ろうとしているのだから、呆れを通り越して笑いが出てくるレベルだ。

 この状況で女王を倒すことは、絶対に不可能。

 良くて、撃退。それ以上を望めば、確実にマークかレナードのどちらかが死ぬか、再起不能に陥るだろう。


「……倒すことは諦めましょう」


 レナードの目を真正面から見つめ、告げる。

 その言葉にレナードの目尻が上がったが、構わずに続ける。


「今の僕達で、あの女王を狩ることは出来ない。……そう割り切ります」


 ハンターとして必要なのは、冷静な判断力だとマークは常々思っている。気合や根性は、実戦の段階になれば必要になるが、それを計画立案の段階で出してくるヤツは、ただのバカだ。

 彼我の実力差をきっちりと測り、いかにして相手の力を削るか。いかにして自分たちが優勢に立つか。それを常に考え続けていなければ、自然界の強者達に打ち勝つことなど出来はしない。

 ここで怒って根性論を持ち出そうものなら、ここで別れるべきだ。レナードにとって彼がどんな人物に見えていようが、彼からすれば出会って三日も経っていない他人だ。背中を預ける程度の信頼はすれども、人の人生まで関われるほどの思いは抱いていない。

 頭の隅で、そんな若干冷たい思考を流しながら、彼女の反応を伺う。

 レナードは深く深く息を吸い、肺から全ての酸素を絞り出すかのような長い長い吐息をついた。


「私もそう思うわ。初陣の新入りと、中堅に足を突っ込んだばかりのソロハンターが狩れるような敵じゃないもの、あの女王は」


 皮肉げに唇を吊り上げながら言う彼女へ、マークも同じように薄い笑みを浮かべて頷く。

 言い方はきついが、まさにその通りなのだ。

 女王の名は、そこまで安くない。


「じゃあ、次の問題ね。どこまでやるか……よ」

「スタン・グレネードが残り二個になるまで、でどうですか? アイツの対応力を見たら、それぐらいの安全マージンはいるでしょう」


 一つをもしすかされても、二つ目で敵の目を確実に奪うことが出来るようにだ。もちろん他の道具の消耗具合と相談することになるが。

 その答えに、レナードは納得したように頷き、口元を緩ませる。


「それで良いわ。……ただ、一つ提案というか、お願いがあるの」

「お願い?」

「ええ。さっきまでの立ち回りと、相手の対応を見ていると、私がスタンさせるのは無理だと思う。あんたにターゲットが行くと、私の方からグレネード投げられないしね。だから、私の分のグレネードも、あんたに持っていてほしいの」


 その思い切った発言に、マークは目を見開いた。

 スタン・グレネードは、相手の目を潰すという使用法から、攻防どちらにも使うことが出来る。それを彼に渡すということは、防御力を削って攻撃に特化しているレナードにとっては、自衛の手段を失うということでもある。

 彼女にとっては、それが命綱となるのだから。

 それをマークに渡すというのは、つまり……。


「あんたに、陽動を全て任せる」


 そう言うレナードの瞳は、不思議な光を宿している。


「その代わり、私は攻撃に全てを注ぐ。アイツに一発でも多くダメージを与えることに集中する」


 それは、多分信頼だ。


「だからマーク、あんたにスタン・グレネードを預ける。ま、少しミスっても良いように、一つだけ自分で持っておくけどね」


 言って、本当に自分のポーチから二つのグレネードをこちらへ渡してくる。その黒い二つの塊をジッと見つめながら、マークは尋ねた。


「良いんですか? 僕に命を預けて」


 それに、レナードは即答してくる。


「そうならないように、一個は自分で持っておくんだけどね。……ま、そのつもりよ」


 あっけらかんと言ってくる彼女に、マークは目を丸くしたままもう一度聞く。


「俺は、昨日ギルドに登録したばっかの新人ですよ? その俺に……本当に良いんですか?」

「……どうでも良いけどさ、マークって一人称俺なの? 何か、そっちの方が馴染んでるんだけど」

「え? あ……」


 村を出て行こう、ずっと一人称は僕で通すつもりだったのに、あっという間に崩れてしまった。とはいえ、一度ばれてしまったのだから、隠す意味も無い。

 少なからず動揺していたらしい自分に気付いて、小さく溜め息を吐く。


「まあ、色々あって変えてたんですよ。それで……本当に良いんですか?」

「良いって言ってるじゃん。安心しなさい。自分の命が危うくなったら、すぐに逃げるから」


 そう言いきって、レナードは自分の剣を手入れし始めた。しかし、その意識の焦点は決してこちらから逸れていない。背を向けながらも、こちらの様子を伺っているだろう。


(重いなぁ……)


 深く深く息を吐く。村で何度か狩猟経験があるとはいえ、それは基本的に単独での狩りだ。自分の命を一人で賭けて戦うのと、他人の命を背負って戦うのでは全く意味が違うし、重みも変わる。

 手渡されたスタン・グレネードの重さは大したことないのに、どうしてか手の中でずっしりとした存在感を放っている。

 目を閉じて、深呼吸をした。

 確かに、現状の最善手はこれだ。二人しかいないのだから、役割は分けてしまった方が効率が良い。そして、片手剣使いのマークよりも双剣使いのレナードの方が攻撃力が高いのも明白。

 おまけに、二人で狩りをしていた中で、マークの方が敵の注目を集めやすいということもわかっている。

 ここまで条件が揃っている中で彼がやろうとしていないのは、恐れているからだ。

 人の命を背負った事なんて無い。ずっと自分の命を守っていれば良いだけだったのに、いきなり他人の命を背負えとか言われても、そんな急に腹をくくれるわけがないのだ。

 自分の動き一つで、一緒に戦っているメンバーが傷付くかもしれないのだ。

 自分のミス一回で、さっきまで話していた人が死ぬかもしれないのだ。

 そう考えるだけで、ひどく怖くなる。恐ろしくて、身体が震えてしまいそうになる。


(本当にやれるのか……俺が、こんな事を……?)


 無理、不可能、嫌、無茶、否、無謀……そんなネガティブなイメージばかりが脳の中に渦巻いていく。

 やっぱり無理だ、人の命を背負う事なんて出来ない。

 そう言おうと、口を開く。


 本当に?


 だが、もう一つの声が、マークが出そうとした声を押し留める。


 僕らは道を知るために、この街へ来たんだろう? なら、これはチャンスなんじゃないのか?

(で、でも、失敗したらレナードがもしかしたら……)

 違うだろう? 君が恐れているのは他人の命を背負う事じゃない。君はそんな人情に溢れた人間じゃない。


 姿無き声は告げる。

 それに、マークは反論することが出来ずにいた。


 君が恐れているのは、人の失敗を自分が背負わなきゃいけなくなることだ。他人のミスを自分の身にどんな形であれ被るのが嫌なんだ。例え物理的には君にデメリットが無くても、精神的には少なからず傷を受けるかもしれないから、拒んでいる。違うかい?

(……………………)


 違わない。

 そう認めると、声は笑う。


 全く君は変わらないねぇ。


 そう言って嗤う。


 あの時も、そうして逃げて、そして間に合わなかったよね。


 そう言って嘲笑う。


 またそれを、繰り返すのかい?


「……わかりました」


 目を開き、言う。

 突然の言葉に、レナードは驚いたように固まっていたが、構わずに彼は続けた。


「女王のターゲット、俺が取り続けます。……ただ、期待はしないでください。俺のタゲ取りは、ソロで戦っている時に自然と身につけたものですから。パーティープレイで通用するかは、正直わかりません」


 そんな風に言う彼に、彼女は振り向いてからもポカンとしていたが、直後に小さく微笑んだ。ほんの少しプレッシャーをかけすぎたか、と思いもしたが、それを受け止めて持ち直した彼を、レナードは頼もしいとさえ思った。


「あのさ、マーク。昨日登録したって事は、あの誓約書サインしたんでしょ? なんて書いてたか、思い出せる?」

「……私は、例えどんな死を迎えるとしても、一切の責任を自らで負う、ですね」

「それで、全てが伝わると思うんだけど?」


 例えマークがミスをしてレナードがケガをしたり死んだりしても、それはマークに命を預けると決めた自分の責任だ。

 おそらく、そんなことを言いたいんだろうが、そうして単純に割り切れるもんじゃない。

 だが、今ここでその議論をした所で、なんの意味もない。単に、彼がレナードを死なせなければいい。

 ただそれだけのことだ。


「はぁ……初陣でこれって相当すごいですよね」

「私の初陣は、キノコ狩りだったわよ」

「俺もそうしたかったですよ……」

「不幸だったと思いなさいな」


 いつの間にやら火を焚いていたレナードが、塩漬けにしていた肉をくべて焼き始める。肉汁の弾ける音と美味しそうな香りに、これまで張り詰めていた気が緩んだのか、マークの腹が小さく鳴いた。

 現金だなぁ、と笑いながら、レナードが程良く焼けた骨付き肉をこちらへ渡してくる。

 仕方ないでしょ、とそっぽを向いて、マークはそれに齧り付いた。




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