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「うわぁお……これは、噂に違わず酷いなぁ……」
与えられた自分の部屋を見て、マークは思わず呟いた。
外見自体は、どこにでもある普通の平屋。しかし、中は随分放置されていたのか、前に住んでいた人がずぼらだったのか、酷くホコリにまみれている。
リリィが、「とりあえず自分の家を見てきたら? 早い内に行っておいた方が良いわよ」と忠告してくれたのを聞いて、さっさと来たのは正解だった。街を回って疲れ切ったあとにこの部屋を掃除するのは、かなりしんどかっただろう。
荷物を、かろうじてそれほど汚れていない窓際に置いて、とりあえず鎧を外し始めた。「ハンターの道は、掃除から始まる」という言葉があるとおり、まずはこの家を掃除しなければ、何も始められないだろう。
全てを一日で綺麗にするのはさすがに無理だが、せめて寝床周辺くらいは終わらせておきたい。
鎧と背中の剣を荷物と一緒に置き、荷物の中からボロ布を取りだして、外から汲んだ水で濡らして床を拭き始める。
ふと、何かに誘われて窓の方に視線が向いた。
そこに置かれているのは、古ぼけた鞘に包まれた剣。
これから始まるだろう日々に一瞬だけ思いを馳せたが、考えていても何も進まない。
しかし、ホコリが酷い。
何度か拭いただけで雑巾がドロドロに汚れてしまう。
小さく溜め息を吐いて、マークは掃除を再開した。
◆
翌朝。
かなり遅くまで頑張った甲斐もあって、とりあえず住める程度までは片付いた。
数日の旅の疲れも相まって死体のように眠っていたマークは、体力が戻った事を確認してから再びギルドまで赴いた。
今は朝の忙しい時間帯らしく、リリィに少し待っていてくれと言われたので、テーブルに着いて昨日と同じサンドイッチを頬張っている所である。
二度目ではあるが、やはり美味い。肉汁とスパイスとソースが絶妙に絡み合い、サクサクに焼かれたパンと素晴らしくマッチしている。朝食は毎朝これでも良いかな、なんて考えてしまうくらいにおいしい。
最後に一切れを口の放り込んだ時、マークはカウンターのほうが少しざわついているのに気が付いた。リリィともう一人、マークと同じくらいの少女が口論している。……というより、少女の方が一方的に食いかかっているようだ。
「だ、か、ら、ぁ! 私はそんなのしないって言ってるじゃない! 大体、私よりも適役は他にもいるでしょ!?」
「言ってるでしょう? これはここのギルドに所属している以上、一度は巡ってくる義務なの。あなたも昔は一度お世話になったでしょう?」
「だからって、なんで私なのよ……? ソロの私より、パーティー組んでる子の方が……」
「あなたと同時期にギルドへ加入した子は、もうみんな終わらせているの。必然的に、あなたに回ってくるわ。義務である以上、他の子がやっているのにあなただけなんてしない、なんてことは出来ないの」
「う、ぐ……」
リリィが静かに言うと、少女は歯噛みしながらも黙った。何だろう、なんて野次馬根性丸出しで見ていると、それに気付いたリリィがこちらへ小さく手招きをしてくる。
首を傾げながらカウンターへ行くと、リリィは微笑みながら言った。
「紹介するわ、マーク君。この子はレナード・ミリティア。一年ほど前からギルドで活躍しているの。メインウェポンは、見ての通り双剣。レナ、この子がさっき言っていた新人のマーク・シュバルツ君。あなたにお願いする子よ」
リリィがそう言うと、レナードはこちらを睨み付けるような目で見てきた。
その視線に思わず一歩下がりながらも、失礼にならない程度にマークもレナードを観察する。
肩の辺りで整えられたくすみのない金髪に、猫を思わせる吊り気味の碧眼。厚めのコートに鎧のせいでハッキリとはわからないものの、全体的にすっきりとした細身のようだ。
背には得物だと思われる剣が二本吊り下げられ、異様な雰囲気を放っている。
充分に美少女だと言える容姿だ。ハンターとしての装備ではなく、ドレスやアクセサリーを身に着ければ、貴族の舞踏会にも参加できるだろう。
ただ一つ惜しむらくは、かなり目付きが悪い。ニッコリと微笑めば花のように美しいだろうに、もったいない事この上ない。
「今、リリィさんに紹介してもらったマーク・シュバルツです。よろしくお願いします」
レナードの方からは何も言ってきそうにないので、こちらから自己紹介をして、手を差し出す。それに、レナードは握手に答える事もなく言った。
「レナード・ミリティアよ。覚えなくても良いわ」
不機嫌だという事がありありとわかる口調で言い、レナードはリリィの方に視線をやる。
「それで? 私は何をすればいいのよ?」
「まずは新人研修という事で、軽い依頼を一つ受けてもらうわ。定番だと……キノコ狩りかしらね」
「却下よ。そんなつまらない依頼なんて受けてられないわ。クックゴアの依頼はないの?」
「あるけど……新人さんにいきなりやらせて大丈夫かしら?」
「ギルドに登録できたんだから、それぐらいの経験はあるでしょ。無理なら、最悪私一人でも大丈夫よ」
言い切り、今度はこちらへ視線を向ける。
「新入り。私は他の人と違って、手取り足取り教えたりはしないから。早死にしたくないなら、私の動きから必死に盗みなさい。良いわね?」
キツい口調でとんでもない事を言ってくる。何を言っても無駄らしい事は肌で理解できるので、マークは無言で頷いた。
それに、レナードは目尻を下げる。
「とりあえず、傷薬と回復薬。それに二日は保つだけの食料を用意してきなさい。二時間後、ここに集合。わかった?」
もう一度頷くと、レナードは「それじゃまた後で」と言って、さっさと出て行ってしまった。
何が起きているのか全く理解できていないマークに、苦笑を浮かべながらリリィが言ってくる。
「ごめんね、突然な話で。この街の狩猟ギルドでは、一年以上活動しているメンバーが、新入りについて狩り場での基本を教える制度があるの。これ、義務ね。それで、あなたの先輩役にレナードが選ばれたってわけ、なん、だけど……」
「前途多難、かぁ……」
小さく呟くと、リリィの微笑みが苦笑から困ったものへ変わる。
「コンビを作らせておいてなんだけど……頑張ってね。わからない事なら、答えられる限りで答えるから」
「あ〜、そうですね……。薬の材料って、どこで手にはいるかわかります? 材料切らしてしまってて」
「薬屋さんで買えると思うわ。ここを出て左にまっすぐ行った所よ。食材屋もその近く。武具屋は反対に右へ行く事になるから、気を付けてね」
「わかりました、ありがとう」
礼を言って、外へ出る。
言われたとおりに左へ行くと、薬屋はすぐに見えてきた。三十過ぎくらいのおばちゃんが、せっせと箱から棚へと薬の入った瓶や、素材の薬草を移している。
「こんにちは。今大丈夫ですか?」
「あら、いらっしゃい。ええ、大丈夫ですよ」
声をかけてから、外の台に置かれているものを物色していく。幸い、捜していたのはかなりメジャーな物なので、それほど労せずに見つける事が出来た。
「おばちゃん、ハウレン草を二十本とザト芋を十個、その蜂蜜の大きい瓶一つ丸々くれる?」
「おや、お客さん若いのに自分で調合が出来るのかい?」
「ええ、まあ」
ハウレン草は止血・造血効果に加えて、痛み止めとしての成分も持っている。調合次第では様々な薬に化けるのだが、ザト芋と組み合わせる事で塗り薬に、蜂蜜と組み合わせる事で回復薬になる。
実は、作り方を知っていると普通に既製品を買うよりかなり安くつくのだが、意外に面倒なので実際にする人はあまりいない。
「ハウレン草が二十で大銅五、ザト芋が十で大銅三、蜂蜜が一本で大銅四と銅七枚。合計で大銅貨が十二枚、銅貨が七枚だよ」
「はいはい、ありがとさん」
大銅貨を十三枚渡して、お釣りの銅貨を三枚と商品を受け取った。これで必要なものは揃ったので、荷物で塞がっていない方の手でおばちゃんに手を振りながら、家の方へと走っていく。
家に着いてから時計を見ると、約束の時間まであと一時間半。
調合する時間を考えると、少し急がないとまずい。
ハウレン草をすりつぶし、ザト芋も同時にすり下ろしていく。ハウレン草の半分をザト芋と練り合わせ、もう半分を別の容器に入れた蜂蜜にぶち込んだ。
いったん蜂蜜の方は置いておいて、ザト芋とハウレン草を練り続けていく。すると、どんどんと粘りが増していった。
そのまま混ぜ続けて、ある程度固まった所で止める。
指で少し取って手の甲へ付けると、時間と共に水分が無くなって固くなった。不思議な事に、表面はこうしてあっという間に乾燥してしまうのだが、皮膚についている方は全く変化しないで水分を保ち続ける。
ザト芋のなんとかという成分が原因らしいのだが、詳しい事は忘れてしまった。
ただ、こうして作った塗り薬は消毒効果と回復促進効果が高く、外気に傷が触れないようになるため、大怪我でない限りはこれで対応できる。
出来た塗り薬に蓋をして、蜂蜜の容器を取る。ハウレン草の深い緑色と、蜂蜜の金色が混じり合って妙な色をしていたが、何度か注意深く混ぜていくと澄んだ空色へ変わった。
成功した事に、小さく拳を握る。
何度も作ってはいるものの、時折失敗はしてしまうのでホッとした。
空色の、少しドロリとした液体を指ですくい、口へやる。フワリと甘みが感じられたが、その直後にむせ返るようなハウレン草の味が広がった。
二、三度咳き込んでから、回復役の原液をいくつかの瓶に小分けしてから水で薄める。原液でも使えるのだが、効果が強すぎるので薄めてから使う方が効率が良い。
十本ほどに分け、緩衝剤を敷いたポーチに塗り薬を入れた容器と一緒に詰め込んだ。
村を出てから一度も使っていないものの、一応剣も取り出してきちんと手入れをする。刃こぼれも錆もない。これなら、モンスターが相手でも役立ってくれるだろう。
必要なものを詰め込んだポーチを腰に着け、村から持ってきた荷物の中からラウンドシールドを取り出す。剣と一緒に背負い、固定する。
時計を見ると、時間まではあと十五分だった。もうそろそろ家を出ないとまずいだろう。
最後に、もう一度忘れたものがない事を確認してから家を出る。
それほど長引く事はないと思うが、万が一の事も考えて三日分の食料を揃えてから行くと、ギルドへは五分前に着いた。
入って中を見渡すと、レナードが席に着いて食事をしているのが見えた。
「お待たせしました」
一声かけながら向かいの席に腰掛けると、レナードは満足そうに小さく頷いた。
「時間には正確なのね。良いわ。続けなさい、それ」
「母親にきっちり仕込まれたので」
「良いお母さんを持ったわね。……さて、仕事の話をするわよ」
今の今まで料理が載っていた皿を横に除け、レナードは一枚の紙を机上に置いた。
「今回の相手はクックゴア。相手した事は?」
「ソロで、二回だけ」
「よろしい。じゃあ大体の習性はわかってるわね。こっちの地方特有の動きもあるかもしれないけど、それは自分で対応しなさい」
言うだけ言って、立ち上がる。
何か頼みに行くのかな、なんて思っていたら、「何ボーッとしてんの、行くわよ!」とメンドくさげに言われてしまった。
慌てて立ち上がって駆け寄ると、レナードは小さく鼻を鳴らしてリリィに先程の紙を渡す。
「この依頼、受けるわ。メンバーはコイツと私の二人。これ、契約金」
差し出された契約金に過不足がないのを確認してから、リリィは言う。
「確かに。それじゃ、依頼内容を確認するわね。クックゴア一体の討伐。場所はリホリディアの森。契約期間は二日間。……よろしいかしら?」
「ええ。ま、二日もかからないと思うけどね。行くわよ、新入り」
言って、レナードは出口へと歩き始める。
その清々しいとさえ言える態度に、マークはまだ何もしていないのにすさまじ疲労感を覚えた。
「前途多難、かぁ……」
小さくポツリと呟いて、レナードを追いかける。
後ろから、リリィの「頑張ってね」という声が聞こえた気がした。
次回、ようやっとバトル回になります。