2-10
『お疲れ様!』
ホルディアの酒場で、四つのウッドジョッキが合わせられる。
それぞれに杯の中身を呷り、深々と息を吐いた。
あの激戦から、一週間が過ぎた。
戦いの疲労も抜け、ギルドからの報酬もきちんといただき、ヴァカム車に揺られて帰ってきたのが、昨日のこと。
それぞれ納得のいく決着をつけることができたからか、四人の顔は明るい。
「エールも久々に飲むとうまいもんだな」
「あれ、アルバはエール苦手だっけ?」
「苦手というほどではないな。一人の時は別の酒を飲むことが多いが」
「なるほど。僕は一人だと飲まないですね」
「あら、の割にいつも飲んでる気がするけど」
「レナが飲むからでしょ。……付き合わないと、拗ねるし」
「わがまま」
エールを片手に語り合う。
ため息をつきながら言うマークと、無表情のままポツリと呟くカトレアに、レナードは口を尖らせてそっぽを向いた。
むくれた少女と、いつも戦場で見ている凛々しい戦士が同じ人だとはどうしても信じられず、こらえきれずにマークは吹き出してしまう。
「……何よ」
「なんでもないって。それより、みんな本当にありがとう。今回は助かりました」
エールのジョッキをテーブルに置き、マークは改めて三人へと頭を下げる。
それに、レナードはフンと鼻を鳴らしながら片目をつぶり、カトレアは小さく頷きながらエールを口に含んだ。アルバは腕組みをしながら、柔らかく微笑んでいる。
「気にするな。しっかり報酬もいただいたしな」
「……は?」
アルバの一言に、レナードの眉がひそめられた。
彼からすれば、事実を何気なく言葉にしただけだったのだろう。だが、マークにすれば、ここで口にして欲しくない話題だった。
内心でため息を吐きながら、マークはアルバに小さく微笑み返す。
「いやぁ、お手柔らかにってお願いしたのに、銅貨一枚も負けてくれないんだから」
「これも商売だからな。利子がつかないぶん、金貸しよりはマシだろう」
「制止役、欲しかったのに」
「……また、別の機会にね」
無表情のまま小さく手をあげるカトレアに、口を引きつらせながら答えるマーク。制止役としての実力を買ってくれているのだろうが、利子という言葉には悪いイメージしか湧いてこない。
というか、あの利子が云々という言葉、本気だったのか。
「また依頼があったら、よろしく頼むぞ」
「もちろん、報酬は人数割だよね?」
「当然だ」
ニッと意地の悪い笑顔を浮かべるカトレア。
この少女は、こういう場面でしか笑えないのか。堪えきれず、もう一つため息をつく。するとそこで、彼の右腕がトントンとつつかれた。
かすかに嫌な予感を覚えながら、しかし無視するわけにもいかずそちらへと視線を向ける。
すると、これまで見たことがないほどに綺麗な微笑みを湛えた少女がそこにいた。
しかし、どうしてだろう。彼女のまぶしいまでの笑顔を見ていると、背中に冷や汗が大量に湧いてくるのは。
「ねえ、マーク」
「は、はい……」
声が震えているのを感じた。
“赤竜”と対峙した時でさえ感じなかったほどの恐怖が、マークの全身に絡みついてくる。正直、自分より少し小さい程度の彼女が、どうしてここまでの怒気を放つことができるのか、未だによくわからない。
「私、言ったわよね。“依頼料は折半だ”って」
「き、聞きました」
「じゃあ、どうしてアンタは一人で支払いをしてるのかしら?」
「そ、それはその……」
助けてくれ、と目で助けを求める。
しかし、アルバは苦笑いをするばかりで一言も発することはなく、カトレアに至ってはエールと一緒に頼んだつまみに舌鼓を打っており、こちらを見てすらいなかった。
「れ、レナにはいつもお世話になってるし、今回もかなり助けてもらったから……その、せめてものお礼というか?」
「……アンタ、ねぇ」
レナードの口元がヒクヒクと引きつった。
その目は戦場で獲物を見つけた時のそれになっており、拳はすでに握られている。
(……あ、これは死ぬかも)
人は自分では如何にもならない事態に対面した時、妙に落ち着いてくるものだ。人によっては、諦めの境地というかもしれないが。
「もう、レナードったら。マーク君をそんなに怯えさせたら、あれだけ頑張った意味がなくなるでしょ?」
今にも獲物へ跳びかからんとするレナードに、予期せぬ方向から茶々が差し込まれた。
振り向けば、マークの後ろで苦笑を浮かべたリリィが立っている。その手には、彼らが注文した料理を大量に持っていた。
料理をテーブルに置きながら、リリィは言葉を続ける。
「街に戻ってきた時なんて、普段よりずいぶん慌てた様子で走り回ってたのに」
「ちょ、ちょっと待って。何でアンタがそれを……ッ!?」
「さぁて、何ででしょうね〜?」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら手際よく料理を並べ切ったかと思えば、レナードの振りかぶった拳をやわらかく留める。
クスクスと微笑みながら、彼女はテーブルから離れていった。
かと思えば、ひょいとこちらに戻ってくる。
「あ、そうだそうだ。あなた達にお客様よ」
「お客さん……?」
リリィが指差した方へ目をやれば、そこには燃えるような赤毛の少女が立っていた。
「メイア!」
「えへへ、来ちゃいました」
照れたように微笑むメイア。
これにはレナードも驚いたらしい。立ち上がろうとして、足をテーブルにぶつけていた。ガチャン! という凄まじい音が響き、少女はその場にうずくまる。
痛そうだが、そちらを気にする余裕はなかった。
「どうして、ここに?」
「私もお仲間に入れていただければ、と思って」
よく見れば、メイアは狩人の新人に渡されるルーキーシリーズを身に纏っていた。それはつまり、少女が狩人としてギルドに登録したということを示していて。
「本当に良いのか? お母さんは……」
「お母さんとはもう話しました。だから、これをもらえたんです」
言って、背負っていた大型対魔獣砲を下ろしてこちらに見せてくる。ずいぶんと使い込まれたものだ。それを見て、カトレアが興味を示したのか首を伸ばしてきた。
「ウァルトバーグ、かな? 城崩しとか呼ばれてたと思う」
「何だ、その物騒な名前は……」
「それぐらい強力。使えるの?」
「は、はい。一通り、使い方はわかります」
「ふうん……これ、使えるなら邪魔にはならない」
そう目を細めながら言い、カトレアは自分の席に戻る。
「すみません、もう一杯」
「はいは〜い」
もう興味を失ったのか、カトレアは近くを通ったウェイトレスに注文し、再びつまみに手をつけていた。どうやら、本当に銃に興味が湧いただけらしい。
視線を戻せば、大型対魔獣砲を背負い直したメイアがちらちらとこちらを見ている。どうしたものかとレナードの方を見るが、彼女も我関せずと言うかの如くエールを呷っていた。
「アンタに任せるわ」という言葉が、聞こえてくるようだった。
やれやれ、と今日何度目かわからないため息を吐き、マークはメイアの顔を真正面から見つめる。
「メイア、本当にいいんだね? 後悔していないかい?」
「してません。私が自分で選んだ道ですから。……それに、森の外にずっと出たかったんです」
「……なら、良いんじゃないかな。一人で狩りに出るよりは、きっと安全だろ」
即答したメイアに、微笑みを浮かべながらそう言葉を投げかけるマーク。
仲間が増えれば、狩りの時の安定感は増す。それに、少女が使う装備は大型対魔獣砲。遠距離攻撃ができるメンバーが増えれば、戦術はさらに増える。
狩りが安定するようになれば、未知の場所に行くこともできるし未知の魔獣を狩りに行くことができるようになる。マークとしてもレナードとしても、それは望むべきところだ。
「……本当、ですか?」
「こんなことで嘘はつかないよ。これからよろしくね、メイア」
「あ、ありがとうございます」
「レナード、少し席を空けてもらって良い? メイア、何か食べたいものはある?」
顔を上げたメイアに席に座るよう促し、カトレアのビールを配膳しにきたウェイトレスにメニューを持ってきてもらうようお願いする。
今テーブルに並んでいるのは、エールとおつまみだけだ。メイアはどう見てもまだ成人していないだろうし、エールを飲ませるのは早すぎる。それに、おつまみだけではお腹が膨らまないだろう。
メニューをもらいメイアに渡そうとしたところで、まだ赤毛の少女が席に座らず立ったままモジモジしていることに気づいた。
「どうしたの? 座りなよ」
「あの、マークさん。実は、もう一つお願いがあるんです」
「お願い? 何だい」
疑問符を浮かべるマークに、メイアは心なしか赤面しながら恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
「マークさん……ご主人様と、お呼びしても良いでしょうか?」
「ゲホッ!?」
「グブッ!?」
囁かれた言葉に、マークと隣に座っていたカトレアが盛大に吹き出した。
周囲の喧騒に阻まれたのか、聞こえなかったらしいアルバとカトレアは驚いた表情で二人を見ている。
変なところに入ってしまったらしいレナードの背中をさすりながら、マークは呼吸を整えるべく咳払いをした。
「あの、メイア。その呼び方は、ちょっと」
「だ、だめですか?」
「駄目ではないんだけど、その……」
「こ、これが駄目だと、街にいられないんです。だからどうか……!」
「……待って、どう言うこと?」
泣きそうな表情で懇願してくるメイアに、マークの顔が真剣なものに変わった。ギルドの規則にそんな条件はなかったはずだが、異人種に対してだけは別の規則があったりするのだろうか?
さっき自分と同じ反応をしていたから、レナードはわからないだろう。リリィは今別のところで忙しそうにしている。
アルバ達ならわかるかもしれない。そう考え、彼らの方へと顔を向ける。
「アルバ、聞きたいことがあります」
「ふむ、何だ?」
口調と表情から真面目な話だと察してくれたらしい。エールをテーブルに置いて、少年の言葉に耳を傾けてくれる。
即応してくれた先輩狩人に内心で感謝しながら、マークは話を続けた。
「異人種のみに適用されるギルドのルールって、ご存知ですか?」
「……いや、聞いたことがないな。ギルドの規則は統一されているはずだ。どんな人種であれ、たとえ異人種であっても、ルールは変わらん」
「そうですよね……」
アルバの答えは、マークが考えていたものとほとんど同じだった。
ギルドの規則は全ての地域、全ての人種に対して統一された平等なものになっている。だからこそ、全世界のいたるところでギルドの支部が作られているのだ。
では、どうしてメイアはそんなことを言い出したのだろうか?
首をかしげるマークに、アルバは質問してくる。
「マーク、何を聞きたいんだ?」
「いえ、メイアがご主人様と呼ぶことができなければ、街にい続けることができない、と言っていて」
「ああ、なるほどな……。それはギルドとまた別の話だな」
マークがメイアの言っていたことをそのまま告げると、アルバは納得したのか深々と頷いた。
しかし、マークには何のことかわからない。どういうことだろうと考えていると、アルバが口を開く。
「マーク、異人種が場所によっては歓迎されていないというのは知っているな?」
「……ええ、まあ」
「そして、それはホルディアも変わらん。この街には多くの人間がいる。ほとんどは気にせんだろうが、気にするものは徹底的に排除しようとしてくることが多い。これもわかるか?」
コクリと頷くマーク。
アルバはそれに微笑んで、さらに言葉を続けた。
「だが、主従関係を結んでいる従者ともなれば、話は別だ。さすがに、他人の従者にまで口を挟んでくるやつは少ない。竜人は人より肉体的に強靭なことが多いから、従者として身元がはっきりしていれば余計なことを言われることはないだろう」
そう言うことじゃないのか、とアルバはメイアへ問いかける。
すると、メイアはコクコクと小さく頷いていた。
「でも、僕がご主人様っておかしいのでは? 僕も若造ですよ?」
「若造であっても、れっきとした狩人だ。それに、お前とレナードは自分が思っている以上に名が売れ始めている。お手伝いの一人二人いたところで、誰も疑問に思わんだろうよ」
アルバ曰く、ハンターがお手伝いを雇うことは別に少なくないらしい。
部屋にいる時間が少ないから、いない間部屋を管理してくれる人物は貴重なのだとか。気持ちはわからないのでもない。
「ギルドとしては、その辺大丈夫なんですかね?」
「両者が納得した上での関係なら、問題はないだろう。狩人やりながらメイドやってるような奴もいるしな」
エールを一口飲み、ニッと笑いながらそう答えるアルバ。
とどのつまり、結局はマーク次第ということらしい。
ありがとうございます、と礼を言い、マークはメイアの方へと向きなおる。
少女は心配そうな面持ちでこちらを見上げている。それを見て、ここで見捨てるという選択肢を選べるほど、彼は冷酷な人間ではない。
結局、受け入れるしかないらしい。
「メイア、もう一度だけ聞くよ。後悔しないかい?」
「しません」
「……そうか。わかった」
微笑み、彼は頷いた。
彼女がそう望むのならば、マークがそれをはねのける理由はない。
「なら、いいだろう。僕が君の主人になるよ」
その言葉を聞いた途端、メイアの表情がぱあっと明るくなる。
本当に街にいられるのか、ずっと心配だったのだろう。その顔を見るだけで、この決断は間違いじゃないんだと思える気がした。
「けど、二つだけお願いしたいことがある。……お願いというか、命令かな」
けれど、マークがそう言った瞬間に、その喜びは奥へと引っ込んだ。
出てきたのは何を言われるのかという不安と心配だ。
隣に座っている相棒からも、「何をいうつもりだ」という重圧がのしかかってきていた。どうやら、マークはまだ完全には信頼されていないらしい。
小さくため息を吐きながら、彼は指を一本立てた。
「一つ。自分にとっての幸せを一番に考えること」
「は、はい……」
告げられた内容に、メイアの顔が拍子抜けしたようなものに変わった。
それにかまわず、マークは二本目の指を立てる。
「二つ。もしも心配なことや不安なことがあったら、僕かレナに相談すること。この二つね」
かけられた言葉の意味を理解した途端、メイアの口があっけにとられたようにポカンと開かれた。
そんな少女に優しく微笑みかけながら、マークは言葉を続ける。
「その二つを守る限り、僕は君の主人であり続けよう。もちろんメイアが従者をやめたくなったら、その時も相談してくれればいい。……どうかな?」
まるで、妹に微笑みかけるような優しい声と表情で、彼はメイアに問いかける。どうせ一緒に戦う仲間になるのだ。であれば、良好な関係を築けるようにしておきたい。
妙なところで遠慮されるようでは、こちらも困ってしまうのだ。
だからこそ、二つの命令を切り出した。
あとは、少女が受け入れるかどうかだが……。
メイアの顔をじっと見つめる。すると、その燃えるような赤目と視線が交わった。
途端、その目に涙が浮かぶ。
「!? ご、ごめん。何か気に入らないことでも?」
慌てて問いかけるマークに、小さく首を横に振ってから少女はその場に膝をついた。
小さなこうべを垂れ、メイアは口を開く。
「我が主よ、あなたに私の牙を捧げます。これよりこの身はあなたのしもべ。私の喜びはあなたと共に、あなたの苦しみは私と共に。この身、この心の全てがあなたの元に」
誓いの言葉と共に、メイアは主人と認めた少年へとさらに深く頭を下げた。
竜は決して人になつかない。自らを唯一の誇りとする竜たちがそのこうべを垂れるのは、己が主を見定めたその時だけだという。
そんな逸話が、ふとマークの脳裏をよぎる。
気づけば、マークも同じように膝をつき、少女へと手を差し伸べていた。
それはまるで、天からの贈り物を謹んで受け取らんとする騎士のように。
「我がしもべよ、あなたの牙を受け取ろう。あなたの苦しみは私と共に、私の喜びはあなたと共に。願わくは、この誓いが永遠に続かんことを」
メイアの顔が上げられた。その顔は喜びに満ちている。
それに答えるように、マークも微笑みを浮かべた。
今ここに、主従の誓いは成ったのである。
「いいの、レナ?」
「……何が」
「あれ、“牙の誓い”よ。あの女の子、本当に身も心もマーク君に捧げるつもりみたいね」
「……知らない」
ヒソヒソと問いかけてくるリリィに、レナードはぶっきらぼうに答える。
だいたい、すでに結ばれてしまったものをどうしろと言うのか。手を取り合う少年と少女を見やりながら、レナードはエールに手を伸ばす。
“牙の誓い”。
それは竜人族にとって破れぬ誓いだ。竜にとって牙は最も重要なものであり、失うことはそれすなわち死と言い伝えられている。
それほど大事なものにかけて誓うということは、つまり己の存在そのものにかけて誓いを結ぶということに他ならない。
それがわかっているから、余計にレナードの心がささくれ立つ。
多分、あの少年は気づいていないだろう。気づいていないまま、誓いを受け入れてしまった。
それが、どうにも腹が立ってしまって仕方がない。
(何をイラついてんの、私。あいつが誰と何を約束しようが、関係ないじゃない……)
二人を見やりながら、レナードはエールを口に含む。
普段通りのはずのその液体は、どうしてかいつもよりも苦く感じた。