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とあるマニアの狩猟記  作者: 高空天麻
とある少年少女の邂逅
20/21

2-9

 日が昇る。

 朝が来る。

 太陽の光が世界を照らし、生命たちは新たな一日の到来を喜んでいる。


 だが、森林の一角では死の匂いに満ちていた。


 荒れ狂う怒号と、その度に撒き散らされる告死の炎。

 地響きが轟き、悲鳴をあげることすら許されないまま踏み潰されていくかすかな命達。


 その上で、彼らは対峙していた。


「ヌゥン!」


 裂帛の気合いと共に、アルバが大剣を横に一閃する。

 狙うは“赤竜”の右足。すでに敵の足は二日に渡る激戦のせいでボロボロだ。甲殻はおろか、その下に生えていた鱗も引き裂かれている。

 アルバが使っているのは竜殺しに特化した剣。たとえ魔力装甲を纏っていようとも、何度も受け続けていればタダでは済まない。

 だが、ここまでの激戦で、狩人達も疲労が蓄積されてきていた。


「ぐ、ぬぅ!?」


 アルバの表情が険しい色に染まる。

 剣が抜けない。足をかすめて傷をさらに広げるつもりだったのだが、丸太のような太さの脚に思いっきり引っかかってしまっている。

 全身の力を込めて引き抜こうとするものの、“赤竜”が脚に力を込めているのか肉に固定されてしまっている。動かない。

 そして、その隙を見逃してくれるような生易しい敵ではない。


 “赤竜”の目が、こちらを捉えた。

 その口元からはらはらと炎粉が舞い落ちる。次の瞬間顎門が目一杯に開かれ、彼を喰い殺さんと振り下ろされた。

 だが。


「やらせるか!」

「やらせない……っ!」


 それをさせないために、二人がいる。

 アルバへの凶威を食いとめるべく、彼らの声が重なった。

 カトレアが構えていた中型対魔獣砲のトリガーを引く。数発の銃声が鳴り響き、ほぼ同じ箇所に着弾した。その衝撃で“赤竜”の動きが一瞬だけ止まる。

 その隙にマークがアルバの元まで走り寄り、大剣が埋まっている部分めがけて“鬼喰”を振り下ろした。傷をさらにえぐり開くように何度も剣を突き刺し、引き裂いていく。


「今のうちに!」

「済まん、助かる!」


 さらに深く広く開かれた傷に足をやり、全身の力を込めて思いっきり引っこ抜く。その大剣を背負い、アルバは一度距離をとった。

 それを見届けてから、マークも敵の注意をそらすべく反対方向へと走り出す。

 傷を広げられた痛みから怒りの声を上げる“赤竜”が、足元から逃げ出そうとする獲物を踏み潰すべく左足を上げた。


「……させない」


 だが、それを阻止すべくカトレアの中型対魔獣砲が再び火を噴く。

 着弾地点は右足。先ほど二人が広げた傷へと的確な一撃が叩き込まれた。その威力が支えとなっている部分を貫き、勢い良く敵が体勢を崩す。


「ゴギュウアアアアアアアアアアアアア!?」


 その場で横倒しになり、悲鳴をあげる“赤竜”。受け身すら取れないまま倒されたせいで、翼を下敷きにしてしまったらしい。ポキポキという柔らかい骨が折れる音と共に、魔力装甲の光がほんのわずかに薄らぐ。


(あっちもだいぶ疲弊しているみたいだな……)


 敵の挙動から、そう冷静に判断するマーク。

 出血や傷が増えてきたこと、狩人達と同じく相手も休息を取っていないことから、“赤竜”も疲労が蓄積しているのかもしれない。

 ……そもそもの生命力が桁違いなせいで、あまり変わらないように見えるが。

 しかし、二日間の激闘の成果は少しずつ目に見えるようになってきた。

 全身を包む真紅の光が、戦い始めた頃よりも弱まっている。戦場を見据えるその目も、どことなく逃げ場を探すものに変わり始めていた。


(……一旦仕切り直す、か?)


 今敵が目の前から逃げ去ったところで、森の外に出なければ問題はないだろう。このまま一度退き、休息を取ることも選択肢の一つとして十分にあり得る。

 “赤竜”も同様に回復してしまうが、そもそも今回の戦いは討伐が目的ではない。今更敵が多少回復したところで、そこまで変わりはない。

 そう考え、むしろ逃げてくれないかと内心で祈るような思考を巡らせるマーク。


「……何弱気になってるのよ、マーク」


 そう、背後から叱咤するような声が聞こえた。

 瞬間、閃光が世界を塗りつぶす。


「一度逃す、なんてアンタらしくないわね。ここでしっかりと終わらせるわよ」


 真っ白な世界で、そんな声が響く。

 光が収まってから振り向いてみれば汗をびっしりと浮かべた、しかしどこか安堵の笑みをたたえるレナードがそこに立っていた。


「レナ……!」

「何よ、感極まった顔しちゃって。三日で戻るって言ったでしょ?」


 マークの表情がぱあっと明るくなる。それに、レナードはいつも通りの笑みで応えた。


「マーク、薬はカトレアに渡すわ。私たちがあいつを止めている間に、打ち込んでもらうから」

「了解、アルバにもそう伝える。……ここで、終わらせよう」

「もちろん」


 やることなど、とっくに決まっている。三日ぶりの打ち合わせは一瞬で終わった。

 最後にもう一度笑みを交わし合い、彼らはそれぞれに走り出す。マークはアルバの元へ、レナードはカトレアの元へ。


「アルバ、まだ動けるか?」

「もちろんだ。さっきの光は……」

「レナが戻って来た。薬の投与はあの二人に任せればいい。僕らは、」

「“赤竜”を食い止める、か。了解した」


 あっという間に言おうとしていたことを理解し、アルバは親指をぐっと立てる。それにマークもサムズアップで応え、頭を振りながら悶える“赤竜”へと視線を戻した。

 ちょうど彼らがいる反対側では、レナードがカトレアと合流していた。


「お待たせ、カトレア」

「遅い」

「ごめんね。これでも急いだのよ?」

「薬は?」

「これ。限りがあるから、傷ついている部分に撃ち込んで」


 言いながら、レナードはカトレアに十数発ぶんの弾丸を手渡した。それに、カトレアの表情が嫌そうに歪む。


「……私が、やるの?」

「注射なんてあの竜には効かないだろうし、弾丸に詰めて体内にぶち込む以外の手段が思いつかなかったの」

「……はあ、受けなきゃよかった」


 ぶつくさ言いながら、カトレアは一度装填していた弾薬を全て外し、新たに渡された薬品入りの弾丸を装填していく。

 ごめんね、と彼女に対して囁き、レナードは抜刀した。

 小さな声でいくつかの呪文を唱えると、彼女の双剣に青の光が宿る。それを確認するやいなや、レナードは全速力で駆け出した。

 二条の煌めきが戦場を走り抜けたかと思えば、次の瞬間にはすでに敵の足元まで潜り込んでいる。

 乱れそうになる呼吸を一息で整え、ほんの一瞬だけ彼女は目を閉じた。


「は、ぁああああああああああああああああああ!」


 刮目。

 と同時に両腕の輝きが乱舞する。


 右の一撃が鱗を切り裂いたかと思えば、返しの左手で同じ場所がさらに一閃される。秒にも満たない刹那の瞬間、少女は全身全霊の斬撃を幾度と繰り返した

 十数発もの連撃を叩き込んだところで、レナードの動きが止まる。あれだけの斬撃を一度にはなったら、そうなるのも仕方がないだろう。


 その隙を埋めるために、マークがいる。


「パラライズ・ランス!」


 詠唱と同時、マークの手から真白の槍が放たれた。

 敵の体に着弾すると同時、全身を縛り蝕む呪いの一撃。毒々しいまでに純白の光が、敵の体に突き刺さる。

 途端、敵の肉体を呪いの魔力が駆け巡った。魔力装甲を纏っていようが、いや全身に魔力を張り巡らせているからこそ、呪いはさらに敵を強く縛り蝕む。

 そこへ、アルバが駄目押しの一撃を放った。


「オォリャァアアアアアア!」


 先ほどの衝撃で弱っている翼へ、大剣を振り下ろす。全霊の一撃は翼膜どころか骨格までも叩き斬り、凄まじいまでの鮮血をほとばしらせながら“赤竜”がのけぞった。

 全身を貫く激痛に、“赤竜”の体が静止する。

 その光景に、三人の口元がにやりと笑った。

 絶好の機会だ。


「……これなら、外さない」


 待っていたとばかりに囁いて、カトレアが引き金を引く。薬を込められた弾丸は空を裂き、“赤竜”の足へと着弾した。

 貫通性の高い弾頭を使っているのだろうか、相手の足に深く打ち込まれた弾丸が内に秘める薬品を全て敵の体内へとぶちまける。


「まだまだ……」


 さらに続けて、二発三発と銃弾を放った。

 弾丸は首元、翼と着弾し、先ほどと同じように黄金色の液体が相手の体内に注入されていく。


(この感じなら、甲殻に邪魔されなければ問題ないな)


 銃弾の威力から、大雑把に判断するマーク。無論、傷口に撃ちこんだ方が薬の周りが早いだろうが、現状だと両足に翼と首元程度しか狙える場所がない。それを無理に狙って外すよりは、当てやすい所に当てていく方がいい。


「カトレア、焦らなくていい! ゆっくり狙ってください!」


 マークの言葉に、カトレアはひらひらと手を振る。

 それを肯定の意と判断し、彼は未だ戦意を失わない“赤竜”へと視線を戻した。レナードもアルバも、それぞれ攻撃の機会を眈々と伺っている。


「さあ、もう一息がんばりましょうか」


 にいっと薄い笑みを浮かべ、呟くマーク。

 終わりは、もう近い。

 そんな確信が、彼の中にあった。



 お母さんを、助けて。

 初めは、その声を聞いてくれる人なんていなかった。

 森の中に住んでいる人たちは自分の生活で手一杯だったし、街の人たちは森まで人を助けにいくなんてできないと突っぱねられた。

 一人の親切な男がギルドのことを教えてくれたけれど、そこを訪れたところで状況は好転しない。少女には、まともに支払える報酬なんてなかったから。

 それから数日が経っても、何もいいことなんて起きやしなかった。


 ……あの人が、来るまでは。


「大丈夫かい?」


 彼が声をかけてくれた瞬間を、今でも覚えている。

 そうやって優しく尋ね掛けられた時、自分は夢を見ているんじゃないかって思った。

 誰も助けてくれない。自分では母を助けることができない。そんな失望の中で差し伸べられたその手は、本当に眩しくてあったかくて。


 それは、少女が竜人だとわかった後も、母の病気が竜化病だと判明した後も、全く変わらなくて。

 「大丈夫」って。

 「助けてみせる」って。

 そう、あの笑顔で言われるたびに、どれほど救われただろう。

 優しく囁かれるたびに、どれほど涙がこぼれそうになっただろうか。

 

 だから。

 少女は、小さな願いを抱く。


 もしも。

 もしも、叶うならば。

 私は…………。



「……おかしい」


 小さく呟く。

 レナードが合流してから二時間ほどが過ぎた。

 カトレアはすでに手渡された銃弾を全て打ち終わっている。レナードからは、あの弾丸の中には想定必要量の三倍近い薬品が仕込まれているということも確認済みだ。


「どうして、元に戻らない!?」


 にもかかわらず、“赤竜”は今もなお健在のまま猛威を振るっていた。

 疲労で鈍った思考を必死に働かせるも、良案は思い浮かばない。

 だがしかし、その一方でマークの脳はある想像を思い描いていた。もしかしたら、と消えてくれない嫌なイメージ。医師から告げられた、最悪の懸念事項。


 すなわち、時間切れ。


 医師は言っていた。「必ず助けられるわけではない」と。

 医師は言っていた。「完全に竜となってしまえば、もう助からない」と。


 あの時、マークはそれでも助けてみせると言った。メイアのような少女の願いが叶わないなんて、そんなバカなことがあってたまるか、と。


 だが、目の前の現実はどうだ?


 “赤竜”は未だ暴れ狂っている。

 その目は人を人としてではなく、獲物として捉えていた。その牙は、目の前でうろつく鬱陶しい敵を殺すために振るわれていた。

 これを、竜ではなく人だなんて、誰が言えるだろうか。

 だとすれば、どうするべきか。


「マーク、どうする?」

「れ、レナ……」


 自分の声が、みっともなく震えていた。それに気づいて、口元を抑えるマーク。レナードはそんな彼を心配するような目で見ていた。


「カトレアが持っていた薬は全て使ったわ。……この先は?」

「それは……」

「思い悩んでいる暇はないわよ。他のみんなも限界が近い。決断するなら、今しかない」


 容赦のない追い込みに、マークの表情が歪む。

 そうだ、これ以上決断を先延ばしにはできない。そんなことをすると、今度はこちらに死者が出かねない。

 けれど、マークにはその決断ができない。

 それは。それが意味していることは、つまり……。


「メイアのお母さんを、殺せってこと……?」


 うわごとのように、呟いた。それに、レナードが間髪入れずに頷く。

 途端、マークの表情が泣くのを我慢するような、ぐしゃぐしゃなものに変わった。


「……でき、ない」

「悪いけど、今回に限ってそれはないわ」

「どうして……?」

「他の誰でもない、アンタがこうすると決めたからよ」


 レナードは淡々と事実を突きつける。

 マークはそれに何も答えを返すことができない。レナードの言っていることに、何ら違いはないから。

 俯いたまま黙りこくってしまった彼に、レナードは小さくため息をついた。


「……わかった。アンタがどうしてもできないって言うなら、私がやるわ」

「え……」


 顔を上げたマークの方を向くことなく、レナードは一歩前に出る。


「れ、レナ……?」

「あの二人を巻き込んだのは、私だし。それに、アンタの決断を止めなかったのも、私だしね」


 ヒョイヒョイと手を振り、彼女は戦場へと歩を進めていく。

 その言葉に、マークはこれまでの何よりも衝撃を感じていた。

 この依頼を受けると決断したのは、他でもない自分なのに。レナードは文句を言うことなく付き合い、最高の動きをしてくれたのに。

 自分は彼女に全てを放りつけるのか。自分が傷つきたくないからと、全て放り捨てるのか。


 ……それだけは、できない。


「レナ」


 少女に声をかける。

 相変わらず、みっともなく震えた声。けれど、今言わなければきっと自分は一生後悔し続けるだろう。

 レナードがこちらを振り返る。今の彼女の瞳に、自分はどう映っているのだろうか。

 深く息を吸い、一度目を閉じて。

 そして、自分の言葉ではっきりと告げる。


「やるよ。メイアのお母さん……いや“赤竜”を殺す。みんなに、そう伝えてくれ」


 その言葉に、レナードの目がすっと細められた。

 まるで悲しむように、憐れむように。


「……いいのね?」

「聞かないでくれ。……決意が鈍る」

「はぁ……わかったわ」


 ため息をつきながら、レナードは了承の意を告げる。足を早め、物陰に潜むカトレアの元へと向かっていった。

 それを見届け、マークは眼前の敵へと視線を戻す。

 ギリギリと砕けそうなほどに歯を食いしばり、救うべき対象を殺すべき獲物へと切り替える。


「……ごめんなさい」


 溢れるのは、途方も無いほどの後悔。

 だが、少年は前を向いてさらに一歩足を進める。


「けど、せめて……」


 助けるために、ではなく。

 目の前の敵を殺すために、マークは剣を構える。


「他の誰かにじゃなくて、俺の手で」


 血を吐くような形相で、彼は吠えた。


「お前は、俺の手で、殺す!!」



 ……あれから、どれほどの時間が流れただろうか。

 そう、ぼんやりとした思考で考えるけれど、答えは出ない。


 ゼイゼイと息を切らす少年の前には、崩れ落ちた“赤竜”がいた。

 全身の至る所を銃弾で吹き飛ばされ、

 両足と腹部を双刃で抉り潰され、

 翼や首元を大剣で叩き切られ、

 そして、逃げることも閃光と魔法によって許されなかった、

 元人間の哀れな成れの果てがそこに倒れていた。


 それを、マークは光のない目で見つめる。

 勝利の喜びなど微塵もない。長時間の激闘を制した事実も、今は虚しいだけだった。


(早く、とどめをさしてやらないと……)


 浮かぶのは、ただその一念。

 フラフラと危なっかしい歩調で歩み寄り、強大な生命力を持つが故に未だ死に切れない敵へと剣を振り上げる。

 真紅の瞳がこちらを捉えた。

 だが、反撃は来ない。もはや、その程度の力も残されていないらしい。


(泣くな……ッ!)


 歯を食い縛る。けれど、妙な息が口の端から零れてしまう。


(謝るな……ッ!)


 泣くまいと目を閉じる。けれど、目蓋の端から滲むものがあった。


(コイツは、コイツは……ッ!!)


 敵だ。

 殺すべき対象だ。

 そう、必死に自分へと言い聞かせる。


(だから……ッ!)


 目を開き、腕を振り下ろすべく力を込めた。

 けれど、どうしてか腕が動かない。どうしてか、目の前の竜と街で待っているであろう少女の笑顔が重なって見えて。

 途端、限界が訪れた。

 涙が止まらない。嗚咽を抑えきれない。

 どうにもできないとわかっているのに。それでもどうにかできないのかと考えてしまう自分がいる。

 けれど、今のままで放っておく方がずっと酷だ。それよりは、さっさと終わらせてやった方がずっとましだ。

 だから。


「ごめんなさい」


 必死に自分へと言い聞かせながら、深く息を吸う。


「……さようなら」


 そして、剣を振り下ろす。

 ……だが。


「……ッ!?」


 “赤竜”の全身から、真紅の光が放たれた。

 身の危険を感じ、とっさに後方へと引き退るマーク。だが、想像したような攻撃ではなかった。

 光はどんどん強まっていく。敵意を感じるどころか、どこか暖かささえ感じるような輝きがマークを包み、更に激しさを増した。

 永遠にも思えるほどの時間が過ぎて、光が徐々に薄れ始める。

 光に目をやられて、視界が戻るまでさらに数秒がかかった。先に視覚が回復したのだろうか、後方から息を呑むような音が聞こえる。

 ぼんやりと霞む目を必死に凝らしてそれを見つけた時、マークは信じられないと頭を振る他なかった。


「嘘、だろ……」


 “赤竜”が倒れていたはずの場所に、竜はいなかった。

 まるで霞へと溶けて消えてしまったかのように、あの巨体はどこにもいない。

 代わりに、一人の女性が地に伏していた。四人の中に彼女を知る者はいない。けれど、その燃えるような赤髪をマークはどうしてか知っていた。


「嘘じゃ、ないよな……?」


 がちゃん、という音と共に“鬼喰”が彼の手からこぼれ落ちた。

 だが、マークはそんなこと気にもしない。もし、彼が思っている通りのことが起きているなら、そもそも剣は必要ない。

 フラフラと女性に近づき、震える手を伸ばす。

 その体は、温もりを帯びていた。

 その口元からは、微かながら吐息が漏れていた。

 その女性は、確かに今も命を保ち続けていた。


「よかった……」

 

 マークの口元が、微かにほころんだ。

 目にはさっきよりも大粒の涙が浮かび、声はみっともないほど震えている。


「本当に、よかった……!」


 他に、何も言うことができない。

 まるで天に祈りを捧げる聖職者のように、彼は天を見上げた。

 木々の隙間から見える空は、雲ひとつない青空が広がっている。まるで、彼らを祝福するかのように、柔らかい風が吹き抜けていった。


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