2-8
「……ここなら、当分は見つからずにすみそうだな」
アルバの囁きに、マークは声一つ立てずに頷く。
回復薬を一気飲みしたとはいえ、ダメージが全て抜け切ってくれるというわけではない。おまけに彼は、睡眠も食事もこの二日間ろくに取っていない。
そんな状態で全力疾走すれば、疲弊するのも無理はないだろう。
「マーク、もう一本」
「……仕方ないか」
カトレアがそんな彼を見て、無表情のまま自分のポーチから青緑色の液体が入った瓶を差し出す。
正直気が乗らないが、今の状況で贅沢など言っていられないだろう。
ため息とともに瓶を受け取り、蓋を開けて思いっきり中身を呷る。口の中に広がるとてつもない甘味と青臭さに顔をしかめるも、どうにか吐き出したりせずに飲み干すことができた。
「……カトレア、いつも原液で飲んでるの?」
「ううん。今は緊急時」
言葉少なに返された答えに、少なからずホッとする。
飲料系の回復薬は痛みを和らげると同時に体へ活力を与えてくれるが、それは一時的なものに過ぎない。また、今のマークのように原液で何本も飲んでいると、逆に体調を崩してしまう。
普段マークが薄めたものしか使わないのは、そう言った理由があるからだ。……まあ、味が苦手なのもあるのだが。
「とりあえず、まずは礼を言うよ。ありがとう、カトレアにアルバ」
「うむ」
「気にしない、で」
「でも、どうしてここに? 今カヌートのギルドはここら一帯の依頼を止めているはずだけど」
走っている間にどうしても気になっていた疑問を投げかける。
カヌートの街で受けた依頼の期限は、まだ過ぎていないはずだ。それに、マークも依頼中止の意思を見せてなどいない。
なのに、どうして二人はここへ来たのか。
まさかとは思うが、ギルドはもう痺れを切らしてしまったのだろうか。
懸念に満ちた表情で問いかける彼に、アルバは口元を緩ませながら答える。
「安心しろ。カヌートのギルドはまだ動いていない」
「じゃあ、なんで……」
「私たちがここに来たの、レナードから依頼があったから」
「……レナが?」
カトレアの言葉に、マークは首をかしげた。どうして、ここでレナードが出てくるのだろうか。それに、依頼とは?
疑問符を大量に浮かべている彼に、アルバは笑顔のまま再び口を開いた。
「レナードから大体の話は聞いている。“女王”に匹敵するかもしれないほどの敵がいるということも、その魔獣の正体もな」
「カヌートのギルドが、早く終わらせたがっていることも、ね」
「その説明をした上で、レナードが俺たち宛の依頼を出したのだ。この森で戦っているマークを助けてほしい、とな」
説明を受けながら、マークは自分の涙腺が緩んでいくのを感じた。
一人で戦い続ける心細さから解放されたことも、二人が救助に来てくれたことも嬉しいが、それ以上にレナードが彼のために他人へ頼みごとをしたという事実が、マークの心を打った。
なにせ、あのレナードが、だ。
誰かに物事を頼むどころか、気に入っている人以外とは話をすることすらしようとしないあのレナードが、他人に頭を下げたと言うのだ。
これが、感動せずにいられるだろうか。
「ああ、レナードから伝言だ。“依頼料は、後で折半よ”」
「……依頼料?」
「一人につき、金貨一枚。ホルディアに戻ってから、請求する」
「……まじか」
「マジだ」
金貨一枚あれば、マークの食費が半年以上賄える。それだけの報酬を、よくもまあ個人で出そうと考えたものだ。
……いや、レナードは彼が狩人になるよりも前から活動していたから、その程度の蓄えがあってもおかしくはないのだが。
「まあ、気にするな。帰ってすぐに報酬をよこせ、なんてことは言わんさ」
「依頼を手伝わせるけどね。利子がわりに」
「……お手柔らかにね」
苦笑しながら続けるアルバと、かすかに口元を緩めながら補足するカトレア。
余談だが、マークがカトレアの楽しそうな表情を見るのは、これが初めてだったりする。……正直なところ、全く嬉しくない。
「それともう一つ」
「うん?」
「“死んだら殺す”だそうだ」
「……そっか」
離れていても相変わらずな相棒に、思わず深々と息を吐くマーク。
「じゃ、頑張って生き延びないとね」
「頼むぞ。お前に死なれると、俺たちの依頼も失敗だ」
「無理はしないこと。……良い?」
「わかったよ」
念を押すように言ってくる二人に、マークはようやく笑みを浮かべた。
それにアルバは安心したように頷き、カトレアはいつも通りの無表情に戻る。
「さて、それじゃあ生きるために知恵をしぼるとしよう。マーク、知っている限りでいい。情報をくれ」
「了解」
腰につけた水筒の中身を少し口に含み、未だ残る青臭さをゆすぎ落とす。舌で唇を湿らせ、マークは口を開いた。
話すのは、この二日常にしのぎを削りあっていた強敵のことだ。
“女王”並みに強力であり、“王者”並みにしたたかであること。
空へ飛ぶことはほとんどないが、その代わりに陸上での戦いが得意であるということ。
そして、魔力装甲を纏うこと……。
自らが命をかけて得た情報を、惜しげも無く二人へ語って聞かせる。
普通、狩人は自分だけが持っている情報を、チームメイトでもない限りこのように容易く共有したりはしない。
彼らにとって手に入れた知識と経験は、素材や装備以上の至宝だ。
引退した身でもない限り、滅多に自らの情報は表に出さない。それをもって、彼らは日々の糧を稼いでいるのだから。
だが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。
この場にいる者にしか、メイアの母は救えない。それに、マーク一人で依頼を達成することもできない。事実、さっき二人に助けられなければ、彼は無残な屍を晒すことになっていたのだから。
さらに加えて言うなら、竜化した人間なんて絶対数が少なすぎて、秘匿しようがしまいがほとんど変わりがないのも一因だ。
隠したところで有利になることなどないのだから、下手に隠して信頼を失うほうがよほど面倒なことになる。
それは、この二人も理解しているのだろう。疑う素振りを欠片も見せず、情報を頭に叩き込んでいく。
「……こんなところか。何か質問は?」
一通り手持ちのデータを公開し、一息つく。
水をあまり飲めていないことに加えて空腹がそろそろまずいところまで来ている。話しているだけで、わずかに息が乱れていた。
「マーク、質問」
「どうぞ」
「“赤竜”に与えたダメージ、人に戻ったときどうなるの?」
「……正直、わからない」
眉を潜めて、困ったように答える。
マークとて、竜化病の専門家というわけではない。実際にどうなるのかなんて、知っているはずもない。
「ただ、元に戻ったときに傷が残る可能性を考えると、なるべく狭い部分にだけダメージを与えるようにはしておきたい」
「……となると、毒もダメか」
カトレアは苦々しく呟いた。それに、マークも同じような顔で頷く。
そして、それは三人のうち二人が実質“赤竜”にダメージを与えることができないということを示していた。
マークの“鬼喰”は“赤竜”に通らない。カトレアの中型対魔獣砲はモンスターに対して大きなダメージを与えうるが、今回の条件から考えてそうホイホイとは使えない。おまけに、中型対魔獣砲の利点である弾種が豊富な点についても今回は有利に働かない。
「アルバ、足と翼だけ狙う。できる?」
「……やってみよう。だが、マーク。確約はできんぞ」
「構わない。もし危ないと思ったら、逃げてくれ。それを恨んだりはしない」
マークの即答に、アルバは頷いた。
と、そこでぐぎゅうるるるるるという凄まじい音が鳴り響く。
「……ごめん」
音の出どころは、マークの腹だった。赤面しながら謝罪する彼に、二人は顔を見合わせて吹き出す。
「食料は残っているのか?」
「携帯食料なら」
「それじゃ味も素っ気もないだろう。持って来ておいて、正解だったな」
言いながら、アルバはポーチから包みを取り出してマークへと手渡した。
包みを開いた途端、美味しそうな香りが彼の鼻をつく。衝動にかられ、マークはそれを即座に口へと放り込んだ。それを見て、アルバがニヤリと笑う。
「いい反応だ。レナードの言う通りに買って来ておいてよかったな」
「ありがとう、本当にありがたいよこれ」
水と一緒に流し込むような勢いでサンドイッチを頬張るマーク。こうした食事そのものをこの二日取ることができずにいたのだ。感動もひとしおと言ったところだろう。
「おいしかった……」
一通り食べ終わり、多幸感に包まれながら腹をさするマーク。
それを見ながら、アルバは囁く。
「さて、そろそろ動かんといかんな。聞こえているだろう?」
「……そうだね」
ズシン、ズシンというかすかな音が、地面を伝って遠くから聞こえてくる。
このままここにいれば、遠からず見つかってしまうだろう。
「できるなら、このまま森の奥へと誘導したい。大丈夫かい?」
「了解」
「わかった」
頷いて答えた二人に微笑んで、マークは走り出す。
地響きは少しずつ、しかし確かに近づいて来ていた。
◆
「二人は合流できたかしら……」
ボソリと独り言を呟く。
レナードは薬屋の外でイライラと待機していた。
プネウマの花はあの後ひたすら街中を駆け巡って手に入れることができた。どこを探しても見つからず、最後の一軒でようやっと見つけた時のレナードの歓喜っぷりといったら、ここ最近であそこまで喜んだことはない、と断言できるほどだった。
……薬草屋の店主には、対照的に死んだ魚の眼をした医者とのギャップが凄まじいせいで怪訝そうな顔をされたのだが。
そして必要量を確保し、カヌートの街まで戻って来たのが数時間前のこと。
それから医者は「待っていてくれ」と一言残して製薬を開始した。数時間はかかると前以て言われていたが、実際に待つとなると相当じれったいものだ。
特に、仲間の命がかかっているとなれば、余計に。
「あのバカ医者、早くしなさいよ。手遅れになったら……」
と、そこでレナードは口をつぐんだ。
少し離れたベンチには、今回の依頼主であるメイアが座っている。自分の不安が伝播するようなことはなるべくしたくない。
「レナードさん、座らなくても大丈夫ですか?」
「今は大丈夫。ありがとう」
微笑みながら尋ねてくるメイアに、柔らかい笑みを浮かべながら答える。
まだ十二、三才程度だろうに、気丈な子だ。母親が助からないかもしれないと宣言され、一番傷ついているのは彼女だ。にも関わらず、周囲に気を配り続けるのだから。
「メイアの方こそ、大丈夫? 私の部屋で休んでてもいいのよ?」
「……いえ、いいです。一人でいると、不安になっちゃうから」
「……そっか」
照れたような微笑みを浮かべる少女に、しかしレナードはそれ以上何も言えずに押し黙る。確かに、今の状態で一人待っているよりは、誰かといた方がいいのかもしれない。
「……よし、メイア。少し待っててね」
「え?」
「大丈夫、すぐ戻るから」
「あ、はい……。いってらっしゃい」
手を振りながら、レナードはどこかへと走り去っていってしまう。
理由を聞くこともできないまま、メイアはその場に取り残されてしまった。
(……気を、使わせちゃったかな)
ボロボロの上着をかき合わせながら、メイアは小さなため息をつく。
街に一人で来るのは、初めてだ。普段は母と二人で来るし、そもそも少女はあの森から出かけたことがほとんどなかった。
「……これのせいかな」
周りに誰もいないことを確認してから、袖を捲る。
眼に映るのは、二の腕あたりから生えた鱗。母から受け継いだ、竜であることの証。そして、普通の人間とは違うという証拠。
母からは常々、「この鱗は他人には決して見せてはいけない」と言われていた。
髪や目はどうにでもごまかすことができるが、これだけはどうしようもない。だから、信頼できる人以外には見せてはいけない、と。
少女も母親も、これがあるから人とあまり合わない森の中に住んでいたのだ。他人と違うということが周りに知られると、どうなるかわからないから。
「これがあるから……」
指先で、カリカリと鱗をこする。
普通の肌は触ればそれを感じることができるし、温もりがある。けれど、硬質な手触りは冷ややかで、一片の柔らかさも伝わってはこない。
他の人とは違うのだと、端的に理解させられる。
「……メイア?」
「ッ!?」
小さな声で、呼びかけられる。
ハッと気付いて袖を下ろした時には、もう遅い。振り向けば、二人分の飲み物を手にしたレナードがそこに立っていた。
「……えっと」
空気が、凍った。
レナードは何を言っていいのかわからない。ただ、メイアがショックを受けているということは、はっきりとわかる。
「……とりあえず、これ飲む?」
「……いただきます」
右手に持ったホワホワと湯気を放つカップをメイアに渡す。少女がおずおずと口をつけるのを見てから、レナードもベンチのすぐそばで飲み始めた。
口の中にハーブの香りが広がり、ほんのりとした甘味が喉を通り過ぎていく。イライラした時に飲むと落ち着くことができるということで、レナードがよく飲んでいるお気に入りだ。
「どう? 口に合うかな」
「……美味しいです」
「無理しなくていいからね。口に合わなかったら、代えてくるから」
「だ、大丈夫です」
気に入ってくれたのだろうか。
自分の問いにブンブンと首を振って否定するメイアに、「そ。なら良かった」と答えてもう一口すするレナード。
「さっきはごめんね。見られたくないもの、見ちゃったみたい」
「……いえ、私が悪いですし」
「ううん、私も迂闊だったわ」
ギルドに所属しているとそうでもないのだが、一般人の異人種への当たりは強い。街だと受け入れられることも多いが、小さな村や里では異人種が住まうことを良しとしない場所もあると聞く。
メイアたちも、その被害者なのかもしれない。
「あの、レナードさん」
「レナ、でいいわよ」
「じゃあ……レナ、さん。あの、レナさんはこれを見ても何も言わないんですね」
「何か言って欲しかったの?」
「いえ、そういうことじゃあ……」
からかうような口調で答えるも、メイアはブンブンと首を振るばかり。多少態度が軟化してくれれば儲けもの、くらいに考えていたが、今の彼女には逆効果かもしれない。
茶化すような顔をやめ、柔らかい笑みを浮かべる。
「ギルドにも何人かいるからね、竜人もエルフも。中にはいけ好かない奴もいるけど、今のメイアは嫌いじゃないもの。多分、マークもね」
「そう、でしょうか?」
「そうそう、私たちからしたらそんなものよ。マークなんか多分、“珍しいから是非撮らせてほしい”くらいしか考えてないんじゃない? 実際、あいつってば竜人にも人嫌いのエルフにも御構い無しにお願いしにいくんだもの」
「そ、それはそれでどうなんでしょう……?」
レナードの笑顔に、メイアの顔が困惑した笑顔に変わる。
だが、それは先ほどまでに比べれば幾分か軽い表情だった。
「だから、アンタが気にすることなんてないわ。ま、これまでのことがあるから、そう簡単にはいかないのもわかるけどね」
「そう、ですか……」
にっこりと笑いながら言うと、メイアは手渡されたお茶を見ながら押し黙る。
それを横目に見ながら、レナードは再びお茶を口に含んだ。
きっと、少女からすれば大きな問題なのだろう。彼女にできるのは、世界の全てがそうじゃないんだよ、と言ってあげることぐらいだ。
(……マークなら、どうするんだろう)
あのバカなら、もっとうまくやってのけるんだろか。
そんなことを考えていると、目の前の扉が開く。
「待たせてしまって、申し訳ない。中へ入ってくれ、薬の説明をする」
医師の言葉に、レナードの表情がすっと変わる。
待ち望んでいた瞬間が、ようやく来た。
「もう少し待ってなさいよ、マーク」




