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とあるマニアの狩猟記  作者: 高空天麻
とある少年少女の邂逅
18/21

2-7

 そして、時は現在へと戻る。


「くそ、きついとは予想してたけどここまでとはね……っ!」


 毒づきながら、乱れた息を整える。

 “鬼喰”はすでに刃こぼれを起こしていた。“雪兎”シリーズの方も衝撃を吸収してくれてはいるものの、敵が使う炎に対しては何の防壁にもならない。

 相変わらず一撃すら受けることを許されない状況の中で、マークの肉体は既に悲鳴をあげていた。

 腰につけていた水筒から思いっきり中身を呷り、ポーチの中から携帯用の乾燥肉を無理やり口の中に放り込む。

 乾燥と疲労で正直食べる気にはあまりなれないのだが、食べられる時に食べておかないと余計に消耗していく羽目になる。食べれる物を食べられる時に摂取していかなければ、三日もの耐久戦にはどうやっても勝てない。


「これでまだ一日目、か。全く、とんでもない依頼を受けちゃったなぁ……」


 ようやく息は整った。

 もうそろそろ、日が暮れる。日が暮れた後“赤竜”は休息を取りに行く性質を持っているようで、日没まで粘ることができればひとまずはこちらも休むことができるはずだ。


しかし、現実はそう甘くはない。


「くそ、来たか……っ」


 真っ赤に染まる世界の中、巨木の枝をなぎ払いつつ“赤竜”が地に降り立つ。

 その目は完全にこちらを捉えており、今度は逃がさないと言外に告げていた。

 水筒の蓋を閉め、傍らに置いていた“鬼喰”を手に取って立ち上がる。こちらの武器では歯が立たないことはすでにわかりきっている。あちらもそれを理解しているのか、武器を構えたところで怯えるような色は混ざらない。

 可能ならばスタングレネードを使いたい。しかし、現在の手持ちは二十三。今日すでに七つ使っていることを考えると、あまり簡単に切れる手札ではない。

 あと二日を乗り切らなければならず、後半になればなるほど体力の消耗は大きくなっていく。そのことまで見越して道具を残さなければならない。

 普段の戦いでは逃げる時以外考えない思考を常時行わなければならないことから、余計に彼の考えは固定化されてしまっている。

 そして、“赤竜”の方にそんな縛りは存在しない。相手が行うべきは単純にして明快。

 マークを追いつめ、殺す。

 それ以外の思考など必要ないのだから。

 だから、“赤竜”は天を仰ぎ、高らかに咆哮する。

 その雄叫びは、何度聞いても本能的になれるということができない圧倒的な威圧感を解き放つ。

 それに、どれほど優柔不断とはいえ流石に己の身の危険を悟ったのだろうか。今の今までその場にとどまっていたヴィリディプトラが背を向けて走り去って行く。

 “赤竜”はそちらには目もくれない。

 完全にマークを先に殺すべき標的だと認識しているのか、こちらから視線を外すことはない。

 少しでもヴィリディプトラの方へ意識が向かってくれれば、それを利用して隙を作れたかもしれないが、こちらから目を外さないのであればそれもできない。


(真正面からやりあうしかない、か……)


 “鬼喰”はすでに刃こぼれしきっている。今切りかかったところで甲殻に弾かれるのがオチだろう。

 つまり、こちらから攻撃するという手はほとんど意味がない。

 ここを切り抜けるには、マークが使えるいくつかの魔法と道具だけでどうにか相手の意識をこちらから逸らさないといけない。

 三十秒はいらない。十秒と少しあれば、この場を離れて仕切り直すことができるはずだ。


 しかし、その十秒をひねり出すのが果てしなく難しい。


 “赤竜”はこちらへと狙いを定め、全力で駆け出した。

 一歩一歩が地を震わせる強烈な衝撃を伴っており、巻き込まれればまず間違いなくひき肉にされること間違いなしの突撃。

 それを、マークはギリギリのところまで引きつけ、ぶつかるかどうかというところで思いっきり横へ体を転がした。

 凄まじい音とともに巨体が彼のすぐ隣を駆け抜け、風圧だけでマークの体がほんのわずかに吹き飛ばされる。

 どうにか受け身を取ってすぐさま立ち上がるも、その時にはあちらも態勢を立て直していた。こちらを向いたその体が天を仰ぐように持ち上げられ、その口元に紅蓮の炎が宿る。

 ぞわり、と背筋に緊張が走る。

 直撃すればまず間違いなくあの世に送られることになる一撃。しかし、慌てて避けようとすれば敵は即座に対応してくるだろう。


(まだだ、避けるのは今じゃない!)


 落ち着け、必ず活路はある。

 そう自分に言い聞かせ、震えそうになる体を叱咤してその場に留めた。

 一秒ほどの溜めを置いて、振り上げられた首が勢いよく振り下ろされる。同時にその口から真紅の炎弾が放たれた。


(今……っ!)


 首が振り下ろされる瞬間を見計らって、マークは右側へと走り始めた。

 地から伸びる草々を炭化させながら突き進む死の炎は、駆け出した一秒ほど後に彼の背後を通り過ぎて遥か彼方で炸裂した。

 そちらには目もくれず、その場から遠ざかるためにひた走る。

 無論、これだけで逃げ切れるはずがない。振り返れば、もう一度火炎を撃ち込むべく息を吸い込む竜の姿があった。


(やっばい!)


 慌てて走る進路を変え、相手が首を動かして対応できない範囲までどうにか走り抜ける。

 ズドォン! という凄まじい爆音とともに、熱気がほんの少し離れただけの場所から立ち込める。爆心地には、草木一本元の姿では残っていなかった。


(じ、冗談じゃない。あんなのもらったら、確実に死ぬ!)


 もはや剣を握っていることすら頭の中からはすっぽ抜け、ただひたすらその場を離れることだけに脳が集中していく。

 背後で猛り狂う咆哮にどうにか耳を塞がないまま駆け続け、大樹が生い茂る森の中へとどうにか逃げ込むことに成功した。


(けど、ここも安全なんかじゃない……!)


 一時的に振り切ることができただけで、すぐに追いつかれるだろう。あまりここに居られる時間はない。

 暴れる心臓を落ち着けるべく、無理やり息を吸い込んで吐き出す。

 さっき水を飲んだばかりなのに、もう喉がカラカラだった。

 何度か深呼吸をして落ち着いた後、腰に取り付けた水筒を取ろうとして、そこでふとまだ右手に“鬼喰”を握っていたことに気づく。


(せっかく鍛えた剣も、あいつ相手じゃ意味がない、か……)


 これまで打ち倒してきた数々の強敵達の亡骸から生み出された新たな相棒。だが、一番刃が通りやすいだろう翼膜でさえあの強度であるならば、やはり今手に持っていたところで気休めにもなりはしない。

 心の中で活躍させてやれないことに一言謝りながら、得物を背中の鞘に収めて腰の水筒に手をやる。

 心は重い。

 これでまだ一日目だ。同じことをあと二日続けなければならないのだ。

 本当にやり遂げられるのか。途中で力尽きてはしまわないか。

 そもそも本当にこの依頼を受けることに意味はあるのか。

 そんな弱音が次々と頭の中に降っては湧いてくる。けれど。


「……考えるな」


 目をつぶり、少しでも体が回復するように深く息を吸う。

 もう、彼は選択してしまったのだ。メイアの母を救う、と。自分の選択を今更変えるわけにはいかない。

 今彼がやめてしまえば、マークが退治している彼女は救われない。

 メイアも、助けられることはない。

 まだ腕は動く。まだ足も動く。ならば、自分の体を張って賭けを続けるには十分だ。


「頼むぜ、レナ。早めに戻ってきてくれよ……」


 ドズン、ドズン、と近づいてくる足跡を聞きつけ、即座にその場から離れるべく走り出す。

 呟いたその囁きは誰にも届かないと知りながら、しかしそう呟かざるを得ないマークだった。



「まだ手続きは終わらないの!?」

「そう叫ぶな、嬢ちゃん。何を焦ってるか知らねえが、こっちも色々と確認しなくちゃいけないことがあんだよ」

「二日前に見たばっかでしょうが……!」

「後ろのおっちゃんは見たことねえからな。いくらギルドの医師だとはいえ、身分確認くらいはやらないといけねえ。もう少しで終わるから、大人しく待っとけ」


 一日かけてホルディアの街に戻ったレナードは、門のところで足止めを受けていた。

 苛立つレナードに対し、顔見知りの門番は苦笑いを浮かべながら席に座るように促している。何をどう言われたところで、規則は規則だ。

 ただの顔見知りのために、規則破りの叱責を受ける気は門番にはなかった。

 それがわかっているから、レナードもイライラしながら急かす以上のことはできない。結果、余計に頭にくるという完全に悪循環の渦にはまってしまっていた。


「ま、まあまあ、レナードくん。急かしたところでやらなければいけないことは変わらないのだから、座って待って居た方がいいのでは?」


 溢れ出す怒気に気圧されながら、青い顔をした医者がそう口を挟む。

 体調が悪そうに見えるのは、“赤竜”がうろつく森を踏破するなんて普段決してやらないであろう激務をこなした直後に、休む間も無くエイクォースの後ろに乗せられてカヌートからホルディアへと駆け抜ける羽目になったからだ。

 魔獣との戦いの中で常人を遥かに超えた体力を持つレナードはさておき、一般人に過ぎない医師には相当苦しい道程だった。

 わずかにかすれた医師の言葉に、レナードは深く息を吸い込んで用意された席にドスンと腰掛ける。

 二人が待っている小屋の外側では、悪路や魔獣の妨害があったにもかかわらず一日程度で往路を駆け抜けたエイクォースがここぞとばかりに大量の草と水を摂取している。

 速度重視でひたすら走らせていたので、疲労もそれなりに溜まっているだろう。彼に関しては、多少なりと休ませてやらないといけないかもしれない。

 なにせ、エイクォースには帰りも走ってもらわなければならないのだ。ホルディアで薬の材料を探すのにどれだけの時間がかかるかはわからないが、可能な限り休養を取らせてやる必要がある。

 その事実が、余計にレナードの余裕を削り取っていく。

 やることはわかっているが、同時にタイムリミットも見えている。材料探しにどれだけの時間をかける必要があるのかわからない以上、余計なところに時間を取られたくはなかった。


「嬢ちゃん、ここに署名だ。頼むぜ」

「……はい、これでいいかしら?」

「……ん、いいだろう。それじゃあ、これがそっちの人の通行許可証だ。三日しか効果がないから、それ以上滞在する必要があったら、」

「そんなに滞在する予定はないわ。ありがとう」


 差し出された許可証をむしり取るように受け取り、医師の方に投げ渡して出口へと向かう。後方では「ありがとうございます」と礼を言いながらあわてて立ち上がる医師の姿と、「おう、気ぃつけてけよ」と苦笑を深める門番がいたが、そんなことにはまるで目を向けない。

 近づいてくる乗り手の気配に顔を上げたエイクォースの首元をポンポンと叩いて、食事をやめさせる。鼻先を擦り付けてくる彼をいたわるように首を撫でながら、食事を与えてくれていた子供に声をかけた。


「この草、一袋もらえるかしら?」

「え、あ、はい。少し待ってください。あっちから持ってきますね」

「お願いね」


 にっこりと微笑みながら言っているのに、なぜかびくりと体を震わせて駆け出した少年に首を傾げながら、オタオタとこちらへ向かってくる医師の方へ目を向ける。


「どこへ向かえばいいの? 市場? それとも薬屋?」

「ええとだな、市場の方へ向かってもらえるかな。確か中心部の方に薬に扱える材料を売っている店があるはずだ」

「了解。それじゃ、そっちに向かうわよ」

「ああ、よろしく。それとだね……」

「何。まだ何か必要なものがあるの?」


 必要な材料はあと一つだけと言っていたはずだ。

 話が違う、と睨みつけるレナードに「そうじゃない」と首を横に振りながら、医師は言葉を続ける。


「焦っているのはわかるが、周りを威嚇するのはやめた方がいい。余計に時間がかかるだけだ」

「わかっているわよ、けど……」

「恋人が危地にいるから、落ち着かないのはよくわかる。だけど、」

「アイツは、そんなんじゃないわ」

「だとしても、だ。そんなに焦るほど大切な人なんだろう? ならば、なおさら冷静にならなくちゃいけない。今の君は全く周りが見えていない。普段の君ならば見落とさないようなことまで、見落としてしまうかもしれない。そんなことになれば、結局彼を助けるのが遅れてしまう。……何か、おかしいことを私は言っているかな?」

「…………いいえ」

「なら、一度落ち着くべきだ。彼は三日時間を稼いでみせると言ったのだろう? それとも彼のことは信用できないかい?」

「ンなわけないじゃない」


 即答するレナードに、医師は薄い微笑みを浮かべてさらに言葉を続ける。


「焦っている時こそ、冷静に慎重に物事を進めなければならない。周りが見えていないと、余計な間違いを犯す。間違ってしまえば、余計に時間をとってしまう。そして、時間が経てば経つほど少年の助けに向かうのも、あの竜化した母親を助けることも難しくなる。だからこそ落ち着けと先ほどから言っているのだ。……理解してくれただろうか?」

「……ムカつくけど、その通りだわ」

「よろしい」


 ブスッと言いすてるレナードに、医師はそう言って笑みを深くした。

 彼女は直情的だが、決して頭が悪いわけじゃない。必要であれば自分の頭を切り替え、物事を冷静に見据えるだけの聡明さを持っている。今森で足止めをしている少年とのやりとりを見ていただけでも、その一面ははっきりと出ていた。

 だからこそ、会って間もない医師にさえ彼女の焦りが透けて見えた。故にこそ、医師は釘をさす必要があると判断できた。


「では、材料を探しに行こう。目的はプネウマの花だ。問題ないかな?」

「もちろんよ。この子に食べさせてあげなきゃいけないから、この袋支えておいてね」

「……了解した」


 戻ってきた少年に代金を支払い、レナードは乾草が大量に詰まった袋を医師の方へと押しやる。

 それを渋々と受け取り、医師はエイクォースを見やる。


「んじゃ、行きましょうか。まずは、市場ね」


 ひらりと簡単にエイクォースの背にかけられた鐙にまたがり、レナードは医師へと手を差し出す。

 その目は、すでに街中の方を見据えていた。




 森は、深夜にもかかわらず眩いばかりの光に包まれていた。

 ただし、その光に陽光のような暖かさはない。むしろ、全てを焼き尽くす殲光のような鋭さに満ち満ちている。


 その光源、魔力装甲を纏った“赤竜”とマークは再び対峙していた。


 赤よりもなお深い紅の光を全身から放出し、怒りと憎悪に満ち溢れた咆哮を上げながら、救うべき対象はマークを逃すものかと全力でこちらへ走り出す。

 当然、直撃すればそのまま轢き潰される。それだけは、回避する必要があった。


「ちく、しょう、がっ!」


 暴れ狂う心臓を顧みず、迫り来る重圧から逃れるべく全力で横へと跳躍する。

 だが、これまでの度重なる戦闘で身体能力が下がっていたためか、避けきれずに足の先が敵の体に掠ってしまう。


 瞬間、マークの体が凄まじい勢いで吹き飛ばされた。


(な……っ!)


 ぐるぐると回転する視界に、思考が追いつかない。

 ただ、右足に伝わる衝撃が、魔獣の一撃を避けきれなかったという事実を伝えていた。

 そのまま状況を理解することができないまま、マークの体が地面に叩きつけられる。


「ぐ、あっ……!?」

 

 しかも、それだけでは衝撃を殺しきれなかったのか、なんども回転しながら地面を体がバウンドしていく。

 あっという間に入れ替わる天地に受け身を取ることもままならないまま、少年は身体が止まってくれることを待つしかなかった。

 どれほど吹き飛ばされたのだろうか。ようやく勢いが失われ、体を動かすことができるようになる。

 しかし、全身を蝕む激痛が、それを許さない。


「か、は……」


 ゼイゼイと喉を震わせながら、吐き出された空気を必死に吸い込む。

 気絶していないのが奇跡だった。いや、むしろ気絶していた方が楽だったかもしれない。

 今マークが叫んでいないのは、ただ肺の中に空気が残っていないからだ。もし少しでも呼吸に余裕があれば、全力で叫んでいたかもしれない。

 四肢が吹き飛んでしまったのではないかと感じてしまうほどの痛みが、全身をとめどなく駆け巡っていた。

 足はガクガクと震え、腕は指先に至るまで力を込めることができない。背中から落ちた衝撃のせいで、呼吸もろくにできない。

 そんな状態では、起き上がることすら簡単ではない。事実、両腕どころか両足すらまともに動かない。

 はっきり言って、何もできない。虫のように這って動くことすらできない。


 もちろん、そんな状態の敵を見逃してくれるほど、彼の相手にしている魔獣は甘くない。


「フルルルルゥ……」


 地を揺るがす足音と共に、その巨体が一歩また一歩とこちらへ近づいて来る。

 全身の力を使ってその場からわずかでも離れようと体を動かすものの、できたことといえば指が土を掻いた程度。その程度では、何の変化もこの場にはもたらさない。

 首を動かしてみれば、すぐそこに“赤竜”の頭があった。

 ニチャア、という湿った音と共にその口が開かれ、妙に暖かく生臭い吐息が吐き出される。その奥からは、チロチロと火花が見え隠れしていた。

 殺される。

 そんな、予感がした。

 ここで逃げることができなければ、まず間違いなく自分は明日の朝日を拝めない。

 そんな、確信があった。

 けれど、身体は動かない。

 痛みは引かず、腕も足も震えるばかりで彼の思いに答えてくれはしない。


(ここまで、なのか……?)


 そんな思考が、ちらりと頭をよぎる。

 思い浮かぶのは、ある少女の顔。

 「死なないでね」と言葉をかけてくれた時の、心配するような表情。

 「アンタの選択に任せるわ」と言ってくれた時の、こちらに全面の信頼を置いてくれた笑顔。

 「私と、一緒に組まない?」と手を差し出した時の、真っ赤な顔。



「まだだ……」


 両腕で、鉛のように重たい上半身を持ち上げる。

 ガクガクと震え続ける足をどうにか立たせ、満身創痍の身ながらもその場に立つ。


 まだ、終わるわけにはいかない。

 まだ、諦めるわけにはいかない。

 ここで倒れたら、あの少女は怒るから。

 ここで死んだら、あの少女は悲しむから。

 だから、まだ止まれない。


 足は生まれたてのエイクォースのように震えている。

 腕は背中に収めた“鬼喰”を構えることすらできない。

 けれど、まだ立てる。


 限界だ、なんて考えるな。

 もうだめだ、なんて思うな。

 そんな無駄なことに頭を回すくらいなら、今この状況を何とかできるように思考を巡らせろ。


 まだ、終わっていないのだから。


 ボロボロの体で起き上がった死に体の彼を見て、“赤竜”は口を閉じる。

 その口元から、先ほども見かけた真紅の炎が溢れ始めた。

 あれが直撃すれば燃えることすら許されず、炭化しながら死ぬことになるだろう。そんなのは認めない。

 まだ、ここで死ぬことはできない。

 歯を食いしばって痛みを訴える足をわずかに落とし、避けるための体勢を取る。それを見た“赤竜”の目がわずかに細められ、その首がぐいっと持ち上げられた。


 来る。


 全身を走る緊張感に身体がこわばらないように、深く息を吸う。

 さっきと同じように逃げることはできなくても、直撃しなければいい。この際完全に避けきる事なんて期待しない。

 一撃でも、一秒でも長い間生き延びる。

 今の彼ができる事なんて、その程度のことなのだから。

 だから、次の一瞬を生きるために今の全てを賭ける。


 “赤竜”の口から溢れる光が一際強くなる。

 首元の筋肉がわずかに隆起し、振り下ろすための力が込められていく。


 突然、銃声が響き渡り。

 瞬間、“赤竜”の頭が凄まじい衝撃を受けて横方向へと吹き飛ばされた。


(……!?)


 いきなりの状況変化に、思考が追いつかないまま固まってしまうマーク。

 しかし、“赤竜”は即座に状況へと対処を始める。

 その視線は銃弾が放たれたであろう方へと向けられ、突然の乱入者に向けて怒りを込めた雄叫びを上げた。

 だが。


「うるさい……の」


 囁きと共に複数の銃声が鳴り響き、“赤竜”の頭、足、翼へと次々着弾する。

 さらに、駄目押しのごとくもう一人の狩人が乱入した。


「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 高らかな叫び声をあげながら、大剣を担いだ大男が茂みから現れ“赤竜”の元まで駆け抜ける。男は走り寄る勢いのままに身の丈ほどの剣を抜刀した。

 狙うは翼。かつてマークがしたように、敵の機動力を削ぐべく、そのまま加速を殺すことなく剣威へと変え、全力の一撃として叩き込む。

 その一撃に鱗はあっさりと断ち切られ、血しぶきが森の緑をわずかに汚した。


「ゴギャァアアアアアアアアアアアアアア!?」


 乱入者に傷つけられ、驚愕と困惑の声をあげる“赤竜”。

 しかし、男はそれだけで止まらない。


「まだまだぁ!」


 振り下ろした大剣をそのまま横に滑らせ、全体重を乗せたまま一閃する。

 再び肉を引き裂く音が聞こえ、わずかとはいえ“赤竜”の足から血が舞い散った。


「あいつ、どうして……?」

「呼ばれたから、ね」


 見覚えのある大剣使いの戦いを見ながら零したマークの問いに、いつのまにか近寄ってきていた中型対魔獣砲カノンを背負った少女が静かに答える。


「カトレアも、どうして?」

「レナードに呼ばれた。マークが一人で戦ってるから、手伝ってあげてほしいって」



 そう言いながら、カトレアはこちらへ青緑色の液体が入った小瓶を渡して来る。


「ぐいっと飲み干す。そしたら、一度引き上げるよ」

「……わかった」


 蓋を開けた途端に広がる青臭い匂いに顔をしかめていると、カトレアからそう告げられる。あまりちんたらしていられる状況でないことに変わりはない。

 意を決し、ぐいっと中身を呷る。

 べったりとした甘味と、一泊開けて青臭い味が口の中に広がった。だが、今はこの味に文句を言っていられるような状態ではない。

 何より、この程度ならこの前メイアに飲まされた気付けよりも十分飲みやすい。


 グイグイと回復薬を飲んでいくマークを横目で見ながら、カトレアは相棒の援護をするべく背負っていた中型対魔獣砲を展開、ほとんど狙いをつけていないのではないかと思わせる速度で引き金を引いた。

 銃声とほぼ同時に“赤竜”の首のあたりに火花が散る。甲殻に弾かれてダメージは与えられていないようだが、構わない。

 こちらの狙いは、他にある。

 “赤竜”の顔がギロリとこちらを向いた。目の前をちょろちょろと動き回る存在も鬱陶しいが、視界の外側から横槍を入れてくる敵も相当彼女を苛立たせているらしい。

 その口元にチロチロと真紅の炎が宿るが、カトレアはそれを許さない。


「……食らえ」


 呟くと同時に、投擲。

 次の瞬間、カツンという音と共に黒い物体が“赤竜”の鼻先にぶつかり、爆発じみた音を発しながら閃光を放った。

 視界を奪われ、仰け反りながら怒号を放つ“赤竜”。

 そして、その隙を逃さずアルバが追撃の一打を叩き込む。


「どっ、せい!」


 最上段に構えた大剣を、重力と膂力を合わせた加速でもって断絶の一撃と変える。目を使えない相手にその剣を察知することはできず、故にその攻撃は狙ったままの軌道を描いて、思った通りの場所に当たった。


 穿つは、首元。

 この日最大の血飛沫が、盛大に吹き出すことになる。


「アルバ、それ以上は……っ!」

「待って。あの人も知ってる。大丈夫、だから」


 その光景を見て思わず声をあげたマークを、カトレアが声で制した。「でも」と言葉を返そうとする彼に、中型対魔獣砲を再び背負いながら言葉を続ける。


「その証拠に。見て、彼も戻って来る」

「え……」


 もう一度視線を戻せば、大剣を背に戻したアルバが全速力でこちらへ駆け出していた。

 走り寄りながら、手で「走れ!」とこちらへ合図している。


「さ、一度離れるよ。マーク、走れる?」

「ど、どうにか」

「じゃ、いくよ」


 よろめく足を叱咤しながら走り出す。

 その前をカトレアが走り、背後をアルバが守る。

 事情はどうあれ駆けつけてくれた二人の姿に、マークは自分の心がすっと軽くなるのを感じていた。


(けど、まだ気は抜けない……)


 レナードが戻るまで、あと一日程度。

 その間をどうにか生き延びなければ、約束も依頼も果たせないのだから。


 震える足で走り続けながら、マークはどうするべきか再び思考を巡らせ始めた。


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