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とあるマニアの狩猟記  作者: 高空天麻
とある少年少女の邂逅
17/21

2-6

「やれやれ、結局こうなるのか……」


 小さなぼやきを発しながら、マークは森の中を行く。

 レナードもメイアも、すでに近くにいない。正真正銘、彼一人だけだ。

 村を出て以来初めての単独行動にごくりと息を飲みながら、しかし足を止めることなく進んでいく。


「全く、レナもギルドの人もひどいよな。これだけは、絶対にやりたくなかったのに……」


 誰も聞いていないのをいいことに、とめどなく愚痴を零す。

 無理もないだろう。それだけ彼に課せられた責務は重いものになってしまっていた。誰も聞いていないのだから、愚痴くらいは好きに言わせてほしい。


「……いるな。なるべく会いたくなかったけど」


 本人にも聞こえるかどうか、という程度の小さな声で呟きながら、マークは茂みに身をひそめる。

 茂みの向こうには、複数の影が見えた。

 体格と時折聞こえる声からして、小型の肉食竜だろう。

 今回の目標は奴らではない。しかし、そのまま放っておいたら本命と刃を交える際に邪魔になりかねない。

 なら、


「倒しておくべきか……」


 どうするかを決め、背負ったままの長剣“鬼喰”の柄に手を伸ばす。

 幸い、あちらはこちらに気づいていない。やるなら、今が絶好の機会だろう。

 そう判断し、どくどくと跳ね上がる鼓動を落ち着けるように深く息を吸う。


(……いち)


 すっ、とマークの顔から表情が抜け落ちる。

 先ほどまで破れ鐘のように鳴り響いていた心臓の音が一気に静かになり、その代わりに周囲のかすかな音まで聞こえるようになっていく。


(……に、の)


 しゃらり、とかすかな音を立てて“鬼喰”が鞘から解き放たれる。

 盾を持った左手を胸元へと寄せ、万一のことがあっても心臓は守ることができるように身構える。


(……さんっ!)


 三つ目を数えると同時、彼は身を潜めていた茂みから飛び出した。

 その音に反応して、肉食獣たちがこちらに顔を向ける。

 視界に収まっている敵の数は三体。この程度なら、問題ない。もし敵の増援が来たところで、今のマークの実力なら間違いなく押し勝てる。


「ふっ……!」


 静かな呼気に裂帛の気合を込め、手近な一匹に向かって切りつける。

 勢いよく振り下ろされた斬撃は肉食獣のしなやかな鱗を持ってしても食い止めることはできず、皮はおろかその下の肉までざっくりと引き裂いていった。


「くぎょおおおおあああああっ!?」


 甲高い悲鳴とともに、傷口から生臭い血が噴出した。

 顔にかからないように左腕でかばいながら、もう一度同じ部分に“鬼喰”を叩きつける。一度引き裂かれた鱗はもはや攻撃を防ぐことなどかなわず、マークの斬撃は先ほどよりもさらに深く敵の身を抉り取った。


「ごぐぎょおおおおおっ……!」


 その二撃だけで、相当のダメージが入ったらしい。一体目が横倒しになり、起き上がることもままならないままその場で暴れ悶える。

 そんな同胞を見て、後ろに控えていた二体の足がほんのわずかに後退した。


(チャンス……っ!)


 その機に乗ぜよと、マークは悲鳴を上げる全身を叱咤しつつさらに前へ出る。

 二匹はほんの一瞬、退くべきか戦うべきか悩んだらしい。困惑したようなそぶりで互いにかすかな間見つめあう。

 二体の意見が一致した時には、もう遅い。


「せぇいっ!」


 走り寄り、二体目の頭に“鬼喰”を振り下ろす。さすがに一撃で頭を叩き割ることはできなかったが、それでも衝撃は相当なものだ。

 事実、振り返りざまにその一撃をもらったヴィリディプトラはよろめいて、後退することも反撃することもできない状態になっている。

 こうなれば、あとはこちらのものだ。


「もう、一発っ!」


 さらに一歩前へ踏み出し、剣を握る手に力を込める。

 狙うは、首。どんな生物であろうと、脳と心臓が存在している以上首を断ち切られては生きていけない。

 ズン、と足が地面にめり込むほどの勢いで踏み込み、体を半分以上ひねった状態から全力の一撃を解き放つ。


「おぉおおおおおおおおおおおおっ!」


 絶叫、同時に空を裂いて渾身の斬撃が思った通りの軌跡を描いて敵の首元へと叩きつけられた。


 確かな手ごたえとともに、その刃が二体目の首を半分ほど断ち切ったところで止まる。

 ここまで傷つければ、十分だ。


 肉に抑えられて抜けなくなる前に、血が噴き出す勢いに合わせて愛剣を敵の首元から抜き放つ。

 倒れ伏した二体目のヴィリディプトラは、動くことすらろくにできないままその一生を終えることになった。


 残り、一体。


(油断、するな)


 舞い上がりそうになる心をなだめ、“鬼喰”にべっとりと張り付いた血糊を振り払う。隙なく剣と盾を構え、最後に残った一匹へと視線を向けた。

 残されたヴィリディプトラは、此の期に及んでもどうするかを未だに決めることができないでいるようだ。こちらに牙を向けるでもなく、かといって背を向けて逃げ出すでもなく、ただおろおろと辺りを見回しながらその場に立ち尽くしている。

 つまり、絶好のカモだ。これ以上ない、好機だ。


 だが、しかし。


 マークは立ち止まり、天を仰ぐ。

 彼の理性は立ち止まることを拒んでいた。目の前のチャンスをフイにするその行為を、非難するように叫び続けている。

 けれど、彼の本能が全身に向かって告げていた。


 もっととんでもない奴が、来る。


 どこへ?

 決まっているだろう。


 ここに。


 時を待たずして、空に巨大な影が現れる。

 “王者”や“女王”のようにゆったりとした軌道ではなく、まるで落下するかのようにそれは大地に足を下ろした。

 しかし、その体は傷はおろか衝撃すら痛みとは感じ得ないらしい。普段通りのことであるかのように、それはゆったりとこちらを向く。


 その目が、マークを捉える。


「……また、会いましたね」


 かつて、人間だったものの成れの果て。

 自らの血の衝動に敗れ、その身を竜へと変じさせたモノ。

 “赤竜”が、紅の瞳でマークをじっと見つめていた。


 ぞわぞわと肌が粟立つのを感じる。

 気付かないうちに剣を握る手が、かすかに震えていた。

 自分よりもはるかに強大な相手を前にして起こる、生命として当然の反応だ。


 けれど、退くわけにはいかない。

 奥歯を砕けよとばかりに噛み締め、カタカタと小さく震える足を無理やり一歩前に出す。

 約束したのだ。彼女を、少女の母親を必ず助けてみせる、と。

 ならば、ここで臆して引き下がるようなことはできない。

 ここでマークが逃げれば、まず間違いなくメイアの母親は殺される。

 他のモンスターや病気によってではなく、ハンター達の手によって。人間達の力で、化け物として殺される。

 そんなことを許容するわけにはいかないと、彼はここまで来たのだから。


 だから、もう一歩前へ。

 その手は、みっともなく震えている。

 その心は、逃げ出したいと叫んでいる。


 しかし、逃げない。

 この依頼を達成すると、決めたのだから。


「……あ」


 口を開く。

 だが、音は出ない。

 目の前に君臨する圧倒的な強者に、彼の全身は恐怖で支配されかけている。

 それでも、口を開ける。


「……ああ、」


 かすれた、普段の彼にしてはあり得ないようなかすかな声。

 けれど、音は出る。

 言葉はいらない。語りかける必要性など、ありはしないのだから。

 会話はいらない。返ってくる可能性など、ないのだから。


 だから。


「あ、あぁあああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 叫ぶ。

 喉も裂けよとばかりに、吼える。

 自らを縛る鎖を解き放つように。目の前の存在を威圧するように。

 腕は動く。ならば、敵を傷つけることはできる。

 足は動く。ならば、敵の攻撃をかわすことができる。

 頭は働いている。ならば、敵と戦うこともできるはずだ。


 心はいらない。怯え、すくんでしまうような気持ちなんていらない。

 理性はいらない。体を縛り、留めてしまうような思考なんていらない。 


 今はただ、前へ。


「行くぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 鼓舞するように吠え立てながら、駆け出す。

 剣を握り、敵をその目にしっかりと見据えて。

 生き残るために。そして、助け出すために。


 それに、“赤竜”は応えるように足をわずかに曲げる。

 敵を迎えるように。無謀な挑戦者を受け入れるように。

 その口元が、まるで微笑むようにかすかに開かれた。


 そして、少年は孤独な戦いを始める。

 自らがやり遂げると決めた依頼を、完遂するために。



 時は一日前に遡る。


「どういうことよ、それは!?」


 ガダン! というすさまじい音と共に、レナードの拳がカウンターに叩きつけられた。

 細腕とはいえ、日々戦場を駆け抜け自らよりも強大な魔獣達相手に切り結んできた少女の力は、常人をはるかに上回る。

 それを見ていた男達の視線が、一斉に外れていった。だが、完全に逆上しているレナードは、そこまで注意が向いていない。

 逆鱗に触れられた竜もかくや、という怒気を放つ少女に対して冷ややかな視線を返すのは、カヌートの受付嬢だ。こちらもこちらで、こんなことは日常茶飯事とばかりに普段の態度を崩さない。


「どういうこと、と仰られても、今申し上げたとおりです。確たる証拠がない以上、ギルドとしては“赤竜”の調査及び討伐依頼を取り下げるわけにはいきません」

「あんたの所の医師が“竜化病”と断定しているのに!?」

「存じ上げております。ですが、もしその話が事実だったとしても、やはり取り下げることにはなりません。“竜化病”が発症した場合、特別に選抜された狩人達の手で討伐するというのが、ギルドの決まりですので」

「このわからずや……っ!」

「ええ、常日頃言われます。ですが、これはギルドの掟です。ギルドに所属している以上、あなたもこれに縛られるのですよ。それがわからないのですか?」


 ぎりぎりと歯噛みするレナードの肩に手を置く。

 これ以上レナードとこの人を対話させても意味がないだろう。こじれるだけで話が進まない。

 レナードもそれは理解していたらしい。一瞬だけ逡巡するそぶりを見せたが、「はぁ」と一息ついてから一歩後ろに下がった。

 すれ違いざまにかすかな声で「任せたわ」と言われたことにほんの少しだけ驚いたが、それを表情に出すと後が恐ろしいことになる。極めていつも通りの表情を浮かべながら、彼は受付の女性の前に立つ。


「すみませんね、うちの相棒がうるさくて」

「いえいえ、あのようなお方はハンターの中にはよくいますから。慣れています」


 澄ました顔でしれっと毒を放ってくる受付嬢に、さすがにマークも苦笑いを隠せない。見た目はとても整っているから、このツンツンした対応をやめれば人気が出るだろうに。

 レナードとは似た者同士な受付嬢に、しかしマークは柔らかい態度を崩さない。こちらが相手につられて硬い態度を取ってしまうと、相手はさらに硬化してしまう。やんわりと微笑み、いつも通りの声を出せるように心がけながら口を開く。


「状況を整理させてもらいますね。まず、現場の状態については先ほどレナードの方から言っていたとおりです。“赤竜”は“竜化病”を発症した人間でした。そして、あなたもご存知の通り、僕たち二人はメイアという少女から母の病気を治してほしいという依頼も受けている。……ここまでは、いいですね?」

「ええ、理解しています。同行した医師の方からも報告は上がっていますからね」

「何よりです。そして、“竜化病”は決して不治の病じゃない。事実、医師の口からも僕の知り合いからも、竜化を起こしてから治療に至ったケースはあると聞いています」

「ええ、そうですね。私が取り扱った案件ではありませんが、そのようなことが実際にあったと伺っています」

「なら……」

「しかし、ギルドとしては“赤竜”に関する依頼を取り下げるわけにはいかないのですよ」


 さらに言い募ろうとするマークを遮り、受付嬢はメガネの位置を戻しながら一言で両断する。

 背後でぎりっと歯をくいしばるような音が聞こえた気がしたが、そちらには目を向けずマークは言葉を発した。


「……理由を伺っても?」

「もちろん、構いません。“竜化病”が発症し暴れまわるまでに至った場合、ギルドの選抜部隊が送り込まれる、という話は先ほどのやり取りで説明しましたね。そして、今回の目標はすでに竜化を発症してから十日は確実に経過している。間違いありませんね?」

「ええ」

「我々も竜化したら即座に殺せ、などという極論は言いません。我々はモンスターを狩る者であり、人を殺す者ではありませんから」

「それなら、余計に……」

「ですが、竜と化した人間は人ではありません。モンスターです。すでにモンスター同士で争いあっている姿が確認され、あなた達に襲いかかったという事実がある。ならば、一般人や周辺の村に被害が及ぶ前に討伐する必要がある……違いませんか?」

「…………」


 マークは言葉を返すことができない。彼女は間違えていないからだ。

 マークがあの“赤竜”を討伐する気になれないのは、あれの正体がメイアの母親だからだ。メイアに「母親を必ず助ける」と誓ったからだ。

 事情も何も知らない人間ならば、こんな感情は抱かない。むしろ、他者を危機に晒す可能性がある以上、早めに討伐するべきだとさえ考えるかもしれない。

 もし、自分がメイアと出会っていなければ、そう考えていただろう。

 だから、何も言い返せない。

 けれど、ここで言いくるめられるわけにもいかないのだ。

 ここで何も言い返せずに終わってしまうと、ギルドは調査依頼を破棄して正式な討伐依頼を作成するだろう。それが受理されてしまえば、まず確実にメイアの母親はモンスターとして処理されることになる。

 それを許すわけにはいかない。

 

「確認したいことがあるのですが」

「ええ、何なりと」

「カヌートのギルドが僕達に依頼したのは、“赤竜”の調査と可能であればその討伐。……そうでしたね?」

「……そう、ですね」

「そして、僕達はまだ依頼を破棄していない。つまり、依頼に対して交わした契約はまだ生きている。そうですよね?」

「そうです」


 なるほど、と受付嬢は小さくこぼす。どうやら、マークが言いたいことをすでに理解してくれたらしい。


 通常、一つの依頼が発生している区域には、同一ギルドが二つのチームを送り込むことはない。

 どちらが討伐したのしないのといった、ややこしいごちゃごちゃが発生することを防ぐためだ。

 マークが“女王”と対峙した際に別チームが乱入してきたことがあったが、あれは“女王”が予想外の動きを見せたために発生した例外である。

 故に契約が破棄されるまでは、あの森林地帯にカヌートのギルドから新たなチームを送り込むことはできない。それをすれば、ギルドが自ら公約しているルールに違反することになるからだ。


「契約の期限が切れるまであと四日あります。その期間中、ギルドが一方的に契約を破棄することはできない。……そうですね?」

「その通りです。ですが、無論例外はありますよ?」

「今回はその例外に当たらないはずです。“赤竜”は未だあの森から出てきていない。生態系への影響に加えて、近隣への被害も確認されていない。つまり、ギルドとして明確に即時討伐を行う判断は下せないはずだ」

「…………」


 受付嬢は沈黙する。

 それを、マークは言外の肯定と受け取った。

 勘違いされがちだが、ギルドはモンスターとみれば即狩猟依頼を出すような組織ではない。

 世界は目に見えない摂理に従って動いており、人間もその一部に過ぎない。であるならば、周囲の環境を激変させるような狩猟活動はかえって人類の首を締めるだけであり、そうならないように一定の秩序を保つのもギルドの役割だ。

 つまり、新種の魔獣が現れたからといって即座に殺す判断を下すというのは、そもそもギルドの理念に反するのである。

 新しいモンスターが生まれたということは、何らかの理由があるはずなのだから。


「言い換えれば、今回の“赤竜”に関する依頼はまだ僕達に独占権が発生している状態のはずです。ここで僕達が破棄しない限りは」

「カヌートのギルドが契約を交わしたのは、あなた方二人のみです。増員は認められませんし、その際は契約を一度破棄していただくことになりますよ?」

「上等、その必要はありませんから」

「さらにもう一点言わせていただくとすれば、ギルドとしては一般人に被害が出ることを許容することはできない。つまり、一般人に被害が出た段階で調査依頼は自動的に破棄、討伐依頼を新たに作成することになります。……その点については、勘違いのなきよう」

「……わかりました」

「それでは、ギルドとしても何の問題もありません。……あなた方の挑戦が、良い結果になることを祈っております」

「どうも」


 小さくぺこりと頭を下げた受付嬢に一言返し、そのまま背を向ける。

 背後でしかめ面をしていたレナードに「行くよ」と声をかけて、そのまま出口の方へと向かった。


 扉を開けた途端、眩しい光が両目を穿つ。

 依頼受付と酒場を兼任したギルド内部は昼間でもそこそこ暗い。何度か瞬きをして、ようやく光に目が慣れる。


「さて、さっきの話の通り……あ痛ぁ!?」

「アンタ、任せるとは言ったけどあんな無茶な話をしろとは言ってないわよ!?」


 バゴォ! というすさまじい音ともに、頭頂部に形容しがたい激痛が走る。

 “雪兎”シリーズは毛皮をメインとしているため金属や甲殻を中心に作られた防具より防御力が低いとはいえ、それ越しでこれだけの威力を誇るとはさすがに想定外だった。……殴られるかもしれないな、というのは予想していたが。

 口を開くのが一瞬嫌になるほどの衝撃に半泣きになりながら、マークはどうにか言葉を発した。


「し、仕方ないだろ。ああでも言わないと、押し切られそうだったんだから」

「だからって、あんな……っ!」

「待って待って、もう一発食らったらさすがにやばいから!」


 鬼のような形相と握り締められた拳を前に、本能的に危機を察知したマークは全力で制止にかかる。

 一発だけでもあれだけの衝撃だ。もう一撃受けたら脳震盪を起こしかねない。

 レナードは「ふーっ、ふーっ」と威嚇音のような声を出しながら拳を震わせていたが、何度か深呼吸をしてからようやくその手を下ろしてくれた。


「とりあえず、今ここでアンタを殴っても話が進まないから、勘弁してあげる」

「それはありがたい」

「けど、事と次第によってはもう一発いくからね?」

「……それ、殴るって宣告してるようなものなんだけど」


 マークの一言に、レナードがギロリと睨め付けてくる。

 今の一言はさすがに余計だったかもしれない。そんなことを考えたマークだったが、もう遅い。


「なあに? まさかとは思うけど、アンタが一人で“赤竜”を食い止めるから私が医師と一緒にホルディアに行け、なんていうつもりはないわよね?」

「……えっと」

「言・わ・な・い・わ・よ・ね?」

「……すみません、そのつもりでした」


 汗を流しながら、告白する。

 瞬間、先ほどよりもさらに強烈な痛みが頭頂部に走った。


「ご、あっ……!?」

「アンタって奴は! “女王”の時も同じことやって死にかけたの、もう忘れたの!?」

「って、言ってもさ……」


 目の端に涙を浮かべながら、マークは反論すべく口を開く。

 が、相棒の表情を見て何も言えなくなってしまった。


「……何よ」

「……ごめん。無茶な作戦立てて」


 レナードの目には、涙が浮かんでいた。

 その表情には、マークに対する心配がありありと見て取れた。

 さすがに、女の子にそんな顔をさせて何も感じずにいられるほど、マークは鬼畜ではない。

 レナード自身、自分が涙をこぼしているとは気付いていなかったらしい。自分の目元に手をやりハッとした表情になったかと思えば、次の瞬間両手で目をぐしぐしと擦り、何事もなかったかのようにこちらへと目線を戻した。


「……何よ」

「……ナンデモナイデス」


 丸腰で肉食竜と出会ったら、こんな感じだろうか。

 思わずそんなことを考えてしまうような視線を投げかけられ、何も言えずにそれだけを返す。


「……でもさ。正直、僕が考える中ではこれしかないんだ。だからその……もし、他にいい案があれば教えてくれるとありがたい、かな」


 未だに痛む頭に手をやりながら、マークはおずおずと切り出す。

 レナードは腕を組みながら数瞬の間唸っていたものの、やがて盛大なため息をついた。


「……ないわ。あんたの言った案が一番現実的でしょうね。ホルディアの街に行く必要がある時点で、普通の手段は使えない。かと言って、私じゃあの“赤竜”を止められないだろうしね」

「そう。だから、レナとあの医者にはエイクォースを使ってホルディアに行ってもらう必要がある。医者一人であれには乗れないだろうし、それに途中で魔獣が出ないとも限らないからね」


 エイクォースというのは、草食獣の一種である。体高は成人よりも少し高い程度で、走行速度が非常に早いことから背中に人や軽い荷物を乗せて走ることができる。

 レナードとマークがこちらに来た際は、ヴァカム車という別の草食竜に引かせた荷車で来たのだが、難点として人が歩く程度の速度しか出すことができない。ホルディアカヌート間の移動に二日もかかってしまう。

 四日という制限時間ができてしまった以上、それでは間に合わない可能性が高い。……とは言え、エイクォースも往復に二日かかるため、そこまで猶予があるとは言えないのだが。


「けど……そもそもこの街エイクォース使えるのかしら? 薬の材料が見つからないくらいだし、使えないなんてこともあり得そうなんだけど」

「流石にそれはないよ。貸しエイクォースの看板があったから」

「よく見てるわね」

「ギルドのすぐ近くだったからね。むしろ、気付いてなかったんだね……」


 マークの言葉に、プイッと顔をそらすレナード。

 ……まあ、マーク自身偶然視界に入ったから覚えていたというだけであり、そこまで人のことを言えないのだが。


「まあ、その話は置いておいてお互いのやることを整理しよう。レナは医者と一緒にホルディアの街に行って、足りない材料を仕入れて来てほしい。……プネウマの花、だっけ」

「ええ。で、その間アンタは単身“赤竜”を食い止め続ける、と。三日はかかるわよ?」

「どうにかするよ。足止め道具はこっちでも売ってるみたいだし、補充はできるからね」


 そう言って、微笑む。

 正直なところ、三日も食い止めきれる確証はどこにもない。道具も食料も補充はできるが、マーク自身の体力はおそらくすり減らされる一方だろう。

 常に殺されるかもしれない状況下で、しかも逃げることも倒すこともできないのだ。この身にかかる負荷は、これまで戦って来た中でも最大級のものになるに違いない。

 けれど、やるしかない。

 そういう状況を知った上で、彼はメイアの母を救うと決めたのだから。


「まあ、早めに帰って来てくれると嬉しいけどね」

「期待はしないで。こっちも、なるべく急ぐけど」


 行こうか、と声をかけて歩き出す。

 向かう先は貸しエイクォースの店。まずはレナードと医師の為の足を確保しなければならない。医師の方は普段勤めている場所を聞いてあるので、街を出る前に拾えば問題ない。

 

「……ねぇ、マーク」

「ん? どうしたの、レナ」

「アンタさ、どうしてあの子を助けようって思ったの?」

「へ?」


 予想していなかった質問に、マークの思考が疑問符で染まる。

 こちらを横目で見つめるレナードの表情は、何とも言えないものになっていた。


「勘違いしないでね。アンタのしようとしてることを否定したいわけじゃないから。ただ、純粋に気になるのよね。どうして赤の他人のあの子を、アンタがそこまで危ない橋を渡りながら助ける気になったのか」

「……なるほど」


 なるほど、と口では言いつつも、思考はまとまっていなかった。

 どうして助ける気になったのか。改めて聞かれると、どうやって答えればいいのかわからなくなる。

 どうしてメイアを、メイアの母を助けるつもりになったのだろうか。

 どうしてかと言われれば……。


 脳裏を過るのは、かつての思い出のこと。

 自分が過ごして来た過去のこと。


 それを、どうやって言語化すればいいかと考えると……。


「言葉にするのが難しいんだけどさ」

「うん」

「家族って、大事だよなって。そう、思っただけだよ」

「……何それ」

「自分でもよくわかってないかも」

「……バカ?」

「かもしれないね」

「……バカね」


 ポツリと呟いて、レナードは前を向いた。

 仕方がないだろう。自分でも、どう言えばいいのかわからないのだから。頰をかいて、何とも言えない感情を持て余すことになるマーク。

 それから貸しエイクォースの店まで、二人が会話することはなかった。


「おじさん。エイクォースを四日くらい借りたいんだけど」

「いらっしゃい。何人で乗るんだい?」

「二人」

「なら、普通の大きさで大丈夫か。行き先は?」

「ホルディアの街です」

「ふむ……なら、大銀貨一枚と言ったところかな」


 言い出された金額に、思わずマークの表情が渋くなる。

 銀貨一枚は大銅貨十枚分の価値があり、大銀貨一枚は銀貨十枚分の価値がある。大銀貨一枚はマークの食費一ヶ月分程度だ。


「なんか、高くない?」

「おいおい兄ちゃん、ケチつけねえでくれよ。こっちは盗難だの故障だののリスクを背負ってんだ。子供のエイクォースも最近じゃ安くないんだぜ?」

「……まあ、それもそうか」

「むしろ、うちは親切な方だと思うがね。ギルドの監査の厳しさはあんたらも知ってるだろう? うちはあの監査を受けた上で認可まで貰ってるんだ。狩人相手に下手な値段じゃ出せねえよ」

「わかった、わかりました。疑って悪かったよ」


 降参、というように両手を上げてから、懐の財布を取り出した。

 ギルドの狩人であることを示す認識札と大銀貨一枚をテーブルに置くと、おじさんはにっと微笑みながら獣皮紙を二枚こちらに差し出す。


「契約書、ってやつだ。面倒だが、ギルドの方がうるさくてな。文字は読めるよな?」

「ええ、まあね」

「んじゃ、読んだ上で下の方に名前書くの頼むよ」

「わかりました」


 うなずいて、一通り契約書に目を通す。

 借りたエイクォースを喪失した場合の賠償についての項目に目が飛び出るような金額が書かれていてげんなりする羽目になったのは、ここだけの話だ。


「これでいいですか?」

「マーク・シュバルツ、ね。ん、大丈夫だ。少し待ってくれ」


 契約書に書いた署名と認識札を見比べて間違いがないことを確認してから、店主は契約書に日付と自分の名前を書き加えた。


「んじゃ、これが兄ちゃんの方で持っておくやつだ。返しに来る時も、一応持って来てくれよ」

「わかりました。それで、どれを連れて行けばいいですか?」

「おう、一緒に来てくれ。綱を握るのはどっちだ?」

「私ね」

「おし。んじゃ、ついてきな」


 レナードが手を挙げ、おじさんの後ろについて行こうとする。


「あ、ちょっと待って。レナ」


 それを、服の端を掴んで止める。

 レナードは振り向いて首をかしげた。


「どうしたの?」

「ここから僕は一人で動くよ。自分の準備もしないといけないし、早めに戻らないとメイアのお母さんが危ないしね」

「ああ、そうね。……マーク」

「ん?」


 レナードがこちらの目をまっすぐに見据えて名前を呼んで来る。

 それに、マークは視線を受け止めながら応えた。


「死なないでよ。死んだら、ただじゃおかないから」

「……わかった。レナの方も、気をつけて」

「ええ、もちろん」


 ニッと口の端を吊り上げて、レナードはこちらに背を向けた。


「それじゃ、三日後に」

「うん。三日後に」


 そう言い合って、彼らは互いの役割に向けて歩き始める。


 三日後。

 生き延びて、再び合流するために。




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