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とあるマニアの狩猟記  作者: 高空天麻
とある少年少女の邂逅
16/21

2−5

「……状況を整理しよう」


 あれから、どれほどの時間が過ぎただろうか。

 一度散り散りに逃げながらも、全員がどうにかメイアの家までたどり着いていた。

 日が落ちてからそこそこの時間が過ぎているが、誰も明かりをつけようとはしない。

 当然だ。“赤竜”に見つかれば、その時点で四人のうち二人は確実に死ぬのだから。


 空気が重い。

 口を開くのさえ億劫に感じられる雰囲気の中、しかし黙りこくっていても状況は良くならないとマークが口を開く。


「まずは“赤竜”の正体から。……メイア、先生。あの竜は、本当にメイアの母で間違い無いんですか」

「……結論から言って、ほぼ間違い無いだろう。母親の手記には一部始終が記載されているし、ここに用意されている物も竜人族が竜化を防ぐために定期的に摂取している物ばかりだ。……専門外だから、詳しいことはわからないがね」


 メガネの位置を震える手で直しながら、医師はそう告げる。

 暗くなる前に一通り必要だと思われる情報は集めてある。その中から考えると、それ以外の可能性はなかった。


「突然現れた、ギルドでさえも把握していないモンスター。ここ一ヶ月で急激に体調を崩した母親。それに、この少女が竜人であると言う事実。……これらを全て含めて考えれば、“竜化病”以外には思いつかないね」

「……“竜化病”?」


 初めて聞く単語に、マークは首をかしげる。

 レナードの方を見てみたが、彼女も知らないらしい。首を横に振っていた。

 コホン、と一呼吸を置き、医師が説明を始める。


「まず、竜人族についての説明を始めよう。竜の血を宿すとされる彼らは、文字通りその身を竜に変化させることができる。本当に人間なのか、どのようにそんな生態に至ったのか、まるでわからないがね」


 医師の説明に、二人は小さく頷く。

 そこまでは、二人とも理解している。というより、一般人の知識もその程度のはずだ。

 二人が分かっていると言うことを確認してから、医師は再び口を開く。


「だが、彼らの起源となっているのはそもそも竜族だ。人間ではない。彼らの血は竜であり続けることを望んでいるらしくてね。何の対策も取らずに日々を過ごしていると、ある年齢に入った途端急に竜化し始めることが多い。それも、本人が望んでの竜化では無い。意識も理性も何もかもを失って、ただモンスターと成り果てて暴れ狂い、その果てに討伐される。……その突然竜化する現象を、我々は“竜化病”と呼んでいる」


 ゴクリ、とマークの喉がなる。

 理性を失い、一個のモンスターとなって暴れまわる。

 それはまさに、先ほどまで退治していた“赤竜”そのままでは無いか。

 だとすれば、あのドラゴンは本当に……。


「病、と名付けている以上、治す手段があるのよね?」

「もちろんだ。病気を癒し、克服していくのが医師の務めだからね」


 レナードが煽るような一言をかけると、「当然だ」と言わんばかりに医師は頷いた。


「しかし、だ」


 だが、その表情がすぐに陰る。


「薬には、それ相応の材料が必要になる。それに……間に合うとは、まだわからない」

「……どういうこと、ですか?」


 医師の言葉に、絞り出すような声で問いかけるマーク。

 その隣では、俯いたままのメイアがピクリと体を跳ねさせていた。


「“竜化病”を抑えること自体は簡単だ。彼らが実際に理性のない竜と化すまで、何度か発作が起きることがほとんどだからね。発作が起きた時点で薬を用意し、すぐに服用すれば竜化までいたることはまず無い。しかし、」

「メイアの母は、既に竜化してしまっている……」

「そういうことだ」


 理解したマークの発言に、医師は苦虫をかみつぶしたような顔で応えた。その言葉を聞いて、メイアの体が微かに震え始める。

 無理もない。母親が暴れ狂う姿を見た後で、しかももう元には戻らないかもしれないと宣言されたのだから。

 少女の肩に手を回し、ポンポンと軽く叩く。少しでも落ち着くことができるように、と思ってやったことだが、今の彼女には届かない。


「……竜化してしまった場合、もうどうにもならないの?」

「いや、手段はある。確率は低いが、やらないよりは良いだろう」


 メイアの相手をしているマークに変わり、レナードが睨め付けながら尋ねる。しかし、専門分野となれば自信があるのだろうか、医師は怯むことなく言い返した。


「ただし、私だけでは無理だ。ハンター、君たちの力が必要になる」


 その言葉に、マークが顔を上げる。

 狩人二人の顔を交互に見つめ、医師は落ち着くように息を吐いてから再び言葉を紡いだ。


「可能性があるとすれば、あのドラゴンに直接薬を投与するほかない。経口か注射か、どちらかでね」

「……つまり、その薬を投与する間、僕らが奴を抑えなければならない、と?」

「そういうことだ」


 医師が言ってのけたあまりにも大胆な意見に、マークは口を引きつらせながら聞き返す。

 それに対し、医師はにべもなく首を縦に振った。

 思わず、マークはレナードを見上げる。見てみれば、レナードの反応も似たようなものだった。口を引きつらせ、あっさりと言い渡されたあまりにも高難度の任務に絶句している。


「簡単に言ってくれるわね、このクソ医者……」

「実際、私にできることは簡単なことだ。材料はほとんど揃っている。これを手順を間違えずに調合するだけ。それだけだ。あとは、君たちがどうするか決めるといい。君たちが受けた依頼なのだから」

「この、クソ医者……」


 医師の口から放たれるど正論に、何も言い返せないまま毒づくしかないレナード。

 実際、医師が言っていることは何も間違っていない。

 この医師はギルドに勤めているというだけで、この依頼を受注したのはマークたちだ。そして、医者が病気と闘うのが仕事であるように、モンスターと戦うのはマークたちの仕事である。

 この依頼を完遂すべく動くか、それともここで撤退するか。

 選ぶのも、決めるのも、マークたちの役割だ。

 どうする、と問いかけるようにレナードの目がこちらを向く。マークは困ったようにうつむくしかなかった。

 “赤竜”の実力は、先ほどの立会いだけで十分すぎるほど理解できた。

 少なくとも、“女王”や“王者”に並び立つほどの強者。そんな自然の脅威を前にして、本当に二人だけでどうにかできるのか。

 “女王”にすら叶わなかったというのに、本当に二人だけで止めることができるのか。

 考えれば考えるほど、いくらでも不安が湧き上がってくる。


 だがしかし。


 マークは顔を上げる。 

 視線の先にいるのは、わずか十歳かそこらの少女。

 その顔は先ほどまでのマークと同じようにうつむき、その小さな手は震えを抑えるように強く握りしめられていた。

 表情を伺い見ることはできない。けれど、普段通りのままではいられないはずだ。母親が凶竜と化し、目の前で「助からないかもしれない」と明言されてしまっているのだから。

 むしろ、泣いたり喚いたりしていない方が、おかしいと言えるかもしれない。


「僕は……」

「マーク」


 絞り出すように口を開いたマークに、レナードが普段よりも厳しい声音で呼びかける。振り向けば、まるでこちらを品定めするかのような鋭い視線が、彼を貫いた。


「間違えないように、先に言っておくわ。あの“赤竜”は間違いなく、私たちの手に余る存在よ。捕縛はおろか、討伐ですら難しい。もちろん、それはわかっているわよね?」

「……うん」

「それを理解した上で、決断しなさい。この前“女王”と戦うと決めた時のように。私は、アンタの決意に従うわ」

「それは、」

「どんな結末になっても、アンタを恨んだりはしない。私は、狩人だからね」


 それだけを言うと、レナードは口を閉じて一歩後ろに下がる。

 壁に体をもたせかけて、「さあどうするの?」とでも言うようにじっとこちらを見つめている。


 それに。

 それに、彼は。


(……ずるい)


 内心でそっとため息をつく。

 毎度毎度のことながら、レナードのやり方はずるい。

 彼がどんな選択を取ろうとしているのか、わかっているくせに。それにさっくりと釘を刺して、けれど否定はしないのだ。

 全てをマークの決断に投げ出して、その結果死ぬことになったとしてもきっと彼女は本当に恨んだりしないのだろう。

 こうすることを選んだ自分の責任だから、と一言で切り捨てるのだろう。

 だからこそ、マークは慎重にならざるを得ない。

 自分の決断を信じて疑わない相棒がいるからこそ、自分のせんたくを何よりも尊重してくれる仲間がいるからこそ、間違うことはできない。

 彼の決断が、後々彼女を殺すことになるのかもしれないから。

 もし彼女が死んだ時に、自分の決断を後悔するのはまず間違いなく自分だから。


 だから。

 彼は、深く息を吸って。


「レナード。メイアの母親を、助けるよ」


 そう、言う。


 それに、メイアの顔がこちらを向く。

 それに、医師の目がすっと細められる。

 それに、レナードの顔が「仕方ないな」とでも言うような、苦笑いに変わる。


「後悔は、しないわね?」

「わからない。もしこの選択が失敗したら、きっと後悔する。もし君が死ぬようなことがあったら、絶対に後悔する。けど、」


 もう一度、メイアの方を向く。

 その小さな顔には、信じられないという表情が浮かんでいる。真紅の瞳には、涙が浮かんでいる。

 ギルドの中でさまよっていた姿が。

 森の中で気丈に振る舞ってみせた姿が。

 変わり果てた母親に出会った時の姿が。

 彼の脳裏で何度も何度もリフレインして、離れない。


 こんな少女が、助けられることなく終わっていいのか。

 病気のせいで母親を他人に殺される、そんな終わり方でいいのか。


 良い訳、ないだろう。


「きっと、メイアを助けなかったら、僕はもっと後悔する。この先どんなに満足のいく写真が撮れても、どんなに素晴らしい光景を目にしても、心から感動することはできなくなる」


 ある種の確信と共に彼は小さな声で、しかしはっきりとそう断言する。

 レナードはその言葉に「馬鹿ね」と呟いて、しかし微笑みながら言葉を続けた。


「でも、嫌いじゃないわ。その馬鹿さ加減が」

「……付き合わなくても、良いんだよ? 本当に、死ぬかもしれないから」

「死ぬ可能性があるのは、どんな戦場でも同じでしょ。それがたまたま今日だっただけ。……そんなに簡単に死ぬつもりはないけどね」


 言って、レナードは背負っていた双剣を改めて抜き放つ。何度も敵の体を切りつけたせいで切れ味が落ちてしまっているその刃を、彼女は改めて丁寧に手入れし始めた。

 その相棒の姿に、マークはもう何も言わない。

 医師の方を向いて、口を開く。


「母親の薬は、あとどれくらいで作れますか?」

「……本当にやるんだな?」

「何度も言わせないでください」

「……わかった。もう一度確認させてくれ。十分ほどで済むだろう」

「わかりました。お願いします」


 一息ついて、医師はそう答えた。

 その返答に頭を下げて、今度はメイアの方へと向きなおる。


「マークさん、あの……」


 何かを言おうとしてくるメイアの頭をポンポンと軽く叩き、マークはなるべくいつも通りの笑みを浮かべる。

 目の前の少女が、少しでも安心できるように。


「大丈夫だよ、メイア。僕たちがどうにかするから」

「でも、マークさんはその……お母さんと、戦うんですよね?」

「……そうだね。でも、大丈夫」


 ニッコリと微笑んで、メイアの目線と同じ高さになるように膝を折る。

 幼さを内包した瞳は、不安と心配に濡れている。母親を助けてくれると言われたところで、信用しきれないのも仕方ないだろう。

 だから、少しでもその恐怖を拭えるように、彼は口を開いた。


「これが、僕たちの仕事だから。だから、メイアは安心して待っていてくれれば良い。……いいね?」


 そう、はっきりと言い切る。

 正直に言えば、今もマークの心は震えている。

 強力な力を持ち、未だに未知数の大敵である“赤竜”を討伐するのではなく、捕縛しなければならないのだから。

 どう考えても、マークとレナードの手には余る内容だ。十回試してみたら、九回は死ぬことになるだろう。

 我ながら、とんでもない依頼を受けてしまったものだと思う。


 けれど。


 もう一度、メイアの顔を見つめる。

 涙に濡れた頰に、ほんの少しだけ安心したような笑みを浮かべた少女の顔を見て、自分の判断は間違いなんかじゃないんだ、と自らに言い聞かせる。

 きっと、この考えは誤りなんかじゃないんだ、そう自分に言い聞かせて立ち上がる。


「ただ、この家で待っているのは危ない。だから、カヌートの街で待っていてくれ」

「……わかりました」

「よし、いい子だ」


 こちらの言葉にこくりとうなずいて、メイアは部屋の奥の方へと歩いていった。カヌートの街へ行く前に、準備があるのだろうか。

 まだ少し時間はあるから、特に何も言わずそれを見送る。そんなマークに、背後から声がかけられた。


「少し、いいかね」

「ええ。どうかしましたか」

「ああ、少し面倒なことになるかもしれん」


 医者の言葉に、マークは眉をひそめる。

 どうやら、今回の依頼もそう簡単には収まってくれないらしい。




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