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とあるマニアの狩猟記  作者: 高空天麻
とある少年少女の邂逅
15/21

2-4

 眼前の“赤竜”が、高らかに吼える。

 脳を、全身を、本能を貫くその衝撃に必死で抗いながら、マークは左手に握ったペイント弾を敵の頭めがけて投げつけた。

 “雪兎”の頭部装備はスノウヘアーの分厚い皮と豊富な毛をたっぷり使っている影響か、敵の咆哮に対して若干ながら耐性ができる。そのおかげで、耳を塞がずに済んだ。

 ベシャリ、というかすかな音ともに鮮やかな色の液体と、鼻を突き刺す匂いがぶちまけられた。これでこの場から逃げられても追跡する際の心配はない。

 問題は、ここからだ。敵がどう動くのか、何を得意として何が苦手なのか、情報は全くない。

 ぶっつけ本番で、色々と試すしかない。


「まずは、こいつだっ!」


 半分開けっ放しのポーチに素早く左手を突っ込み、相手の鼻先へと取り出したものを放り投げる。

 コツン、という軽い音を立てて相手の鼻先に黒い物体がぶつかった。


 瞬間、二つ目の太陽が出現したかと見紛うほどの閃光が、世界を塗りつぶす。


(さて、どうだ……?)


 自分の放り投げたスタングレネードで目を潰される、なんて事態はもちろん回避し、若干ふらつきながらも“赤竜”へ向かって走り続ける。

 普通の敵ならこれで錯乱し暴れ回るか、視力が回復するまで大人しくなる。だが、“女王”はスタングレネードを受けてもこちらの動きを察知して迎撃し続けるなど、安定した動きを見せつけた。

 この未知の敵はどうか……?


「ギュウ、ギュオオオオオオオオオン!?」


 悲痛な叫びと共に、頭が天を仰ぐ。

 だが、その目は明らかに機能していない。ぱちぱちとまるで人間のように瞬きをしているものの、マークやレナードの方へ視線をやるが全くこちらの姿を捉えられていない。


(使える!)

「レナ! チャンスだ!」


 敵からの反撃がないと踏んだ瞬間、マークは叫ぶ。

 その声に応えるように、レナードが全速力で敵の足元まで飛び込む。足元まで潜り込んだ瞬間抜刀したその刃には、すでに青い光が煌めいていた。


「お、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 咆哮。

 同時に、その双刃が躍る。

 狙うは、左足。体重を支えている一対の柱を、一つ崩す!

 他のことには目もくれず、ただひたすら目の前の目標だけを見据え、その両手を振るい続ける。


「レナ、限界だ!」


 だが、その言葉で彼女の中のスイッチが切り替わった。攻撃するための思考から、生き残るための思考へと変化する。

 空気の流れと音から敵の体が右側へ動くと即座に判断し、左側へと体を転がす。

 すると、その読みは当たったようで、レナードが体を転がしたのとは逆方向に“赤竜”が尻尾を叩きつけていた。


「クイック・スタン!」


 レナードが敵の足元から逃げ出したのを確認して、クイック・スタンを撃ち込む。クイック・スタンで制動をかけると、モンスターの直前の行動次第では足元から崩れ落ちてしまうことがある。そのため、安定性を増させるため、レナードが逃げるまでは使えなかった。

 クイック・スタンは耐性を作られることこそ少ないものの、制止力は低い。あれ一発だけでは、数秒動きを止めるのが精一杯だろう。

 だが、それで十分。

 それだけの時間があれば、レナードは十分敵から距離を取ることができる。

 仕切り直しだ。


 だが、マークとレナードの表情は浮かない。

 レナードが左手に持った剣をこちらへ見せてくる。それは、剣がすでに刃こぼれを始めていることを示す合図だ。……彼女の剣は、以前“女王”と戦った時よりもはるかに切れ味を増しているというのに。

 加えて、二人の表情を曇らせる要因がもう一つあった。

 “赤竜”は、あれだけ片足を攻撃されたにもかかわらず、全く動きが鈍っていない。見ればわかる、このモンスターの左足はほとんど損傷を受けていない。

 スタングレネードを一つ使って、あの程度のダメージ。今回持ってきているスタングレネードは、十個のみ。……はっきり言って、倒せるイメージがわかない。

 彼の剣“鬼喰”はレナードの双剣よりも切れ味が悪い。攻撃に特化した彼女があれだけの連撃を叩き込んでも、あの程度のダメージしか与えられなかったことを考えると、正直あれが二倍になってもほとんど変わらないだろう。


(おまけに、逃げることもできない……)


 これが、最も厳しいところだ。

 ここから少し行った所にメイアの家があるらしい。つまり、ここを二人が離れると、高確率でそちらに“赤竜”が向かう。

 つまり、こいつを引きつけ続けるしか、方法がない。相手をし続けて、“赤竜”がどこかへ行くのを待つしかない。


「キッツイな、この状況……」


 思わず、ボソリと呟く。

 以前“女王”と交戦した時は、二人が限界に達したら逃げ出すことができた。

 けれど、今回は違う。

 メイアはもちろん、あのいけ好かない医者も、今回は護衛対象だ。彼ら二人を置いて、逃げるわけにはいかない。


 おそらく、レナードも同じ考えをしているはずだ。

 その証拠に、彼女の視線は“赤竜”から全く外れておらず、その表情からはまだどうにかして現状を打破しようとする意思が認められる。

 だから、まだ諦められない。

 相棒が立ち向かい続けているのに、サポーターが折れるわけにはいかない!


「レナ! もっかい行くよ!」


 返事を待たず、術式を展開する。

 幸い、彼女はこちらの意図を汲んでくれたようだ。その両腕は、すでに背中に納められた剣に添えられていた。


「パラライズ・ランス!」


 詠唱すると同時、魔法陣から光の槍が“赤竜”へ向かって放たれ、数瞬の後に着弾する。

 正直な所、効くかどうかは五分五分だったが、賭けは彼らの勝ちだったらしい。


「ガァグ、グォオオオオオオオオオオオオオオッ!?」


 体の自由を奪われた“赤竜”が、再び悲痛な叫び声をあげる。

 だが、容赦なんてくれてやる余裕は全くない。今度はマークも“鬼喰”を抜き放ち、眼前の敵へと肉薄する。


「おりゃあ!」


 気合を込めた一閃を翼に叩き込むも、ガギン! という硬質な音と共に刃が弾かれる。やはり、甲殻の硬さが半端じゃない。比較的脆いはずの翼でさえこの硬度なら、頭も足もマークの剣では歯が立たないと見ていいだろう。


「なら、こうだっ!」


 それならば、と今度は翼膜を切り付ける。

 翼そのものを壊すことはできなくとも、翼膜を傷つけることができれば飛行を阻害することができる。

 “赤竜”がどのような生態なのかは全くわからないが、生物は基本的に自分が傷つくほどの何かがいる場所からは逃げ出そうとする本能がある。少しでもダメージを積み重ねることができれば、この場から遠ざけることができるかもしれない。

 そう、淡い期待を抱きながら、剣を振るう。

 しかし、現実はそう甘くない。


「くっ!?」


 ぐにん、という柔らかい感触と共に、剣の勢いが完全に殺された。

 断ち切れない。この程度の刃では、翼膜を傷つけることすら叶わない。

 それはつまり、少なくともマークから“赤竜”に与えられる有効打が全くないということを意味していて。

 マークは、自分の顔から血の気が引いていくのを感じていた。


 弱点への攻撃すら通らないというのならば、彼が“赤竜”に対してできることは、魔法と道具を使っての足止めだけということになる。

 だが、先ほども述べたようにスタングレネードは残りたったの九個。そして、クイック・スタンもパラライズ・ランスも、今は効いているとはいえ、この後耐性を獲得されないとは限らない。

 つまり、時間が経てば経つほど、彼の強みが消えていくと予想される。

 そして、彼にできることが何もなくなった瞬間。

 それはここにいる二人と、先に逃がした二人、合計四人の命が風前の灯と化すことを示している。何せ、レナードは完全に攻撃特化のアタッカーだ。誰かを守りながら戦い続けることには向いていない。

 彼女が攻撃に特化することで生まれる隙をマークが可能な限り潰すことで、このコンビは成立していた。

 コンビの一人が無力化されれば、もう一人も潰されることは目に見えている。


(どうする、どうすればいい…………っ!?)


 そういう思考の方に一瞬でもリソースを費やしたのが裏目に出たのかもしれない。


「マーク、危ない!」


 その声が耳に届いた時には、もう遅かった。


「……ぇ」


 瞬間、背中の方から、凄まじい衝撃が伝わり、彼の体が宙を飛んだ。

 尻尾で殴り飛ばされた、そう気づいた時には、地面に叩きつけられる寸前だった。

 受け身なんて取ることもできないまま、マークの体が地面に衝突し、バウンドしてそのまま何度か転がる。

 突き出ていた岩にぶつかって止まるまで、全く息をすることができなかった。


「か、あは……っ」


 激痛が、全身を貫いた。

 呼吸ができない。立ち上がろうと思っても、目の焦点すら合わず、体は震えるばかりで言うことを聞かない。

 無意識のまま体を丸めることができた、ということからかろうじて背骨への損傷などはないことがわかるものの、それ以外の場所は痛みが走り続けている現状、どうなっているのか全くわからない。


(やばいな、これ……)


 気を失ったほうがましとさえ思ってしまうほどの痛みの中、どうしてか思考はゆったりと落ち着いていた。もしかしたら、頭のどこかで諦めのスイッチが入ってしまっているのかもしれない。

 腕を満足に動かすことすらできない現状、回復薬を口に含むことすらできない。

 這って進むことすらできず、おまけに視界がはっきりとしないことから、どちらに動けば戦線を離脱できるのかもわからない。

 “赤竜”はおろか、小型の肉食竜に襲われるだけでジ・エンドだ。しかもタチの悪いことに、この手の症状は一分二分で納まるようなものでもない。


(レナは……? せめて、レナだけでも、逃げてくれれば……)


 そんなことを考え始めてしまった時点で、彼の心は折れていたのかもしれない。事実、今の彼がこの場を無事に切り抜けられる可能性は絶無と言っていい。

 だからこそ、彼の考えていることは祈りとすら言っていいものだった。


 だからこそ、彼は自分の元へ近づいてくる影に気づくことができないでいた。


「マークさん!」


 いきなり自分の上半身が持ち上げられたことに気づく。

 何だ、と思った次の瞬間、力を入れられずに開きっぱなしの口から何かを注ぎ込まれた。

 抵抗もできないまま、次々と注ぎ込まれる液体を飲み込んだ。すると、ぼんやりとしていた視界が、みるみるうちに鮮明になっていく。

 ……と同時に、ほぼ失われていた味覚が元に戻った。


(辛っ…………っ!?)


 気づいた瞬間、口の中どころか、喉までまるで火にあぶられているかのような激痛に苛まれることになった。

 声を出すこともできないまま悶えるも、そこで自分の口にこのわけのわからない液体を注ぎ込んだ主に気づく。


「マークさん、大丈夫ですか!?」


 そこにいたのは、メイアだった。


「か、はっ!? め、メイア!? 何でお前、これは一体……っ!?」


 視界はある程度回復したものの、一瞬前まで絶望に沈みかけていた思考はすぐに回復しない。それにつられてか、言葉も何を聞きたいのか、自分でも訳がわからないカオスなものとなっていた。

 それに、メイアも慌てているのか数瞬もごもごと口を動かしてから、言葉を発する。


「レナードさんの叫び声が聞こえたんで、急いで来たんです! もしかしたら、どっちか怪我したんじゃないかって! これ、お母さんが使っていた薬です!」


 おそらく、マークがいつも使っている甘ったるい回復薬とは違う、気付けや回復速度を向上させることを重点に置いた調合薬だろう。

 味はともかく、今の場面においては素晴らしく効果を発揮している。

 だが、気になるのはそれだけじゃない。


「助けてくれたことは感謝する、けど何で戻って来た! 危ないって言っただろ!」

「私がお願いして連れて来たのに、私だけ逃げるなんてできないです!」


 子供への遠慮なんて一切考えずに叫ぶマークにも臆さず、メイアが真っ向から言い返す。


「私も、お母さんと一緒に戦って来たんです! 私だって、お手伝いできます!」


 その目の端には涙がにじんでいる。きっと、恐怖の感情が少女の中で渦巻いているのだろう。

 だが、それに反して一歩も退かないという固い意志が見受けられるその目に、マークはこれ以上説得しようとしても無駄だと即座に判断する。

 どっかの誰かさんと一緒だ。一度こうだと決めたら絶対に動かないし、揺るがない。

 だから、


「……僕たちのどちらかが君のことを呼んだら、回復薬を渡してくれ。それ以外の時は、見つからないように隠れていること。武器を持っていない以上、“赤竜”に対して君ができることは何もない。……いいね?」


 その言葉に、メイアはこくりと頷く。よし、と主戦場から少し離れた方を指差して、あちらに隠れておけと指示する。

 幸い、その指示にはすぐに従ってくれた。それにホッと一息つきながら、彼は戦場へ復帰すべく走り始める。


 メイアに助けてもらったことは事実だが、これ以上この場に彼女を置いておくことはリスクにしかならない。

 かと言って、生半可な理由ではメイアはこの場を離れないだろう。それを説得している間に、レナードが危ないことになりかねない。

 だから、適当な理由をつけて、戦場から少し離れたところに隔離する。

 どちらかが呼んだら、と条件をつけたのは、メイアが先ほどマークを助けに来た時のようにあっさりと戻ってこないようにするためだ。


(しかし何だろう、あの回復薬……?)


 未だに声を出すことが辛くなる辛さを除けば、即効性と回復効果はマークが普段使いしている回復薬の原液レベルの効果を発揮している。

 痛みが完全に消えた、というわけではないが、十数分は動けないだろう痛みを走れる程度にまで和らげてくれるとは、凄まじい効果だ。メイアの母に出会ったら、ぜひ作り方を教えていただくことにしよう。


「レナ、戻ったよ!」


 一人で悪戦苦闘し続けている相棒に声をかけながら、“赤竜”のターゲットをこちらへ引き寄せるべくもう一度ペイント弾を敵の胴体めがけて放り投げる。

 再び鼻を突き刺すような異臭が漂い、敵の視線がこちらへと向いた。


「でりゃあ!」


 駄目押しとばかりに、低い位置にあった翼へ剣を叩きつける。案の定硬質な音を立てて弾かれてしまうものの、目的は損傷を与えることじゃない。こちらへ標的の敵意を向けることができれば、それでいい。

 その目論見は当たったらしい。敵の視線が完全にこちらを向いた。

 その目は人間が敵意を持った相手に向けるもののように、鋭く細められている。ただそれだけで、先ほど受けた痛みと衝撃が脳裏に一瞬フラッシュバックする。


(怯むな! ここで怯んだら、何もかも終わりだ!)


 そう自分に言い聞かせ、あえて深呼吸をする。

 恐怖は人間として当たり前の感情だ。強大な敵を前にして恐怖を感じなくなった時、それはある意味でその人間が死に向かっていると言ってもいい。

 無謀であることと、勇敢であることは違う。いつか、憧れの人が彼に贈った言葉のように。

 だが、恐怖に飲み込まれてはいけない。怯えて思考か行動、極限の状況下でどちらかが鈍ってしまえば、その時点でその人間は死ぬことになる。

 怯むな、屈するな。目の前の敵を見据え、自分の行動を冷静に考えろ。

 そうしなければ、今ここで死ぬことになる。自分だけじゃない、この敵の向こう側で同じように奮闘している相棒も、背後に隠れている守るべき少女も、同じように死ぬことになってしまうだろう。

 それだけは、嫌だ。

 だから。


 目を可能な限り開き、敵の一挙手一投足全てを見る。

 震える手に喝を入れ、剣がすっぽ抜けたりしないように力を込める。

 ストッパーとしての仕事がほとんどできないとしても、サポーターとしての仕事は、可能な限りこなさなければならない。

 今ここでやれることを、自分にできるだけこなす。

 それ以上のことを考えると、さっきのように思考に頭を奪われて動きが鈍る。

 だから、やれることをやる、ただそれだけを考えろっ!


「……行くぞっ!」


 自分を鼓舞するようにそう叫び、彼は前に出る。

 目の前の脅威を、退けるために。


「グォオン!」


 迎え撃つように、その尾が振るわれる。

 勢いから考えて、まともに受ければ今度こそ立てなくなる一撃。下手すれば、今度こそ黄泉の道を辿ることになるかもしれない。

 だが、それはまともに受ければの話だ。

 落ち着いて見ていれば、軌道を読むのはたやすい。

 軌道を読むことができれば、躱すことは不可能じゃない。

 躱すことができるなら、戦い続けることができる。


「おりゃあ!」


 敵の尻尾が通り過ぎ、動きが一瞬止まる。その隙をついて、がら空きの胴体に一撃叩き込む。

 ガギィン! という音ともに再び弾かれるものの、敵の意識はこちらに向く。それが狙いなので、構わない。敵がこちらを意識して、レナードが差し込む隙を見つけることができれば、それでいい。


「おらおら、こっちを向け!」


 叫びながら、さらに追撃を加える。

 それに、“赤竜”は鬱陶しそうに目を細めながら尾と牙で追いかけてくるが、役割をはっきりと見出した今の彼に、その程度の攻撃では当たらない。

 そして、そうやってマークだけに集中していると、その隙を突かれることになる。


「行くわよ……」


 小さな呟きとともに、レナードが再び敵の足元へ潜り込む。

 両の刃を解き放ち、青い光を宿らせて、絶好の機会を逃さないとばかりに小さな牙を剥く。


「はぁああああああああああああああっ!」


 狙うは前と同じく左足。先ほどつけた傷を少しでも広げようと、さらに抉りにかかる。甲殻そのものを斬り付けたところでダメージを与えることはできない。甲殻の隙間に剣を滑り込ませ、無理やり中の肉を引き裂いていく。

 少しでもダメージを増やすために、少しでも時間を稼ぐために。

 

「ゴォオオオオオオオオオオン!?」


 さすがに何度も何度も同じ所を狙われては、さすがにどんなに強固な鱗と甲殻を持っていてもダメージは通るらしい。

 吠え、視線をレナードへと向ける。だが、素直に攻撃させるわけにはいかない。


「パラライズ・ランス!」


 即座に魔法を完成させ、敵の動きを食い止める。その間にレナードが足元から逃げ出し、もう一度標的の敵意をこちらに向ける。

 この流れができれば、あとは根比べだ。

 何度か他の狩人達と組んで一緒に依頼をこなしたことも何度かあったが、基本的には同じような流れで敵を消耗させて行くのが常套手段だった。

 だから、これを続けられれば、こちらの勝ちは揺るがない。あとは、相手にまだ見ぬ隠し球がなければ、問題はないはずだ。


 そんな彼の思考を感じ取ったのか、それともこのままいくと自分の命が危ういと踏んだのか。

 “赤竜”の動きが変わる。


「え!?」

「レナ、一度離れるよ!」


 これまでこちらの動きに翻弄され続けていた竜が、急に動きを止めた。

 急な変化に戸惑うレナードに、何か危ういものを感じたマークが一度下がるよう声をかける。

 だが、二人が距離を取る前に、変化が訪れる。


「グゥ、グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」


 天への咆哮、同時にその全身から真紅の光が迸る。その光景に、二人は肌が泡立つのを感じていた。

 脳裏をよぎるのは、かつて剣を交えた最強の敵。

 未だ色褪せることのない、”女王”の恐怖。


「まさか、魔力装甲……!?」


 “女王”や“王者”など、魔力を潤沢に秘めたモンスターにのみ許された切り札。全身の血管に魔力を通すことで外皮、外殻に加え魔法耐性、身体能力まで強化される、ハンターからすれば厄介極まりない状態。

 この力を操れる、というだけで“女王”や“王者”と同等の強敵ということの証明になる。

 おまけに、魔力装甲を展開する前と後では行動がガラリと変化するタイプのモンスターもいる。もし“赤竜”がそのタイプのモンスターだった場合、圧倒的な力と未知の行動でそのまま蹂躙される可能性までありうる。


(退くしかない。このままここで戦っても、“女王”の時の二の舞だ……っ!)

「レナ、逃げるよ!」


 レナードが頷いて走り出すのを見てから、マークも走り出す。

 まずは、メイアの元までたどり着き、彼女を回収しないといけない。その後は状況を見ながら判断する必要があるが、まずは彼女の家まで逃げる必要がある。

 メイアの母親を、病身の女性を放って逃げるわけにはいかない。

 母親を助けてほしい。

 それがメイアからの依頼なのだから。


「メイア、逃げるぞ!」


 少女に隠れていろと指示した場所へ走り込み、素直にそこで待ってくれていた少女の姿を見てほっとする。ここで全く別の場所に隠れていて、探さないといけない、なんてことになったら、大変なことになっていた。


「まずはお母さんとお医者さんを迎えに行こう。その後で……メイア?」


 話しかけるも、メイアの視線は全くこっちを見ていない。

 その目は、猛り狂う“赤竜”へと向けられていて。


「……怖いのかい?」


 ソッと少女の手を握る。

 メイアの手は、かすかに震えていた。無理もない。いくらモンスターに慣れていたとしても、あんな強大なモンスターをこんなに間近で見るのは初めてだろうから。


「大丈夫だよ、メイア。お母さんもメイアも、僕とレナードが必ず守る。必ず街まで連れていく。だから、」

「……お母さん」

「……えっ?」


 ポツリと呟いた少女の一言に、マークの動きが止まる。

 メイアの視線は、“赤竜”を見据えたまま動いていない。そして、少女の顔には心配するような表情が浮かんでいた。


「あれ、お母さんだ……お母さんが、暴れてるんだ……」

「……嘘、だろ」


 少女の目に、涙が溢れ出す。だが、マークはそれを拭ってやることすらできなかった。

 もう一度、彼も“赤竜”の方へと目を向ける。

 視線の先にいるのは、こちらを見失ってしまったらしい竜の姿。猛り狂う激情をぶつける先を求めるかのように、あちらこちらへと視線を向けながら暴れまわっている。


「あれが、母親……?」


 メイアの言葉を、反芻する。すぐには理解できないものを、むりやり飲み込むように。


「あれが、人間だっていうのか……?」


 だが、少女の言葉を理解することも、納得することも、今の彼にはできなかった。



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