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「やれやれ……ギルドに勤めてそこそこ経ちますが、まさか森の中まで診療に行く必要が出てくるとは、思いもしなかったですよ」
「はは、奇怪な事もあるものですよねぇ。僕も誰も知らない赤い竜の調査なんて依頼を受けることになるなんて、思いもしませんでしたし」
ぶちぶちと小言を言っているギルド所属の医者に、マークは営業スマイルを浮かべながら返事をする。
無論、内心では(ああ、めんどくさい……)と疲労の滲む言葉を思い浮かべているのだが……。
しかし、ここで彼が対応をやめると、思わぬところから二次被害が生まれかねない。どれほど面倒くさくても、やめるわけにはいかなかった。
(こういう時、レナは相手してくれないもんなぁ……)
ちらりと目線を横に向ける。その先には、竜人族の少女を相手するという大義名分を掲げて不干渉を貫く相棒の姿があった。
レナードは自分が認めた相手には多少寛大な様子を見せるけれども、それ以外の人間に対してはかなり短気だ。そして、この医者のようなタイプの人間はレナードの神経をかなり逆撫でする。
ブチ切れて、手や足が出かねない。それだけならまだしも、剣なんて抜こうものならマークにも止められない。クイック・スタンやパラライズ・ランスまで使うレベルの戦いが起こる。
それよりは、人を巻き込む可能性が少ない少女の相手をする方がいいと踏んだのだろう。いい判断ではあるのだが……マークにとっては逃げ道がないという事を示していた。
内心で深々とため息をつく。どうしようもない分、疲労がさらに増していく気がした。
「あの……レナードさん、あっちの方は……」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。マークが相手してくれてるから」
そうにっこりと微笑むレナード。けれど、その目は全く笑っていない事に、マークは気づいていた。それはそれで、隣にいる少女がかわいそうな気もしてくる。
とどのつまり、どちらに来ようが精神がすり減る状況なのは変わらないわけだ。まったく、誰がこんな状況にしたんだか。
少女が非常に心苦しそうな、こちらを心配してくれているような顔でちらちらとこちらを見てくるのが、唯一の癒しだった。
「さて……メイア。僕達はこの森に来た事がない。案内、頼んだよ」
「わかりました。あの……よろしくお願いします」
「ま、私達は依頼料を受けているし、こっちの医者もギルドから報酬をもらうわけだし。そこまで遠慮しなくてもいいわよ?」
「来ていただくんですから、そんな事できないです……」
おとなしそうな見た目に違わず、竜人族の少女——メイア・ラグートは困ったような声音でそう言った。
依頼人といえば、困っているくせに上から目線の金持ちというイメージが強いからか、こういう感じの依頼人は久しぶりだ。ものすごく、心が洗われる。
癒されたところで、一つ深く息を吸い、マークは思考を切り替えた。
「今回の僕らの目的は二つ。一つ目は、現在確認されている新種、<赤竜>の調査。そして、もう一つがメイアの母親の治療。……ま、優先順位は考えるまでもないかな。だよね、レナ?」
「そうね。<赤竜>の方は会いたいと思っていても会えるかわからないし、先に解決方法がわかりきっている仕事から先に済ましちゃいましょ」
「そういうわけだから……メイア、先に君の家に行って、お母さんの治療をしようか」
「は、はい!」
そう告げると、メイアの表情がぱあっと明るくなった。それに、二人の頰が自然と緩む。
気丈なように振舞っていても、やっぱりまだ子供。母親が助かる可能性が見えてきた途端、ギルドのカウンター前で誰かが来るのを待っていた時よりもずっと明るい表情に変わっている。
その期待を、なるべくなら裏切りたくはないものだ。
そんなことを考えながら、彼は改めて今回の依頼へのモチベーションを確保しようとしていた。
なんせ、現在受けている二つの依頼のうち、一つは<赤竜>なんて未確認のモンスターを対象にした依頼だ。危険性を予測しきることなんて、出来はしない。そんな依頼を受けているのに、テンションを上げていくことなど難しいだろう。
「さって……それじゃレナ。どっちが前に行く?」
「こんな所でレディーファーストの精神を発揮しなくていいわよ。あんたが先に行きなさい。私がしんがりを務めてあげるわ」
「ま、そうなるよね。前方から来るやつはどうにかするから、後ろから来るやつはお願いね」
「はいはい」
そうサクサクと互いの立ち位置を確認し合う。
「僕が先に行くから、メイアがその次に来て案内をしてくれ。お医者さんはその次、一番後ろがレナ。その順番でいきましょう」
「な、なんで僕が一番後ろじゃないんだ。この少女が、なんで一番後ろなんだ!」
「一番後ろは奇襲の可能性があるからですよ。まあ……後ろから肉食竜達の攻撃を受けてもいいなら、別に構わないですけど」
そう言うと、医者は渋々ながらも彼の提案を受け入れた。
(……あ、言わないで後ろに配置すればよかったかも)
そんな、黒い思考が頭をよぎるのを、一瞬後で彼は認識した。
(……いやいやいや、それは人としてどうなんだよ!?)
必死に頭を横に振って、そのどす黒い思考回路を自分の中から抹消する。
どんなに嫌なヤツがいたとしても、そんなことを考えちゃいけない。そんなことを考えることすら、いけないことだ。
そう必死に自分へ言い聞かせて、マークは考えるベクトルを変える。
というか、ここで彼がその思考に染まってしまったら、レナード辺りが積極的に医者を排除しに行きかねない。彼ら二人では病気を治すことはできないのだから、今ここで彼を失う訳にはいかない。
……というか、そもそも彼は別に人を殺したいとかそんな願望は全くない。いや、レナードも鬱陶しいと思っているだけで、そこまでやろうとは考えていないはずだ。……多分。
「……鬱陶しいわね、本当に」
「抑えて抑えて……聞こえちゃうよ」
「聞こえたらマズイの? 別に仕事さえきちんとしてくれれば、何の問題もないわよ。仕事しなければ、ギルド内での信用を失うだけだしね」
イライラを隠しもしない半眼で、彼女は呟いた。
一応声を抑えている分、いつもより自制は聞いていると言えるが……それもかなり限界にきているらしい。
普段の彼女ならとっくに限界を迎えているところだが、今回はかなり頑張っている。
これ以上彼女の自制心をすり減らさないように、こちらとしても最速でどうにかしたいところだ。
「てな訳で、メイア。意外と猶予時間が少ない。案内、早めにお願い」
「え? わ、わかりました」
レナの堪忍袋の短さを知らないからか、メイアはキョトンとした表情をしている。とはいえ、切迫していることは雰囲気で察してくれたのか、マークの隣に立って歩き始めてくれた。
「ほら、私たちも早く歩かないと置いていかれるわよ?」
「フン……全く、なんでこの私が……」
医者も歩き始めるが、やはり一般人。歩く速度はそこまで速くない。
この速度だと、森の奥地へ着くのにどのくらいの時間がかかるか……考えたくもない。
(頼むから、見つからないでくれよ……)
そう、彼は内心で願うしかなかった。
同じ頃、ホリディアの街。
リリィは前回の<女王>襲撃の原因を未だ判明させることができずにいた。
「はあ……本当に自然のサイクルの一つとして<女王>が移動してきたんなら、そりゃあこれだけ洗っても何も出てこないわよね……無駄足だったかしら」
同僚の友人にかなり遠方まで出向いて探ってもらったというのに、不自然な点は特に見当たらなかった。
……とはいえ、一応念のために出向いてもらったという面が強い。何もなくてよかった、それで良いはずだ。
「はあ……マークとレナは今頃どうしてるかしら……」
今日は久しぶりに受付の仕事が少ない。
暇で暇で、仕方がない。
机に突っ伏して、彼女はここにいない二人のことを思い浮かべる。あの二人は確か、今日初めて依頼を受けて他の街へ出向いたはずだ。
あの凸凹コンビで、本当にうまくいくのだろうか。実力自体は申し分ないはずだが、どうにもあの二人の普通の狩人と違う感じがリリィにとってどうしても心配が残るのだ。
おまけに、依頼の内容は<赤竜>だ。ギルドの情報にない、未確認のモンスター。心配にならないわけがない。
「面倒事に、巻き込まれてないと良いけれど」
ポツリと呟き、カウンターに突っ伏す。
彼女は知らない。マークとレナードが、彼女の予想通りに厄介事を余計に背負い、森の中で神経をすり減らす思いをしていることを。
「……おかしい」
森の中に入って、二時間ほどが経過しただろうか。
周囲を警戒しながらの移動なので、それほど距離は稼げていない。だが、メイアの言葉を信じるなら、もう少しで家の近くに出るらしい。
それは良い。敵に見つからず、任務を達成できるなら、それに越したことはない。
だが。
休憩するために見繕った岩陰から顔をわずかに出して、周囲を見回す。
広がるのは、鬱蒼とした森。高々とそびえる木は青々とした葉を茂らせ、太陽の光もそれほど入ってこない。
聞こえてくるのは小鳥の歌声と、風が通り抜けるざわざわとした音だけ。彼らの他には誰もいないからか、森の中はひどく静かだ。
「……どうして、モンスターがいない?」
その静けさに、マークは言いようの知れない違和感を覚えていた。
肉食竜が見つからないのは、構わない。見つからないように動いているのだから、それは僥倖と言える。
だが、草食竜すら見当たらないのは、どういうことだ?
普通ここまでの規模の森なら、これまでの道のりの中で幾つかの小規模な草食竜の群れに遭遇していないとおかしいはずだ。
なのに、今日彼は一体も、肉食竜はおろか草食竜すら見ていない。ほんの一体たりとも。
「やっぱ、あんたも気になる?」
「レナ……やっぱり気付いてる?」
背後から足音を立てずにレナードが近づいてきて、そう囁いた。
やはり、彼よりも長く自然の中で戦い続けている彼女だけあって、違和感にはとっくに気付いていたらしい。
「森の中、って聞いたから、その辺の草食竜でも狩ってお昼ご飯にしようと思ってたのに、当てが外れたわ。おかげで、昼のメニューはまっずい携行食料だけになりそうよ」
「あ、そこは大丈夫。僕が少し多めに持ってきてるから」
「さすがマーク。後でおごるわ」
「はいはい」
唇を尖らせながら、そんなことを言い出すレナード。それに少し吹き出しながら、彼は再び視線を自然の中へと戻す。
レナードと同じようなことを、マークも実は考えていた。彼が多めに食料を持ってきていたのも、想定以上に任務が長引いた時用の非常食程度の準備だ。一食か二食……そのくらいだろう。
砂漠や雪山と違って、森や草原は基本的に食料に使えるものが多い。それを前提にして食料を減らす代わりに罠や治療薬などを持ち込む者も多い。
なのだが……草食竜がいないことには、その他の物を食料にするしかない。
まあ、それはさておき。
全体的に、モンスターが少なすぎる。これだけの規模の森なら、二時間も歩いていれば何度も遭遇していてもおかしくないのに。
「<赤竜>の影響かな……?」
「あるかもしれないけど……そこまで変わるものなのかしら? 前に<女王>が他の場所から流れてきた時でも、そこまで変わらなかったのに……」
「あれは戻って来たばかりだから分布が変わっていなかっただけかもしれない、みたいな話はあったよ。……まあ、わからないね」
二人して、首をかしげる。
それほどに、今の状態はおかしなものだった。なんども言うように、肉食竜と遭遇していないのは僥倖と言えるので、悪いことではないのだが……気にはなる。
「あの、マークさん、レナードさん、どうかしたんですか?」
「う〜ん……そうだ、メイア。この森ってさ、生き物は普段よく見かけるのかな?」
「生き物? それは多くいますけど……。具体的には、どんなやつですか?」
「そうだなぁ……ええと、緑色の肉食竜、僕たちはヴィリディプトラって呼んでるんだけど、とか。それともあれなのかな、メイア達がこの辺りに住んでいるってことは、肉食竜はあんまりでないのかな」
「肉食竜って、他のモンスターを食べるモンスターのことですよね? いるはずです。お母さんがマークさん達みたいに追い払ってくれるんです」
「え、お母さん狩人なの?」
「ええ、昔はギルドに入っていたみたいです」
昔は、と言うことはすでに引退している人なのだろう。
にしても、子供を産んでなお未だに小型とはいえ肉食竜を狩り続けているとは……。
「結構、すごい人かもしれないね」
「引退して、村のボディーガードをしながら生活してる人もいるっちゃいるけど……女性でそれをやっているのは、私も聞いたことないなあ」
「そ、そうなんですか?」
「まあ、それは会ってから、というか病気が治ってからでいいよ。それより、肉食竜は普段いるはずなんだな……」
なら、余計に今の状況はおかしい。普段はいるはずの肉食竜が、一体もいない。それはつまり、最近まで存在していた分布図がいきなり変わっているということだ。
そんなことが起きるとしたら……。
「“赤竜”の影響が、すでにここまで出て……ッ!?」
呟きながら情報と思考を整理している途中。
周辺の空気が、変わった。
「……レナ」
「来る、かな。どうする?」
「メイア。家はこの近くにあるの?」
「え、ええ。この道をあと五分も行けば……」
メイアがそう答えている時。
風を切りさく独特の音ともに、周囲を巨大な影が覆う。視線を上に向ければ、そこには一体の竜が現れていた。
「メイア、その人と一緒に早く家に逃げるんだ! 僕とレナードであいつを相手するから!」
「で、でもマークさん達は……」
「いいから早く! ここにいると、邪魔になる。行け!」
あえてきつい言葉をかけ、剣を抜く。
メイアは一瞬どうするか迷っていたようだが、視線をこちらと降りてこようとしている竜の間で何度か往復させた後、医者に「こっちです!」と声をかけて駆け出した。
そうだ、それでいい。
もし、“赤竜”が“王者”や“女王”に匹敵するほどの強敵だとすれば、あの二人をマークとレナードで守りきることは不可能だ。
「マークにしては珍しく言葉が荒いじゃない」
「そりゃあね。ああでもしないと、あの子いってくれなかったでしょ。時と場合ってやつだよ。そんなことより……」
その時、視線の先で竜が大地に降り立つ。
それはまさしく、赤い竜だった。
“王者”や“女王”に比べると翼が小さいが、体格そのものはそれらと変わらない。むしろ、足や体つきを見るに、陸上での戦闘に特化しているように見える。
太い足と、走るのに特化した体つき。降りて来る時は広げられていたよく幕は今は折りたたまれており、空気抵抗を受けないように体にぴったりとつけられている。
「一応、“王者”とかとは系統が違うみたいだけど……レナ、あいつ見たことある?」
「……記憶にないわね。あんなの、見たことも聞いたこともないわよ」
「じゃあ、まずは情報収集からか。とりあえず当たってみて、どうするかはその後で考えよう」
“赤竜”はすでにこちらを捉えていたらしい。
走って逃げて行く二人の方へと一瞬だけ視線を走らせたが、マーク達を脅威と見たのか、すぐに視線をこちらへ戻す。
「じゃあ、始めよう。死なないでよ、レナ!」
「こっちのセリフよ!」
軽口を叩き合い、二人は未知の敵へと駆け出す。
それを迎えるように、“赤竜”は高らかに咆哮を上げた。
まるで、自らと比肩しうる存在を見つけて、喜ぶかのように。