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とあるマニアの狩猟記  作者: 高空天麻
とある少年少女の邂逅
10/21

1-9

いつもより長めです!

 腹を満たし、装備を万全の状態に戻した彼らが最初に行ったのは、クックゴアの素材回収だった。

 彼らが本来依頼されたのは、クックゴアの討伐だ。それが終わっている時点で彼らは依頼を達成しているため、いつでも撤退することが出来る。

 その為、限界まで“女王”と戦うことを考えると、先に取れる物は取っておくべきだろう。

 クックゴアは、巣まで逃げてそのまま死んだらしい。その身体には噛み跡や爪痕が大量に残っており、その鱗や甲殻は耐火性を持っているにも関わらず黒焦げになっている物もあった。

 対して、“女王”がさしてダメージを受けていなかったのを見れば、どれだけ両者の間に力量差があるのかハッキリとわかる。

 自分たちが挑もうとしている相手の力をまざまざと見せつけられ、若干ながら苦い顔をしているマークとは対照的に、レナードは剥ぎ取り用のナイフをさっさと動かしながら言った。


「もしかしたら、ここは元々あの“女王”の住処だったのかもしれないわ」


 どうして? と尋ねたマークに、彼女は手を止めずに答える。


「ワイバーンの中には、何年かごとに住む場所を変えるヤツがいるのよ。縄張りの競争を避けるためとか、周囲の環境とバランスを取るためとか、色々言われているけど、実際はわからないわ」


 それと、とそこで額の汗を拭う。

 こちらへと視線を向けながら、さらに続けた。


「あの寝床はクックゴアの物にしては大きすぎるし、それに“女王”は縄張りを侵されても普通はここまでしないわ。子供を産むために久々に戻ってきたら、別の主が出来ていた、って所かしらね」

「……ってことは、もしかして」

「繁殖期直前の、一番危険な時期でしょうね。多分」

(よりにもよって!?)


 叫びそうになったのを、必死に堪える。狩り場では何が起こるかわからない。特に、素材を剥ぎ取っている今は、絶対に他のモンスターを呼ぶ訳にはいかなかった。

 とはいえ、彼の心の叫びが伝わったのか、レナードも口の端に苦い笑みを浮かべている。


「私も今思い出したわ。そう考えると、私達本当に無謀よ、ねっ!」


 言い切りながら、クックゴアの背骨にあたる部分を切り取る。

 クックゴアの骨髄はかなりうまいだしが取れるため、料理でわりと使われる。人気も高いため、鱗や甲殻の倍近い値段で売れることも多い。

 きれいに剥ぎ取ったそれを真空保存用の袋に入れて空気を抜いた所で、レナードは伸びをした。

 マークも剥ぎ取った素材を分けて袋に入れ、息を吐く。

 めぼしい物はあらかた採り終わった。とりあえず、一つ目の目標クリアだ。


「一旦ベースキャンプまで戻るわよ」

「はい」


 それなりに重い袋をそれぞれに抱えて、巣の出口へと向かう。


 天井の向こうから、風切り音が聞こえてきたのはその時だった。


 上へ目をやると、足に大型の草食竜を掴んだ“女王”が降りてきている。どうやら食糧を確保してきた所らしい。

 何とタイミングの悪い。


「逃げるわよ!」

「言われなくても!」


 駆け出した途端、上空でクインバーンが吼える。

 反射的に身体が耳をかばおうとしたが、距離が開いていたからか一瞬固まるだけで済んだ。

 巣になっている洞窟を出ようとした時、深く息を吸い込む音が耳に届く。振り向けば、“女王”が首を振り下ろす所だった。

 瞬間、彼の一歩後ろの所にブレスが着弾する。


「うぁあああああああっ!?」

「きゃあああああああっ!?」


 爆風が彼らを軽々と吹き飛ばし、全身を熱風が叩く。

 それだけで数メートルも一気に吹き飛ばされ、全身が軋むような痛みを発する。


「っつう……」


 幸い、と言うべきか、彼らの身体は吹き飛ばされたせいで洞窟の外まで出ていた。だが、全身のダメージと比較すれば、それがプラスとはなりえないのは一目瞭然だ。

 見れば、レナードは既に走り出していた。

 再び笑い出した膝を喝を入れ、立ち上がる。負けてられるか、と足を動かすと、自然と次の一歩を踏み出していた。

 メインアタッカーよりも、囮を務める陽動役の方が動く量は必然的に多くなる。こんな所で震えているわけにはいかない。

 幸運なことに、今回“女王”は追ってこなかった。

 食事の方を優先したのか、それともこちらを敵とさえ認識していないのか……どちらにせよダメージを受け、軽くはない荷物を背負った彼らにとっては僥倖と言える。

 ベースキャンプに着いて荷物を下ろした途端、全身を言い様のしれない疲労が襲ってきた。だが、それを必死に表へ出さないようにしながら、レナードへと笑いかける。


「大丈夫ですか?」

「このぐらいなら、なんの問題もないわ。腕と足が動きゃ、問題ないわよ」


 彼の質問に、レナードはにこやかに答えてきた。

 それにマークは安堵の吐息を漏らす。ハッキリ言って、彼一人であの“女王”と戦うことは不可能だ。

 マークが敵の目を引き、レナードが攻撃する。その役割分担がきっちりと出来ているからこそ、今はまだ戦うことが出来る。

 逆を言えば、この均衡が崩れた瞬間。

 その瞬間が、二人にとって致命的な一瞬になる。

 レナードから視線を外し、自分の身体を念入りに確認していく。若干強張っている部分もあったものの、少しほぐしてやったら動くようにはなった。

 まだ、戦える。

 まだ、前に進める。

 あとは、“女王”に刃を向けるだけだ。


「それじゃあ、行きますか」


 ニイッ、と楽しげな笑みを浮かべてくるレナードに、同じように無理矢理不敵な笑みを浮かべ返す。

 狩りを始めた時は、まだ陽が頂点にあったのに今はもう沈みかけている。

 けれど、ここからが正念場だ。




 決して舐めていた訳じゃない。

 その強さは十全に理解していたつもりだったし、その強さを知りながら勝負を挑んだはずだった。

 だが、それでもなおこう思う。


 “女王”の名は、伊達じゃない。


 それを、マークは何度も再認識させられた。


「パラライズ・ランスッ!」


 唱えると同時、光の槍がクインバーンへと射出され、激突する。

 だが、もう何度も同じ魔法を受けて耐性が出来始めているのか、僅か数秒で敵は自由を取り戻してしまう。

 動かすわけにはいかない。

 今、“女王”の足下にはレナードがいる。

 足で踏まれるだけで骨の一・二本は簡単に折れるだろうし、ボディプレスなんて喰らってしまったら死ぬ可能性すらあり得る。

 それを止めるのが、彼の役割だ。


「クイック・スタンッ!」


 白の弾丸が、クインバーンの身体に吸い込まれ、その動きを無理矢理に阻害する。パラライズ・ランスよりも効果は短いものの、魔法の系統が違うせいかまだ耐性を作られている様子はない。

 その一瞬の隙をついて、レナードは敵の足下を抜け出した。

 同時、“女王”が吼え、その身に変化が訪れる。

 深緑の鱗や甲殻に守られている肉体が紅に輝きだし、全身を流れる血管が肉体の表面に浮き出して目を穿つほどの桜光を放ち始めた。

 それを見て、マークは耳を塞ぎながら舌打ちをする。


「クソ、また魔力装甲か!」

「マーク、一旦退くわよ!」


 言われるまでもない。

 頷く暇さえ惜しく、戦場から離脱するべく全力で走り出す。

 人間や亜人種を除いた殆どの生物は、魔法を使えない。魔法を使うには、イメージ、魔法陣、呪文詠唱といったいくつかのプロセスを経る必要がある。

 人とそれに近い構造をした種族でなければ使えないようになっているのだ。

 だが、魔力に関しては話が別だ。

 この世に生きている生物であれば、大なり小なり魔力を持っている。特に、ドラゴン族は保有魔力が多い傾向があり、その完全成長体である“女王”ともなれば、その量はすさまじいものであることが多い。

 その潤沢な魔力を利用して生み出されるのが、魔力装甲。

 血管全てに魔力を通すことで外皮・外殻の強化を行い、異常なレベルの魔法耐性を得るようになる、まさに切り札。

 すさまじい勢いで魔力を消費するらしく、常時展開してくるようなモンスターはいない。だが、魔力装甲が展開されている間は、文字通り手も足も出なくなってしまう。

 よって、魔力装甲が展開されたら即逃げろ、というのがハンター達の間では常識とされていた。

 とはいえ、全身に循環する魔力量が増えると身体能力も増加するため、逃げることすら困難になる。

 そして、敵もアッサリとこちらを見逃してくれるわけがない。


「マーク、ブレス来るわよ!」


 その声に敵の方を振り向いた途端、“女王”の口元が光を放つ。

 そう、光だ。炎じゃないーーっ!?

 それを確認した瞬間、本能のままにマークは右方向へと足を踏み出す。

 同時、鼓膜を震わせる高音と共に、熱戦が放たれた。

 その色は、赤や青を通り越して、毒々しいまでの純白をしている。そんな一撃をまともに食らってしまえば、どうなるかなんて想像はしたくもない。

 射出時間は二・三秒と短く、一度発射したら直線上にしか当たらない、連射が出来ないなどのいくつかの制限のおかげで今もどうにか生きているが、ハッキリ言って生きた心地がまるでしない。

 おまけに、射程が縦に恐ろしく長いため、どこまで逃げればいいのかわからないのもプレッシャーを強めている。


「どこまで逃げれば良いんだよ、ちくしょう!」


 レナードは左側へ逃げたらしい。微かに見えるその横顔からは疲労の色が濃く滲んでいる。

 無理もない、戦いが始まってからもう既に数時間が経っているのだから。

 振り向けば、夜闇の中で桜色の光を放つ敵の姿が浮かび上がっている。

 あの状態になってしまっては、彼らの武器ではまともにダメージを与えられない。敵が気を静め、魔力装甲を解くまで待つしかないだろう。


「……クソ」


 もう何度目かわからない悪態を吐き、走る速度を速める。

 背後で“女王”が吼え猛るのが、耳に届いた。




 いくつかエリアを移動して、ようやく二人は一息つくことが出来た。

 足は鉛のように重く、頭は生死の境を何度も経験したせいか疲れ切ってひどく痛んでいる。このまま目を瞑れば、そのまま三日は眠ってしまえそうだった。

 レナードも、弱音こそ吐かないものの相当疲労しきってしまっている。特に、敵が魔力装甲を使うようになってからは、短い隙に最大のダメージを与えることが求められるようになったため、集中力がかなりすり減らされているはずだ。

 空っぽの腹がシクシクと痛む。

 だが、携帯食料は既に食い尽くし、他の食料は全てベースキャンプに置いている。

 水があれば少しは違うのだが、生憎と彼らが逃げ込んだエリアに水源はなかった。


「……ここまで、ですね」


 浅い呼吸で喘ぎながら、マークはそう呟く。

 チカチカと何かが明滅する視界の端で、レナードが頷いた。

 完敗だ。マークたちが手を出して良い相手ではなかった。

 じんわりと染み込んでくる疲労の中、そんなことを心の中で思う。

 クインバーンは、“女王”は、彼ら二人で戦えるような敵ではない。わかっていたことではあったが、事実として目前に立たれるとやはり良い気はしない。

 レナードが、幾分か光を無くした瞳で言う。


「……帰りましょ。これ以上ここにいても、収穫はないわ」


 ええ。

 そう答えようとして、しかしマークは口を開くことが出来なかった。

 彼の、空腹で一層研ぎ澄まされた嗅覚が、ある匂いを感じ取ったからだ。

 ツン、と突き刺すような、それでいて独特な香り。狩り場へ出ると、いやと言うほど嗅ぐことになる匂い。

 それが、彼らのいる隣のエリアから匂ってくる。

 ペイント弾の香りが、すぐ近くからしてくる。

 その意味に気付き、マークは身体を嫌な汗が覆うのを感じた。横を見れば、レナードの表情も引きつっている。

 “女王”が、隣のエリアに移動してきたのだ。それ以外に、理由が考えられない。

 二人のコンディションは、お世辞にも良いとは言えない。おまけに、このエリアからベースキャンプへ戻るには、絶対に隣のエリアを通らなければならない。

 相手が別のエリアへ移動するのを待つという手もあるが、どれだけ待てばいいのかわからない以上、こちらが消耗していくだけになる可能性もある。

 一番手っ取り早いのは敵の傍を通り抜けることだが、相手が相手なだけに、リスクはかなり高い。

 だが、取れる手は限られている。

 動ける内に、やれることはやっておくべきだろう。


「スタン・グレネードは、残り三つ。この場を抜けるために、それを全部使います」


 その言葉に、レナードは首を縦に振る。もはや、セーフティがどうのこうのと言っていられる状況ではない。使えるものは使わないと、命に関わりかねないのだから。

 スタン・グレネードをすぐに取り出せる位置に取り付け、立ち上がる。

 負けたなら負けたなりに、被害を最小限に抑える必要がある。

 身体は、まだ動く。剣は、もう抜く必要がない。

 出来る限り足を早く動かすこと、相手をスタン・グレネードで留めること。この二つだけを、考えておけばいい。


「……行きましょう」


 一言呟いて、歩き出した。

 後ろでレナードが付いてくるのが耳に届く。

 一歩ごとに、感じる重圧が増していくのを感じる。戦い始めた時はそのプレッシャーさえ心地よいものだったが、心が折れかけている今となっては、それがひどく全身を軋ませる。

 丘の影になっているせいか空気は湿気ていて、ヌルリとした気味の悪い冷たさを帯びている。それを無理矢理引き裂いていく内に、彼の目は再びあの巨体を見出した。

 深緑を身に纏っているせいか、体格がわかりづらい。戦闘に置いてはそれが致命的になるが、逃げる時はあまり関係がない。

 “女王”はこちらを向いていない。

 水に自分の首をつけ、何かを洗い落とすようにユラユラと揺らしている。おそらく、ペイント弾の臭気を落とそうとしているのだろうが、ペイント弾の色は特殊な配合を施しているため、水には全く溶けない。時間経過でしか薄れないのだ。

 こちらに全く気付いていないのなら、好都合。今の内に、抜けてしまうべきだ。

 気配を限界までなくし、静かに歩き出す。ベースキャンプまで続く道は、このまままっすぐ行った先にある。このまま何事もなく進むことが出来れば、戻れる。

 二歩目を踏み出す。

 クインバーンは顔を水につけているせいか、こちらには気付いていない。

 さらに、三歩四歩と足を出していく。やはり、こちらを向く様子はない。

 浅く息を吸い、細心の注意を払いながら前へ前へと進んでいく。後ろのレナードも、息を殺して緊張しているのが伝わってくる。

 半ばほど行った時、大きな水音を立てて“女王”が首を上げた。

 それに驚いて、一瞬だけマークの気が散漫になる。

 途端、バキリという音が彼の足下から響いた。見れば、マークの足が見た目は太くて頑丈そうな、しかし実際は湿気で腐りきっている枝を踏み折ってしまったのだ。

 さすがにそこまでの音を聞き逃しはしなかったのか、“女王”の頭が訝しげに動かされる。


(振り向くな……振り向くな……ッ!!)


 そんな彼の祈りが天に届いたのか、クインバーンはこちらを振り返らなかった。再び顔を水に近付け、今度は飲み始める。

 それに、マークは留めていた息を静かに吐き出した。


 その瞬間、どこかのエリアで銃声が鳴り響いた。


 その音で、クインバーンがこちらを向いてしまう。その眼は確実に彼らを捉え、その巨体が即座に戦闘態勢へと移った。


(どこのバカだ!? 狩り場に乱入してきた挙げ句、いきなり銃をぶっ放しやがって!)


 思わず舌打ちをしてしまう。

 ギルドは同一の狩り場で二つ以上のグループが同時に狩りをしないように管理をしている。だが、いくら高度に連携し合っているとはいえ、ごくごく稀に別のギルドからやってきたハンターと被ってしまうことがある。

 しかし、そういった場合は、先に狩猟を始めているグループを優先するのがマナーであり、今の行為は明らかにそれを無視していた。

 相手グループに鉢合ったら、問答無用で一発ぶん殴ってやる。

 そんなことを内心で決めながら、この場を切り抜けるために思考を巡らせていく。

 何よりもまず、この場を切り抜けなければならない。

 音や気配などもはや気にせず、全力で真っ直ぐに走り出す。だが、敵もこれは予想していたらしい。


「マーク、ダメ!」


 出口へ一直線に駆け出そうとした彼の腕をレナードが掴み、その場に留める。次の瞬間、先ほどと同じ熱線が彼の二歩前を奔り抜けた。

 直撃はしていないものの、熱波と暴風が容赦なく二人を薙ぎ払う。

 マークとレナードは二人して後方へと数メートル近く吹き飛ばされ、地面を何度か転がってようやく止まる。だが、彼らが逃げ込もうとしていた通路は、ひどく遠くなってしまった。

 そして、二人と逃げ道の間には、“女王”が君臨している。

 熱と激突で傷付いた身体を無理矢理に動かして、スタン・グレネードを放り投げた。

 放物線を描いて、黒い塊が閃光を放とうする。

 だが、炸裂しようとした瞬間、グレネードが炎に包まれ、光を放つことなく地へと落ちてしまった。

 理由は明白、再び魔力装甲を纏った“女王”が、火炎弾によってスタン・グレネードを撃墜したのだ。

 それを理解しながら、マークは再び剣を抜く。

 彼の役割は遊撃であり、囮であり、ストッパーだ。

 レナードはもうクインバーンを留める方法を何も持っていない。ならば、彼がどうにかする必要がある。

 今度はペイント弾を投げる。“女王”はわずかにそちらへ興味を引かれたようだが、接近してくる彼に気を取られたのかペイント弾は直撃した。

 時が経ってようやく薄まってきた匂いが再び強くなり、それに伴って“女王”の敵意がマークへと向く。


「今だ、行ってください!」


 背後のレナードへ目をやることなくそう叫び、そのまま彼は“女王”の元へと駆ける。

 クインバーンも、弧を描くように接近してくるマークへ目を留め、逃げ道の方から視線を外した。

 レナードは、マークと共に戦うべきか、一人で先に逃げるべきか、一瞬の逡巡に襲われた。

 彼一人で相手しきれるほど“女王”は甘くない。一人よりも二人の方が、ターゲットが集中しない分逃げやすいのは明白だ。

 だが、攻め手と体力を失っているアタッカーがなんの役に立てるのか。こうして留まっていればいるほど、こちらから視線を外すために接近しているマークの負担は劇的に増加していく。

 ギリギリと歯噛みし、その場へと背を向けて通路へと走り出す。

 声を出して敵の気を引くわけにも行かない。伝わらないと知りながら、それでも無事でいることを望みながらレナードは通路へと逃げ込む。

 一瞬だけ、その音に反応したクインバーンが彼女の方を振り向こうとしたが、


「オラオラ、目の前の敵から目を離すなんて、余裕だな!」


 そう言いながら、首元へとマークが刃を叩き付けたために、仕方なくそちらへと向き直る。

 そのフォローもあって、レナードの姿はそのまま通路の奥へと消えていった。それを横目で見送って、彼も再び思考を切り替える。

 今、ここにいるのはマークと“女王”のみの、一体一。

 実力差はとうに知れており、逃げ道はただ一つ。

 つまり、マークは“女王”を出し抜いて逃げられれば勝ちとなり、それ以外の勝利条件は存在しない。まさに、崖っぷち寸前の青色吐息。


「……上等だ」


 あまりにも悪い状況の中、それでも彼は無理矢理唇を吊り上げて笑ってみせる。


「生き残ってやる、絶対に!」


 桜色を全身から放ち、“女王”の口元から光が零れ出した。首を振り上げ、勢いよく下ろしてくる瞬間に合わせて、一気に前へ出る。

 クインバーンが使う魔力熱線の威力は絶大だ。

 横へ逃げても衝撃波で吹き飛ばされてしまうし、縦方向へはそもそもからして射程が長すぎるせいで逃げることが敵わない。

 だからこそ、前へ出る。

 具体的には、相手の足下まで潜り込む。そこまで行けば、さすがに熱線の影響は出ないはずだ。

 足下まで辿り着いた瞬間、背後で耳をつんざく高音と共に死の閃光が放たれた。

 ある程度距離を取っているにも関わらず、それでも衝撃波が身体を叩く。だが、どうにか吹き飛ばされることもなく、敵の背後まで走り抜けることに成功した。

 が、次の瞬間風切り音と共に巨大な尻尾が振り下ろされる。

 どうにか躱すことは出来たものの、逃げ道まではまだ遠い。ここから真っ直ぐダッシュしても、角を曲がる前に熱線を撃つのが間に合ってしまう。


(あと一手、あと一手あれば、ここを切り抜けられる……!)


 だが、今すぐにスタン・グレネードを使うわけにはいかない。あと二つしか無く、ここで逃げることが出来てもコイツが追ってくることを考えれば一つは出来れば置いておきたい所。

 加えて、相手の対応力の高さを見れば、そうホイホイと使うことも出来ない。

 どうすれば、こちらの手を通すことが出来るだろうか。

 与えられた大問題に対して、マークの思考が恐ろしい勢いで回り始める。

 そして、その間も“女王”は止まらない。

 目の前にいる敵を食い千切るべく、その口が大きく開かれる。熱線よりも技の威力は低いが、直線にしか届かない熱線と違って噛みつきはある程度範囲が自由になる。

 先ほどと同じように、敵が首を振り下ろす瞬間に後ろへ退く。

 だが、それを予想していたのか、クインバーンがほんの僅かに前へ出た。その分目測がずれ、噛みつきが直撃コースへ入ってしまう。


「くっ!?」


 とっさに盾を持った左手を出し、相手の横っ面へと叩き付ける。

 一歩間違えれば左腕を食い千切られていただろう。すさまじい緊張感に、一拍遅れて嫌な汗が溢れ出す。

 だが、危ない橋を渡った甲斐あって、必殺の牙はどうにか鎧に掠る程度で済んだ。


「グゥルロロォ……」


 自信に満ちた一撃を避けられたことに怒っているのか、桜の輝きが力を増す。

 だが、それをいちいち気にしている余裕はない。この巨体が相手では、ただ一歩踏まれただけでも致命傷になる。それを考えると、あまり一つの場所に留まり続けるのも考え物だ。

 予想通り、彼が元いた位置を巨大な足が踏み抜いた。

 その隙に、マークは“女王”へ向けて黒い塊を放り投げる。


(頼む、通れ……ッ!)


 だが、その祈りも虚しく、クインバーンは放物線を描いたそれを、口から吐き出した火球で打ち落としてしまった。

 スローイングの体勢のままで硬直している彼に勝ち誇ったように吼え、“女王”が口を開く。


 瞬間、閃光がその場の全てを飲み込んだ。


「ギィヤァアアアッ!?」


 閃光をもろに見てしまい、“女王”がうろたえたように後ろへ下がった。もしかしたら、この戦いで後退したのはこれが始めてかも知れない。

 飛んできたものは撃墜したはずだ。

 さっきはそれで良かったし、これまでの経験上、その判断は間違ってはいないはず。

 周囲へと、見えないままで視線を向ける“女王”を横目に、マークは僅かに笑みを浮かべた。

 確かに、スタン・グレネードは光を放つ前に壊されてしまえばなんの意味も持たない。それは先刻のやり取りの中で嫌と言うほど思い知らされた。

 だが、二度同じ手は食わない。

 クインバーンの強みは、モンスターとは思えないほどの学習能力だ。その速度は知性を武器とする人間にも匹敵するほどのものがある。

 ならば、対人間と同じように、読み合いや駆け引きが有効になるはずだ。

 目の前のことに対して瞬時に学習し、次は失敗しないようにする。だが、相反する二つの事象が起こってしまったら、その時相手はどう動くのか?

 その場合の最適解は、どの事象が起きても安定となる行動を取ることだ。

 そう考えるようになってしまえば、迂闊な行動を取ることは出来ない。そして、それが隙となる。

 このフェイクそのものは突破口にならないかもしれない。

 だが、これが勝利への布石になる。


(今の内に、早く……!)


 そうはいっても、ようやっと作り出せた隙だ。

 後のことまで考えて打ち込んだ楔だが、今逃げ出すことが可能なら今逃げてしまうに越したことはない。

 逃げ道へ向かって、全力で駆け出す。

 さっきまではあんなにも遠く感じていたのに、今は一歩ごとに近付いていく感じさえしている。


(あとちょっと……ッ!?)


 あと少しで通路へ逃げ込める。

 疲労で崩れそうになる足を叱咤しながら走っていく。


 その時、彼の耳に後ろの方から空気を吸い込む音が届いた。

 それは、“女王”がブレスを吐く時の音にも似ていた。


 祈るような心地で振り返る。

 スタン・グレネードの光をもろに浴びたはずなのだ。今、敵は何も見えていないはずなのだ。

 ただ深く息を吸い込んだだけであってくれ。まだこちらへ照準を向けていないでくれ。

 だが、背後の“女王”は再び口元に光を宿し、こちらへ向かって首を振り下ろそうとしていた。


「クソ、ッタレェエエエエエエエエエエ!!」


 吐き捨て、右へと思いっきり身体を転がした。

 一瞬後、熱線が再び彼の近くを通り抜け、全てを薙ぎ払う。


「がぁ、っは……!」


 背中から壁に叩き付けられ、口から全身の酸素が絞り出された。

 チカチカと明滅する意識の中、必死に敵の方へと目を向ける。


(な、何で……?)


 見えていないはずだ。なのに、どうしてアイツはこちらの動きを読むことが出来た?

 激突した際に後頭部を打ってしまったせいか、ひどくボンヤリした視界の中で、マークは“女王”が視線をあちらこちらへやったり、しきりに鼻を動かしているのを見た。

 その動きで、相手が何をしたのかを悟る。


(アイツ、視覚だけに頼ってない……聴覚も嗅覚も、あの状況でパニックにならずにそれらをフル活用したって言うのか……?)


 人間は、急に視覚を潰されると少なからずパニックに陥る。外側からの情報の八割近くを視覚から受け取っているためだ。

 だが、あのワイバーンは違ったらしい。それとも、経験量からくるものだろうか。

 そんなことを考えている間にも、敵の視力は回復していく。

 だが、彼の足はここに来て砕けてしまっていた。元々疲労が限界に来ていた所へ、脳に衝撃を喰らってしまったのでは、根性や気合でどうにかなるとも思えない。

 手元に残っている道具は、スタン・グレネードが一つと応急薬が少しだけ。

 それだけでは、逃げることは出来そうもない。


(後の生還パターンは、スタン・グレネードで相手の目が潰れた隙にどうにか相手の視界から逃げ出して隠れるって所か……)


 そう簡単にはいかないだろう。何せ、相手はあの“女王”なのだから。

 だが、諦めるわけにはいかない。

 まだまだ見たい物がたくさんあるのだ。まだまだ知りたいことがたくさんあるのだ。

 こんな所で、終わるわけにはいかない。

 右手にペイント弾を、左手にスタン・グレネードを握って不敵に笑うマーク。

 勝利を確信してか、それとも最後まで諦めようとしない挑戦者をたたえてか、“女王”はもう一度猛々しく雄叫びを上げる。


 その横っ面に、銃弾が突き刺さった。


 あまりにも突然すぎる事態に、マークの思考が一瞬追い付けなくなる。

 だが、“女王”はその状況にも対応すべく彼から視線を切り、乱入者へと身体を向ける。

 その先にいるのは、四人の新たな狩人。


「そこの君! 大丈夫か!?」


 一番前を走っていた青年が、マークの元へ駆け寄ってくる。

 後の三人は、マークと青年を重心にして三角に展開した。


「救援、か……?」

「そうだ。自分でここから離脱できるか?」

「悪い、頭を打って、足下が覚束ない……」


 マークの言葉に、青年は腰のポーチから瓶を取り出してこちらへ手渡してくる。匂いと色から察するに、気付け効果を含んだ回復薬だろう。

 それを見て、“女王”がこちらへ熱線を放とうとしてくる。

 ギョッと背筋を凍らせたが、青年はなんの挙動も起こさなかった。

 事実、起こす必要がなかった。

 敵の動きを見るや、マークの右に布陣していた少女が中型対魔獣砲カノンをクインバーンへと向け、殆ど間をおかずに三度引き金を引く。

 銃弾は三発とも命中、貫通力よりも制止力に重きを置いていたのか、それだけで“女王”が小さな悲鳴と共に仰け反った。

 あれほどマークとレナードが手こずった相手を、一瞬で。

 その光景に唖然としていると、青年が身体を揺らして彼を現実へと引き戻した。


「急いで。さすがに君を守りながらアイツの相手は出来ない」


 その言葉に、マークは返事をするのも惜しんで一気に手の中の薬をあおった。

 新人といえど、他のグループに迷惑を掛けて良い道理はない。『自分の身は自分で守れ。何が起きても自己責任』がハンターの基本なのだから。

 薬草独特の苦甘い、何とも言えない味が喉元を通っていく。とりあえずそれで、これまで本当に自分の身体かと疑うほどに重かった身体が、走ることが出来そうなくらいには回復した。


「すまない、ありがとう」

「構わない。こちらこそ、銃をいきなり撃ったりして悪かった。相手の気をこっちに引くつもりだったんだが……逆効果になってしまったようだ」


 それでハタと思い出す。

 だが、窮地を助けられたのも事実。これでプラスマイナスはゼロにしても大丈夫だろう。


「気にしないで。……後は頼む」


 頷いて、青年も先々に参加する。

 マークはその背に一礼して、逃げ道へと駆け出す。

 一度だけ振り返ると、薄れ始めていた桜光が再び輝きだしていた。だが、彼らは一歩も退かずに真正面から立ち向かっている。

 邪魔にならないように、ジッと観察していたい衝動に駆られながらも、必死にその場から退却する。

 幸い、“女王”が暴れ回っていたせいか、他のモンスターに遭遇することはなかった。




 ベースキャンプに近付くと、肉の焼ける良い匂いがしてきた。

 それにつられて、今の今まで何の反応もしなかった腹が急に鳴り始める。現金なものだと苦い笑みを零しながら、フラフラとした足取りでたき火の下へと近付いていく。

 案の定、レナードが何本か肉を焼いていた。


「……戻りましたよ、レナード」


 そう声を掛けると、ビクッと背を震わせてからおずおずとこちらを向く。

 その顔にはわずかに涙が浮いていた。


「ま、マーク……生きてる?」

「生きてますよ、かろうじてね。まあ、あの人達が来てくれなかったら、やばかったですけど」


 そう言って微笑む。

 すると、レナードは一瞬花開くような笑顔を見せた。

 が、すぐに唇を尖らせてぷいっと横を向いてしまう。


「お、遅いわよ! もう少し遅かったら、一人で食べてる所だったわ!」


 そんな言葉に、マークは思わずクスリと笑ってしまった。

 明らかに、火にくべられている量は二人分だ。なのに、そんなことを言ってくる彼女が、少しかわいらしく思えてしまう。

 彼以上に戦場で命のやり取りを繰り返している狩人には、とても見えなかった。


「な、何笑ってるのよ!? ほら、歩けるならちゃっちゃと撤退準備! 食べるのは馬車の中で!」

「了解です」


 ニヤニヤと笑うマークに、顔を真っ赤にしながらそう言うレナード。

 火を消しながら齧り付いた肉は、あまりの空腹でこれまで食べたどの料理よりも美味しく思えた。


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