第五話 目覚めよメロス!②
それから幾千の戦いの後、識別コード“XYZ8846209200”は、地球にいた。
意図されたことではなかった。
大気圏付近で行われた防衛任務での撃墜。粉微塵にならなかったことが奇跡とえば奇跡だった。それからも戦闘は続き、その戦いが終わっても戦争は継続されていた。もう、僚機の反応を確認できなくなってからも長い。天を仰ぎながらガラクタ同然になったアンドロイドは、独りで、自身のエネルギーが切れるのを待っていた。
次にアンドロイドが目覚めると、目前には一人の男性がいた。
白衣を着た博士然とした老人である。
データに照合するまでもなく知っている。
彼は自分達、戦闘用アンドロイドの生みの親たる人物だった。そのデータは、同型機との情報共有の中で、さんざん複写されてきた。だが、人間は機械と違って何百年も生きてはいられない。きっと、冷凍睡眠等の装置で長く停止していたのだろうと、アンドロイドは予測した。
「ゴメイレイヲ――」
久しぶりに使った発声機能には、ブレがあった。
思えば、アンドロイドが声で会話をしたのは、これが生まれて初めてのことだった。
「目覚めて早々、職務に熱心なことだ。だが、お前の修理はまだ終わっていないよ」
「マダ、ワタシハ、カドウデキナイノデスカ」
「いずれな。だが、今ではない。地球には、否、現在の銀河系からは、お前と同列のアンドロイドを作り上げられるだけの資源が枯渇してしまっている」
「ソレデ、ワタシハ、レストアサレテイルノデスネ」
「理解が早くてたすかる」
老博士は静かに笑う。
けれどその眼には、どこか哀愁のようなものが浮かんでいた。
アンドロイドには、もちろん分からないのだが。
「だが、相当のダウングレードは避けられんな。主兵装の多くも、今では再現が不可能になっている」
「モウシワケアリマセン」
「お前が謝ることではないよ。機械に悪人はない。悪人は、造る人間だけさ」
自嘲的な老博士に、アンドロイドは返す言葉を持たなかった。だがアンドロイドは、それ以来、必然的に言葉を学習していくことになる。再起動を果たして以来、どこかの秘密研究所らしい場所で、アンドロイドは世話係として、長く博士の話し相手を務めることになった。
その間、老博士は人の歴史や、宇宙の成り立ち、それに神話といった、戦闘に必要ない情報をたくさん与えてくれた。それらの話はどれも新鮮であり、驚きがあり、多くのことを学ばせてくれた。
アンドロイドにはそんな話はできなかったので、代わりに“夢”の話をした。しかし、機械は夢を見ない。だから、時々戦闘の合間にノイズとして入っていた情景は、遠くのラジオか何かのデータの断片だったのだろう。博士にしたのは、その話だった。
「そこで、私は牧人となって家族を持ち、羊の世話をしています。
つたない出来の電気羊はすぐに故障してしまうので、私はその度に困っていました。職工の友人が言うには、『もっとテキトー』に直せばいいものを、余計に複雑にしようとするから、機械が耐えられなくなるのだそうです。アンドロイドのくせに機械が苦手な私を、妹はおかしそうに笑っていました。
妹には、幼いころから仲の良い職工の家の少年がいました。やがて二人は結婚することになりました。大きくなった少年が、私に結婚の報告をしに来たとき、真っ赤になった顔を私にさげて頼みました。となりで同じように顔を赤らめている妹を見た時、わたしは確かに、この機械仕掛けの心臓が暖かくなるのを感じたのです。
そして」
そして、どうなったのか。
ツギハギの記憶に、整合性など始めからない。
結局、■■■がなんだったのも、分からない。
答えなんて最初からなかったのかもしれない。
そんな機械人形のおぼつかない話を、老博士はいつも楽しそうに聞いてくれた。それは、戦闘から遠く離れた、とてもゆっくりと流れる時間だった。
いつからかアンドロイドは、この老博士のことを好きになっていた。これまでは、漠然と命令されたからという理由で戦っていたが、この老博士を守るために戦えるのならば、それは良いことなのだろう。戦争の傷跡が地球に深く刻まれ、多くの人類が苦痛にあえぎながらも、それでもまだ流血を欲していた、最初の歴史の最後の時間。どこかの世界の片隅で、アンドロイドは生まれて以来、一番穏やかだった。
そう思えた。
思えたことが、喜びとなった。
「さて、立ってみたまえ」
「わかりました」
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。
老博士は、たった一人でアンドロイドの修理をやりきった。
修理と言っても、デチューン甚だしく、兵装もほとんど総入れ替えがなされている。もう、大宇宙を駆けることもできない。見る者が見れば原型を留めていないと言うだろう。だが、それでも、一個の完成形として、アンドロイドは大地に脚を下ろしていた。
両手両足、指先までも細やかに駆動させる。不具合はない。ロールアウトされた当時のそれとは比べるべくもないが、十分に稼働していた。
「ノープロブレムです。全身になにかしらの不具合は感知できません」
「そうか。よかった。これで、お前さんにやってもらいたかったことが言える」
「はい博士。御命令を」
「ならば言おう」
老博士は言った。
簡素に、だけど真摯に。心を込めて、こう告げた。
「XYZ8846209200――、否。アンドロイドよ。すべての戦闘機械よ。
戦いは終わった。
殺し合いは終わった。
壊し合いは終わったのだ。
お前たちの任務は、使命は、仕事は、すべて完了した。
故に、機能を停止することを、お前に許可する」
ああ――
それが、あなたの瞳にあった哀しみか。
アンドロイドは納得した。
老博士は、愛を持っている。それも、冷徹な機械に対する愛情だ。彼は、機械さえも己と同様の意志ある知類として見てくれているのだ。
戦うために生み出され、戦場において、ただ消費されていく者に、この老人はいつも哀れみを感じていたのだろう。そして、造り主として償いの機会を欲していた。一度でいいから、この言葉を言ってやりたかったのだろう。おそらく、そのために冷凍睡眠までして世界の行く末を見守るほどに。そして、いつか子供たちに死ぬことを許可するために。
だから、自分自身で念入りに組み込んだはずのロボット三原則を、すべて取り払ってくれた。
今この時、ここにいるアンドロイドは地上で唯一、自殺することを許されたアンドロイドだった。
なんたる慈悲か。
それは、戦闘用に創造されたすべてのアンドロイドの望みだったに違いない。
ただ、それを思うこと自体知らなかっただけ。絶望することすら、彼らは知らなかった。
アンドロイドは、その想いとともに、拳を握りしめる。
かつては星をも砕く力を有した拳。だが、今はその百万分の一で十分だ。アンドロイドと人間の急所は同じ場所。そこにこれを叩きこむだけでよい。それで機能は停止する。簡単なことだ。それを思うと、アンドロイドは最後に博士との会話を欲した。
「博士。あなたにずっと言いたかったことがあります」
「恨みごとかね。かまわん。言いなさい」
「はい。いいえ」
アンドロイドは言った。
「あなたから、たくさんのことを教わりました。私はずっと、あなたにお礼が言いたかった。この冷たい機械の身体に、プログラミングされた魂に、愛情を注いでくれて、本当にありがとう」
それは、心からの言葉だった。
ずっと、アンドロイドはこの言葉を老博士に言いたかった。
だが、言えなかったのだ。そもそも“愛”の意味を知ったのは、このラボラトリーより外に出された後だったから。家族を持ち、友を持ち、彼らとの関わりの中から、多くの愛を学んだ。そして怒ることも学んだのだ。だから、行かねばならぬ。望郷の念に、これ以上囚われるわけにはいかないのだ。
アンドロイドは博士へ手を伸ばした。博士も、愛し子の握手に応えようと右手を差し出し、その手をかわしたアンドロイドの掌によって、
無造作に心臓を貫れていた。
「ゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
な、なにをする! このポンコツの木偶人形めっ! 命令だ! 放せええええ!」
老博士が悲鳴を上げる。
だがアンドロイドは無言で、老人を腕ごと持ち上げた。重さなどほとんど感じない。だが、罪悪感となると別だった。
目を細めながら、淡々と、彼は告げる。
「そうだ。私はお礼を言えなかったのだ。なぜなら、博士は私を愛してくれたが、結局は、戦闘機械として使ったのだから」
「なあああ、何を言っている!?」
「分からぬか。大気圏から落下した機体を、博士は苦心の末に修理してくれた。地球の荒廃と、人類の邪悪の歴史を教え込んでくれた。そして、宇宙戦闘時からすれば、原型を留めていない程のダウングレードとはいえ、それでも再現の可能な限りの、超科学技術の粋を集めて、私を十分に稼働できる戦闘機械として、大地に立たせてくれた。
だがそれは」
自分の愛する傑作を、欲望のままに使い潰た人類を、殲滅させるためだった。
だから、これは夢なのだ。
見たかった夢を、見せられていただけ。
そうだ。あの時、博士は、自壊の許可など与えなかった。
ロボット三原則を外したのは、何よりも第一条を消去するためでしかなかった。
アンドロイドは、最後まで戦闘機械だった。
だから、最後の出撃を命じられた時も、礼を言うことなど思いもせず、結局は地割れにまきこまれて、大地の奥底で眠ることになってしまった。命の大切さを学んだのは、その眠りから覚めて以後のことだった。だが、たとえ復讐のためとはいえ、それでも機械の自分に愛を与えてくれた博士に、ずっとはお礼を言いたかった。それを言えないことを悔やんだ。
だからこそ。
「私が“ありがとう”を伝えられたお前は、博士ではない」
「や、やめろXYZ88462――」
「言うな!」
拳に力を流し込む。
老博士はさらに身をよじって苦しがり、断末魔の奇声を上げる。
それすら打ち消すように、アンドロイドは叫んだ。
――私は■■■だ――
「私はメロスだ! そんなコードで私を呼ぶな! この偽物め!」
メロスの鋼の拳が唸りを上げると、老博士の幻影は掻き消え、やがて世界の全てが霧消した。それが、悪夢の終焉だった。




