第十二話 知れメロス!
「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た」
メロスの前に刑場へとゴールした市民が、王に向かって叫んでいた。メロスは7着であった。彼らは刑吏に路を阻まれ捕縛され、その奥では縛られたセリヌンティウスが、火の入った溶鉱炉の真上に渡された橋で仁王立ちであった。
メロスは群集を掻き分け掻き分け、セリヌンティウスの元に跳躍した。「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」セリヌンティウスとメロスの視線が交差する。言葉は不要だった。
それまで、突然刑場へと乱入してきた群集に困惑していた見物人たちも、それでようやく気がついた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。
「ならぬ……」
高いところから震え、しわがれた声が幽かにひびいた。群衆は気がつかない。ただメロスの壊れかけながらも優れたセンサーだけが、ノイズ混じりであるが、それを王の声であると聞いた。
王は顔を青を超えて白く染め、玉座から身を乗り出してメロスを見つめていた。動揺していた。「お前は、余が最も恐れていたことを成し遂げた……」そう聞こえた。
メロスは王をぐっと睨む。王は、自分の声が聞こえていたと知り、口をつぐむ。そして目を閉じた。そして目を開けば、もはや王から動揺の色は消え去っていた。仮面のように冷たい目が、メロスを睨み返す。
「遅かったなメロス。丁度先ほど、刑の執行が決まったところだ。日は沈んだのだ。約束どおり、どこえなりと逃げるが良いぞ」
「何を言う。まだ日は沈んでおらぬ!」
メロスの指の先、ひどく低い山の際には、幽かに赤光が覗いている。もう一回り山が大きければ、もはや沈んでいないとは言えないほどだが、それでも確かにまだ日は沈んでいなかった。
しかし、王はそれを認めようとしない。見ようともしない。目を血走らせて、ただメロスを睨む。
「黙れ、メロス」
「いいや黙りません。私は約束を果たし、ここに居る。では、王が約束を果たされる番だ」
「……」
王は答えなかった。
それまで微動だにしなかったセリヌンティウスが、口を開いた。「王よ。あなたは何をなすべきかわかっておられるはずだ」「……」それでも王は答えない。
しかし、セリヌンティウスの言葉は、王の被った仮面を揺るがした。王の視線はメロスからそれ、遠く細められる。視線の先には、夕日の欠片と、そして塔があった。プロメテウスの火の塔である。
王の口が動き、しかし言葉を発する前に閉じた。もごもごと、それを何度か繰り返し、ため息を漏らす。そして、ついにこぼれた言葉は「できぬ……」であった。
メロスは激怒した。
「王よ! あの塔がおきに召さぬか! そんなにも裏切りの象徴として恐れるなら、よろしい、私が壊してしんぜよう!」
そうして、未だ健在な内蔵兵器の全てを、陽の欠片に薄暗く燃え立つ塔へ向けた。
あまりの行動に、王は驚き呆れたか、きょとんとした顔でメロスを見た後、破顔して声をあげ笑った。
「は、は、は。あの塔が裏切りの象徴? ああ、アキレスの一件か。誰から聞いた? そうか、職工、お前のおしゃべりな徒弟だな。ふ、ふ、良く知らねばそう思うか。 それにしても、破壊するなどと!」
腹を抱えて笑う王に怒りの収まらないメロスは、足を踏み鳴らして腹を立てている。セリヌンティウスは、橋がメロスの踏み鳴らしのために落ちやしないかと気にしながらも、王に問いかけた。
「それでは、いったいあれは何であると。 王は何を恐れなさる」
ようやく笑いが収まってきた王は、目じりに涙を溜めて彼等を見つめた。もはや王の心は仮面を被ってはおらず、真実の心で相対しているのが、彼の目の色で誰にも理解できた。メロスも怒りを納め、彼の王を見返した。
「こい、メロス。こい、セリヌンティウス。 もはや嘘であしらう事はできぬようだ。 真実を知ってもらわねばなるまい」
そして、側の兵士に、セリヌンティウスを開放するよう囁くと、「塔で待っているぞ」と言い残して、突然消え去った。メロスのセンサーは時空間のゆがみが感知した。王はテレポート能力で移動したようだった。
王の命により、兵士がセリヌンティウスの縄を解こうとやってきた。セリヌンティウスは、彼の手を煩わせるまでもなく、自ら全身に力を込め、膨れ上がった筋肉が縄を押し破り、自由のみとなった。
そして、メロスと視線を交わす。言葉は無いが、何を言わんとしたかははっきりと伝わった。セリヌンティウスが指を鳴らすと、爆音とともに彼のバイクが、自動操縦で走り寄る。二人はそれに跨り、エンジン音を響かせて塔へと走り去るのであった。
わけもわからぬ群集たちは、ただ単純に、王が彼等を許したのだと思い、王と、メロスと、セリヌンティウスの名を叫んで、いつまでも万歳を続けた。
セリヌンティウスのバイクの快速であった。メロスはその勢い風圧に、襤褸けた機体が軋むのを感じたが、何も文句は無かった。都へたどり着き、日は沈んだが、未だ、一刻も無駄にはできぬ状況であった。塔までの距離は相応のものだったが、あっという間にたどりついた。
二人はバイクを降り、塔の根元から上を見上げた。恐ろしく高い塔だった。そして、塔は不思議な銀色の金属で、継ぎ目もなくそそり立っていた。しかし、入り口が見当たらない。
すると、塔の壁の一部が、前触れもなく左右に開く。中から、王が姿を現した。彼は二人がやってきたことに満足げに頷き、顎で中へ入るよう示した。
塔は、中も不思議な銀色であった。熟練の職工であるセリヌンティウスをして、はっきりとこれと断言できない素材であるようだった。「おそらくは、第一期の希少合金の類か。断言はできん」そう漏らす。
王はなにか、塔の内壁にあるパネルで複雑な操作をした。幾度も文字列を入力し、最後に指をぐっと押し付けた。すると、塔の内壁に光の線が走り、やがて壁面に沿って螺旋階段が現れた。
「上に行く」
王はそう言って階段を上り始める。メロスはまどろっこしさを感じて、彼を呼び止めた。
「何か、我々に教えたいことがあったのではないですか?」王はただ「上りながら話そう」と答えた。
塔の中には外の音は何一つ入ってこない。恐ろしく静かだ。ただ、カツ、カツと三人の足音が塔の内部に響いた。
「第三期も終わりが近づいておる」
王が唐突に、そんなことを呟いた。メロスの目がとらえた王の後姿は、どこか小さかった。
「この時代が終わるとおっしゃる」
セリヌンティウスの問いに、王は頷く。
「左様。第一期も、第二期も、そしてその後の幾つか、期節としては数えられておらぬ小さな時代と同じように、この期も終わるのだ」
メロスは王がもったいぶっていると思い、鼻を鳴らそうとして失敗した。もう既に剥がれ落ちて紛失していたからだ。
「王よ。いったい何を持って終わるなどとおっしゃる。プロメテウスの火とやらが関係しているのですか」
「大いに関係しておる。どの時代の終わりにも、火の干渉があったのだ」
「何故、そんなことを断言できる……」
「知っているからだ。職工よ、この塔の外壁が、第一期の産物であることはわかっているな?」
セリヌンティウスは無言で頷く。
「そして、メロスよ。第一期の終焉において、お前は世界を焼く役割をになった。覚えておろう」
振り返りもせずに、階段を上りながら放たれた王の言葉は、苦いメモリーをメロスの記憶チップから呼び覚ます。友人であった機械や敵であった機械、そしてあの老人の記憶だった。
「覚えているとも。忘れるものかよ」
「で、あろうな」
王は立ち止まって、疲労の息をついた。もう塔はかなりの距離を登り、階段のはじめはとうに見えなくなっている。メロスとセリヌンティウスは黙って、王が呼吸を整えるのを待った。しばらくして、ようやくまた、王は歩き出す。
「まったくもって、いまいましい塔だ。 そう、メロスよ。お前は己が第一期を滅ぼしたと思っているかもしれんが、実は違う」
「なんだと」
「お前が機能を停止して、砂塵に埋もれた後も、知類は衰退してはいなかったのだ。プロメテウスの火を建造できるほどにはな」
メロスの記憶には、敵機体を焼き尽くし、老人の命によって人類を焼き尽くし、そして自分自身をも焼き尽くした鮮明な映像が、確かに残っている。しかし、あそこまでしてなお、滅んではいなかったというのか。このような塔を作れるほどに、余力を残していたのか。
薄ら寒い思いが、メロスの機体を覆い、感じるはずの無い寒気を覚えた。塔の銀壁が妙に冷たく思えた。メロスをよそに、王の語りは続く。
「プロメテウスの火は、元は大規模な気象制御装置であった。戦争によって、ほぼ9割が死の惑星と化した星を再生させるためのな。知類は、神の御技にも似たその装置を作り上げ、起動した」
「誤作動でも起こして、滅んだと?」
「いいや。はじめは順調に星は再生されていった。木々が生え、雨が振り、水が戻ってきた。獣も鳥も、新たに生まれた。そうしたら、欲が出た」
「……」
「もっと良い環境を。戦前より優れた惑星を。知類は欲望の果てに起きた戦争を経てなお、学んではおらなんだ。いや、学んだものも居たろうが、そんな人は皆、戦火で死んだ後だった。後は、詳しく言う必要もあるまい。自分にとってよい環境を得ようとあらゆる知類がプロメテウスの火に手を伸ばし、その業火を呼び起こして消え去った。残ったのは、一握りの、機械など見たことも無い生活を送っていた素朴な知類と、プロメテウスの火による環境整備で、自然溢れる地となった惑星。そして、プロメテウスの火だけだ」
「その生き残りが、第二期をつくったのですな」
「うむ。彼らは第一期への反省から、自然崇拝を中心とした、非物質主義、反機械主義の時代をつくった。シャーマンたちの時代だ。おぬしに送り込んだ刺客にも、その末裔が一人居たな」
水を操る青年のことであろう。彼は、あの後どうなったであろうか。何事もなく、近くの村へでもたどりつけていればいいのだが。
「あれの血筋は傍流もいいところだったから、第二期の消滅に巻き込まれなかったようだ。当時の首都で、消滅の事変は起きたからな」
「もしや、その消滅にも、プロメテウスの火がかかわっていると?」
「まさしく。シャーマンたちは栄華を極めた。極少数の一族が、他のすべての知類を掌握し、奢り高ぶった。第二期においては、プロメテウスの火は、機械文明を滅ぼした自然の守護者として、信仰の対象であったが、それを自分たちならば制御できると思いあがったのだ。機械文明のともがらと同じようにな」
「第二期の終焉は、群集の反乱によるものだったと聞きますが?」
「それもあった。故に、起死回生の一手として、火を利用しようとしたのだ。そうして、滅んだ。その後の、有象無象の時代、文明の芽生えぬ暗黒の時代のことは、もはや言うまでもなかろう。何者かが台頭し、火を求め、そして滅んだ。その繰り返しよ。そして」
王が足を止めた。壁に手をつく。壁に光が走り、左右へと開く。外は塔の頂上であった。満天の星空を背に、奇妙な形の機械が鎮座していた。
「そして、これが文明を幾度も終わらせた、プロメテウスの火の端末じゃ」
プロメテウスの火の端末は、どこまでも無機質であった。当と同じ材質の銀色に輝く固体は、ただ光の線が走るばかりの立方体であった。
「これが……」
「プロメテウスの火か」
呟きを漏らす二人に、王は首を横に振る。
「いや。これはあくまで端末よ。本体は、あそこにある」王が指差す先には、空の深遠の彼方に美しく瞬く星星のきらめきが見えた。「プロメテウスの火は、衛星軌道上に鎮座まします巨大建造物じゃ。この端末は遠隔制御装置に過ぎぬ」
あまりにも大きな話であった。世界を焼いたメロスにすら、今期までの全ての文明を滅ぼした機械というのは、途方もないものであった。絶句の沈黙が漂う。
気を取り直したのは、セリヌンティウスが先であった。彼には疑問があったのだ。
「王よ。しかし、まるでそれらの滅びを、見てきたかのように語るあなたは、いったい……」
「見てきたかのように、ではなく、ずっと見てきたのだ。私は」王が目を閉じ、息を吐く。突然、王の輪郭がノイズが走るようにぶれ、もくもくと薄らいでいく。やがていつのまにか、王の立っていたところには奇妙な粘体の塊が佇んでいた。「私の本当の姿はこれだよ。メロスは知っているのではないかな」
呆然とするセリヌンティウスにかわって、メロスが王であった粘液の姿をみつめる。確かに、その姿はメロスにある生物を思い起こさせた。
「ムーピー!」
「そうだ。私はムーピーなのだ。セリヌンティウスよ。第一期にはムーピーという人工生物が存在したのだ。ムーピーは超能力と変身能力を持つ、人間によってつくられた生き物だった。愛くるしい姿に変身させ、愛でるための、愛玩動物として、生産されたのだ。私も、その一人だ」
「しかし、王よ。ムーピーは普通の機械と同じように、主人への忠誠こそあれ、あなたのような知恵は持たぬはずでは」
メロスがいぶかしげに粘液を見つめる。粘液はふるふると振るえ、形を変え、王の姿に、いや王に良く似た若い男性の姿に形をかえた。
「そうだ。しかし、お前が三原則を破るように、私も普通のムーピーではなかった」
「この姿は、私の主人のものだ。私の主人は、まさしく知類論者だった。それも、机上の空論だけでは終わらぬ、偉大な実践者だったのだ。それこそ、ムーピーを知類の一員として扱い、最高の教育すら与えるほどに。ムーピーは主人とともに知類論を学び、実践していった。そんな時にあの戦争が起こり、そしてプロメテウスの火が建造された。プロメテウスの火は、われら知類論者からすれば、あってはならない存在だった。あれは、人間を神と思いあがらせ、惑星の運命を変えてしまう代物なのだから。しかし、主人はプロメテウスの火を利用しようとする連中を止めようと、その命を散らしてしまったが。本当に惜しいことだった。彼は当時の知類論者の中心人物だった。彼が死んだことで、知類論は廃れてしまったよ。まあ、もう言ってもせんないことだ」
「では、その教育を与えられたムーピーというのが、あなたなのだな」
「そうだ。私は、主人の知類論を受け継いだ。そして、プロメテウスの火を長きに渡って監視し続けたのだ。利用せんとする者があらわれぬように。ムーピーとしての変身能力を使って人々を従え、各時代に王として君臨することでな。ギルガメス、ゲオルギオス、アレクサンドロス、パウロス、これら名に覚えがあるだろう。それは皆、私なのだ」
メロスは思い知った。王は恐ろしい長い年月を、王として過ごした。火を監視し続けていたのだ。そして、いつか王がメロスに語った言葉のいくらかは、今まさにその真意が理解できた。
まさに、知類が王に教えたのだ。信じることはできぬと。幾度もの滅びをもってして。メロスは愕然とした。
「そして、今期もまた、同じように終わりが近づいておる。お前達も、アキレスの処刑の話は知っておろう」
メロスには聞き覚えがあった。セリヌンティウスの弟子の語った言葉だ。もちろん、セリヌンティウスも、アキレスの名を知っていた。
「あれがまさに滅びの始まりなのだ。ちまたでは、王位簒奪と、我が乱心によってアキレスを処刑したという話が出回っておろう。……しかし、アキレスはプロメテウスの火を知り、それを都の利益のために利用しようとしたのだ。故に、処刑せざるを得なかった。反乱軍が起とうと、本当の理由は隠してな。そして今日、メロスは見事に我が暴政に打ち勝ち、真実を見つけ出した。もはや、知類がプロメテウスの火を求める波は、私には止められぬ」
王は語り終え、長いため息をついた。いつのまにか変身した若者の姿は年老い、それまでの王の姿へと戻っていた。
そのどこか寂しげな姿を見るうちに、メロスの心の中の火が、むくむくと燃え盛り始めた。
「では、私が壊してしんぜよう! そうすれば、もはや誰も思い悩むことはあるまいよ」
思わず叫んだメロスだが、王は首を横に振る
「無理じゃ。端末が破壊されれば、本体はそれを危機と見なして滅びを起こす。そして、また新たな端末を星に打ち込むだけのことなのだ」
「違う! 私が破壊するといったのはあれだ!」
メロスが指を指す先には、深遠なる空、その先に隠れたプロメテウスの火の本体があった。