第十話 くじけるなメロス!
峠を下りきったところで、メロスの身体がぐらりと傾いだ。陽光に熱せられた地と空の灼熱に、金属疲労した脚部が耐え切れず、ぐにゃりと歪んだのだ。メロスは眩暈をしたようにふらついて、ついにはたたらを踏んだ瞬間、甲高い音を立てて右膝が折れた。電光がスパークし、金属片が小爆発とともに飛び散る。地鳴りとともに倒れたメロスの右脚は、無残にも膝より下が失われた。
残る左脚もまた、これまでの酷使によって変形が自己修復の限度を超え、もはや立ち上がることはできなかった。
機体の限界に煽られたか、動力部のタービン音までもが弱々しく軋んでいた。メロスは仰向けに天を仰いだ。太陽は夕日へと近づき、黄から赤へのグラデーションに染まり始めていた。
機械に潜む電子生命体を下し、水を操る超能力者を乗り越え、反乱軍の一味を突破して、そしてこのざまとは情けない。メロスよ。かつてお前をスクラップの残骸から助け出した友は、お前を信じたばかりに、溶鉱炉で融解するのだぞ。このままでは、王の思う壺の、不信の人間ではないか。
そう叱咤しても、身体は動かぬ。エネルギーが足りぬ。本来無限の動力となりうるはずのメロスの超宇宙力エンジンは、あまりに長い起動と停止の時間の中で、ひどく磨耗していた。
いや、もしかすれば、機体の不備などではなく、真実心の不備なのやもしれぬ。都へ馳せたくない心が、エンジンを衰えさせ、金属疲労をおこらしめ、膝を爆発させたのやもしれぬ。
不貞腐れた根性である。機械には不似合いのそれが、メロスのAIを蝕んだ。人の心に恐ろしく近似したメロスの精巧なAIは、先には妹の結婚を心から喜んだ情感を生み出してくれた祝福の機能は、今このときにおいては、呪いのようであった。
私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、微塵も無かった。足が、文字通り折れるまで走ってきたのだ。私は不信の輩ではない。ああ、できることなら私の胸を断ち割って、深紅に輝く炉心の火をお眼にかけたい。愛と真実の燃料だけで燃え盛る火を見せてやりたい。しかしエネルギーが尽きたのだ。
これでは、私はみなに笑われよう。家族も笑われる。すまない大切な妹よ、家族になったばかりのおまえの夫にも、すまないことをした。私は友を欺いた。セリヌンティウスよ、すまない。中途で倒れるのならば、何もしないのと同じ事だ。機械の体のなんと情けないことか。生身であれば、気力と魂が身体を動かすに違いない。しかし、機械は壊れれば動かぬ。それが定めだ。
セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。きっと無心に待っているのだろう。ありがとう、セリヌンティウス。
こんな機械を直し、友としてあつかってくれ、そして信じたばかりにセリヌンティウスは融解する。ひどい話だ。騙そうと思っていたのではない。ロボット三原則に縛られぬ私といえど、それは誓って本当だ。ただ、力及ばなかったのだ。私は王に負けたのだ。
こうなれば、もはや王は何人も信じられぬだろう。私の愚かな正義感が、王をさらに意固地にさせてしまう。それがつらい。セリヌンティウスは私は本当に間に合うつもりであったとわかってくる。しかし、王は一人合点してほくそ笑み、私を放免するだろう。あまりにも不名誉なことだ。それ以上に、王にも都の人々にも、本当に申し訳ない。
もはや死ぬるべきか。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。今ここで、炉心をオーバーロードさせ、巨大な花火と化せば、王の目にも届くやも知れぬ。その閃光が、王の心を照らすやも知れぬ。私の命の最後の一滴を使うのであれば、これが一番良いのではないか。
いや、それも無駄なことか。王はただ、愚かなスクラップが自爆したとしか思うまい。そしてセリヌンティウスを溶鉱炉へ突き落とし、また人を殺すのだ。
ああ、もういっそ、悪徳者として生き延びてやろうか。世界を焼いた私には、むしろ相応しい末路か。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。
正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが第一期よりの定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。
やんぬる哉。メロスのアイカメラからは光が消え、AIは機能を停止した。
数瞬の後、メロスのAIは再起動した。ふと足元を見ると失ったはずの左脚がある。
いや、よく見ればそれは、メロスの内蔵兵器のライフル銃を、無理やりくくりつけて支えにした義足ともいえぬような義足である。
よろよろ起き上がって、ふらつきながらも何とか立ち上がる。見れば、ライフルを固定しているのは、これまたメロスの内蔵する補修用ダクトテープだった。家屋の補修にも使えるそれが、十分にライフルの義足を丈夫に固めていた。
他にも、全身のあちこち、ひどく故障していた箇所を、拙くも必死に、走るために直した痕跡がある。
そしてメロスは気がついた。それらの修理を行ったのが、誰あろう自分自身であることに。
おそらくは、あの己を責め、運命を責め、何もかもを諦めてAIの機能を止めた、その愚痴の最中にも、無意識のうちにダクトテープを取り出し、貼り付け巻きつけ、ライフル銃を義足に見立てて修理していたのだ。
夢から覚めたような気がする。一歩、二歩、歩む。歩ける。そして走れる。
行こう。
粗末な新しい足とともに、わずかな希望が生まれ。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。
なにより、私自身の肉体が、AIが否定しても走りだすことを信じているのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。自爆でお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。
知らぬ間に、誰か優しい人が行き倒れを助けたように、己自身が再び立って走れるようにしたではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。
ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ。私は自我を得た時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。
走れ! メロス。
T>もうすぐ終わりですね。頑張りましょう