福寿草
アンキセスは王宮の一室で目を覚ました。
まだ日が昇り始めたばかりで、カーテンの隙間から見える空は薄暗い。しかし彼の耳には廊下を行き交う使用人たちの、慌ただしいパタパタという足音が聞こえ始めていた。
(歳を取ると、もう少しゆっくりと時間を過ごしたいものじゃがのぅ)
アンキセスは、心の中で愚痴をこぼした。
(まだ眠いんじゃ……)
昨夜遅くまで女王と話し込んでいたので、ベッドに入ってからさほど時間は経っていなかった。
女王から精霊師協会への依頼があったのだ。。
新たに対応しなければならない、しかしはっきりと何が起こるのか分からない事案であり、だが強力な精霊魔法を使えるものが対応しなければならない。
否、誰が対応しなければならないのか、はっきりしていたのだ。
(学園都市か……。厄介じゃのぅ。わしのような年寄りが行っては目立つしのぅ。他に選択肢はないようじゃ)
まだ幼い弟子を行かせなければならない。
やっと人間らしい、柔らかな表情を見せるようになってきたのに……。
そう思う彼の心は波立っていた。
(精霊王も酷な運命を人間に与えられたものじゃ……)
アンキセスはゆっくりとベッドから起き上がり、カーテンを押しのけ、窓を開け放った。
冷たい空気が肌を刺す。
(人は出来る事をするだけじゃ……。さて、飛行場にいかねばのぅ。あのうるさい孫娘たちに怒られるわい)
「ホシカラスよ。わが友よ」
壁に立てかけてある杖から、鴉の形をした光の妖精が純白に輝く羽を広げて、ゆっくりと窓辺に舞い降りた。
「ホシカラスよ、レイメルにおるミリアリアに遅れると伝えてくれ」
すると、ホシカラスはプイッとそっぽを向いた。
「困った奴じゃのぅ。終わったら酒を褒美にやるから」
その一言で機嫌を直したホシカラスは、颯爽と飛び去った。
(さて、どうするかのぅ)
ミリアリアの顔を浮かべて、誕生日プレゼントの候補を思い浮かべる。
万年筆、アクセサリー、服。
アンキセスは長い白髪をクシャクシャと右手で撫でまわし、「う~ん」と唸った。
どれも彼女に喜ばれそうになかったのである。
―― レイメルにて ――
セシリアが精霊師協会を訪れた日は開店休業になってしまった。弱者救済の看板を掲げる精霊師協会としては、その翌日まで休業する訳にはいかなかった。
エアは急いで朝日に輝く街を駆け抜ける。
「おはようございます!」
息を切らせて、精霊師協会のドアを開ける。
「おはよう~」
レティはまだ眠そうに、
「あぁ、おはよう……」
疲れた表情をしているユウは、いつもより不愛想に、
「あら、おはよう」
「おはよう!」
ミリアリアとセシリアがさわやかに挨拶を返した。二人とも寝起きが良いのか、やたらと元気が良さそうだ。
思わずエアは、ユウを振り返った。その視線を受け止めて、
「朝からこの奴らがうるさくて……」
ユウは呻いた。
「何か言ったかな~」
セシリアが笑顔で圧力を掛けてくる。
「え~と……。とりあえず、今日の仕事はどうする?」
エアは雰囲気が悪くなる前に、話題を変えようとした。
「これを引き受けようと思う。緊急性が高いからな」
ユウは一枚の紙を、エアの目の前に突き出した。
エアは目を見開いて、依頼書の上から下に視線を移し、
「これって、二日前に来た依頼だよね。もしかして、昨日引き受けようとした?」
「ああ、そうだ」
そこには「婚約指輪の紛失」と書かれていた。
「え? これって?」
エアは戸惑った。その顔を見たユウは、
「買い替えはきかないだろうな」
ため息を吐いた。
レティは若い二人を見つめ、
「それを引き受けるのね」
依頼人の青ざめた顔を思い浮かべつつ、
「彼女は第二街区に住んでいるわ。名前はクリスよ。かなり慌てていたわ。それで、探す範囲だけど……。ごめんね。多分街の大通りになるわ」
「つまり、よくわからない、という事か……」
ユウが天井を見上げた。
「とても時間掛かりそうですね……」
エアは疲れた様に呟いた。
その様子を興味深そうに、セシリアは見つめていた。
「初めて見るわね。依頼を引き受けているのを」
ミリアリアは妹の肩に手を置き、
「セシリアは初めてだっけ。こうやって依頼の内容を受付が聞いてから、精霊師が直接出向くのよ。討伐の依頼は国か街が依頼主だから、受けたら直ぐに行くことになるわ」
「へぇ~」
セシリアは納得した様な顔をして、頷きながら聞いていた。
「行ってくる」
「行ってきまぁす!」
エアとユウは慌ただしく街に出て行った。
「いってらっしゃ~い」
レティは二人を見送り、
「さて、ミリアリア達はどうするの?」
問われた二人は顔を見合わせて
「買い物をするわ」
「そうね。久しぶりにゆっくりできるし……。道すがら、指輪の事は気にかけておくわ」
主体は買い物で、指輪のことはついで。
この姉妹はやはり我が道を行く人間だったようだ。
レティはやっぱり、と思いつつ、
「いってらっしゃい」
と姉妹を送り出した。
第二街区に向かったエア達は、依頼人の自宅前に辿り着いた。
「此処だよね」
「間違いないだろう」
門柱に住所と見られる数字が並んでいる。これもレイメルが再建される時に、行政が管理しやすいので付けた住居表示だ。これによって税も徴収し易いが、生活の利便性として、手紙や物の配達が迷わなくなったのが大きい。
ユウが扉を軽くノックする。すると中から若い女性の声がした。
「はい……」
そして、扉が開かれると二十代に入ったばかりと思わる女性が出てきた。
白目は赤く充血し、泣きはらしたのだろうか。せっかくの美しい琥珀色の瞳がくすんでいる。茶色がかった金髪も艶が失われ、いささか憔悴しているようだ。
彼女はゆっくりと訪問客を見つめ、
「青銀の髪。そして黒髪の男性。精霊師のお二人ですね。待っていました」
こちらを確認しない依頼人に、慣れてきたユウは彼女の名前を確認した。
「指輪を失くしたクリスさんですね?」
「はい」
エアは気の毒そうに彼女の顔を見上げ、
「依頼を引き受けますので、内容を詳しく教えてもらえますか?」
「はい。では部屋の方へ、お茶をお出ししますわ」
エアとユウは大人しくテーブルに着いた。
しばらくすると、彼女はカップをテーブルに並べて椅子に座った。
「実は今月、結婚する事になっていたのですが、大事な婚約指輪を失くしてしまったのです。失くした場所がよく分からなくて……。家の中は当然探したのですが、見つかりませんでした。新居に引っ越すために、いろいろ買い物をしていて、何処で失くしたのか分かりません」
淡々と話す彼女につられたのか、
「簡潔な説明、ありがとう」
ユウは思わず口にしてしまった。
「ユウ………」
エアは同情と憐憫の眼差しでユウを見た。
「疲れているのは分かるけど……」
この二日間でユウの精神が擦り減っている。原因はリーズン姉妹である。
そして、レティも加わっての口撃である。一人や二人だったら耐えられるが、三人では耐え切れなかったのだろう。その結果が、普段から想像できないあるまじき失言なのだ。
二人の微妙な空気を察したクリスは、おろおろしている。
「すまない。しかし、指輪のサイズが合っていなかったのか? でなければ指から外れるなんて考えられないのだが?」
「はい。彼の祖母の形見なので、私には少し大きかったのです。近々、サイズを直す予定でした」
ユウは腕を組んで考えている。しばらくして、
「立ち寄った店を教えてくれないか」
「はい」
ユウとエアは手帳に店の名前を書いていく。
「もう一つ、彼氏は知っているのか?」
ユウは訊きにくいことを、早めに尋ねることにした。
大事な事なのだ。
その失くした指輪は、この女性の婚約者にとっても大切な物に違いない。
もしその指輪が見つからず、彼女の婚約者にその事実を知らせなければならなくなった時、ユウはその役を彼女に変わって行おうと考えていたのだ。
「失くして直ぐに彼に話しました。彼は出来る限り探すと言って、今日も仕事の後に探すつもりです。失くした事が本当に申し訳なくって……」
クリスはついには泣きだしてしまった。
「貴女は勇気がある」
いつも辛口のユウからはクリスを慰める言葉が、そしてエアはただ彼女の心情を想って、
「いつも正直でいることは難しい事なのに……。落ち着いて……。私たちも頑張って探しますから」
エアの紫の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「お願いします。私も探します」
クリスはただ、頭を下げるより仕方がなかった。
「では日が落ちるころ、精霊師協会で待ち合わせよう。どちらにしろ、報告もしなければならない」
「じゃぁ、行こう。ユウ」
二人は依頼人の家を後にした。
商店街で買い物をしていたリーズン姉妹は、地面を見つめながらウロウロしているエア達に出くわした。
「お疲れさま」
「お疲れ~」
妹は固い挨拶。姉は軽い挨拶。どちらも性格がよく出ている。
ユウは二人が抱えている袋を見て、
「楽しんでいるみたいだな」
セシリアは笑顔満面で、
「いや~、久しぶりだわ。姉さんとこんなに買い物したの」
「そうね。毎日毎日仕事ばっかりで、こんなに自由なのはしばらくぶりね」
ミリアリアも妹の横で、買い物袋を下げて喜んでいる。
「さて、そちらの仕事は順調?」
ミリアリアはふと、真面目な顔をして二人に訊いた。
「探している物を見つけるのは困難だ。小さいからな」
「それが目を皿にしても見つからないの。地面ばっかり見ていたら、次々と人にぶつかりそうで……」
エアは疲れた様な顔で言った。
「そうね……。私達も気に掛けるから、頑張って」
ミリアリアは若い精霊師の二人を見送った。
「さて、どうしようかな。精霊師協会の長としては……」
視線をさまよわせていたミリアリアの目に、店先に並んでいた鮮やかな黄色に輝いている商品が目に留まった。
日暮れの闇が空に押し寄せてくるころ、精霊師協会で集まった全員は溜め息を吐いた。
セシリアは曇った表情を見せ、
「見つからなかったのね」
ユウとエアは、
「ああ」
「これだけ探しても見つからないのは、おかしいと思うの」
と答えるのがやっとだった。
ミリアリアは首を傾げ、
「そうすると探すのは質屋。その次は宝石店や魔石店。つまり、拾った奴が持ち込む可能性を考えないとね。」
その言葉にクリスの顔が青ざめた。
「そうですか……」
その時、ミリアリアがクリスの目の前に、黄色い花が咲いている鉢植えを差し出した。
「福寿草よ。この花は『永遠の幸せ』を約束された花だわ。これが指輪の代わりになるとは思わないけど、見つけるのに時間がかかるお詫びだわ」
ミリアリアは商店街でこの鉢植えを買い求めた。明るい黄色の輝くこの花は『永遠の幸せ』という言葉を与えられ、雪降る寒い冬にも花を咲かせる。
辛い時があっても、きっと幸せはやってくる。
ミリアリアは、そう伝えたいのだ。
クリスは差し出された鉢植えを受け取って、胸に抱え込んだ。
「ありがとうございます。私が無くしたのに、気遣ってもらって……」
クリスが俯いた時、精霊師協会の窓ガラスが、
ガシャーン! パリーン……
派手な音を立てて砕け散った。
そしてテーブルの上に、白い鳥が舞い降りてきた。
リーズン姉妹は、
「ホシカラス!!」
「おじい様の精霊!」
驚き、ユウはとっさに武器を構え、エアは驚きの余り言葉を失っていた。
「びっくりしたじゃないの!」
レティはホシカラスを叱り飛ばした。
エアはホシカラスの傍に近寄り、
「また窓ガラスを壊しちゃって。分かっててやっているよね」
頭を撫でようとした時、その足に鈍く輝く光を見つけた。
「あら……。これって、指輪?」
エアが顔を近づけると、ホシカラスは彼女の額を突いた。
「いったーい!」
のけぞるエアの身体を支え、ユウが片手でホシカラスの首を掴んだ。
「ん? これは指輪だな」
とユウが呟くと、
「私の指輪です!」
クリスが駆け寄った。
彼女はホシカラスの足から指輪をもぎ取り、魔石灯の光にかざして見せた。
「間違いありません。彼からもらった指輪です!」
クリスの表情は、喜びに輝いていた。
しかし、ミリアリアの目は吊り上がり、
「何で持っていたのかしら~」
低い声でホシカラスに詰め寄る。その横でセシリアも、
「カラスは光り物が好きだと知っているけど、まさか鳥型の精霊も同じだったなんて思わなかったわ」
低い声で呟いた。
珍しくエアが顔を引きつらせながら、
「本当に苦労したんだから。街中歩き回って……。地面ばかり見て……。これ、焼き鳥にするわけにはいきませんよね……」
額を押さえながら、ホシカラスを指さした。
一日歩いても見つからなかったのに、ホシカラスがくわえていた。これは怒れずにいられない。
「お前、何しに来たんだ」
ユウはホシカラスの首を掴んだまま、冷静に問いかけている。
その時、静かに怒りに震えている人物がいた。
赤毛のレティだ。
「窓ガラスも割ってくれたし。取りあえず……。縛ろうか!」
レティはカウンターの下からロープを取り出した。
ユウに頭を押さえられているホシカラスは、羽をばたつかせたが、抵抗空しく縛り上げられた。
捕まったホシカラスは縛られて天井から逆さ吊りにされている。
「これでよしと」
ミリアリアは嬉々として天井から吊るして、セシリアがホシガラスを突いている。レティは一度書類の束で叩いた。
スパーン、と良い音がした。
精霊師としてのアンキセスは尊敬しているが、彼が使役している精霊は別らしい。
ホシカラスにとっては理不尽であった。
しかし、主の命令で伝言を運ぶため、ご機嫌に飛んで来て、気に入った光り物を拾っただけなのに、なぜ縛られて殴られるのだろうか……。
「さて、これで依頼は終了だね」
エアは満面の笑みを浮かべた。
クリスも喜びの余り、涙で潤んだ瞳をエアに向け、
「ありがとうございます」
受け取った指輪を左手薬指にはめた。そこへ一人の男が入って来た。
「ここにいたのか」
「ヤッケ!!」
ヤッケと呼ばれた男は、彼女の指に光る指輪を見つけ、
「見つかったのか! よかった!!」
「ええ、見つかったのよ。手伝ってくれた精霊師の方々ありがとうございます」
クリスは皆に向かって頭を下げた。
「これで結婚式が挙げられるな」
ヤッケはクリスの手を握る。
「ええ」
二人の顔が近付いていき、唇が触れるか触れないかという距離になった。
エアは顔を赤くし、ミリアリアとセシリアは溜め息をついた。
ユウは無視して報告書を書いている。
レティが赤毛を逆立て、大きく息を吸い、
「続きは結婚式でやれ!!」
レティが怒鳴って、二人を大通りに放り出した。
~ エアの日記 ~
婚約指輪見つかってよかった。あの後、結婚式の日取りを教えてくれました。その時のお二人の顔は幸せそうでした。
そう言えば、ホシカラスですが……。依頼人のお二人が帰ってから、師匠が来て「なに遊んどるんじゃ」と言われて、天井から降ろされました。
次の日がミリアリアさんの誕生日と言われて、慌ててプレゼントを用意しようとしましたが「気持ちだけ受け取っておくよ」と言われました。来年は、ちゃんと用意しよう。あ、明日は休みになりました。
いいのかな、こんなに休んで。
ユウも気にしていたな……。
エア・オクルス
★作者後書き
お待たせしました。学園編につながる短編です。次回からは学園編になりますので、宜しくお願い致します。
★次回出演者控室
エア 「学校かぁ、楽しそうだね。でも、ユウと離れ離れだし……」
ユウ 「心配するな。同じ街に居るんだから。いつでも会える」
アンキセス「まぁ、楽しんでくるのじゃな。二人とも」