シオン
月は二月。王国ではテレベラムの月と呼ばれている。
レイメルは、時折雪がちらつき、吐く息も白く輝く真冬であった。さすがに『花咲く天空の街』と称えられるこの街も、今は白銀の雪景色に包まれていた。
住人たちは早朝から防寒着の襟を立て、寒そうに首を縮めながら雪かきをしている。
そんな中、一人の女性が飛行場に降り立った。
(さて、精霊師協会は何処かな)
薄桃色や白色の小さな花が沢山咲いている花束を抱えた女性が、パタパタと足音を立てて走り出した。
「ユウ、レティ。おはようございまーす」
エア・オクルスは青銀の髪を揺らしながら、精霊師協会のドアを開けた。
「ああ、おはよう」
黒髪の青年、ユウ・スミズがにこりともせずに返事を返し、
「おはよう。エアちゃん」
レティと呼ばれた真っ赤な髪の二十代半ばの女性が明るく挨拶を返した。
エアは黒髪の青年に視線をちらりと送り、
(変わらないなぁ。ユウは)
ここ数カ月でエアも精霊師の仕事に慣れてきた。初めの頃は不安もあったが、不愛想だが、丁寧に同僚の精霊師の彼が仕事を教えてくれるので上達も早かった。
勿論、受付をしている赤毛のレティが、仕事を選んでエアに紹介していることも事実だ。
皆に守られている安心感もある反面、不安もあった。そう、独りで仕事が出来るかどうかだ。いままでユウが傍に居たから良いが、状況によっては全部一人でやらなければならない。
いつか独りで仕事をすることもあるだろう。その時、出来るだろうか。今はそんな事を考える必要は無い、と言い聞かせても不安が消える訳では無い。
(今度はどんな仕事かなぁ。気にしても仕方ないか。今日も頑張ろう)
エアは二人の下に近寄った。
「今日の仕事は?」
「ああ、これを受けようと……」
ユウが引き受けようとした依頼書をエアに見せようとした時、精霊師協会に玄関が勢いよく開け放たれた。
「邪魔するわよ! 姉さんは来ている!?」
「姉さん?」
エアは突然現れた女性に向かって、声をかけた。
「レティ、誰かに似てないか?」
ユウはため息交じりにレティに向かって呟くと、
「心当たりが大ありだわ」
真っ赤な髪をかき上げたレティの口元は少し緩んでいた。
驚いて口をポカンと開けているエアと違って、ユウとレティは冷静だった。
勢いよく飛び込んできた女性は二十代前半だろう。金髪のロングで、瞳は緑色。服装は白のロングコートの裾から赤のスカートが見えている。持ち物は花束とショルダーバック。腰にはレイピアを下げている。
「申し訳ないけど、まず名乗ってくれないかしら」
レティの不機嫌な一言に、女性は「しまった」という顔をして、カウンターまで来て名乗った。
「ごめんなさい。私はセシリア・ディフダ・リーズンよ」
「え、リーズン?」
とエアは驚き、そしてユウは納得の表情をしつつも、
「幻聴か。いまリーズンと言わなかったか?」
彼は額に手を当て、レティに至っては天井を見つめている。
「失礼ね。ちなみに姉はミリアリアよ」
セシリアが三人に素性をはっきり明かすが、何の返事もなかった。
「どうしたの?」
セシリアは不思議そうに首をかしげるが、エアにしてもユウもレティも、
「驚いた……」
「あの口やかましい女に、妹がいたとはな……」
「聞いていたけど、実際に会うのは始めてね……」
やっと溜息交じりに言葉を発した。
するとセシリアはユウを指さし、美しく半円を描いた眉を吊り上げ、
「そこの男! 果てしなく失礼ね!」
と抗議をしたが、
「事実だろうが。要点を簡潔に言えば、『口やかましい』で済む」
ユウはバッサリと切り捨てた。
「姉さんをバカにしているんだろうけど! でも、よく考えると納得するわ」
セシリアは腕を組んで頷いている。
「そこで納得しちゃうの?!」
エアは思わず言った。どうやら彼女は、実の姉のミリアリアに対して容赦がないようだ。
「だって、事実だからしょうがないじゃないの」
エアは戸惑いながら、
「で、でもね。もっと庇ってもいいような……」
「無理よ。それに庇う気もないし。それに、きっと姉さんも何言われても平気よ」
セシリアはきっぱりと言い切った。
しかしその時、彼女の後ろでどす黒い念をはらんだ女性の声がした。
「平気じゃないんだけどな~」
再び視線を玄関に移すと、ミリアリアが口の端を歪ませながら玄関に立っていた。
するとセシリアが口をとがらせ、ミリアリアを指さして文句を言い始めた。
「やっと来たわね。自分が待ち合わせにここを指定しておいて、自分が遅れるとはどういうことよ?」
ミリアリアは深緑のコートを脱ぎながら、
「仕方ないじゃない。雑務が多いのよ。あと、その人を指さすのは止めるように言っているでしょ。セシィ」
どうやらセシリアは人を指さす癖があるらしい。
「雑務って……。姉さんは、好きでやっているんじゃないの」
よく似た姉妹は、いつもの通り口喧嘩を始めた。
エアは言い合っている二人の横顔を眺めながら、
「こうして見ると、すごく似ていますね」
すると似た者姉妹は、同時にくるりとエアを振り返り、
「あらそう?」
とミリアリアは微笑み、
「冗談じゃないわよ!」
セシリアは不機嫌そうに姉を指さし、
「子供の頃から『そっくり。よく似てるわね』なんて言われ続けて、反発しない訳が無いでしょう。今では諦めているけど」
頬を膨らませている。
だが、エアに姉妹はいない。セシリアが姉に似ていると言われることに、反発する気持ちはよく分からなかった。
「そんなものなのかなぁ……」
エアが首をかしげると、
「うん。姉さんはどう思っているか、わかんないけどね」
セシリアは腕を組んで頷いている。
しかしミリアリアは、くすっと小さな笑い声をたて、
「今は妹たちと、似ていることがうれしいと思っているけど。何だかすっきりとしない時期もあったわね。そう言えばあの子は元気にしている?」
セシリアに話しかけると、彼女は右手の人差し指を頬にあて、
「ああ、あの子ね。元気にしているよ。友人が友人だけにちょっと気になるけどね」
ウインクをしながら答えた。
エアはユウやレティと顔を見合わせた。二人の謎の会話についていけない。
おもむろにユウが、
「おい、もしかしてまだ兄弟、姉妹がいるんじゃないのか」
怪訝そうな顔をしながら尋ねると、
「いるわよ。姉さんが長女で、私が二番目。あと一番下に妹がね。今度紹介するわね」
「私達の一族は変わり者って言われているけど、あの子も変わっているわね」
似た者姉妹はそう答えた。
脳内で三姉妹が言い合っている騒々しさを思い浮かべたエアは、
「すごいですね……」
思わず呟いた。
「それはそうと姉さん。これ読んでね」
セシリアはバックから手紙を出した。
「セシィ、誰からなの?」
ミリアリアは手紙を受け取って、差出人の名前を確認するが見当たらない。
「お父様よ」
「げっ!!」
ミリアリアは嫌そうな顔をして、黙って手紙の内容を読む。
そして、
「わかってるわよ!!」
手紙を宙に放り投げると風の魔法で塵になるまで斬り裂いた。そして、それを燃やすという追い打ちまでかけた。
エアは女王の手紙を灰にした彼女の祖父、アンキセスに似ていると思いつつ、
「何て書いてあったんだろう?」
「人の手紙だ。あれこれ詮索しない方がいいだろう」
「ねぇ、ユウ。もしかして関わりたくないんじゃないの?」
「もちろんだ」
即答だった。
彼の顔には『関わりたくない』という文字がはっきり書いてあるようだった。
「あははははっ! お父さまが姉さんに何が言いたいのか、見当がつくけどね。ところで貴方達の名前は?」
セシリアは明るく笑い飛ばし、傍観者を決め込んでいた三人を見つめた。
「あっ! ごめんなさい。精霊師のエア・オクルスです」
思わずエアが声を上げた。余りにも急な展開で三人して名乗るのを忘れていたのだ。
「受付のレティアコール・イシディスよ」
「精霊師、ユウ・スミズだ」
セシリアは三人の顔を眺め、ふとエアの顔を見て、何かに気が付いたように表情を変えた。
「どうしたんですか?」
「いや、誰かと似ているような感じがしたから。ん、きっと気のせいね。ってこの子がおじい様の言っていた弟子か。とすると……」
セシリアは顎に手を当てて考え始めた。
「??」
セシリアが何を言いたいのか、エアが口を開こうとした時、
「ああ、ごめんなさいね。ところで皆さんが気になっている手紙の内容は――」
「ちょっと待って言わないで!!」
ミリアリアはセシリアの口を塞ごうとした。ひらりと彼女は身をかわし、
「とっとと結婚しろ! ということよ」
大声で発表すると、
「あう……」
ミリアリアは雷に打たれたように首を垂れた。
きっと結婚と言う単語は、彼女にとっては呪いの言葉なのだろう。
「後がつっかえているから、早く結婚して下さいね」
ミリアリアの肩が、ぴくっと動いた。
「誰が、後がつっかえているって。あんた、許婚いなかったっけ?」
「しまった……」
セシリアの顔が引きつった。
ようやくミリアリアに攻撃の順番が回ってきたようだ。
俯いていたミリアリアは、顔だけセシリアに向けて『にやり』と笑って追撃を始める。
「もしかして逃げられた?」
「うぐっ!!」
今度はセシリアがうな垂れる番であった。対してミリアリアの顔が、悪人もびっくりの不敵な表情に変わった。
「セシィ……。仕事、仕事で男をほったらかして、ついには愛想を尽かされた?」
「はぐっ!!」
「うっふっふっふっ。終いには、あなたにはついて行けません、て言われたの?」
「な、何故それを……」
三人はものすごい光景を目の当たりにした。一方的な姉妹喧嘩を見て、
(こいつら結婚できないな)
ユウが小さな声で、エアに囁いた。
「ええ、そうよ!!」
セシリアの怒声に、
「開き直ったな。そろそろ危険だな。エア。とばっちりが来る前に、書類を片づけて退散するか」
「そ、そうだね。終わりが見えてこないよね」
「これでレティが参加したら、この世の終わりを見ることになるぞ」
ユウはエアを誘い、カウンターの中に避難をした。
セシリアはミリアリアを指さし、
「つきあった男どもは、仕事が出来る女は嫌だとかぬかして去っていったわよ! いざとなったら、役にも立たんくせに!! 姉さんこそ! 縁談の話は全部断っているじゃない。結婚する気あんのか!!」
「セシィ。口調が乱れているわよ。一応、精霊十二家の筆頭ディフダ家の跡取りなんだから」
「そんなの! 姉さん相手にかまってられるか。跡取りというけど、おじい様はおじい様で、お父様に全て放り投げて精霊師協会をつくったわ。姉さんもそれに準じるつもり!!」
「仕方ないじゃない。誰かがやらないといけないんだから」
「あたしがどんだけ心配しているか、分かってんのか!!」
ミリアリアはセシリアの顔を見て、ぎょっとした。その顔は今にも泣きそうだった。
「闇市に子供助ける為に一人で突っ込んだとか、最近ではこの街で大規模戦闘に加担したとか、ケガはしていないから良かったけど! 一歩間違えれば、死んでいるのよ!!」
セシリアは握り締めていたシオンの花束を、ミリアリアに叩き付けた。
「セシィ。ごめんないさいってば……。先ず落ち着きなさい」
ミリアリアは床に落ちた花束を拾い上げ、妹の震える肩に手を置いた。
「うっさい!」
セシリアはそっぽ向けて拗ねている。
「それにしても、いい男が転がってないかな~」
ミリアリアは呟いた。
「やっぱり一人だと寂しいしね~」
セシリアが続く。
「わかるわね~」
レティが頷いている。
「あ。でも、居るじゃない」
セシリアが思いついたように言うと、
「どこに!!」
ミリアリアとレティの目つきが変わった。
彼女たちの視線は、我関せずで書類を見ているユウに注がれていた。
「姉さん。彼、仕事出来るんでしょ?」
セシリアがミリアリアに尋ねると、
「出来るわ。強烈な皮肉に目を瞑れば、いい物件だわ」
レティもすかさず、
「あと、不愛想で言葉が不自由なところも気にしなければね」
(物件って、俺は建物か……)
書類を見ながら、耳に入った言葉にユウは心の中で反論した。
「なんか得物を狩る目になっているような……」
エアの震えるような呟きに、ユウは顔を書類から上げた。
「うわっ……?!」
値踏みするように睨み付けるリーズン姉妹の視線に、いつも冷静なユウもたじろいだ。
「すごいのに目を付けられたわね~」
レティはからかうようにユウに声をかけた。
「「うふっふっふっふっ……」」
姉妹は同じ笑いを浮かべながら、ユウを見ている。
その視線に耐えかねたユウは、思わず本音を吐露した。
「エアはともかく、お前らは一人で生きていける……」
その一言で傍観していたレティも加わった。
「「「なんですってぇぇぇえええええええ!!」」」
ユウの呟きに三人は猛抗議を始めたが、ユウは右から左に聞き流していた。
完全な失言だった。
(うわっ……。ユウったら、言ってはいけない事を……)
エアは手近な書類を片付けながら
「今日は開店休業かぁ」
そう呟いた。
三人の抗議は三時間に渡ったという。エアはレティが処理する筈だった書類を整理し、その間ユウは腕を組みながら、物言わぬ石像となって耐えるしかなかった。
昼休みを挟んで午後に入った。もちろん精霊師協会にはミリアリア姉妹がいる。
「ところで、何しに来た?」
ユウはセシリアに問いかけた。その顔は疲労が滲んでいる。
ミリアリアとセシリアの説教とレティのノンブレス攻撃を、精神的なダメージを受けずに聞き流すのは、無理な技であったようだ。
「そろそろ、姉さんの誕生日でね。誕生日祝いと私の休暇も兼ねているわ」
「まるで誕生日はついでのようね」
苦笑しながらミリアリアは言った。
「ついでよ、ついで。それに、こうでもしないと姉さんは休まないし。でも、ちゃんとこうやって花束も持ってきたのよ」
「セシィ、ありがとう。この花は屋敷に咲いている花よね。懐かしいわ」
ミリアリアは花束に顔を近づけた。その横顔には疲労の色が滲む。
「かわいらしい花ですね。青紫色で、優しい感じがします」
エアが花を見つめると、セシリアは、
「昔から、うちの屋敷で栽培しているの。威張った感じがしないし、育てやすいしね。精霊十二家には、それぞれ大事にしている花があるのよ。女王陛下はアイリスの花。うちのリーズン家はシオンの花なの」
少し自慢げに話した。
「そう言えば、ここの市長も精霊十二家出身だったわね」
セシリアがそう尋ねると、ミリアリアは黙って頷いた。
「精霊十二家とはなんだ?」
ユウがミリアリア姉妹に問いかける。
「それなら市長から聞いたけど」
レティは少し知っているようだ。
「師匠はそんな話はしなかったからなぁ。生きる為の知識しか教えてくれなかったから」
エアも当然知らなかった。
「まぁ、知らないのは当然よ。精霊十二家とはこの国を守護する騎士の家系よ。今では家督の相続はいい加減でね。女性でもいいのよ。まぁ、途絶えかけたのが原因だけどね」
セシリアは答えた。
「貴族の中でも上級から下級まであるけど。精霊十二家は最上級よ」
ミリアリアは付け加えた。
「へぇ~」
エアは二人を尊敬のまなざしで見ている。
「内訳はどうなっているんだ。市長もそうなんだろう?」
「当然よ。市長の本名はマッシュ・テレベラム・グランドールだから」
ユウの疑問にレティが答えた。
「何で知っている?」
「あの問題児の時に、ちょっとね」
レティは肩をすくめると、ユウは腕を組み、
「なるほどな。丁度今月はテレベラムの月。十二と聞いて月の名前を連想したがその通りだったか」
「将軍が十二家から選ばれているんですか……」
二人がそれぞれ感想を言う。
「将軍職は、正確には王族も含むだけどね」
セシリアは嫌そうに言う。
「ああ、余計な仕事を増やしてくれたベレトスね。精霊師協会も体制を変えないといけなかったのよね」
ミリアリアは、その時のことを思い出していた。アンキセスは会長を辞し、彼女が会長に就任しなければならない事態となった。
「姉さんが精霊師協会の会長になって、急にあたしがお父さまの補佐として、領地の治安や、報告書なんかの書類の詰まった部屋の片付けをしていたわ」
「書類が詰まった?」
ユウの言葉にセシリアは首を振った。
「ありえるのよ。扉を開けたら書類が雪崩れてきたなんて当たり前。書類を一枚二枚で数えることはしないで一山、二山で数える日々が続いたわね」
思い出したのか顔が引きつっている。
「「はぁ……」」
二人揃って溜め息を吐いた。
しばらくして、エアはふと思った事を口にした。
「どうして、ミリアリアさんは精霊師になったのですか?」
「ああ、それね」
ミリアリアはセシリアを見た。
セシリアはミリアリアの視線を受け止め、
「あたしが原因よ。今にして思えば間抜けな話よ」
「セシィ。そんなことはないわよ」
いささか自虐的な妹に対し、ミリアリアが慰めるように声をかけた。しかしセシリアはその慰めを振り払うように、
「だって間抜けよ。人攫いに遭ったんだから。精霊十二家に生まれたら一番用心しないといけないことだったのに!」
一気に言い放った。
「攫われたの!!」
エアは驚いて声を上げた。この気の強そうなセシリアが、攫われるなんて想像がつかなかったのだ。
「普通の理由ではないと思ったが……。しかしそれが家督相続にどうつながるんだ?」
ユウが姉妹の顔を見つめる。
ミリアリアはため息を吐き、
「まず精霊師協会がなぜ創設されたのか、から始めないといけないわね」
「あ~……。知ったら幻滅するかもね。ねぇ、姉さん」
セシリアは苦笑している。
「幻滅?」
とレティが聞き直し、
「市民を助けるためじゃないんですか?」
とエアが聞き返し、
「なんとなく解った」
とユウが頷いた。
するとセシリアが、
「正解を聞こうかしら」
ユウに回答を求めた。
「戦争で利用されないためだろう。俺とエアもセラシスだからな」
ユウに回答に、リーズン姉妹が軽く拍手をした。
「正解」
セシリアはユウを指さした。
「セラシスは軍にとって旗になるからね。いるだけで箔がつくのよ」
ミリアリアは嫌そうに答えた。エアとレティは無言になっている。そう、設立理由はかなり個人的な事なのだ。
「俺達セラシスがいるからって戦場が大きく変わる訳じゃない。ただ旗頭にはなる。大衆は英雄を求めるからな」
するとセシリアは、
「そうね。おじい様はそれを嫌ったわ。どうせ英雄になるなら民衆に身近な英雄でありたい。街道の魔物退治、失せ物探し、護衛、殺人事件の犯人探し、庶民の困っていることなら何でも手伝おう」
アンキセスの言葉を思い出しながら話を続け、
「戦場の大量殺戮の英雄よりはいい。国を支えるのは軍だけじゃない民衆がいて貴族や王が成り立つ、なんてね。まぁ、確かに光龍軍の将軍の座が黙っていてもくるけど、特に帝国を刺激したくないというのもあるわね」
エア達に説明をした。
「大量殺戮の英雄か……。戦争は合法的に人殺しができるからな。法で犯してはならない事が許されてしまう。冗談じゃない。ただでさえ精霊師の仕事で人間相手に武器を振るうのにためらいがある。それにエアは無理だろうな。旗にもならん」
ユウにしては珍しく声に感情がこもっている。
するとセシリアはエアの顔を眺め
「う~ん……。確かにこの子には無理ね。それでも相手は、政治という化け物だからね。無理矢理引っ張り出される事もありえるわね」
とても人を殺せそうな感じはしない、と付け加えた。
「戦争は嫌です。それ以上に、人が死ぬのはもっと嫌です……」
エアは消え入りそうな声で呟いた。四人が揃って沈黙した。
「さて、ミリアリア。なぜ精霊師になった」
ユウはミリアリアに尋ねた。
「あたしが話すわ。原因の半分以上は私のせいだから」
セシリアが申し出ると、
「あれは、貴女が悪いんじゃないわ。その話は私が――」
ミリアリアが遮ろうとすると、
「姉さん、あたしがさらわれた当事者だもの。今から十三年前の出来事なの。あの時も姉さんの誕生日が近かったわね」
セシリアは話を始めた。
あたしが十二歳の時。
その時の王都はすでに発展をしていて、今とあんまり変わらなかったわ。住んでいた屋敷は王都の貴族街にあったけど、おじい様の性分なのか堅苦しさが全くない、和やかな家族関係だったわ。
でも、姉さんとは微妙な関係だった。あの日、素直に姉さんの言う事を聞いていたら、姉さんが精霊師になることは無かったと思う。
姉さんは家督を継いだお父様から、既に領地の管理の一部を任されていて、慣れない仕事に取り組んでいた。姉さんは家督を継ぐ為の修行を始めていたのだ。
そんな姉さんを羨んでいたのか、憎んでいたのか、自分でもはっきりしない気持ちを抱えていた。
「ふわ~あぁ、おはようセシリア」
寝ぼけ眼のミリアリアがリビングに入って来た。
「おはよう、姉さん。じゃなくって、もう昼よ。いくらなんでも寝過ぎじゃない」
あたしが姉さんに注意をすると、
「いいじゃない。夜中まで書類を見ていたのよ。全く、お父様も私に丸投げしないでよね」
姉は愚痴をこぼした。確かに夕べ、お父様が姉さんを部屋に呼んでいたことを思い出した。
「お父様……。いくらなんでも早すぎない」
自分だったら、まっぴらだと思った。すると姉さんが、
「そうね。まぁ、私は自然と覚えたけどね。執務室が遊び場だったし」
そう答えたのが、何だか憎らしい。
「あんな所を遊び場にしようとは思わないわよ……」
勉学も魔法でも勝てない。唯一、自分が勝てるのは剣くらいだ。何故か、姉は武器の扱いが下手なのだ。しかしそれ以外は、勝てる気がしなかった。年の差があるのは理解していた。それでも追い付きたかった。いつも一歩先を行く姉に、並びたかったかもしれない。
勝てないまでも、負けたくない。
そう自覚してからだ。自分は、自分がやれる事をやろうと思ったのは……。父の手伝いや母に習って料理を覚えた。もちろん姉さんも出来るけど。今では父も褒めるくらい仕事が出来る様になった。
姉さんを追い掛けているという自覚はある。ただ、祖父のアンキセスのようにはなりたくないと思った。
一族で一番の変わり者。
子供の頃から聞かされた。良い事も悪い事も……。ただ最後に言われる事は「あんな人間にはなるな。世間では最高の人でも家族としては最低だ」と繰り返し言われた。もちろん延々と愚痴を聞かされた上で。
「はぁ……」
おもわず口からため息が漏れた。すると姉さんが、
「セシリア。溜め息付くと幸せが逃げるわよ」
すかさず注意をする。
「幸せなら、とっくに足並み揃えて逃げていったわ。いま、やりたい事はその幸せを追い掛けることなの」
思わず本音が出てしまった。すると姉さんは意外にも、
「そうね。私達は貴族の生まれだから、世間ではそれだけで幸せと思われているけど、それなりの責務を負っているのよね。まぁ、おじい様みたいに貴族としては『反則技』の市民還元はあり得ないと思うけど」
おじい様のことを良くは言わなかった。
姉さんはおじい様が設立した精霊師協会のことを言っているのだと察した。設立当初は他の貴族から強い反発があったが、女王の後押しもあって、その存在は公に認められた。文句の言えない実績を、地道に積んでいったからだろう。加えて市民を恐怖に陥れた邪霊師の討伐が、精霊師協会の人気を不動のものにしたと聞いている。
ただ、人材の確保が厳しい。精霊師になるには条件があるのだ。ただその条件は軍にとっても喉から手が出るほど欲しい人材なのだ。今では精霊師協会に軍人からの転職者が多いのだ。軍からは陰で「人材略奪協会」とか呼ばれているらしい。
「姉さん。精霊師には資格があったよね」
と口にすると、姉はすかさず答えた。
「魔法適性が最低でも三属性。ちなみに私は風が強くて火と水」
と言うので、
「あたしは火が強くて風と地」
自分の適性を調べた時のことを思い出す。
「で、お父様は教えてくれなかったわね。おじい様は全部。適性が全部だなんて人は他にいないわ。そのせいかしら。お父様は、おじい様に何某かの反発をもっているようね」
姉さんはため息を吐く。
その事は、あたしも感じていた。
「姉さん。おじい様は私達のどちらかを精霊師にしたいみたいね。順当なところで妹のあたしかな……」
「そうね……。私は跡取りとして育てられたからね。他を知らないというのは、問題なんだけどね。それにしても、おじい様はたぶんセシリアを精霊師協会の会長に据えるつもりじゃないかな」
「そうなるよね……。あぁ、今幸せが速度を上げて逃げて行ったわ……」
「セシィ。もしかして、精霊師になるのは嫌?」
「う~ん……。苦労するのが目に見えているから。正直、家を継ぐより苦労しそう」
「本当にセシリアは頭が良いね。貴女と同じ年の子供はそこまで考えが及ばないわ。私は駄目ね」
「姉さんからその言葉を聞くとは思わなかった……」
セシリアは驚いた様にミリアリアを見つめた。
「普段は言わないけどね。後ろから全速力で追っかけてくる子がいたら、やっぱり自分も全速力で逃げるでしょ」
いたずらっぽく笑った。どうやら、私の追っていた姉は、同じ努力で出来ていたらしい。
姉はテーブルに着き、遅い朝食を前にして、
「セシィと違って、私はその場での最善を考えるからな~。ま、もちろん面白い方向で考えるけど」
「その面白い方向には、当然悪ふざけも含まれているのよね……?」
あたしは思わず嫌そうな顔で姉を見る。これまでのいたずらの数々を思い出した。浅い落とし穴は当たり前。箱の中にカエルもあった。
「そりゃもう。悪ふざけも全力よ!」
姉は満面の笑顔で答えた。
「あんたはバカかぁぁぁぁぁ!!」
セシリアは手近にあった椅子を投げた。その姿は姉に対する尊敬など、一切をかなぐり捨てた反抗期の少女だった。
「ちょっと、それは洒落にならないって」
ミリアリアは慌てて避けた。後ろで椅子が派手な音を立てて床に落ちた。しかしこの音で、屋敷の住人が来ることはない、いつものこととして処理されている。
「これだから姉さんはおじい様と似ていると言われるのよ」
セシリアは肩で息をしている。その様を苦笑しながら見る姉。
「自覚は無いんだけどな~。それを言うなら私達はよく似ているって言われるわね」
「どこが似ているのかしら……」
セシリアが悩んでいると
「物の考え方じゃろう」
そこへアンキセスが帰って来た。
「お久しぶりです。おじい様」
「お帰りなさい」
二人はアンキセスに挨拶をした。
「ところでさっき派手な音がしたが、お主らか?」
「あー……。はい」
セシリアは恥ずかしそうに答えた。
「ほどほどにな」
アンキセスは笑って答えた。
「ところで、おじい様はどうして戻られたのですか?」
「ん、不穏な動きをする貴族が出たので取り締まりに協力しておる」
「もしかして、マッシュ様も巻き込んで?」
ミリアリアは恐る恐る聞いた。
「もちろんじゃ」
笑顔で肯定する返答が返って来た。
「「気の毒に……」」
姉妹は顔を見合わせた。
軍にとってはアンキセスが好き勝手しない為に付けた護衛なのだが、実際はアンキセスへの人身御供である。彼が苦労する事によって軍は平穏を得られている。
姉妹は揃ってマッシュに同情した。
「そういうことじゃから、外に出る時は気を付けるのじゃぞ」
相変わらずこの老人は、言うだけ言って去って行った。
「相変わらず忙しそうね」
姉さんはため息を吐くと、
「私もああなるのか~」
あたしは自分の未来の姿にぐったりしてしまった。
「いいじゃないの。面白そうだし」
「はぁ、あたしは出かけるから」
セシリアは軽く身支度をして、外出しようとした。
「付いていこうかな」
ミリアリアが席を立つと、
「付いて来ないで」
あたしは姉に内緒で買いたい物があったのだ。
「じゃあ、せめて武器持って行ってね」
姉はレイピアを指差した。
「すぐ近くだから」
本当にすぐ近くの店であった。しかし姉は心配そうに、
「それなら、これを持って行きなさい」
姉は小さな瓶を差し出した。
「これって、精霊石の欠片……。わかりました。いざという時のためですね」
今にしてみれば、それが間違いの元だったわ。武器を持って行けば、あっさり捕まる事はなかったと思う。
貴族街を出て直ぐに、三人の男に囲まれた。
「あんたがアンキセスの孫だな」
それを聞いて逃げようとしたが道を塞がれた。
「おっと動くなよ。うっかり殺してしまうかもしれんからな」
背中にナイフの刃が当たっているようだ。一般人に偽装する為に武器を小型の物にしたのかもしれない。
「すいません。鞄から飴を出してもいいですか」
あたしは泣きそうな顔をわざとして見せた。
「喚かれても困るからな。いいだろう」
男はにやりと笑った。
数時間後、屋敷ではミリアリアがうろうろしていた。
「帰って来ないわね」
武器の準備をして、外に出て行った。手にはセシリアの武器であるレイピアを持って。
精霊師協会ではアンキセスとマッシュ、メリルがいた。受付にはバルクがいる。
「失礼します」
精霊師協会の扉を開けたのはミリアリアだった。
「おお、ミリアリアか」
「久しぶりじゃな」
バルクが挨拶して来た。
「お久しぶりです」
マッシュは挨拶をした。ふと、ミリアリアは隣に居る修道女を見た。服装から太っている様に見えるが、動きはしなやかだ。
「はじめまして、メリルと申します。精霊教会のシスターをしております」
「はじめまして。ミリアリア・リーズンです」
よっぽどのことがないかぎり、彼女はディフダを名乗らない事にしている。
「で、どうしたのじゃ?」
「セシリアが攫われたかもしれません」
「本当ですか?」
その一言でマッシュは慌てた。
「ええ、帰りが遅いので、そろそろ相手が何かしてくるかもしれません」
「失礼します。女王の使いです。アンキセス様はいますか?」
そこへ城からの使いが来た。
「ここじゃ」
「手紙を預かっています」
受け取って中身を読んだアンキセスは無言で手紙を放ると
「わかっとるわ!!」
怒声と共に、灰にした。
「何て書いてあった?」
バルクはアンキセスに聞いた。
「ミリアリアの言った通りじゃった。すぐに救出せねばならん。ついでに貴族を捕まえろとか書いてあった。さらにマヌケという罵倒の言葉も書いてあったわい」
「……。愉快な女王ですね………」
ミリアリアは女王がそんな言葉を手紙に書くとは思わなかったのだ。
「ええ、本当に……」
それに同意したのは、意外にもマッシュだった。
「さて、どう探すかの」
「それなら大丈夫です。セシリアには精霊石の欠片を瓶に入れて渡しています。連れて行かれる道すがら、彼女は道に落としているはず。それを探せば見つかります」
マッシュは穏やかな笑顔をミリアリアに向けた。
「準備が良いですね」
そっとメリルがミリアリアに寄り添い、
「弱い女子供を狙うなんて。許せませんわ」
そっと肩に手を当てた。しかしミリアリアは俯いて、
「そうですね……」
悲しいかな。悪党に有名になり過ぎる英雄の身内は苦労する。復讐対象が本人ではなく、親族の女や子供に向くのはよくあることだ。
強く唇を噛んだ。
アンキセスはその様子をみて、杖を強く握りしめ、
「さて、行くとするかの」
ドン! と杖で床を突いて立ち上がった。
「気を付けてな」
バルクはパイプを銜えたまま、煙を吐き出し見送った。
貴族街の出口に落ちていた精霊石は、直ぐに見つかった。
もはや日が暮れ始め、地面に落ちていた精霊石が夕日に輝いていたのだ。
それを辿って行くと、ある下級貴族の屋敷に行き当たった。
「ここじゃったか……」
「ここですね」
アンキセスとマッシュが呆れたように呟いた。
「この屋敷の住人に心当たりが?」
メリルが二人に尋ねた。するとマッシュは呆れたように、
「とにかく不正蓄財が大好きな方でしてね。そして不正に武装魔道機を製造し、それを売りさばいていました。幸い回収は出来たのですが、他国に売られていたら大変なことになっていました。もちろん黒幕がいたのですが、そっちは逃げられました。アンキセス殿、いくら孫娘を攫われたからといって、この屋敷を燃やさないでくださいね。王都で火を出すのは重罪ですよ」
マッシュに「燃やすな」と念を押されたアンキセスは、むっつりと不機嫌そうに、
「何を言っとるんじゃ。光の精霊家であるリーズン家に手を出すとは、いい根性じゃわい。セシリアに怪我でもさせておったら、屋敷ごと消し飛ばしてやるわい」
世界樹と呼ばれる杖の先を屋敷に向けた。
「相変わらずな人ですねぇ……」
マッシュが唸るように天を仰ぐと、メリルがアンキセスの前に出て膝を着いて頭を下げる。アンキセスに向かって捧げるように差し出された両手には、インパチエンスと名付けられたメイス型魔道機が乗っていた。
「アンキセス様。それでは先に屋敷に侵入してセシリア様を見つけます。」
と申し出る。
「なら、わしらは派手に陽動するかの。気を付けるのじゃぞ、メリル」
アンキセスは楽しそうに笑っていたが、ミリアリアの顔色は血の気が引いたままであった。
「私はメリルさんに付いていきます」
切羽詰まったミリアリアの申し出を、
「あらあら~。潜入は単独の方が成功しやすいのですわ。それにミリアリア様、慣れない事はやらないに限りますよ」
メリルはそう言い残し、あっさりと塀を乗り越えて屋敷の中に消えていった。
「さて、わしらは押し込み強盗をするかの。ミリアリア、行こうぞ」
「どこの悪党ですか。取り締まり対象にしますよ」
アンキセスに向かってミリアリアは呆れたように言ったが、アンキセスは涼しい顔をして受け流す。
「それではアンキセス殿。メリルの合図を待って、派手に正面から入りましょう」
マッシュは黄金の槍を取り出した。
屋敷では屋根裏部屋に軟禁されたセシリアがいた。
(ふぅ、なさけない。あっさり捕まるなんて。これじゃ家に迷惑が掛かるわね)
椅子に縛られ、両手の自由は利かない。手首をもぞもぞと動かしていたせいか、縄で皮膚が擦れて痛みを感じる。日が暮れ始め、埃臭く、湿った暗い部屋に閉じ込められていたセシリアの心に、新月の夜空より深い闇が忍び込んできた。
(殺されちゃうのかな……)
心を揺さぶる不安が、さらに大きな不安を呼び込む。身動き取れない状態が、そうさせるのだろうか。
(姉さんが言った通り、剣を持っていけば良かった……)
惨めだ。なんて惨めなんだろう。涙が頬に流れた。
(目の前の最善を考える……。姉さんはそう言っていた。ただ努力するだけじゃダメなんだ。何の為に、どう努力するかが大事なんだ。ディフダ家は狙われる。分かっていたことなのに、『用心をする努力』を忘れていたなんて……)
あたしは忘れない。この惨めな絶望を……。
でも……。
でもこんな気持ちのままで……。
「終われない! だから、生きなきゃ。必ず脱出してやる」
思わず言葉が口から飛び出た。その時、
「お見事な覚悟ですわ」
いたわる様な女性の声が聞こえた。
振り向くと窓が少し開いていて、修道女がこちらを覗いていた。
「誰なの?」
あたしは小声で話しかけた。
「メリルと申します。シスターですが、今はアンキセス様と行動を共にしております」
メリルは窓から音もたてずに忍び込み、セシリアの拘束を解いた。
「ありがとうございます。でも、どうやって脱出を? 窓から?」
セシリアがメリルを見つめると、
「いいえ。アンキセス様のご家族様に、その様な真似はさせられません。堂々と玄関から参りましょう」
そう答えたメリルは、手に持っていたメイスを開け放った窓に向け、
「インパチエンス! 待ち望んだ希望の光を!」
そう叫ぶと、強い輝きがメイスの先から放たれ、群青色の空に花火のように輝いた。
屋敷を遠巻きにして、ミリアリア達は眺めていた。
メリルが忍び込んでから、そんなに時間は経っていなかったであろう。しかしミリアリアには、途方もなく長く感じていた。
「遅いわ……」
そう呟くミリアリアに、マッシュは少しも動じず、
「心配いりませんよ。必ずメリルから合図があります。今や彼女はシスターでありますが、辛い人生を戦い抜いてきた『戦士』でもあります。必ず、やり遂げますよ」
そう答える横顔を見ながら、ミリアリアは彼がメリルに寄せる強い信頼を感じ取っていた。そしてミリアリアは、振り返ってアンキセスを見つめた。
アンキセスは彼女の視線を受け止め、ただ黙って頷いた。
(これが生死を共にする、という事なのかしら)
無条件の信頼。
お互いの性格や能力を知り尽くし、自分や家族の運命を託すことができる。
(そんなつながりがあるのね)
ミリアリアが屋敷に視線を移した時、群青色の空に大きな輝く光が現れた。
「合図じゃ!」
アンキセスの声が上ずっている。やはりセシリアのことが心配だったのだろう。
マッシュが黄金に輝く槍を天に突き上げ、
「地龍軍、アルガイア小隊! 前へ! 我が槍、グロリオーサの名にかけて、卑怯な貴族どもを一掃し、とらわれた人質を解放する! 総員、突入せよ!」
穏やかな表情を一変させ、勇猛な地龍将軍としての顔を現した。
階下から男たちの怒声や剣を打ち合う音が聞こえてくる。
メリルがそっとドアを開けて、セシリアを振り返り、
「アンキセス様が他の皆様方と屋敷に入られたようです。行きましょう。合流して脱出するのです」
滑るように廊下に出た。セシリアも黙って後に続いた。
「セシリア!」
廊下の先には、ミリアリアの姿があった。
「姉さん!」
セシリアは駆け寄った。
姉の姿を見た途端、嬉しさが込み上げた。
「姉さん! ごめんなさい」
姉妹は人目もはばからずに抱き合った。
そこへ無粋な男が襲い掛かったが、メリルが修道服の裾をなびかせ、
「あらあら~。感動の対面に水を差すなんて、空気が読めない人ですね~」
メイスで張り飛ばした。
「行きましょう。ほら、セシィの武器よ」
ミリアリアはレイピアをセシリアの目の前に差し出した。
「あたしは、このレイピアを絶対離さない。姉さん、反省はちゃんと後でするから、今はこの下賤な賊たちをぶっ飛ばしていい?」
セシリアはレイピアを構えた。
「セシィ。お父様には、後から二人で謝ればいいわ。今は思いっきり暴れましょう!」
ミリアリアは杖を構えた。
二人は次々と現れるむさ苦しい男たちを張り飛ばし始めた。
壁に穴が開き、ドアが吹き飛び、花瓶が派手な音を立てて割れた。階段の手すりも壊れてしまった。
するとアルガイア小隊の面々から、
「お嬢様方! 屋敷は壊しても構いませんが、火を出すのは勘弁してください。始末書を書くのは大変なんですから」
「そうですぜ。火なんぞ出したら、減俸積立貯金が無くなっちまう」
と懇願の叫び声が上がった。
この後、主犯の下級貴族は逮捕された。女王は嬉々として懲役刑の執行命令書に署名した。どうやら改革反対派の貴族だったので、見せしめになったらしい。
「息子にえらく叱られたわい」
リーズン家の一室で、アンキセスはしょんぼりと肩を落としていた。
ミリアリアはアンキセスの前に跪き、
「おじい様。私が精霊師になるわ。家督を継ぐのも危険を伴うけど、精霊師の方がもっと危険だわ。セシリアに緊張が続く仕事は向いていないと思う。幸い、私の方が魔法の素質はある。そしてまたリーズン家に、セシリアに何かあったら、私が守る」
リーズン家は女王を擁護する改革派の筆頭だ。女王もまた、光の精霊家であるリーズン家の人間なのだ。アンキセスが精霊師を辞めても、きっと政治的な状況は変わらない。
つまり今の女王の治世が続く限り、また災厄が降りかかるのかもしれない。
その時は自分が守ろう。
「妹は精霊師には向いてないわ。むしろ家督を継いだ方がいいわ」
ミリアリアの顔をじっと見つめていたアンキセスは、
「ふむ。また息子にどやされるのぅ……。しかし、その方が良いようじゃ」
そう答えるのが、精一杯であった。
「問題は誰がそれをセシィに伝えるかよね」
ミリアリアがそう呟くと、
「そうじゃな。息子に頭を下げるかのぅ」
アンキセスは頭を掻いた。
勿論それを聞かされ、怒り狂ったあたしがレイピアを振り回した事はリーズン家の公然の秘密である。
話し終えたセシリアは、冷めた紅茶を飲み干した。
「そんなことが……」
「へぇ……」
エアとレティが茫然としていると、ユウが、
「セシリア」
「なに?」
セシリアを呼んだ。
「よく、姉を嫌わなかったな」
「ああ、その事なら姉さんを嫌いになる事はなかったわね。なんだかんだ言っても姉妹だから」
エアは羨ましそうに姉妹を眺め、
「いいなぁ。私には兄弟、姉妹がいないから憧れちゃう。いたらいいな、て思う時があるの」
「思わんな」
ユウが否定の言葉を言った。
「ちょっと微妙かしら」
レティが微妙な表情をする。
「実際は良いもんじゃないわよ。こんな姉は持つもんじゃないわよ」
「酷いな~。嫌われるようなことした?」
「いろんないたずらを仕掛けてくれたわよね」
セシリアの顔がだんだん険しくなっていく。近くに置いてあるレイピアを抜きそうだ。
「ああ、そのこと。いつも全力で渾身の作品を用意したわ」
満面の笑みで返した。
「確かにこれは嫌だな。俺にも兄がいたが、ここまでじゃなかった」
ユウが言った。
「初めてユウの事、聞いた気がする」
「そうか。まぁ、そうだな」
「お兄さん、いたんだね」
レティがユウに尋ねた。
「兄が一人、妹が一人」
「真ん中か。で、どんな人なの」
「兄にはどんな分野でも勝てる気がしなかったな。まぁ、勝つ気もない。妹は我が道を行く奴だな。ケントとは気が合ったな」
ユウの家族構成に驚きを隠せない。
「会ってみたいな~」
「無理だな。帰れる方法がわからん。それに帰れるんだったら、とっくに帰っている。いまでは諦めているがな」
「そうだったね。ごめん」
エアは俯いた。
「気にするな。自分の中では解決している。で、レティ。兄弟がいるんだろう?」
「いるわよ。ちなみに私は長女ね」
「わらわら、いたわね」
「元気にしてるかなぁ」
それぞれ一息ついた。
テーブルの上にはシオンの花束が花瓶に飾られている。
どこか懐かしく、郷愁を誘うその花には『追想』の言葉が贈られている。過去を忘れまいとするリーズン姉妹に、相応しい花なのかもしれない。
「そういえば、話に市長やメリルがでていたね」
「ええ。あのシスター、服で隠しているけど、実際はかなり戦闘が出来る人よ」
ミリアリアが答えた。
「私も驚いたわ。あれはただのシスターじゃないわね」
セシリアも同じ意見だ。
「そう言えば、あの話には他にもあってね。マッシュ市長がね。あの後、おじい様の八つ当たりを受けていたのよね」
「気の毒だったわね。お主が警備をきっちりしないからこうなるのじゃ、とか言いながら顔は笑っていたから。メリルが必死になって止めていたわね。私も止めたけど」
セシリアがその時のことを思い出していた。あれは八つ当たりだ。誰がどう見ても八つ当たりだった。
姉妹はお互いを見つめながら、
「セシィの誘拐事件かぁ。それにしても、懐かしい話だったわね」
「あたしにとって、あんまり話したい事ではないけどね」
「ところで、どうして一人で買い物に行ったの?」
「姉さんの誕生日のプレゼントを買うためよ」
「なるほど。確かに一人で買いに行くわね」
ミリアリアは納得した様だった。
「それにしても、おじい様はまだ来ないのかしらね」
「そうね」
その言葉に、ユウは脱力するように、
「この上、厄介なじいさんも来るのか……」
力なく俯いた。
この日、レイメルの精霊師協会は開店休業となった。
~ユウの手帳より~
業務というより始末書だろう。一日仕事を放棄したのだから。
それにしてもうかつだったな。自分の事など話す事じゃない。つい、昔のことを思い出したな。もう諦めたつもりだったが、心のどこかでは帰る事を諦めていないかもしれないな。明日はケントの墓参りに行くか。
ユウ・スミズ
★作者後書き
お久しぶりです。更新が出来ました。長らくお待たせしまして、申し訳ありませんでした。今後ともよろしくお願いいたします。
★次回出演者控室
エア 「まさか、あの妖精が……」
ユウ 「まさかあいつが……」
レティ 「お仕置き確定ね」