ルドベキアとウラジロ 6
差し入れのクッキーを手に持ったまま、エアは身を乗り出し、
「それでどうなったの?」
ティファリアとルテネスの顔を交互に見つめながら尋ねた。
「それがさ~。とんでもない噂でさ~」
ルテネスの視線が力なく宙を見つめると、ティファリアも少々呆れたような顔をしつつ、
「そのナンパ男のヒューイックが『親切で声を掛けたが、相手の一年生が手ひどい対応した』と。アホか。下心満載で声を掛けたのは男の方だってぇの」
「口調が素になっているわよ~」
苦笑しながらルテネスがやんわりと注意を促すが、ティファリアは不機嫌そうに言い返した。
「いいのよ。だって思い出すと、今でも腹が立つわ。アカリは何もしていないもの」
「そうだね~。慌てて放課後にアカリを探したもんね~」
ルテネスは、淡々と話しを続けた。
ティファリアとルテネスは、教師から『走ってはいけません』と言われている廊下を、注意されるギリギリの速足で特別棟へと向かう。
すると特別棟の入り口で、琥珀色の長い髪の少女が、長身の男子生徒に詰め寄られているのが見えた。
「あいつぅ! カルシ家のバカ息子!」
思わず駈け出したティファリアの、金色の髪が逆立っている。
「ティファ! 落ち着いて!」
後を追うルテネスは、ティファリアが心配だった。自分の大切な友は『暴走戦車』などと呼ばれているのだ。頭に血が上ると、何をやらかすか見当がつかない。
――否、そんなことはない。勿論、結果は分かっている。その真っ直ぐな気性で、相手を殴り飛ばすに決まっている――
(絶対、止めなきゃね。カルシ家の長男を殴り飛ばせば、いくらティファでも退学だわ)
ルテネスは内心、冷や汗をかいていた。
ところが焦る二人とは対照的に、アカリは冷静に目の前の相手を見つめていた。
「先輩。御自分のなさっていることが、恥ずかしいことだとは思われないのですか」
アカリの口から、吹雪のように冷たい言葉がヒューイックに浴びせられた。しかし、彼の面の皮は厚かった。
「そんなに恥ずかしがらなくても……。素直に私の言葉に身をゆだねれば、とても美しく、可愛らしい貴女になれますよ。貴女の魅力は、この私によって開花するのです」
ヒューイックは頬を赤らめ、目を輝かせながらアカリの顔に手を添えた。
反対に、その様子を走りながら目撃したティファリアの顔は青くなり、
「ちょっと! 止めなさいよ! いくらなんでも気持ち悪すぎる!」
と叫ぶと、
「同感だわぁ!」
とルテネスも応じた。
しかし、赤くなったり、青くなったりしている周囲をよそに、どこまでもアカリは冷静だった。
「何度も申し上げていますが、きっぱりお断りです。貴方に話しかけられて、ボクは大変迷惑しています」
アカリの黄玉の瞳に、刃のような光が宿った。
ティファリアとルテネスが見守る中、アカリの容赦ない言葉がヒューイックに向けられた。
「まず朝には、ファンクラブを自称する人達に囲まれて、しつこく事情を聞かれました。教室に向かう途中では、自称婚約者と名乗る勘違い女に、廊下で水をかけられそうになりました。それに護身用魔道機がないと命に関わる事態もあり、驚きましたよ。外を歩いていると二階の窓から氷の塊が降ってきたり、階段から突き落とされたりしましたよ」
アカリの鈴を転がすような声が、冷たく響く。
「結局、反省部屋に、少なくとも片手では足りないくらいの女子生徒が送られました。今の貴方に言える事は、ただひとつです。女の子に節操なく話しかける努力を、自分の身辺をきっちり身ぎれいにする方に向けてください」
ヒューイックはたじろいだ。
その様子を見ていたティファリア達は、思わず心の中で拍手した。
「あらら。格が違うわね」
「そう言えばさ~。私達にはあの男、ナンパしなかったわね~」
「もしかして、私達はナンパしにくいと思ったのかしら」
「ある意味で、相手を選んでいる様では駄目だね~」
ティファリアの逆立っていた髪の毛は、すっかり収まってしまった。
ルテネスもその様子を見て、肩の力が自然と抜けていた。
アカリの話はまだ続く。
「ボクに向かって武器と魔法を使った方は、退学処分になるかもしれません。先輩のせいですよ。昨日のボク達を見ていた女子生徒が、ボクに嫉妬したあまり、嘘っぱちな噂を流した。そして、先輩はそれを否定も肯定もしなかった」
冷静に話しながらも、アカリの瞳には怒りの感情が浮かぶ。
「私は、君を襲えなどとは言っていない。彼女たちの勝手な判断だよ」
ヒューイックの口元には、不敵な笑みが浮かび上がった。それを見たアカリは、
「事実を明らかにしないことが、罪になるとは考えていない訳ですね。先輩は自分の為に人を操る、とても卑怯な人です!」
強い非難の言葉を彼の顔に叩き付けた。それまで冷静だったアカリの口調に変化が現れたのだ。ところが、
「さあ、そんな我儘ばかり言っていないで……。私の部屋に行こう」
口元に笑みを浮かべたまま、ヒューイックがアカリの腕をつかむ。
アカリの長い髪が揺れる。彼女の瞳が怪しく輝きだした。
「改めて申し上げますが、ボクは先輩のことが嫌いです。自分の責任を認めない人から、何かが得られるとは思えません。多少、痛い目に会ってもらうことになりますよ」
ヒューイックはその変化を感じ取れないのか、それとも、たかが小娘と侮っているのか、
「痛い目に合うのは、貴女だ。貴女が強力な魔法を使うのは見ていたから、知っているよ。でも、こうやって両手を掴んでしまえば、魔導機は持てない」
ヒューイックはアカリの両手を、後ろに回り込み片手でつかみ、
「さあ、この小柄な身体で何をするんだい? 泣いて震えながら『先輩、止めて』と頼んだら、優しくしてあげるよ」
彼は彼女の耳元で、低い笑い声を喉から発していた。
しかし、アカリは冷静さを失わなかった。
「頭のねじが数本抜け落ちている変態だね。ボクが最終手段を使う前にロベルトが来てくれるといいけど……」
そこへ特別棟からロベルトが現れた。
「アカリ! 何を大人しく捕まっているんだ!」
成り行きを見守っていたティファリア達が、慌てて介入しようとした出鼻をくじかれた。
「確か彼、『大人しく捕まって』と怒っていたわね」
ティファリアが怪訝そうに呟くと、
「そう言えば、彼女。魔道機なしでも魔法は使える、と言っていたわよね~。最終手段って、そのことかな~」
ルテネスも呆気にとられてしまった。
ロベルトの登場を待っていたとばかりに、アカリは思い切り膝を上げ、ヒューイックのつま先を踏みつけ、
「もう、待ちくたびれたよ。彼が今朝からの、一連の事件の主犯だよ」
そう言って彼女は、痛そうにつま先を押さえている目の前の男に視線を向けた。そして同時に、ロベルトの顔つきが厳しいものになる。
「忠告はした筈だ。妹に手を出すなと。あんたは休み時間に、俺が傍に居ない時にアカリに声をかけていたみたいだな。それも許すつもりはない。それどころか、アカリが他の男に声を掛けられるのは、我慢ならないんだ」
ロベルトの顔は、怒りで真っ赤になっている。
「兄さん。ボクは自由に生活したいんだ。屋敷に軟禁されそうなったら、速攻で家出して精霊師になるから」
「すまん」
アカリが嫌そうな顔を本気でしたので、ロベルトが即座に謝った。将来、尻に敷かることは間違いない。
二人の様子をうかがっていたヒューイックは、
「お前がいるから、お前がいるから、彼女はなびかないんだ! お前さえ死ねば」
そう言って武器を乱雑に振るい始めた。さすがに尋常じゃない事態にティファリア達は飛び出した。
「その男の始末は私が付けるわ」
「見過ごせないしね~」
だがロベルトが、
「関わらないでください。出来れば二人はアカリを守ってください」
二人の助力の申し出を断った。彼は攻撃を必死に避けている。
「でも!」
今にも飛び出しそうなティファリアに、アカリは鋭く疑問を投げかけた。
「先輩達は問題ごとに首を突っ込んで解決しているそうですね。なんでも介入して解決するのが正義ですか。時には当人達に任せる事が解決の糸口になると思いませんか?」
ティファリアは身体が、急に重くなったように感じた。
自分の正義は正しいのか。
難しい顔をして唸っているティファリアを見て、アカリは溜め息をつくと、
「正義の価値観は後で話しましょう。兄さん! 片付けちゃって」
「私は風紀委員を呼んでくるよ~」
ルテネスは駈け出した。
その間も、ロベルトとヒューイックの争いは続く。
「なぜ、アカリにこだわる!」
「私は声をかけた女性に断られたことはない。だから彼女も了承するはずだ」
「言っている事がめちゃくちゃだ。それと言い忘れていたが、アカリは俺の婚約者だ」
「なっ! 君たちは兄妹だろう!!」
思わぬ事実に、ヒューイックが青ざめた。
「こればっかりは家の都合でな。それと俺とアカリの家はステラ家だ」
ステラの名前を聞いたヒューイックはさらに顔を青くした。この時なって、自分がどんな相手を口説いたのか理解したようだ。
「ステラといえば、精霊十二家に連なる家系ではないか!」
「そういうことだ。お前はよりによって、格上の家名を持つ、婚約者がいる女性に手を出したんだ。馬に蹴られても文句は言えねぇな。それと口説くときに婚約者がいるかどうか確認しなかったのがいけなかったな。世間の風当たりはきついぞ」
この国では婚約者がいる女性を口説いてはいけない、という風習がある。もし口説いてしまったら二人の仲を裂く厄介者として『人でなし』の扱いを受ける事になる。
「くそぉぉぉ!!」
「男の嫉妬は見苦しい! ちょっくら、寝てろ!」
ロベルトが手刀で首の後ろを叩くと、ヒューイックは気絶した。
「兄さん、人が悪いね」
アカリがロベルトの傍に近寄ってくると、
「お前もだろう。最初に婚約者がいると言っていればこんな事にはならなかったんだ」
彼は渋い表情でアカリに文句を言った。
「いやぁ、婚約しているという実感は無くてね。ああいう人は一度痛い目に会うといいと思って。でも卑怯者の上に、予想以上の変態でさ」
「だな。困ったもんだ」
二人の会話についていけないティファリアは混乱するばかりだった。
アカリの座っている部室には、相変わらず資料が山積みになっている。
先ほどの騒動の余韻が残っているせいか、隠れ家のような部室にティファリア達は安心感を覚えていた。
「婚約していたなんてね。驚いたわ」
「だね~」
ティファリアとルテネスは、二人そろって大きなため息を漏らすと、
「ボクをステラ家に縛り付ける為です。でもステラにとって、ボクをこの世界に転生させた意味は、このステラ家にあるんでしょうね。さて、先輩方。今日は時間がないから魔石創りは休日にしましょう。いいですね?」
アカリが同意を求めると、
「ええ、構わないわ」
「いいですよ~」
ティファリアとルテネスは、そろって頷く。
アカリは二人に向き直り、
「さっきは助けようとしてくれて、ありがとうございます」
小さな身体を折り曲げて、頭を下げた。
「ほぼ必要なかったみたいだけどね」
「そうだね~」
ティファリアは、その時のことを思い出して苦笑した。手を貸さなくても初めから解決できたのだ。
ティファリアはおもむろに、
「私を止めた時に、正義の価値観について言っていたよね。あれはどういうこと?」
「まずは、正義についてどう考えていますか?」
アカリが問い返した。
「正しい行いよ」
「曖昧なものね~」
ティファリアとルテネスは、全く違う答えを返した。するとアカリは、
「ルテネス先輩、その通りです。正義とはその時々の立場によって変わります。絶対的に正しいなんて、あり得ないんです。故に、ティファリア先輩の正義は脆いんです。確かに自分が正しいと信じていれば強いですよ。でも、言葉一つで揺らぐようでは、脆いと言わないといけません」
「ん……。確かに……」
ティファリアは自分の根幹から崩れていく様な感覚に襲われた。いままでの行いは正しかったのか。その疑念が頭を支配した。その様子を見たアカリは苦笑した。
「そんなに難しく考えなくていいですよ。ボク達は学生で成人はしていません。小難しい事を考えず、物事を単純に見ればいいじゃないですか。自分の行いが悪ければ謝って、反省して、考えてやり直せばいいし、その時間は与えられている。それが前提なら、自分の思った通りにやって、何が悪いのですか」
ティファリアも苦笑を浮かべ、
「本当に単純ね。でも間違っていることを認める勇気を持てば、大丈夫よね」
「そうね~。暴走戦車にブレーキが付けば、無敵じゃないの~」
ルテネスも同じように笑っているが、内心ではアカリに感謝をしていた。自分にとって大切な親友に、彼女ははっきりと忠告をしてくれたのだ。そして、ティファリアも後輩からの忠告を素直に聞いている。
きっと長い年月が経っても、この記憶は薄れることはない。
ルテネスの苦笑は、穏やかな笑みに変わっていた。
そこへロベルトが花束を抱えて戻ってきた。そして、すっきりとした顔をしながら、
「あの男を生活指導に引き渡してきた。ここまでの大きな騒動となると、奴は退学になるだろうな。それから、頼まれていた物だ」
花束をアカリに手渡した。それを受け取った彼女は、
「お二人に差し上げます。ロベルトに頼んで、急いで作ってもらったんです」
ティファリアとルテネスの前に差し出した。
「少し大きめの黄色の花ね。それにこの葉っぱ。裏が白くて、不思議な手触り」
「面白い取り合わせだね~」
二人は首をかしげながら眺めていると、アカリは一冊の本を取り出し、
「この本に書いてありました。花の名前は『ルドベキア』で、緑の葉は『ウラジロ』と言います。ルドベキアには『正義』又は『強い精神力』、ウラジロには『曖昧』という言葉が与えられています。ボクは先輩たちに会った時、何故かこの本に書いている植物のことが頭に浮かんだんです」
ページを開いて見せ、
「ボクのイメージ通りなんです。明るくて人目につく大きめの黄色い花。そして、主役の花を大きく包み込む緑の葉。まるでお二人みたいです」
彼女は少し恥ずかしそうに、でも明るく笑う。
それを見たティファリアとルテネスも、つられて笑いだす。
そして顔を見合わせた二人は、
――きっとこの出会いは、宝物になる――
同じことを感じていた。
話し終わった彼女たちは、あの時と同じように笑っていた。
その様子を眺めながら、エアは羨ましそうに、
「いいなぁ。大切な友達との出会いなんて……。そうは無いもんね」
呟くと、ユウも頷きながら、
「幼なじみや学生時代に知り合った友人は、一生の付き合いなる可能性は高いよな」
と呟いた。
その寂しそうな横顔を、エアはそっと見つめる。
きっとケントの事を思い出しているに違いない。
そう察したエアは、彼の死んだ親友の事を自分から尋ねることはするまい、と心に誓った。
「エアちゃん。私が身元引受人になって、推薦状を書いてあげるから、学校に行ってみない?」
ティファリアは大きな瞳をクリクリとさせながら、エアに尋ねる。
「いいねぇ~。経験は何事も勉強だよ。自分と同年代の集団の中でしか、経験できない事もあるんだよね~。面白い事も、嫌な事もあるけどさ~。考えてみれば、学生時代は時間が限られているから、それが一生続かないと分かればいいんだよね~」
ルテネスもエアに行ってもらいたいようだ。
「体力が戻ったら、考えてみるか?」
ユウは返事に迷っているエアに助け船を出した。
「うん。実は師匠から詳しく魔法の事は教えてもらっていないの。自分がこれから何をしなければならないのか、アジーナが何を求めているのか分からない以上、出来ることから始めたい。手始めに魔法の勉強かな。今回、アンディにすごく無理をさせちゃった」
すると、エアのピアスの魔石から青い魚が飛び出してきた。
「アンディ!」
エアが呼ぶと、青い魚は長い尾ひれを揺らしながら近づいてくる。
「またこいつ、勝手に出てきたのか」
ユウは呆れ顔で青い妖精を眺めていた。しかし、妖精が現れたという事は、召喚者であるエアの体力がかなり回復してきたことを意味している。
そのことに気が付いたユウとルテネスは、そっと顔を見合わせた。
「アンディは頑張ったよね。シリウスの妖精、銀嶺が先生になってくれたんだよね。私も頑張んなきゃね」
エアはアンディの身体を撫でている。
その様子を見たティファリアは、
「さあ! 私も頑張らないとね。街は海に洗われたから、被害の回復には時間がかかるわ」
立ち上がって、窓から街の様子を眺めた。
「じゃぁ私は、暴走戦車が走り回った後を、整備していくかな~」
ルテネスは笑いながら、ティファリアの横に並んで街を眺める。
「一人じゃ無理だもの。ルネ、頼むわね」
「一人じゃ無理だから。ティファ、任されたよ~」
二人の眺める街は、きっとこれから大きく発展していくだろうと、エアとユウは感じていた。
★作者後書き
更新いたしました。読んでいただいている皆様、本当にありがとうございます。読んでいただいているという事が、書き続ける勇気になっています。応援していただけると、さらに頑張ります。
★次回出演者控室
エア「私達、レイメルでまともな仕事をしていないよね」
ユウ「まあな」
レティ「仕事を選ぶなんざ、十年早い!」




