第二章 密やかな夜 その一
無数の星が瞬く夜空を墨で塗った様な大きな影が、宿舎に向かうエアとレティが見上げる先にあった。
「エア、あれが王都からの最終便だよ。ユウが乗っているかもね」
「ユウさんが帰って来るの?」
エアはまだ会った事の無い同僚に興味があった。しかし、今まで自分のことが精一杯で、改めて彼のことを訪ねる機会が無かったのである。
「カラメアの仕事も片付いたから、明日の試験の立会いに間に合うって連絡が来たの。真面目な子だから寄り道なしで帰って来るでしょうね」
「そんなに真面目な人なの?」
「そりゃぁ、不器用なぐらいね。それに口数も多くないし、表情もあまり変わらないわね」
エアはレティの話を聞きながら、頭の中でユウという人物を想像してみる。でも浮かび上がってきたのは、
「レティ、なんだか怖い人に思えてきたよ~」
「あははっ、大丈夫だよ。何だかエアならうまくいくような気がする」
「レティったら、何の根拠も無しに大丈夫なんて言っていいのぉ~」
明るい笑い声を上げていたレティはふくれっ面をしているエアに、
「まあ、あんまり気にしないで。エアがユウに会って感じたことを大事にしなよ。さぁて、着いたよ。食事の支度を手伝って」
「はぁい」
エアはレティの後に続いて宿舎に入り、台所で苦戦をすることになった。
窓の外の景色は一面の夜空しか見えなかった。
(暗いな……。仕方が無いか、あのミリアリアと一緒に帰るよりは静かだからな)
船室のラウンジのあるソファに寝転んでいた黒髪の青年は、起き上がって大きな窓の傍に近寄った。
その青年の黒い瞳の先には、レイメルの飛行船発着場に灯る光が見えた。
そして魔石灯に照らされた大通りは、大地に光の十字を浮かび上がらせていた。
(俺が初めてレイメルに来た時は帝国が占領していたからな……。改めて見ると街は立派になった)
彼が眺める街の景色は次第に大きくなり、歩いている人の姿もはっきりと見えてきた。
ふと気が付くと、離れたところに自分と同じ様に窓の外を眺めている中年男の姿があった。
(メリルと同じくらいの年齢か……。やけに姿勢の良い男だ、市長を思い出すな)
黒髪の青年はマッシュのことを思い出した。
軍人を退役して市長になった、誠実で穏やかな変わり者。貴族の名家の出身でありながらも質素な生活を好み、軍服も作り直して着ている様な奴。
青年のマッシュに対するイメージはそんなところだ。
しかし窓の外を眺めている男は冷たい目つきをして、きな臭く思うほど隙の無い雰囲気を漂わせている。
貴族でもなく軍人でもなさそうな職業や身分が判断できない男は、自分に視線が向けられている事に気が付くと、ゆっくりとラウンジから立ち去っていった。
「もうすぐ着陸です。お立ちの方は着陸まで椅子に御座り下さい」
入れ替わりに入ってきた船員の声が室内に響き渡った。
飛行船の階段を下りてきた黒髪の青年に、飛行場の作業員が声をかけた。
「ユウ、お帰り。半年ぶりだね。また背が伸びたんじゃないか?」
作業員が驚くのも無理はない。現在、ユウの身長は180センチ程あり、体格もがっちりしている。 元々背は高い方であったが、しばらく見ぬ間に線が太くなった様な気がしたのである。
(そうか……、俺はこの国では『ユウ・スミズ』だったな)
「いや、そうでもないさ。長く空けて悪かった」
「仕事だったんだろ? お前さんが出かけた後、代わりに見習いの女の子が来たんだ」
(ミリアリアが話していた奴のことか。確か、名前はエアとか……)
「退屈しなかったよ、面白い子さ。まあ、頑張って面倒を見なよ」
「――?」
説明のない応援に戸惑いながら、
(取りあえずギルドに行くか。レティがいればいいが……)
冷たい夜風を感じたユウは革のコートの襟を立て、ギルドへ向かって歩き出した。
それにしても『お帰り』という言葉には馴染めないな、と違和感を覚えながらユウは大通りを歩いて行く。
この国に着いた時は、もうすぐ十四歳になる頃だった。あれから五年以上経っても『お帰り』の言葉に実感は湧かない。
大体、この街の住人はおせっかいな奴が多い。リゲル達が身元引受人になってくれたにしろ、他国の人間であっても受け入れた人間に対しては、この街はかなり寛容だとユウは感心していた。
だが、疎ましく思う時もある。気遣ってくれているのはわかるが、変に声を掛けられるより放っておいてほしいのだ。
元々他人の事情なんて興味は無い、増して自分の事情をご披露する趣味は無いつもりだ。
ユウは軽く溜め息を吐き出した。
そんな卑屈とも取れる考え方が態度に表れているのか、いささか自分と接触する他人に不快感を与えている事は感じていた。
(人間って面倒だな……)
故郷を離れて見ると一人では生きていけない、と嫌でも理解ができた。他人の情に頼らねば野たれ死んでいただろうとも……。
嫌なら帰るか……と思っても、故郷に引き返すことは難しい事であった。
旅行中に海難事故に遭った彼は、意識の無い状態でこの国の浜に打ち上げられた。その後、彼の住んでいた国への海路を知る船乗りには、何処で誰に尋ねても巡り合えなかったのである。
街はすっかり夜の姿を見せている。
大通りから居住区へ入る路地は鉄柵で閉じられ門番が立っている。出入りには不便かもしれないが、街の住人達が防犯の為に決めた事であった。
観光客もホテルへ戻ったのだろうか、人通りが少なくなった道を歩いて行く。
あと数日で満ちるであろう月の光を受け止め、鈍く光っている妖精の看板が見えてきた。
(レティの奴、まだ居るか?)
ドアを開けた途端、目に飛び込んできたのは頭を寄せ合う中年三人組であった。
「おや、お帰りなさい。無事に仕事は終わりましたか?」
「終わった。レティは?」
ユウが言葉少なく答えると、リゲルが呆れた様な表情で返事をした。
「相変わらず、おめぇは愛想がねぇなぁ。レティなら宿舎へ帰ったぜ」
「じゃぁ、俺も帰る」
踵を返し、ドアを閉めようとする彼をマッシュが呼びとめた。
「待ちなさい、尋ねたいことがあるのですよ。貴方が捕まえた男がグラセルを襲撃した人物と繋がりがあるのかもしれません」
「グラセルが襲われたことは知っている。そういえば俺が追っていた猿顔の男も、魔道機の機密情報を狙っていた様だが」
不穏な状況があるのはマッシュ達の様子を見ればわかる。
「ええ、アンキセス殿が王宮で話をしている時に、その関係を指摘されていたのですよ」
「爺さんがそう言っていたのか……。仕方ないな」
あの爺さんに関わると嫌でも巻き込まれるからな、と諦め顔になり、マッシュの隣に腰掛けた。
「俺は機械師ギルドから、やたらと職人達に接触している人物の調査を依頼された。俺は『トルネリア王国の機械師見習い』として中立国のカラメアに入国した。おかげで機械師ギルドと宿屋を三ヶ月も無駄に往復したな。四ヶ月目に猿顔の男ともう一人、接触してきて『大きい仕事を頼みたい』とか『待遇が良くて、修行が出来る工房を紹介する』とか条件を出してきた」
ユウの話に身を乗り出したリゲルは、
「そいつはなんてぇ名乗ったんだ?」
「猿顔の奴はミハイルと名乗った。もう片方はニコライと名乗ったが、どちらも本名だとは思えんな……。とにかく話に乗る振りをして奴らの行動を探っていたが、俺の素性を探り始めたから捕まえる事にしたんだ。ところが猿顔の奴が帝国領に逃げ込みやがって、ニコライの奴しか捕まえられなかった。まあ、精霊師が出来るのはここまでだ。後は王都に護送したから、あちらで尋問してくれるさ」
「あらあら~、大変でしたのねぇ~。久しぶりに貴方の声を聞きましたわぁ~」
ユウにしては長話だったと妙な感心をしたメリルは素直に感想を漏らした。
マッシュは「推測の域を出ませんが」と前置きをして、
「この数年の間に魔石師や機械師が失踪したり、殺害されたりした事件が何件かありました。公にされていないのですがほとんど未解決です」
「ワシが知っている奴の中にも行方がわからねぇ奴がいる」
厳しい表情を浮かべているリゲルの言葉に、マッシュは軽く頷きながら、
「そうですね、不本意ながら我が国の職人達を何かの意図を持って集めているように感じます」
「つまり、俺が追っていた奴がその職人達を集めている奴と繋がっているかも知れない、ということだな」
ユウが確認がてら念を押すと、マッシュが明快に推測を述べた。
「そうです。秘密裏に『我が国の魔道機や魔石の職人と情報を集めている輩』が存在する、ということです。その集団は間違いなく我が国に不利益を与える者達と推測できます。そして、グラセルを襲った男はデボスという男だと女王に報告されています。もし、デボスであれば王家に対して敵意を向けても不思議がありません。グラセルにはアンキセス殿が調査に向かわれましたので、いずれ調査の結果が連絡されるでしょう」
「そのデボスって奴は何者なんだ? 危険視される理由がわからないんだが?」
マッシュの話に誤りは無い様に思えたが、聞き慣れない名前についてユウは尋ねた。
「あらあら~、これは知恵足らずのベレトス様がしでかした御乱行を説明しなければなりませんわね~」
メリルは穏やかに笑いながら厳しい人物評価を口にすることがある。それは大概、彼女が嫌いな相手に対して行う行為だった。つまり、メリルはベレトスが『大嫌い』ということを表していた。
「ワシが説明しよう。あの時、ワシはグラセル大工房の職人だった……」
大きく息を吸い込み姿勢を直したリゲルは、自分が関わった『火精の乱心』についてユウに語りだした。