第六章 潜竜の精霊師 その五
アンディの身体は精霊力を吸収しているのか、青く輝きながら少し大きくなっていた。
エアの願いを叶えるために……。
(そうだよ……。アンディ……。皆を守ろうね……。ほら、聞こえる。皆が願っている。あれはティファリアさん。それにたくさんの人たちの声。教会からも聞こえるね。カイル司祭や、島の人たち……)
耳に聞こえるはずもない声をエアは感じ取っていた。
突然、アンディは空へと舞い上がった。
「じいさん! アンディが! エアは大丈夫なのか?」
心配そうに顔を曇らせたユウが尋ねると、アンキセスは愛用の杖を高く掲げ、
「うむ……。防御はわしに任せて、皆はエアに精霊力を預けるのじゃ!」
と叫び、
「世界樹よ。そなたに眠りし我が炎の友を呼び起したまえ。出でよ! フウラ・フウラム!」
すると、大きな赤いドラゴンが召喚され、大地の獅子と共に人形が放つ氷の槍を弾き飛ばした。
「じいさんが防いでいるうちに、エアに力を!」
ユウが叫ぶと、イワンがユウの肩を掴み、
「僕も役に立てるのか? 精霊師でもない僕でも!」
その表情は真剣であった。その切羽詰まった問いにシリウスは、
「大丈夫だ。誰にでも精霊力は宿っている。君の身体だけじゃなく、僕たちが生きているこの世界中に、精霊力は満ちている。それを自分の身体を通して彼女に渡すんだ」
そう言いつつ、イワンをエアの傍に導いた。
全員が青く輝くエアを中心に、静かに円を組んだ。
「さあ、奇跡を起こそう。皆の願いを一つにしよう」
ユウが促すと、皆が黙って手をつないだ。
アンディはエアの想いで、身体を満たしていった。
召喚された妖精にとって、名を与えた主というものは「命令」をするもので、その命令は絶対に守るべきものであった。
ところが、この変わった主は命令ではなく、「お願い」をしてくる。
そして、今度の「お願い」はとても真剣のようだ。
アンディは闇市を取り囲み、激しく渦巻く海流を見つめた。
これを主の願いどおりに、これを鎮めねばならない。
アンディは初めて、己の小さな身体と能力の無さに戸惑った。
どうしようか、とアンディが同じところでグルグルと回っていると、
(幼い小さな妖精よ。主の命により手助けに来た)
と重厚な声を感じ取った。振り返ると、そこには群青に輝く狼の姿があった。
シリウスは小さな貝殻のペンダントを握り締め、己の妖精と意識を一つにしようと努めていた。
「皆、聞いてくれ。妖精が成長する条件は、大量の精霊力を『成長したい』と自覚した妖精が己の身体に取り込むことなんだ。僕と銀嶺がアンディを導く」
それを聞いていたミリアリアの顔が青ざめた。
「駄目よ! そんなことをしたら、銀嶺が消滅する可能性もあるのよ!」
その悲痛な声を耳にしながらも、シリウスはニヤリと笑った。皆の刺さるような視線を受けても彼はひるまず、
「銀嶺は水の妖精だ。アンディとも相性が良いはず。後は失敗しない様に、とにかく精霊力を集めて送ってくれ」
シリウスの覚悟は決まっているようだ。その決意に満ちた顔を見たユウは、
「俺は妖精を成長させたことが無い。シリウスは経験があるんだな」
と尋ねると、
「一度だけだが……。意識を失くした僕を、銀嶺が助けるために成長してくれた。きっとアンディも彼女を助ける為に、その真の力を発揮してくれるはずだ。そして銀嶺も力を貸してくれるはず」
シリウスは空に舞い上がった妖精達の姿を目で追った。
「議論の余地はないな。時間が無い。シリウス、頼むぞ」
ユウの言葉に一同は頷き、再び意識を集中させた。
(ラフィア。僕に力を……)
貝殻を強く握り締めながら、シリウスの意識は上空にいる銀嶺と一つに溶けあっていった。
シリウスの強い願いを感じながら、銀嶺は静かにアンディに話しかけた。
(このまま、お前が成長できずに戸惑ったままだと、お前の主の精霊力が尽きてしまい、その命を失ってしまう)
狼狽えていたアンディの動きがピタリと止まった。
(言葉を持たぬ幼い妖精よ。私の主は『導く者』の名を与えられし者。主の名に恥じぬように私はお前を導こう。さあ、私の背に乗るのだ)
アンディが迷わず彼の背に跳び付くと、銀嶺は勢いよく走り出した。
(さあ、溢れている精霊力を身体に取り込もう。そして主たちの願いを叶える為に、守護聖獣の姿と力を得るのだ!)
アンディは驚いた。
守護聖獣とは、妖精が徐々に成長をしていき、その最終進化を迎えた状態の事を指しているのだ。ちなみにアンキセスが召喚している妖精は全て守護聖獣である。
威力の強い、様々な魔法を使いこなし、主に忠実な彼らは守護聖獣と呼ばれるのだ。
(お前の主を守るために、そしてその願いを叶える為にも、それくらいの覚悟が必要なのだ。お前だけではない。私の主の願いを叶える為にも……。だから皆の力を合わせよう)
銀嶺の身体は精霊力を取り込み、次第に大きくなっていく。アンディもまた、小さな身体を輝かせながら、銀嶺の意識に身をゆだねていった。
激しく渦巻く海流の頂に押し上げられた軍船で、ダグザス達は青く輝く光の輪が出現するのを目撃した。
「何だ? あの光は……」
ダグザスが呟くと、光は次第に弱くなり、見た事がない生き物が現れた。
「将軍! ありゃぁ龍ですか!」
「あんなもんと勝負は無理ですぜ!」
と驚愕していた時、ティファリアも市庁舎の屋上から目撃をしていた。
遠目から見ても、虹色の背を輝かせた青い龍に、長くて青いむなびれが揺れているのが見えた。
「何? あの大きさ?」
彼女のみどりの瞳は大きく見開かれた。
そして、その龍が天に高く突き上げている海流の周りをゆっくりと回り始めるのが見えた。
すると激しく渦巻いていた海流が、バラの花が咲くように外側に開き始めた。
(アンディ……。優しくね……)
エアの脳裏には、海流の頂上にいたダグザス達の軍船が放り投げられるのが見えた。
(あ……。船が落ちちゃう……)
すると落ち始めた船の下に、水のすべり台があっという間に出来上がった。
「うおぉぉぉっ! 船が滑り落ちているぜ!」
船員が叫ぶと、
「舵をしっかり取れ! 真っ直ぐ海面に降りられるように注意しろ! 各員、着水の衝撃に備えろ!」
ダグザスが指示を飛ばした途端、船は海面に勢いよく飛び込んだ。
その大きな波は、高くうねりながら街へと襲い掛かった。
「魔法師団の諸君! 今こそ力を発揮する時だ!」
ダグザスの叫びに、魔法師団の団員は己の妖精に魔法壁を強化するように命じた。
妖精たちは大波に向かって、次々と魔法壁をぶつけていく。
その光景を、建物の屋上から唖然と眺めていた市民たちは、
「頼む……。街を守ってくれ」
「お願いします。私たちの命を守ってください……」
「精霊王よ。我らをお守りください」
すがる様に祈っていた。
闇市を取り巻く海流は静まり、黒々としていた空もいつの間にか日が差し込んできた。
空を舞っていた龍は、闇市の中心に向って急降下を始めた。
「将軍! 龍が!」
「地面に衝突するぞ!」
ダグザス始め海軍や町の住民が注視する中、その青い龍は闇市に墜落した。
長時間、人形から放たれる氷の塊を防いでいたアンキセスにも疲労の色が見えてきた。
「さすがは神霊。アジーナよ、怒りに我を忘れておるのか。それともその人形を作った人間の意志に縛られておるのか」
長い杖を持ち替え、人形に呼びかけた時、
「おおっ!」
アンキセスですら驚きの声を上げる事が起きたのだ。
巨大な龍が口を広げながら、アジーナと呼ばれる人形を呑み込むように地面に激突をしたのだ。
もうもうと立ち込める土煙の中、
「皆、大丈夫?」
ミリアリアが尋ねると、
「驚いた。心臓が止まるかと思った」
と胸を押さえながらイワンが答えた。
「人形はどうした?」
とリゲルが目を凝らすと、
「壊れたようじゃ。ほれ、そこに倒れておる」
とアンキセスが杖の先で示した。そこには額の魔石が砕け散った人形が横たわっていた。
急いでリゲルとイワンが人形に駆け寄る。
「バイオエレメントの魔石も砕けているようだ。とてつもない負荷が掛かったんだろう」
と人形を調べたリゲルが呟くと、
「アジーナは何処に……。彼女は何処に行ってしまったんだ?」
茫然とイワンは立ち尽くした。
「あっ!」
その時、ルテネスの鋭い叫び声が上がった。
そこには倒れたまま、動かないエアとシリウスの姿があった。そして二人の傍らには、元の姿に戻ったアンディと銀嶺がうろついており、さらに青く透き通る様な女性の姿があった。
しきりに銀嶺が鼻先でシリウスの顔を突いている。するとシリウスはぼんやりと目を開いた。
「銀嶺。お疲れ様……」
彼は力の入らない手で、銀嶺の頭を撫でた。
しかし、エアはアンディが身体を突いてもピクリともしない。それどころか、必死にエアを起こそうとしているアンディの姿も、消えるように透き通ってきた。
「エア!」
駆け寄ったユウが彼女を抱き起す。慌てた彼は口元に右手をかざした。
「息をしていない……」
彼の手には、温かい息を何も感じなかったのである。
「そんな!」
ミリアリアは駆け寄り、エアの胸に耳を当てた
「聞こえない。鼓動が聞こえない!」
ミリアリアの顔は青ざめていた。
「馬鹿な! 嬢ちゃん! 目を覚ませ!」
リゲルがまるで怒っているように大声でエアに呼びかける。
その横で、静かにたたずんでいた青く透き通った女性の姿が、今まさに消えようとした時、
「偉大なるアジーナよ。お待ちくだされ」
アンキセスは青く透き通った女性に膝をつき、杖を地面に置いて敬意を表した。
ティファリアはアルガイアたちと静かになった闇市を見つめていた。
橋の向こうから歩いてくる精霊師たちの表情には、勝ち誇ったような笑顔は全く見えず、疲れ切って沈んでいるように見える。
ルテネスを見つけて駆け寄った彼女は、
「ルネ! 怪我は?」
「大丈夫だよ、ティファ。 街は無事?」
「今、ダグザス将軍を始め、軍の人たちが支援を始めてくれたわ。防ぎきれなかった大波が街をだいぶ洗ってくれたからね。でも、無事でよかった」
彼女はうっすらと涙を浮かべながら笑顔で答えたが、急に闇市に向けて厳しい視線を送り、
「全部燃えてしまえばよかったのに。更地になったほうが、後の都市計画が立てやすいわ」
むくれながら愚痴をこぼすティファリアに、
「では、わしが燃やしてやろうかの」
とアンキセスが杖を高く掲げようとした時、
「待ってください。調査がまだ済んでいませんから!」
慌てたアルガイアたちが彼を取り囲んだ。
「残念じゃのぅ……」
アンキセスはしかめっ面をしながら、本当に残念そうに杖を下ろした。
その横を、エアを抱きかかえたユウが無言で通り過ぎて行った。
「彼女、どうしたの?」
ティファリアがルテネスに尋ねた。
唇をかんで黙り込んでいる彼女の代わりに、
「眠っているんだ。世界樹の夢を見ながらね」
シリウスはユウの後姿を見送りながら、憂鬱そうに呟いた。
ラルフ・ラッツマンは引き上げる一行の最後尾をのろのろと歩きながら、目の前で繰り広げられた出来事を思い起こしていた。
分からない事ばかりだ。
ありのままを記事に書いても、自分と同様に読み手の市民にも理解できない事ばかりだろう。
否、理解されないどころか『嘘つき』呼ばわりされる可能性の方が高い。
人形に封じられていたアジーナと呼ばれた神霊は、姿を消す前に言葉を残した。
『世界樹は枯れている』
そして黒髪の青年を指さし、彼女はこう告げた。
『世界樹が枯れる前に、この世界に呼び寄せた。運命を選びし者の為に……』
その時の、あの青年の顔が、あの表情が忘れられない。
そしてあの少女は『運命を選びし者』らしい。
アジーナが何を意味して『運命』と言っているのか分からない。
誰もが自分の運命を『選びし者』なのだから。
だが、あの神霊が『運命』と言うからには、きっと『枯れた世界樹』に関係している大層な事なんだろう。
だが、あの少女だけが神霊が捜している『運命を選びし者』ではないらしい。
どうやら候補は何人か存在して、生き残って条件に合った者が選ばれる様だ。
そうとしか思えん……。
真実を追い求めようとするラルフの胸に、この謎を解こうと探求心が湧き上がってきたのであった。
数日後、ラフィアの墓の前にシリウスの姿があった。
小さな貝殻のペンダントを握り締めているシリウスに、声をかけた男がいた。
「ここにいたのか」
バーテンダーの様な服装で、鼻の下にひげを蓄えたガゼットであった。
「何で……」
この街に居るはずのないと、シリウスは驚いた。
「驚いたか? 本部から呼び戻されたのさ。お前が精霊師になる為に。受付の仕事は俺に任せておけ」
ガゼットもラフィアの墓に手を合わせた。
「もういいだろう? お前が精霊師に戻っても、誰も非難はしない。それに、その方がラフィアちゃんも喜ぶさ。なぁ、レリック。そう思わないか?」
ガゼットの問いに俯きながら、
「無茶をしたレリックは死んだ。僕は『シリウス』として精霊師になるよ」
彼が答えると、
「そうか……。精霊師に復帰するお前に、ミリアリア様からお祝いがあるぞ」
ガゼットがいたずら小僧のような笑みを浮かべた。
「祝い? 会長からなんて、なんだか恐ろしいな……」
シリウスはいたずら好きのミリアリアの顔を思い浮かべながら、そう答えると、
「新しいギルド名さ。お前がシリウスを名乗ったままで、復帰するだろうからってさ」
ガゼットがニヤリと笑い、
「お前の新しい名は『潜龍の精霊師』さ。辛かっただろう。ラナリスという協力者がいても、闇市を調査するばかりの日々……。使い慣れた大剣を捨て、双剣に持ち替えた。足を切られたお前は、血の滲むような努力を続け、新しい剣術を身に着けた。海に潜む龍のように、お前は大した奴さ」
シリウスの肩に、ポンと手を置いた。
★作者後書き
あとはエピローグを残すのみになりました。皆さんに支えられてここまで来ました。本当にありがとうございます。
★次回出演者控室
作者「皆さん、揃っていますか」
ユウ「俺はそれどころじゃないんだが」
シリウス「そうですよね」
ルテネス「作者の方が心配だけど~」
ティファ「フォルモントの街は大丈夫。皆で頑張るわよ!」




