第六章 潜竜の精霊師 その四
マークの意識は薄れかかっていた。
強い水流に自分が押し流されているのが分かる。しかし、不思議と息苦しさは感じなかった。
(まさか、こんなことになるとはなぁ……)
マークは自分の身に何が起こったのか、ぼんやりと思い起こした。
ドラゴンの乱入で難を逃れた彼は、地下深くに隠してあった人形の前にたどり着いた。
(この魔石を使えば……)
彼は懐から濃紺の魔石を取り出した。それはこの場所で職人が造った、精一杯の純度が高い水の魔石であった。
(これをどうするんだ?)
マークが戸惑っていると、青い少女の白い滑らかな手と、無粋な鉄の手が、マークの持っている魔石に伸びてきた。
彼は伸びてきた掌に、無意識に魔石を渡した。
すると少女は胸の前で、魔石を両の掌で包み込み、大きく深呼吸をした。
濃紺の魔石は輝きながら、少女の身体に溶けるように消えていった。
その途端、少女の周囲から水が溢れ出した。
マークはその湧き出た水に、あっという間に飲み込まれてしまったのだ。
もう指先すらも、動かせない。鉛のように身体が重く感じる。
(世界樹の下に行けば、俺が殺した奴らが……。ふっ、おかしなもんだ。今更、伝承を信じるなんて。いや、世界樹は枯れているとあいつが言っていたか……。気にも留めなかったが、もし本当に世界樹が枯れているなら、俺の魂は何処に行くんだろうな……)
彼の朦朧とした意識は、さらに深い闇の中へと消えていった。
海上の軍船は木の葉のように大波に揺られていた。
「各魔法師団! 力を合わせ、街を守るのだ!」
ダグザスは大声で指示を出すも、予想以上の嵐に驚いていた。
「皆の者、よく聞け! 俺は水龍将軍だ。俺に制することの出来ない海は無い! さあ、街の入り口に魔法壁を築け!」
彼は揺れる戦場で、剣を抜き放ち、兵を鼓舞した。
各軍の魔法師団はダグザスに、
「おおーっ!」
と勢いよく返す。彼らとて、この嵐の中、命がけなのだ。
大きく揺れる船上で意識を集中させ、彼らは妖精を召還した。
さまざまな姿の妖精たちが街に向かって飛んでいく。
妖精たちは、大波から街を守るべく、海に向かって魔法壁を張り巡らせた。
「さて、精霊師諸君。アジーナを任せましたぞ」
ダグザスは誰に聞かせるとはなく、闇市に向かって呟いた。
エアの目の前に現れた青い少女の目は閉じていた。
「やっぱり、教会の人形……」
彼女が呟くと、人形の目がゆっくりと開かれ、同時に噴き出す水の勢いが弱まってきた。
双剣を構えていたユウが、
「片方が鉄の手になっているな」
少女の手に気が付くと、耳を澄ませていたイワンが、
「彼女が『運命を選ぶ子よ』と言っている」
イワンがそっと少女に近づこうとした時、人形の両手が動き出した。右手を胸に、左手が前に……。すると人形の頭上で、いくつかの氷の槍が生み出された。
その槍がぐるぐる回りだすと、勢いよくエア達めがけて飛んできたのだ。
「イワン、下がれ! 寒緋桜、消し去れ!」
ユウが双剣を大きく左右に振ると、真っ赤な炎が氷の槍を包み込み、あっという間に蒸発させた。
「飛んでくる氷は俺が防ぐ!」
ユウは次々と飛んでくる氷の槍を、溶かし続けている。
「額の魔石と、胸の魔道機を破壊するのじゃ」
と言い放ったアンキセスは、杖を高く掲げ、
「我は二枚の羽根を持つ者。高貴なる神霊を解放せん為に、今すべての力を解き放つ! 顕現せよ、実りの大地を守る者よ。勇猛なる獅子、ゴルディオン!」
金色の獅子を呼び出した。その獅子が吠えるとアンキセス達が立っている地面が持ち上がり、また人形に向かって大きな岩が飛んでいった。
「やったか!」
リゲルが身を乗り出して叫んだ時、人形は青く半透明な魔法壁で岩を防いだ。
「仮にも神霊だ。簡単にはやられてくれないだろうね」
シリウスは冷静に観察していたようだ。
「銀嶺! あの盾を突破しよう。闇の魔法を合わせれば、いけるはずだ!」
シリウスは剣を前に構え、
「我が双剣『ブバルディア』よ。『不屈』の名を与えられた花を、その身に宿すもの。闇に染まらず、闇をもって盾を切り裂け!」
シリウスの祝詞に銀嶺の身体は、青と黒のオーラが昇り立った。
力が満ちるのを待っていたように、銀嶺が矢のような速さで人形の魔法壁にぶつかり続ける。
「わずかじゃが、隙間が出来ておるようじゃ」
アンキセスが指摘すると、
「先代、まだ魔道機が完全に働いていないようだ。倒すのは今しかねえ」
と冷静に人形の様子を観察していたリゲルがすかさず答えた。
「皆、攻撃を集中させて! 盾破壊の攻撃が有効よ! ユラン、常闇の霧」
ミリアリアが叫ぶと、ユランは人形を魔法壁ごと、黒い霧に包み込もうとしている。わずかに出来た、小さな魔法壁の隙間を広げようとしているのだ。
「アンディ、私たちも頑張ろう!」
エアが杖を握りなおした時、
「私の妖精は、大物狩りには向かないのよね」
とルテネスが槍を構え、
「シェリル! 闇に紛れる獣のごとく忍び寄り、その身体を絡めとれ!」
ルテネスの指示に「にゃぁ」と答えたシェリルは、金茶の身体を黒く変え、人形の魔法壁の中にするりと溶け込んだ。
人形の足元に忍び込んだシェリルは、その身体を地面に溶け込ませ、黒い闇の渦に変化し、引きずり込もうとしている。
「皆、すごい。アンディ、私たちも何かしなきゃ」
エアは焦っていた。
皆の攻撃を受けても、人形は相変わらず氷の槍を飛ばしていた。それを防ぐ、ユウや皆も必死の表情を見せている。
「水流刃や、魔法盾だけじゃ戦えない。もっと皆を守れる力、強い魔法が必要……」
エアが祈るようにアンディを見つめた時、
『魔法は想像力が大事だと書いてあるよ。お嬢さんは強い力を持っているのだから、どんな効果で、どれぐらいの強さの魔法が欲しいのか、頭の中で想像してごらん』
とデボスの言葉が頭に浮かんできた。
レイメルの保養所近くの池のほとりで、彼女が魔法の練習をしていた時、デボスは精霊魔法の本を読んで教えてくれたのだ。
「私は皆を守りたい……。お父さん、お母さん」
エアは形見のペンダントを握り締めて、強く心に願った。
イワンは無表情の人形に、祈るような視線を向けていた。
「聞こえる……。微かだけど、また声が聞こえる……」
彼の耳には、雑音交じりのような少女の声が聞こえていた。
「彼女、何て言ってるんだ?」
ラルフは信じがたい光景を忘れまいと、小さなノートに書き留めながら、人形を見つめているイワンに尋ねた。
「聞き取りにくいんだ。でも、『早く選べ』とか『時が』とか聞こえる」
そのイワンの返事に、
「分かんねぇなぁ。話が見えねぇ」
とラルフが首を傾げる。
「あっ! 彼女が泣いている!」
イワンが人形の顔を指さした。
「本当だ……」
ラルフは人形が流す涙を目の当たりにして、いささか困惑した。黒龍のフクロウとして受けている指示は『全てを見届ける事』である。ところが、自分の目の前で繰り広げられる光景は、理解が出来ない事ばかりだ。
(俺は何を知ればいいんだ……。あの生きているような人形の事か、それとも何か他の事なのか……)
その時である。
青銀の強い光が人形から放たれ、精霊師が召還している妖精たちが、すべて弾き飛ばされた。
「皆、大丈夫か?」
余りの眩しい光によろけたアンキセスが、杖を突きながら尋ねると、
「何とか……。エアは大丈夫か」
ユウがエアを咄嗟に庇っていたのだ。
ユウの背中に庇われたエアは、
「ごめん。大丈夫」
と情けなさそうに返事をした。
「やっぱり強いわね。想像を超えているわ」
ミリアリアは眩んだ目をパチパチとさせながら、周りを見回すと、
「海が……!」
闇市の外を指さした。
「えっ!」
ミリアリアの指をさした方を見上げたエアは言葉を失った。
その時、カイルは教会の外に出ていた。
強い風に吹き飛ばされそうになりながら、遠くに見える黒灰色の雲の渦を見つめていたのだ。
「海が……。潮が引いていく!」
茫然とするカイルの目の前で海面がみるみると遠ざかっていく。
いつもは海に浮かんでいるヴェルヌイユ島が、すっかり地面に突き出ている山になってしまった。
「海面がかなり下がっています。全島民を教会に避難させなさい! 津波が来ます!」
青ざめたカイルは教会に駆け込み、力の限り叫んだ。
すると教会に居たシスターやブラザー達は「おおーっ」というどよめきと共に、一斉に教会の外に散っていった。
それは島で一番高台にある教会に、島民が集まるよう呼びかける為であった。
カイルもまた、再び外に出て、
「アジーナよ……。我らは神霊の皆様の前では、赤子同然の生き物です。お怒りはこの身をもってお受けいたします。ですが、我ら人が精霊王への畏敬を胸に、正しき道を歩めるようにお導き下さい」
黒灰色の雲の渦に向かって、深い祈りを捧げ始めた。
フォルモントの市庁舎での屋上は、大勢の人間でひしめいていた。
「あれは何なの!」
誰かの悲壮な叫び声につられ、皆が一斉に闇市の方角に視線を向けた。
「あんなことって……」
ティファリアは瞳が零れ落ちんばかりに驚いた。
闇市のあった中州の姿は全く見えない。代わりに見えたのは、むき出しになった海底と、竜巻に吸い上げられたように高々と天に向かって伸びている海水の渦であった。
「あの中に闇市が……」
ルテネスがあの中に居るのだと思うと、ティファリアの胸はチリチリと痛んだ。
「市長、どうしましょう?」
驚きの余り、表情を失くした職員が彼女に話しかけてきた。
ティファリアは渦を巻く海水の塔を見つめ、
「神霊のなせる業の前に、市長として出来ることは何もないわ。自然の脅威の前に、人間は無力ね……。今の私たちに出来ることは、お互いの手を握り合って祈り、お互いの無事を祈る事ね。さあ、子供やお年寄りを真ん中に……」
彼女の冷静な言葉に、屋上にいた市民は静かに従った。
驚愕しかもたらさない光景に、身を寄せ合うしか術がなかったのである。
「そして私は誓います。もし、皆さんと共に生き延びることが出来たなら、私はこの街の為に自分の全てを捧げましょう。皆さんも自分の為の奇跡を願うだけではなく、自分が、自分以外の為に何をするのか誓いを立てましょう」
ティファリアは右手を高く天に突き上げた。
大きな軍船といえども、この海水の渦には対抗することは出来なかった。
「皆、股関節に力を入れてしっかりと立つのだ!」
ダグザスは船上に転がった船員を励ました。
船は大きく揺れながら激しい海流に従っていた。
「将軍。まるでこの船が木の葉の様ですね」
「大嵐にあってもこんなに揺れねぇぜ」
「各魔法師団、態勢を立て直しました!」
船員が口々にダグザスに報告をしてきた。
「よし! 俺たちに越えられない海は無い! しっかり舵を取れ!」
ダグザスは腰に下げた剣を抜き放った。
渦巻く海水に包まれた闇市は夜のように暗闇地包まれた。
召喚している妖精たちが放つ光が、かろうじて周囲を照らしていた。
『さぁ、運命を選ぶ子よ。何を選ぶ……』
エアの頭の中に、はっきりと深みのある穏やかな女性の声が響いてきた。いや、この場にいた全員に、アジーナの言葉は伝わっていた。
「運命を選ぶ子……。誰の事なの?」
エアは杖を握り締めた。
「話は後じゃ! 神霊を解放するのじゃ」
アンキセスが再び杖を天に突き上げると、黄金色の獅子が唸り声を上げた。
するとアジーナの足元から岩が突き出し、彼女の足を膝まで埋めた。
「よし! 大鳳、貫くぞ!」
「銀嶺! もう一度だ!」
ユウとシリウスが叫んだ時、
「海が迫ってくる!」
ミリアリアが叫んだ。
エアが海水の壁をよく見ると、だんだん迫ってくるようであった。
「このままじゃ、皆が危ない……」
エア自身も力不足なのは分かっていた。
「だけど……」
もし、デボスが教えてくれたように、魔法がイメージから生まれるのなら……。
「アンディ!」
エアは自分の下に妖精を呼び寄せた。
青い魚の妖精がエアの下にやってくると、彼女は妖精の額に手を置いた。
「アンディ。私は皆を守りたいの。この大きな海の壁を元に戻そう」
彼女は両眼を閉じ、頭の中である光景を想像した。
「天まで上る海水の渦を、柔らかく、ゆっくりと外へと広げて、誰も傷つけないように……ふんわりと海水を着地させる。すると優しく、光あふれる海の姿になる……。アンディ……。私の力を全部使って……」
ゆっくりと妖精に語り掛けた。
「皆を助けたいよね……。アンディ……」
彼女の呟きを耳にしたアンディは、身体を細かく身体を震わせた。
人形に向かって、イワンは思わず叫んでいた。
「駄目です! 人を死なせてしまったら貴女は穢れてしまう! あんなに悲しそうな声を、僕に聞かせていたのに!」
悲鳴のような助けを求める声。イワンの耳には教会で聞いた彼女の声がこびり付いていた。
「イワンよ。神霊の存在は自然そのものじゃ。彼らは時に怒り、時に恵みを与え、人はそれを受け止めて生きていくのじゃ。いや、彼らに生かされておるのかもしれん」
アンキセスはイワンの頭に手を置き、子供を諭すように話しかけた。
「我らを生かすも殺すも、神霊の御心のまま。人の為に彼らは存在してはおらんのじゃ」
アンキセスの言葉を俯いて聞いていたイワンは、
「神霊は自然そのもの。そういう事なんですね……」
がっくりと肩を落とした。その声を聞いていたせいか、もっと身近な存在として、イワンは感じていたのである。
「お嬢ちゃん。どうしたんだ! 大丈夫か!」
ラルフが声を上げると、一斉に皆がエアを振り返った。
「身体が光っている?」
「どうした! 嬢ちゃん!」
ミリアリアとリゲルがエアの肩に手をかけようとした。
「待つのじゃ!」
その時アンキセスが鋭く制し、指をさした。
「よく見るのじゃ。妖精がエアの呼びかけに応えておる」
そこには、エアの掌の下で身体を震わせ、青い光を強く放ち始めたアンディの姿があった。
「おじい様、何が起きているの?」
ミリアリアがアンキセスに尋ねる。
「より強い魔法を使うために、エアは妖精を急激に成長させようとしているのじゃ」
「おい、じいさん。彼女は大丈夫なのか?」
人形から目を離さなかったユウが、心配の余りにエアへ視線を向けた時、それは起こった。
★作者後書き
超絶忙しい期間を耐え抜き、更新にたどり着きました。お待たせしました。今回の話は、今まで避けてきた災害の様子を描くことになりました。
避けられない自然の脅威を、どう人間が受け止めるのか、様々な考えがあると思います。しかし、我々はその中を生きていくのだと思います。
人が自然と共に生きる意味を考えていきたいと作者は思っています。
★次回出演者控室
ユウ 「えらい目にあった」
アンキセス「確かにのぅ」
リゲル 「後始末は誰がやるんだ?」
シリウス 「それは…」
ルテネス 「そりゃぁ、ティファだよ」
ティファリア「はぁ? あんた達もやるのよ」