第六章 潜竜の精霊師 その三
走り出したマークは己の不利を悟っていた。
(こうなりゃぁ……。『あれ』を使ってみるか)
彼が目指す場所は、自分の後方にあった。
(ならば……。しかし、あの槍が曲者だ)
激しくシリウスと打ち合っていると、今度はルテネスが入れ替わり、長い槍を突き出してくる。
「ちっ! 間合いが変わったか」
マークは後ろに跳び退り、ルテネスが繰り出す槍の攻撃から距離をとった。
改めてシリウスは、マークの剣の技量に舌を巻いた。そして、エアが洩らした言葉を思い出した。
『そんなに強いなら、悪いことをしなくても生きていけるのに』
そうだ。
彼女の言う通り、彼は強い。
なのに、手を汚して生きる事を受け入れている。
彼は、そう生きねばならなかったのだろう。
それは何故なのか。
そう思い立ったシリウスは、尋ねずに居られなかった。
「マーク。お前は何故、手を汚した! お前ほどの腕なら、軍で出世をするだろう。軍でなくても、一流の傭兵になったろうが!」
シリウスは、初めてマーク個人の事が気になったのだ。
「ふっ、ははははっ!」
マークは大きく後ろに退くと、大声で笑い始めたが、
「ふざけんな! 俺の親父は、俺を王都に行かせてくれた。俺は貴族の屋敷に雇われ、働きながら剣の腕を磨いた」
目をぎらつかせながら、思わず心の声を漏らし始めた。
「俺は、神霊教会の儀礼兵になった。俺よりも、親父が喜んでくれたよ。俺も嬉しかった。だが、俺がポストル地区の出身だと分かると、教会を追い出されちまった。精霊王に使える聖職者達からすれば、俺は穢れて、足元にも近寄せたくない存在だったんだ」
マークは話すことを止められなかった。自分の思いを吐き出さなければ気が済まなくなったのだ。
「俺がポストル地区の出身だと、騒いだ奴がいた。でも、その事を恨んじゃいねぇ。事実だからな。だが、俺が許せないのは、ポストル地区出身の奴は悪人だと決めつけた奴らだ!」
マークは手に握った剣を前に突き出した。
「俺は心に決めたんだ。悪人と呼ばれた奴が悪事を働いて何が悪い! 偽善者どもの願った通りだろうが! 俺は教会で手に入れたこの剣で、親父から引き継いだこの闇市を守ると決めたんだ!」
マークの叫びは瓦礫に埋もれたポストル地区に響き渡った。
「自分の事ばかり言わないでよ!」
エアはマークに言い返した。
「エア……。君か……」
シリウスが目線を向けた先には、追いついてきたエア達の姿があった。
「その剣……。それでお父さんを殺した。お母さんも殺した。自分の不幸を言い訳にしたら、許されると思っているの! それが許されるなら、私があなたを殺してもいいよね!」
エアの顔は高揚して赤くなっている。
ユウはこんな激しい口調の彼女を見たのは、初めての事であった。
「エア――」
止めようとしたユウをアンキセスが杖で制した。
「待つのじゃ。この試練を自分で乗り越えなければ、邪霊師となる未来しかない」
こう答えるアンキセスの手も、緊張で杖を強く握りしめている。
同じようにエアの手も、緊張で震えていた。
前に構える杖も微かに震えている。
「返してよ……。お父さんとお母さんを……。幸せだったのに……。返せえっ!」
エアはマークに向けて杖を振るった。
その杖先で、アンディが宙を舞い、マークに向かって氷の刃を投げつけた。
「エア!」
ユウは思わずエアを抱き寄せた。刃が当たったマークの姿を見せたくなかったからだ。
「ユラン! 新緑の天蓋!」
合流したミリアリアが、緑の翼竜を呼び出していたのだ。
ユランと呼ばれた翼竜は、思わず屈み込んだマークの周囲に半球体の魔法盾を築き上げた。
しかし、アンディが放った刃は、魔法盾にかすりもせず、地面に勢いよく突き刺さった。
「貴方と同じことはしない。私は誰も殺さない!」
マークに言葉を叩き付けるエアは涙を流していた。
「驚いたわよ。駆け付けてみれば、大変なことになっているし……。おじい様が傍にいて何をしていたんですか」
ミリアリアがアンキセスに文句を言っていると、
「闇市は、もう終わりだ。だが、俺はまだ終われねぇ……。道連れにしてやる! うおぉぉぉっ!」
マークは獣じみた声を上げながら、シリウスに向かって剣を突っ込ませた。
――ガギィィィイィン!――
シリウスはマークの凶刃を双剣で受け止め、力一杯左側に捻った。
すると、マークのフランベェルジュは鈍い金属音を立てて、あっさりと折れてしまった。
「お、折れた……?」
マークは茫然と立ちすくんだ。
「シェリル、地縛花!」
ルテネスの猫は、マークの足元に滑り込んだ。
「うぉぉっ!」
急に足を取られたマークは、叫びながら倒れ込んだ。
その様子を見たシリウスは、いささか拍子抜けをした表情を見せた。
「さすが……。捕まえるならシェリルの捕縛術が一番だな。女王命令だ。取り調べの為に王都に移送させてもらうよ」
そう言いつつ、じりじりとマークに近づいた時だった。
――ギャァァァオッ!――
耳をつんざく叫び声が轟き渡った。
エアが空を見上げ、
「ユウ! あのドラゴンは……」
指をさした先に視線を向けたユウは唸った。
「間違いない。あれはレイメルに現れた奴だ」
黒銀に輝く巨体を揺らしながら、青い空から舞い降りてきたドラゴンは威嚇するようにあたりを見回した。
「えれぇ化け物を見ちまったぜぇ」
軍船から放り出され、中心部を目指してきたラルフは目をむき出して驚いていると、
「あれは、デボスが仕留め損ねた奴だ!」
リゲルが憎悪をはらんだ目でドラゴンを睨んだ。
「あれが……。僕は、捕まらなかったらあれに殺されていたかも……」
イワンは言葉を失っている。
皆の視線を釘付けにしたドラゴンの胸には、大きくえぐれた傷が残っていた。
「あの傷、治っていないよね」
エアは杖を構え、
「アンディ! 水流刃を!」
エアの声を合図に、アンディは身をひるがえし、ドラゴンの胸の傷に向かって、氷の刃を飛ばし始めた。
ユウも自分の妖精に、
「大鳳、目潰しだ! ドラゴンの目に炎を!」
赤く燃え盛った炎を身にまとった鳥は、ドラゴンの目に炎を吹き付ける。
アンディや大鳳の攻撃に、茫然としていたシリウスやルテネスが我に返った。
「あれがレイメル支部の報告書にあったドラゴンか。確かに大物だね。銀嶺、アンディに合わせて氷の息を!」
青銀の狼が唸り声をあげて、青白い息をドラゴンに吹き付けると、ルテネスも槍を構え、
「この大きさには参ったね。いくよ! シェリル。流砂縛!」
金茶の猫が毛を逆立てると、ドラゴンの足元の地面が柔らかい砂に変わった。人食い沼のように変化した地面に、ドラゴンの足が沈み始めた。
――グオオオオォッ――
地面に囚われるのを嫌ったドラゴンは、大きな翼を地面に打ち付けながら空へと飛び上がった。
「ユラン! 青葉の槍!」
ミリアリアの号令で、 翼竜はドラゴンの胸に風の槍を突き刺した。
ドラゴンはふらつきながらも、大きな翼を羽ばたかせ、高々と空に舞い上がった。
大きなドラゴンの翼が生み出す突風を物ともせず、アンキセスは杖を高々と掲げ、
「ホシガラスよ、真の姿を現し、邪悪なる闇の意思を振り払え!」
すると現れた小さな白い鳥は、金色に輝きながら大きな鷲の姿に変えた。
その鳥は素早くドラゴンの進路を塞ぎ、金色の強い光を放った。
――グギャァァァッ!――
金色の光が空を覆うと、周囲に響き渡る悲鳴を上げたドラゴンは、東の方に逃げ去って行った。
「皆、深追いはするまい。今は先にやる事がある筈じゃ」
そう声を上げるアンキセスの肩に、小さな姿に戻ったホシガラスが舞い降りた。
「人の手に負える戦いじゃないな……」
アルガイアが呟くと、
「全くだ……」
ゼアドリックが唸るように言葉を返した。
皆が逃げるドラゴンの姿を見つめていた時、
「あっ! あの男がいない!」
警備兵の声に、一斉に皆が、ドラゴンが飛び去った地面を見回した。
「しまった。逃げられた!」
シリウスの顔が真っ赤になっている。
「きっと人形のところだぜ」
リゲルがエア達の下に駆け寄ってきた。
「リゲルにイワン。それに記者さんも、どうしてここに?」
エアが尋ねると、
「記者さんじゃなくて、ラルフと呼んでくれ。この二人に頼まれて、顔見知りの軍の奴に船に乗せてもらったのさ」
本当は頼まれなくてもこの現場に潜り込むつもりだったのだが、ラルフはちゃっかりと別の言い訳にすり替えた。
「ワシとイワンは人形を追って来たのさ。人形の起動を止められるならと思ったが……。場所はまだ分かんねぇのか?」
リゲルが額の汗を拭いながら、あたりを見回しつつ答える。
「僕もどうしても人形が気になって、無理を言って連れてきてもらったんだ。ほら、今も声が聞こえる。聞き取りにくいけど、何か言っている」
イワンの耳には、女性の声が聞こえていた。しかし、それは悲鳴を上げているようにも聞こえた。
「奴は人形のところに行ったんだろう」
ユウがそう呟くと、
「地下への入り口がある筈だ。奴が現れた近辺を探そう」
シリウスが瓦礫の中を必死に探し始めた。その気迫に押されたように、警備兵も含め、皆が這い回るように探し始めた時、
「ユウ。身体を引っ張る力が急に強くなった気がする」
エアがユウに小声で伝えると、
「俺も、そう思う」
と答えた途端、地面が小刻みに揺れ始めた。
「皆、引くのじゃ。人形が目覚めるぞ!」
珍しく慌てたアンキセスが、声を荒げた。
ティファリアは市民を海岸から遠ざけるように避難を指示しながら、時折、窓の外を眺めていた。
戦闘中にすっかり日が昇り、空も海も青かった。
不思議と風も止み、海も凪いでいる。その様子が返って彼女の不安をかき立てた。
(ルネ。二人で街を立派にするんだから。無事に帰ってきて……)
祈るような気持ちで、闇市の方角を眺めていた。
「市長も避難を!」
と職員が部屋に駆け込んできた。
「市民の避難は終わったのですか?」
ティファリアが務めて冷静に返事をすると、
「いえ、まだ残っている市民が大勢いるようです。事情を説明しても、街が海に飲まれる可能性が有るとは信じられないようで……」
その職員は市民に「嘘つき呼ばわり」をされたのだろう。俯いて悔しそうな表情を浮かべた。
「仕方ないわね。見た事が無いものは、信じられないのが人間なのかもね」
しかし、ティファリアはアンキセスの言葉を信じていた。いや、アンキセスを信じているルテネスを信じているのだ。
「出来る限りの説得を……。でも職員の安全も大事な事だから、いざという時は、高い建物に避難するようにしなさい」
避難をしない市民がいる限り、職員を全て避難させる事は出来ない。まして市長たる自分がこの場所を離れるなど出来るはずがない。
ティファリアは覚悟を決めた。
「私はこの建物に残ります。屋上に移動しますので、よろしくお願いします」
この建物は五階建てだ。この建物の屋上にまで、海が押し寄せてきたなら、街は壊滅だろう。
(そうなったら、ルネも私も終わりかな)
ふと彼女がそう思った時、
「大変です! 闇市のど真ん中から水柱が上がりました!」
新たに叫びながら、職員が部屋に飛び込んできた。
「なんですって!」
再び窓に駆け寄ったティファリアは言葉を失った。
「何で……」
彼女の視線の先には、灰色の雲が闇市を中心に覆いかぶさっていた。その雲は今にも嵐を運んでくるように思える。
「あんなに晴れていたのに……」
息を荒くした彼女は、
「全員を高い建物に避難させなさい! 遠くに避難させる余裕は無いわ!」
青ざめている職員に強い口調で指示を飛ばした。
一方、強い風に襲われ始めたヴェルヌイユ島の神霊教会では、
(始まりましたか……。今まで隠されてきた『神霊封印』が事実なら、誰が、何の為に封印したのか……。目覚めた神霊は何をしたいのでしょうか)
カイルは歴史に隠された真実を追求するのは、誰かの『罪』を暴くようなものではないかと内心恐れ始めていた。
(隠された真実は、もがき苦しみだしたのでしょう。隠されたままでは納得できない、終わらせないと……。人は何をしたのでしょうか)
カイルが見上げる精霊王の像は、相変わらず静かに慈愛の表情を浮かべている。
世界樹の前で……。
何者かによって吹き上げられた水が、空から雨のように降り注ぐ中、アルガイアは力の限り叫んだ。
「総員、退避だ! 軍船に避難しろ!」
その声を耳にしたゼアドリックが、
「おい、お前は避難しないのか」
と深刻そうにシリウスに声をかけた。
「大丈夫だよ。僕たち精霊師には、妖精がいる。それにこのまま人形を放っておけない。それより警備局の皆は避難しなきゃ」
シリウスがそう返事すると、
「わしらは大丈夫じゃ。魔法が使えぬそなたらは早く非難するのじゃ。勿論、リゲル達もじゃ」
アンキセスも避難を促す。
エアは落ち着かなかった。
「皆、急いで! 水の勢いが強くなっているよ!」
地下から吹き上がる水は、天にも届きそうな勢いだ。
「分かった。俺たちは退避する。皆さん、ご無事で!」
アルガイアは自分の小隊に再び号令を発し、軍船へと向かった。
その後姿を見送り、
「リゲル、それにイワン、ラルフとやらも。早く逃げるのじゃ」
アンキセスが三人に目を向けると、
「俺はこのまま、ここに残る。全てを見届けるためにな」
ラルフがニヤリと笑うと、
「先代。魔道機に一番詳しいのはワシだぜ」
とリゲルがハンマーを肩に担ぐ。
「僕だけが彼女の声を聞けるんです。居させてください! 僕にも出来ることがあるんです。足手まといにはなりません!」
イワンも必死に食い下がった。
アンキセスは軽く溜息をつくと、
「仕方ない。三人とも我々と離れるではないぞ。では精霊師諸君、気を付けるのじゃぞ」
と皆を見回した時、
「来るぞ……!」
水柱から目を離さなかったユウが、鋭く叫んだ。
『それ』は吹き上がる水の中を、ゆっくりとエア達の前に姿を現した。
★作者後書
悩みながら更新しました。震災を連想させるような表現を避けてきましたが、数年経ち、忘れられてしまうのではないかとの不安があり、描くことにしました。(もちろん、エアたちの頑張りで、良い方向に行くようにするのですが)
読んでいただいている皆様、本当に感謝しております。今後もよろしくお願いいたします。
★次回出演者控室
マーク 「ただじゃすまさねえ」
ユウ 「悪あがきだな」
エア 「そうですね」
マーク 「俺にも見せ場は必要だ」