第五章 記憶に残る想い その四
レリックは、ラナリスが示した細い道に身を滑らせた。
(思ったより酷いところだな。地図によると、この先を真っ直ぐ行って、左かぁ)
改めてレリックは、警戒しながらも煤けた町を眺めた。
錆ついた看板、硝子が割れた窓。ペンキが剥がれ、くすんだ家屋。そして、ぼろきれを纏った浮浪者が道端に寝ている。そっと窓から覗いた家には、盗品と思われる魔道機が乱雑に並べられていた。その種類は多岐にわたっており、中には武装用魔道機もあった。
(魔道機で武装するのも、楽勝ってか。どこから盗んできたのやら)
レリックは心の中で呟き、先を急いだ。
すると路地の突きあたりに、檻の中に入れられた子供の姿を見つけた。人数は五十人を超えるだろうか。大きな鉄の檻には、頑丈そうな鎖が取り付けられている。しかも、見張りの男達がうろうろしている。
(あの鎖は何とかするとして、打ち合わせ通りに騒ぎを起こさないと。どうするかな?)
レリックがどうしようか、と悩んでいると、ふと光が漏れている建物が目に入った。壁板が割れており、中を覗くと人がいる様であった。
白髪に近い銀髪に、やつれた顔、そして何よりも両足首には鎖が付けられていた。
「貴方は誰ですか?」
周囲を警戒しながら、レリックはその男に声をかけた。すると、その白髪の男は破れた壁板に近付き、
「私はガスパーといいます。ここで魔石を造らされている奴隷ですよ」
驚いた事に、ガスパーと名乗った男は赤い瞳をしていた。
「俺は精霊師のレリック。子供達を助けに来たんです」
レリックは懐に仕舞っていたエレスグラムをちらっと見せた。
「やっと、やっと逃げられる……」
ガスパーは静かに涙を流した。
「貴方も逃がしたい気持ちは山々ですが、手段が無いんですよ。騒ぎを起こせば何とかなるんですが……」
レリックは警備兵達が橋を封鎖して待機している事を打ち明けた。
「それなら……」
ガスパーは机の下にある石畳の一つを外し、布袋を取り出した。それを受け取ったレリックが中を確認すると、そこには小さな爆弾が幾つか入っていた。
「この突き出た赤い魔石を押し込むと起動します。十数えると燃え上がり、爆発すようになっています。威力は二階建ての民家を一瞬で瓦礫にするほどです」
「うーん……。人を殺さないのが私達精霊師の掟だから、人のいない民家を探して投げ入れるしかないですね」
「大丈夫です。地上に見える民家には、ほとんど人が住んでいません。地下に住んでいる人間が多いんです」
「子供達が地上にいるだけ、幸運という事か」
「ええ、多分引き渡しの前かもしれません。闇に紛れて、取引が行われている様ですから」
「急ぐか……」
レリックは唇を噛んだ。
「私も手伝います。騒ぎを起こせばいいんですね。幸い、私の見張りは地下に行ってしまっているようです。今まで、逆らわずに大人しくしていた甲斐がありましたよ」
ガスパーは自虐的な笑みをこぼした。
「貴方の護衛が出来ればいいんですが」
「いえ、来てくれただけでもありがたい。私の手は既に血で汚れていますが、まだ死ぬ訳にいきません。どうしても奴らに渡せない物があるので、生きなきゃならんのです」
ガスパーと名乗った男は必死の形相をしていた。
「何か深い事情がある様ですね。とにかく、お互い生きて出ましょう」
レリックはガスパーの最後の言葉に疑問を抱きながらも、爆弾の入った袋を抱えて走り出した。
東の橋の入り口ではミリアリアとアルガイアが揃って難しい顔をしていた。近くいる部下達もだ。
「無理があったか……」
「考えたくないわね」
最悪な状況を考えれば考えるほど辛くなってくる。二人はその考えを消す様に会話を始めた。
「なぁ、俺達は何やっていると思う。一人若い奴が子供を救う為に必死になっているのに、命令が無くて闇市の前で立ちすくんでいる。本音を言うなら直ぐにでも突撃したい。だが俺は部下を預かる身だ。死なせたくねぇんだよ。部下をよ」
アルガイアは闇市を見据えて言った。その言葉は苦悩が滲んでいる。
「軍人はそれでいいのよ。でも私達、精霊師はそうはいかない。どんな場所でも助けを求める市民がいるなら行かなくてはいけない。依頼として承諾した以上果さなくてはならない。でもね。私だって精霊師を死なせたくはない。ましてやレリックは勤続六年。精霊師では中堅に入ったわ。彼は優秀よ。このフォルモントを一人で守っているのだから」
ミリアリアも彼と同じ気持であった。
「あいつは。レリックは俺達部隊でも可愛がったんだ。ゼアドリックは危険な職業に就くなら軍人でいいと言っていた。それがまさか精霊師になるとは」
「あら。それは職業のせいかしら? 性格じゃないの?」
「そこまで言っちゃいないさ。だが、俺も思うんだ。軍人の道を歩いて欲しかったとな」
「人の想いは制限できないわ。ましてや本人の意思で精霊師になった。そして、彼には彼なりの考えで精霊師という職業を捉えているわ」
「それは?」
アルガイアが口を開いたその時、
ドオォォォオォーン!
闇市の中から轟音が聞こえた。
「よし! 動き出したか!」
「先行するわ。子供の保護をお願い!!」
ミリアリアはそう言い捨てると、風の魔法を使って一気に橋を渡り始めた。
「おう! さぁ、警部兵の諸君! 武器を鳴らせ! 闇市の入り口まで前進だ!」
アルガイアは剣を振りかざし、声を上げた。
「手間取り過ぎた。早く檻のところに戻らないと!!」
レリックは考えが声に出るほど焦っていた。もちろん爆薬を放り込むのを忘れない。
犠牲者はいないはずだが、思ったよりも爆発の規模が大きかった。
「責任持てないぜ!」
見覚えのある路地を進んで行くと、
「お兄ちゃん!」
レリックが声のした方に急いでいくとラフィアの姿があった。何とか檻の前に辿り着いたのだ。幸い、見張りは爆音がした方に向かったようである。
「ラフィア! それに皆も下がって!」
子供達が檻の奥に下がると、レリックは背負っていた大剣を構え、大地の魔法を唱える。
「我は祈る。この忌まわしき檻が消え去るのを! 一刀両断!」
気合いを込めた一撃に、鉄格子は綺麗になぎ払われた。
「俺が怖い人達を倒していくから。急いで!!」
子供達は急いで走って行く。
「ラフィアも急いで」
「やだ、一緒に逃げる」
「仕方ない、急ごう」
レリックは大剣を背負い、ラフィアを小脇に抱えて走った。目指すはゼアドリックがいる西の橋だ。
「遅くなってごめん」
レリックは必死に走りながら、ラフィアに謝っていた。
「きっと来てくれると信じていたから、大丈夫だった。みんなに来てくれるって話をしていたんだ」
こんな状況なのに、ラフィアの表情は明るい。
どうやらラフィアは他の子供達を励ましていたようだ。だから、子供達は落ち着いていたのかと思った。
(俺を信じてくれていたんだな)
レリックは少し顔をほころばせた。
闇市の地下で取引を終えたマークは地上からの振動で身構えた。
「おい、何があった!」
状況確認の為にすぐに部下を呼んだ。慌てて来た男が話し始めた。
「それが、どうやら市場で爆弾を投げ込んでいる奴がいるらしくって、どうやら精霊師ですぜ」
「精霊師? 警備兵じゃねぇのか。あいつら、橋のたもとで囮をやってやがったんだな。数は?」
「一人の様です」
マークは頭に血を昇らせた。
「かぁーっ! 見張りは何やってんだよ。はぁっ、来ちまったもんはしょうがねぇ。で、そいつは何しに来たんだ?」
「どうやら子供を取り戻しにきたようで」
「ちっ、こうなると取引はご破算だ。おい、ガキはどうなってる?」
「精霊師が逃がしたようで、橋に向かって逃げています」
「殺せ。一人も逃がすな。それと、消火も急げ」
「はっ」
部下はすぐに階段を駆け上った。
「たった一人にいいようにやられたな。おまけに警備兵の奴らも、妙に気合が入ってやがる。くそっ、再建するのにどれだけ金がいるんだ。こうなったらその精霊師のツラでも見に行くか。ついでに闇市をめちゃくちゃにした責任を命で払わせてやる」
マークはそう言ってフランベルクを抜き放って階段を昇って行った。
闇市に入ったミリアリアは、夜空に赤々と燃え上がる闇市を見た。
(子供は何処かしら)
そして、無残な光景を目撃する。
男達が子供を殺そうとしていたのだ。
「たすけて! おかぁさん!」
剣を持つ男が子供を斬った。崩れ落ちる子供の身体を見て息を呑んだ。
「!!」
子供の悲鳴をミリアリアは確かに聞いた。考えるよりも先に身体が動いた。怒りにまかせて男の一人を殴っていた。風の魔法を身体全体に纏わせて放つ拳は男の腕の骨を折っていた。
一瞬の事で怯んでいた男達だったが、素早くミリアリアを取り囲んだ。だが、取り囲まれてもなお、彼女の闘志は萎える事は無い。
「貴方達、五体満足で済むと思わないで!!」
恐ろしく低い怒声がミリアリアの口から放たれた。周りに居た男達が、思わず息をのんだ。
そこにアルガイアの部隊が到着した。
「出来るだけ子供を保護しろ。単独行動を避け、小隊単位で動け!!」
アルガイアはサーベルを構え、飛び掛かってきた男を切り捨てた。
「手伝うぞ。救出は部下がやってくれる。俺達はこいつらを食い止めるぞ!」
アルガイアは魔法盾を左手の拳に造り出した。
ミリアリアも全身に風の衣を纏わせ、
「ええ。私達は負けない。ユラン! 邪魔者は吹き飛ばして!」
緑の光に包まれた、翼龍を呼び出した。
息絶えている子供を目にして、アルガイアはサーベルを正眼に構えて
「お前ら、何の関係もない子供達の命を奪って、ただで済むと思うなよ!」
アルガイアに男が二人襲い掛かった。それを斬り伏せる。
「俺は精霊師ではない。だから、お前らの命を奪う事に躊躇いはない!!」
東の橋では、怒声と共に戦闘が始まった。
西の橋に向かったレリックは、思いがけない光景を見る事になった。
それは橋まで辿りつかずに息絶えた子供達だ。抱えているラフィアの顔を胸に押し付け、レリックは駆け抜けた。
自分のやった事は本当に良かったのか。焦り過ぎたのか、だとしたらもう少し準備すれば結果が変わっていたのではないか。子供達を死なせる事は無かったのではないか。考えれば考えるほど答えが出ない。
橋の近くで、突入して来たゼアドリックと再会した。
「レリック、無事だったか!」
「そっちこそ!」
「轟音がしたからな、突入したぞ。子供も何人か保護したが、このままではとても守りきれん。それに橋の真ん中にえらく強い奴が居座ってな。退路が絶たれている」
「分かった。そっちは何とかする」
ゼアドリックはレリックが抱えているラフィアを見て、
「俺が預かろう」
と手を出すと、ラフィアはますますレリックにしがみついた。
「仕方ないな。俺がこのまま抱えて行くよ」
レリックがラフィアを抱え直すと、そこに他の警備兵から声がした。
「ゼアドリック、退避を始めよう。橋に火がついた。そのうち焼け落ちる」
「ちっ、分かった。全員、防衛陣形で退避するぞ! 中心になる奴は子供を抱えろ!」
「父さん、俺が先に行く」
レリックは再び駆け出した。早くラフィアを親の下に連れて行きたかった。
橋は既に燃え上がりつつある。いずれ闇市側は燃え落ちるだろう。
「邪魔だ! どけぇぇぇっ!」
武器を手に飛び掛かってくる男達を、レリックは大剣で吹き飛ばした。
後方に炎の気配を感じながら、橋の中央に差し掛かった時、
「待ちな。ガキを小脇に抱えているということは、お前が精霊師だな」
茶色の髪を少しのぞかせ、テンガロンハットを被った男がいた。緑のカラーシャツの上に黒のコートに青のジーンズ。全く統一感が無い服装が悪目立ちするが、さらに右手に下げている波打つ形の剣が印象的であった。
「ここは天下の公道だ。通してもらうよ」
レリックは大剣を握り直した。
(ただ立っているのに隙が無い)
レリックはラフィアを下に降ろした。
「ガキを抱えて逃げ切れると思ってんのか?」
「難しいだろうね。君は強そうだ」
「はっ、わかってんなら俺を殺していきな。それだったら通してやるよ」
「残念ながら精霊師は殺人を禁止されていてね。それにこの子を逃がしたら僕の勝利だよ」
「甘いな……。一目見た時に、俺と同類だと思ったんだがな。まあいい、闇市の中まで警備兵がいるんで、俺の部下もそちらに掛かりきりになっている。橋を渡りきったら、確かにお前の勝ちだろう。だが通さん。親父の残した市場を、俺の城をめちゃくちゃにしてくれたからな。落とし前として命を置いて行けや」
男が剣を水平にして走って来た。
「ラフィア、下がって! 銀嶺、彼女を守れ!」
「うん」
ラフィアはすぐに下がって身を小さくする。青銀の狼はしゃがみ込む彼女の上に覆いかぶさった。
大剣を盾にして攻撃を受け、そのまま押し返し剣を横薙ぎに振るったが、すんでの所でかわされた。
「お前、乱暴なようで剣筋が通っているな。でも、俺は殺さない」
レリックは大剣を構え直す。
「ふん、精霊師殿は技量が足らんようだ。殺すのは簡単だが、生かしたいならその倍の技量が必要だ。それに精霊師なら魔法ぐらい使ったらどうだ?」
男は挑発するように薄笑いを浮かべ、唸りを上げている銀嶺を見た。
「そうだったな。妖精にガキを守らせて、俺と一対一で勝負して勝つつもりか。にしてもお前。偽善者だなぁ」
「何だと!」
偽善者という言葉にレリックは怒りを覚えた。男はおどけたように言った。
「偽善者だよ。精霊師は人を助けるんだろう。じゃあ、この結果は何だ?」
「くっ……」
レリックは男が何を言いたいのか分かった。だが男はそれでもレリックの心を弄ぶように言葉を続ける。
「ガキを逃がして英雄気取り。だがこの俺が簡単に逃がす訳ねぇだろう。生き残る奴は少ねぇだろうなぁ。そこのガキも、俺が殺す!」
殺意が籠もった視線をラフィアに、そしてレリックにゆっくりと向ける。
「お前は誰一人守れない。誰もな」
男はレリックに向かって走り出した。
その光景を追いついて来たゼアドリックが目にした。
「レリック!」
息子を助けようと、彼は駆け出した。
★作者後書き
更新しました~! 読んで頂いている皆様、本当にありがとうございます。今年は忙しいにもかかわらず、大怪我や大病もせず無事に過ごせそうです。来年もそうありたいと思っています。皆様も、良いお年をお迎え下さい。
★次回出演者控室
エア 「私も頑張らなくちゃ」
ユウ 「彼の想いを大事にしなきゃな」
シリウス「ありがとう。さあ、皆で闇市に立ち向かおう」
ルテネス「気張らなくても、悪は滅ぶのよ~」