第五章 記憶に残る想い その三
レリックが精霊師協会に戻ると、そこには会長であるミリアリアの姿があった。
「どうして会長が?」
いくらガゼットが連絡したとしても、ミリアリアの到着が早すぎる。レリックが呆然としていると、
「久しぶりね。ヴェルヌイユの精霊教会本部に呼び出されていたの。窮屈な会議が終わったから、気晴らしにフォルモント支部に寄ろうと馬車を走らせていたら、ガゼットが急に飛び出して来たから驚いたわ」
ミリアリアの隣で、ガゼットは首振り人形のように頷いていて、
「急いで呼びとめた馬車に、会長が乗っていたのは驚きましたよ」
「自分でも驚いたわよ。それにしても三年もたつのに、『会長』と呼ばれるのは未だに落ち着かないわね。仕方ないけど……」
アンキセスが火精の乱心で皇子の乗っていた軍船を撃ち落とした責任を取り、会長職を辞任することになったのだ。その後任が、孫娘であるミリアリアであった。
「この精霊師協会を守る為に、アンキセス様は辞任されたのです。ミリアリア様も会長職に十分な素質があります。我々は何の心配もしておりません。皆、貴女に従いますよ」
ガゼットは深々とミリアリアに頭を下げた。
「ありがとう……。ところでレリック、ガゼットから今の状況は聞いたわ。ポストル地区にある、闇市に行くのでしょう」
レリックは、ミリアリアの言葉に静かに頷き、
「すいません。会長の言いたい事は分かっています。でもあの闇市は、潰さなきゃ駄目なんです。あらゆる犯罪の温床。あの街は腐っているんだ。人の命も売り買いする連中を見逃しておけない!」
ミリアリアは溜め息を吐いた。
「本当に分かっているの。頭を冷やしなさい。あそこは軍隊を本気で投入しないと潰せない場所よ。今まで女王が手を出せなかった理由は、今まで軍隊を動かせる名目が無かった事と、今は直ぐに動かせる軍隊が無いのよ。火龍と地龍はいま国境で帝国とにらみ合いをしているわ。これは水龍も同じで、海側の国境に張り付いているわ。そして風龍は各軍の後方支援で散っている。光龍も同じく。そして黒龍は共和国側を見張っている。つまり、貴方の援護できる部隊はいない。当たり前だけど、精霊師協会も直ぐに人を出せるほど、余剰人員はいないわ」
ミリアリアは、レリックを諦めるように説得しているのでは無い。冷静に状況を分析してもらいたかったのだ。
「良く考えて。私達、精霊師協会が請け負った仕事は、子供を取り返す事で、闇市を潰す事じゃないわよね」
レリックの前に顔を突き出したミリアリアは、彼の勘違いを正そうとした。
「顔見知りの子が攫われた。それに対する怒りは理解できる。でも、大事な事を忘れているわ。本当の目的は『攫われた子供達』を奪還すること。闇市を潰す事じゃないわ。目的にあった手段を講じなければならないのに、その目的を間違えたら、何もかも台無しになるのよ!」
彼女の発した言葉は、血が昇っているレリックの頭を冷やすには十分だった。
「つまり、目的と手段が合っていなければ、子供達は死んでしまう……。そして動ける者は俺だけ……」
ミリアリアはレリックの問いに、静かに頷いた。
重苦しい沈黙が三人を包み込む。
レリックは意を決した様に、ミリアリアに言い放った。
「でも、会長は手伝ってくれますよね?」
ふっ、と口元に笑みを浮かべたミリアリアは聞き返す。
「どうしてそう思うの?」
「会長がここに居るからですよ」
レリックは満面の笑みで答えた。
ガゼットが淹れた珈琲を飲みながら、三人は対策を考え始めた。
「おじいさまは後始末に追われているし、他の精霊師は地元に釘付け状態。一人、思い当たる奴がいるけど、ふらふらしているから捕まえられる保証は出来ないわね。あの極楽鳥の奴。一応、妖精に伝言を託して飛ばしたけど……。まぁ、今動けるのは私だけね」
「助かります」
「ただ、私が闇市にいきなり入るのは無理ね。顔を覚えられていると思うし、なにせ肩書が精霊師協会の会長だから」
「出来るだけで良いんです。せめて子供を外に誘導するだけで構いません」
「……。貴方だけ突入させることになって申しわけないわ」
「いいんです。本当はもっと準備をするべきでしょうが、時間が経つほど状況は悪化します。誘拐は時間との勝負だと思っていますから」
「そうね。今は何処に居るか分かっているからいいけど、その後は何処へ連れて行かれるやら」
「そうです」
「では、闇市で騒ぎを起こしてから子供を解放しなさい。特に火事が良いわね。相手は消火に掛かりっきりになるから用心棒の数が減るはずよ。私も騒ぎが起こったら、子供達の誘導の為に闇市に突入するわ」
「お願いします。そして、ありがとうございます」
ミリアリアは少しさびしそうに笑った。
「お礼なんて……。必要な時に、必要な人数が揃えられないのが、逆に申し訳ないわ。取りあえず、お互い生きて帰りましょう」
「はい」
二人がお互いの手を強く握った時、そっとドアが開いた。そこには若い女性が立っていた。
「お嬢さん、急ぎの依頼は待ってもらわないと――」
ガゼットが声をかけると、開け放ったドアから黒い鳥が室内に飛び込んで来た。
その黒い鳥は、レリック達の座るテーブルにゆっくりと舞い降りた。大きな丸い瞳をくるくるとさせ、平たい顔に付き出ている嘴をカチカチ鳴らした。
「黒い……。黒い梟?」
レリックが呟くと、
「貴女、黒龍のフクロウね」
ミリアリアが若い女性に目を向けた。すると彼女はドアを閉め、
「私の名は、ラナリスといいます。一年前から、あの闇市を探っていました」
彼女はゆっくりとレリックの目の前に座り、
「私は妹を捜しています。随分前に攫われて、行方が分からなかったのですが、あの闇市で見掛けたと知らされました。それで闇市に潜入をしていました。妹はまだ見つかっていませんが、現在攫われた子供達が何処に居るか、見当がついています」
驚きの余り、言葉を失っているレリックを尻目に、彼女は梟を撫でている。
ミリアリアは、あからさまに大きな溜め息を吐いた。
「成程ね。黒龍将軍は精霊師協会に貸しを作っておこう、という腹かしら」
ガゼットも、ミリアリアの意見に同感とばかりに大きく頷く。
『貸しなんて大げさなものではありませんよ。ミリアリア殿。』
「わっ! 鳥が喋った!」
レリックがのけぞった。
「そんなに驚かなくても……。黒龍軍の伝令用の妖精なのよ」
ミリアリアはレリックに説明をした後、
「それではフルカス様。どの様なおつもりなのかしら?」
冷たい視線をフクロウに向けた。
フクロウは大きく翼を広げ、細かく震わせた。すると翼の上方に光の玉が現れ、次第に大きくなっていく。
その光に中には、老年の男の顔が映っていた。その男はゆっくりと言葉を発し、
『アンキセス殿にあの様な責任の取らせ方をした上に、年若いミリアリア殿に精霊師協会の会長職を継いで頂いた事を、常々陛下は御心を痛めておいででした。また、この様な事態に際して、各軍を動かせない事も、かなりのご心痛の様です』
と、丁寧に頭を下げた。
「それではフルカス様。精霊師協会に借りを返したい、と言う事でいいのかしら」
ミリアリアが問うと、
『その様に考えていただいて結構です。現在、闇市の中で活動しているフクロウは数少ない。理由はお分かりでしょう。正直、侵入の手助けをするのが精一杯です。ですが正面から突入するより、このラナリスにレリック殿の侵入を手引させれば、子供達の監禁されている場所に辿り着く可能性は高くなりましょう』
レリックは目を見張った。そして目の前のラナリスを見つめる。彼女は意思の強そうな鳶色の瞳をしていた。それがレリックの心を奮い立たせた。
「会長! 助けてもらいましょう。子供達を無事に解放出来るなら、俺は誰の手だって借りる。彼女と一緒に闇市に行かせて下さい!」
胡散臭い提案だとミリアリアは感じていたが、意を決した様に姿勢を正し、
「囚われた子供達と助けに行く人間の生還率を上げる。それは会長である私のするべき判断、そして責任なのでしょう」
後で面倒な依頼を女王から押し付けられる事が予想されるが、その時はその時だとミリアリアは覚悟した。
「フルカス様。ありがたく、この提案をお受けいたしますわ」
ミリアリアはラナリスに頭を下げた。
『ミリアリア殿、それにレリック殿。この事態を解決したいのは我々も同じ、ラナリスも同様に思っております。本来、黒きフクロウが正体を晒すのは限られた時だけ。それを今、晒したことで我らの誠意を認めていただきたい。後は、港湾局のアルガイア殿とも連携を。アルガイア殿も異存は無いようです。それでは、私はこれで失礼いたします。皆様に精霊王の祝福があらんことを』
フルカスが馬鹿丁寧なお辞儀をしたところで、フクロウが紡いだ映像が途切れた。
深夜、東西の橋ではアルガイアの部隊を含む警備兵が押し寄せていた。
「おーい! 誰も橋を渡らせるなよ!」
「おう! 任せておけ!」
「ネズミ一匹、通さんぜ!」
警備兵達が慌ただしく動き回る。その様子を見たゼアドリックが、
「俺達が派手に動けば、レリックが侵入しやすくなる」
「そうだな。しかし、この川を泳いで渡るなんて自殺行為だが……」
そう答えるアルガイアの表情は曇っている。
「あの狼……。妖精の銀嶺が一緒なら大丈夫」
ゼアドリックは息子の姿を思い出していた。
「気を付けて行けよ」
ゼアドリックはレリックに、右手を差し出した。
「わかっているよ。もしかしてアルガイアさんも来ていますか?」
レリックは差し出された手を握った。久しぶりに父親の手の感触が、そこにあった。
「ああ、闇市に入るには二か所ある。ここ西の橋と東の橋がある。ここは俺達が守っている。あっちは局長が仕切っている」
「あっちには会長が行きましたからね。何とかなると思いますよ」
ミリアリアの強さを知っているレリックは、(何とかなる、なんてレベルじゃないけどね)と苦笑した。
「アンキセス殿の孫が来ているのか。なら、あっちは圧勝だな」
どうやらゼアドリックも同じ事を考えていたらしい。
「問題はこっちだね。父さん、気を付けて」
「ああ。戦力的には厳しい。だが、退く気はない。俺達は自由に動けん。だから子供達を頼む」
「言われなくとも」
「くどかったな」
「いいさ……。なぁ、父さん。俺の夢は人々の笑顔を守る事だった。でもその守り方は軍人では出来ない事だったんだ」
「守り方か?」
「うん。軍人は人を守るのではなく国を守る為にいるんだ。でも、精霊師は違う。精霊師は人々の生活に密接に関わりがある。だからどんな小さい事でも、依頼人の笑顔が取り戻せることに感銘してこの職業に就いたんだ」
「そうだったのか。俺は軍人だからな。国を守れば人を守れると思っていたよ。だ
が、違ったんだな。俺は国を、お前は人を見ていた。その違いが、今か……」
「軍人でも人は守れるよ。今がそうじゃない?」
「はは、そうだな」
久しぶりにお互いの笑顔を見た。今まで何故、喧嘩なんてしていたのか。二人とも、そんな想いを抱いていた。
「では、後悔しないようにやろう」
「了解。では、行ってくるよ。ラナリスが待っている」
夜の川にレリックが飛び込んだ。すると大きな青銀の狼が空中に現れ、レリックの身体を支える為に水中に潜った。
「何だ! その狼は!」
ゼアドリックが驚いていると、
「俺の妖精だよ! 名は銀嶺! 大事な相棒さ!」
そう叫んだ息子の姿は、次第に闇の中に消えて行った。
レリックの心は幸せな気分で満たされていた。
妖精の銀嶺は自分を助ける為に、呼ぶ前に現れた。そして何より、疎遠だった父親に自分の想いをはっきりと伝えられた。
「なぁ、銀嶺。きっと父さんは認めてくれたよな」
銀嶺はレリックをチラリと見て、再び前を向く。
「何だよ。浮かれてる、て言いたいのか?」
レリックは文句を言いつつも、顔は嬉しそうだ。
「おっと、そろそろ気を付けないとな」
水音を立てない様に、レリックと銀嶺は暗い水面を泳いで行く。橋の傍では、警備兵達が盛大に火を焚いて警戒線を張っている。レリックが侵入しやすいように、闇市の見張りの目を引き付けているのだ。
ゆっくりと、小さく円を描く光がレリックの目に留まった。
「ラナリスだ」
レリックは息を潜めて、光の下へ泳いで行った。
闇市のある中洲のはずれで、ラナリスは待っていた。
「早く着替えて。子供達はこの場所に監禁されているわ」
彼女はレリックの手に地図を押し付けた。
「何て大きな剣を背負っているのよ。目立つじゃないの。早く馬車の荷台に隠れて」
素早く彼女は荷台の藁を掻き分けた。
「すまん。君も危険なのに」
レリックは藁の中に潜り込んだ。
「いいえ。手助けするなんて言ったけど、私に出来るのは、闇市の目立たない所で、貴方を降ろす事だけ」
ラナリスは馬車を走らせた。
「いいんだ。君も妹を見つけるまで、頑張るんだろ?」
レリックは未だ妹を見つけられずにいる彼女の心中を慮った。
「勿論よ。必ず見つけるわ。レリック、闇市の中に入るわ。合図するまで、静かにして」
ラナリスはさりげなく、でも慎重に馬車を進める。ラナリスの心臓は早鐘の様に脈打っている。
「よーう、ラナリス。働きもんだなぁ」
酔った男が近づいてきた。藁の中に潜んでいたレリックは、身を固くした。
「夜になると寒くなってきたからねぇ。新しい藁を刻んで、布団でも作ろうと思ってさ。昼間に集めておいた藁を運んでいるのさ」
馬車を止めたラナリスは、さらりと言い訳をした。
「確かになぁ。おらっちも寝床を新調しようかなぁ。明日、手伝ってくれるかい?」
「いいわよ。でも手間賃を貰うからね」
ラナリスが応じると、
「しっかりしてんなぁ」
と、笑いながら男が遠ざかって行った。
肺の中が空になる程、大きな溜め息を吐いたラナリスは、
「レリック、大丈夫。降りてきて」
と、声を掛けた。レリックは慌てて藁の中から姿を現した。
「一瞬、息が止まったよ」
そう言いつつ、馬車を降りると、
「この細い路地裏を抜けると、子供達のところに行ける。頑張ってね」
ラナリスはそう言い残すと馬車を動かした。でもレリックの事が気になるのか、何度も振り返っていた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、ありがとうございます。年末の忙しい時、皆様は何をしておいででしょうか。作者も忙しい時間を過ごしております。風邪も貰ってしまい、やわらかティッシュが手放せません。
★次回出演者控室
アルガイア「あんな奴がいるとはな」
ラナリス 「私も詳しくは知らなかったんです」