第五章 記憶に残る想い その一
選挙の余韻が残る朝、精霊師協会ではチュダックの秘書であるマークについて、シリウスから報告が行われていた。
「目撃情報が入ったよ。やっぱりマークは闇市にいる」
「それは何処から?」
ユウの素っ気ない疑問にシリウスが答えた。
「市民だよ」
「あれ~? ここは協力的な話ってあんまり無いのに~?」
ルテネスの疑問にシリウスは少し笑って答えた。
「ここの商人達は精霊師を嫌っているけど、市民はそうでもないよ。特に今回の市長選の結果が明らかになり、不正を許さない空気が街の中に生まれたからね」
「成程ね~。風見鶏の向きが変わったって事か~」
ルテネスはちくりと皮肉を言った。
「それに闇市の被害を受けた者は、闇市の存在を消し去りたいと常々思っているからね」
「その闇市についてなんだけどさ~。約束通り話してもらうわよ」
エアはユウと顔を見合わせ、
「何の話なの?」
不思議そうにルテネスとシリウスを見つめた。
「そうだね。君達にも知っていて欲しい。この街で闇市に歯向かった無謀な精霊師の事を……。マークがどんなに残忍な奴か、『黒闇の市場』がどんな所かも理解してもらいたい。それに、今回レイメルで起きた事件にも関わりがあるからね」
シリウスはいつも使っている金庫ではなく隣に在る小さな金庫から書類と貝殻のペンダントを取り出した。書類の束は何度も読み込まれているのか、かなり傷んでいる。
それを見たエアは、
「大事にしているんですね」
このフォルモント支部にとって、重要な物だと感じた。
「前任から引き継いだ話なんだ。又聞きになるし、少し長いけど良いかな?」
シリウスは三人の前に、温かな飲み物を差し出した。
「構わん」
「いいわよ~」
「お願いします」
先生の前に座る生徒のように、皆が姿勢を直した。
「三年前。今と違って、あの市場に通じる橋は東西に二本存在した。この事件の折に、精霊師とマークが死闘を繰り広げた橋は燃え落ちたんだ……」
シリウスは悲劇の始まりを、憂鬱そうに語り始めた。
――三年前――
夕焼けに染まるフォルモントに、子供達の遊んでいる声が響いている。
短めのブラウンの髪を揺らしながら、男が子供達の傍を通り掛かった。彼の名前はレリック・プロキオン。背中には大剣を背負って、筋骨たくましい青年である。
そして彼は、フォルモントを守る精霊師であった。
彼が支部へと帰り路を歩いていると、途中で声を掛けられた。
「お兄ちゃん、お帰り!」
九歳くらいの女の子だ。髪は金色で瞳は青く大きい。人懐っこい笑顔が印象的な子だ。首には綺麗な貝のペンダントが掛けられている。
「おう! ラフィア」
レリックは大らかな笑顔で、近寄って来た子供の頭を撫でまわした。
子供の名前はラフィア。精霊師に憧れている、可愛い盛りの女の子だ。
「また子供扱いして! お兄ちゃん、今日は何をしていたの?」
「街道に出た魔物退治さ」
「すっごーい!!」
少し拗ねていたラフィアは手を叩いて大喜びをしている。
子供にとっては魔物を退治できる人は、強い人と認識される。レリックは街の子供達には人気者だった。
「そうでもないさ」
レリックにしてみれば自分程度の精霊師なんて、かなりいると思っている。大剣の扱いもやっと様になってきたと自負するものの、相変わらず怪我も多い。口うるさい受付のガゼットに、『この程度で怪我をするなんて、本当にひよっ子だな。修行しろ』と嫌味を言われるのだ。頭では分かっているが、『剣の腕前は急に上達するもんじゃない』と言い返すのが、今のところ精一杯だ。
「ねぇ、お兄ちゃん。今日、お母さんがお兄ちゃんに話しがあるんだって」
「んん? 何かな?」
そんなに大きな依頼じゃ無かろう、と思ったレリックはラフィアの差し出された小さな手を握った。
「早く行こ!」
ラフィアがレリックの手を引いて歩きだした。
しばらく歩いていくと彼女の家に着いた。庭がある家に住んでいる家族は、この街では中流家庭と言われている。手入れをした花壇には、様々な花が植えられていた。
一番目立っているのは葉牡丹である。葉の色が白、紫、赤、桃、緑と様々に変化していた。この葉牡丹は野菜として栽培されていたが、味がいまひとつだったために園芸種として改良されたのだ。
「相変わらず、きちんと手入れされているなぁ」
「私の趣味ですから」
「あ、お母さん」
レリックの言葉に反応したのはラフィアの母、セリーナ・クルセニアであった。ラフィアと同じで金の髪に青の瞳をしている。母の横にはラフィアの弟がまとわりついていた。
「お久しぶりです」
レリックが軽く会釈をすると、
「そうね。でも、あの時からの付き合いだもの。主人も会いたがっているわ」
「あぁ、いえ、あの、気にしないでください」
少し顔を赤くしたレリックは、頭を掻きながら答えた。
レリックが精霊師になったのは六年前だ。父は地龍軍に所属する軍人で、息子も地龍軍に入れるつもりであった。だが彼は、どうしても精霊師になりたかった。幼い頃に出会ったアンキセスのように、堅苦しい生き方をせず、豪放にして飄々と生きてみたかったのだ。そして、ついに父の反対を押し切って精霊師となった。その際、姓は母方の『プロキオン』を名乗る事になった。早い話が父親に勘当されたのだ。
そして精霊師となって所属されたのが、このフォルモントであった。
配属されて慌ただしく仕事をしながら、四年経ったある日。街道に凶暴な魔物が出るから討伐して欲しい、という依頼が入った。魔物の名前はクレスボヴァン。水牛の様な魔物で、角による突進攻撃を注意する必要がある。『また怪我をするなよ』とガゼットに念を押されつつ、レリックは急いで現場に向かう事になった。
街外れの街道を暫く馬で走って行くと、討伐対象に襲われている家族が彼の目に留まった。それがラフィアの家族であった。ワインの取引商人であるラフィアの父親は家族を連れて、取引先から帰って来る途中だった。
クレスボヴァンは荒い鼻息をしつつ、大きな角のついた頭を、ラフィア達の乗った馬車に向けて走り出した。
レリックはすぐさま魔物と馬車の間に割り込んだ。
「我は祈る! 強き盾を持って民を守らん事を!」
素早く地属性の硬度強化魔法を大剣に施し、そしてさらに妖精を呼ぶ。
「来てくれ! 銀嶺!」
その呼びかけに、大きな青銀の狼が現れた。その狼は素早い動きで、魔物に近寄り、足元に氷の息吹を吐いて動きを鈍らせた。
「一刀両断! 行くぞ、銀嶺!」
レリックは魔物に向かって突進した。
先に走り出した青銀の狼は、魔物に触れた途端、瞬間その魔物を包んで凍らせると、続いて走り込んで来たレリックが、
「砕けっちまえ!」
大剣を振り下ろし、一刀両断した。
クレスボヴァンは悲鳴もなく絶命した。
助かったと確信した一家は、レリックの傍に近寄ってきた。
「ありがとうございます」
「助かりましたぞ、精霊師殿」
「お兄ちゃん、カッコいい~。それに妖精なんて初めて見たぁ!」
ラフィアは怖がる様子も無く、銀嶺に近付く。
「初めまして。狼さん」
さわさわと彼女に首元を撫でられている銀嶺も、目を細めて満更もなさそうだ。
その後、レリックはこの一家をフォルモントまで護衛した。
(この時からの付き合いだったな)
ラフィアにいたっては、レリックを見かけると直ぐに近寄って来るようになっていた。
「いやぁ、あの時は間にあって良かった」
「命拾いしましたわ」
「ところで、今回はどういった用件ですか?」
レリックはセリーナに尋ねた。
「最近、街で噂になっているのよ。子供が攫われると」
彼女は心配そうにラフィアとその弟に視線を移した。
「今のところ、実際に攫われた人はいません。どれも未遂で終わっています」
「攫われたらどうなるのかしら」
セリーナはすぐさま、闇市のある方に視線を向けた。
「可能性はありますね。この街の象徴ですからね……」
レリックも同じ方を向いていた。二人とも一様に暗い表情になる。
黒闇の市場。いつ出来たのか分からないが、フォルモントの影とも言われ、今ではこの街の経済を動かしていると噂される。そしてフォルモントの精霊師として、活動するレリックは何度となく闇市の関係者と思われる人間と衝突している。
営業妨害をする者、密売や窃盗犯もこの中には含まれる。犯罪者の多くが市場から現れている。レリックや警備兵が捕まえそこなった者達は市場へ逃げ込んでしまう。市場の連中は、独自に武装しており、少人数で追いかけるのは命取りだった。
また、せっかく捕まえた者も保釈されてしまうことが多かった。多額の保釈金を直ぐに納めてしまうのだ。その金の出所は、貴族だと噂があったが、真偽のほどは定かではない。
「ねぇ、どうしたの?」
「どうしたの?」
幼い子供達の言葉で現実に引き戻された。
「なんでもないよ」
レリックはそう言って二人の頭を撫でた。
「お兄ちゃん。ありがとうね。これを作ってくれて」
ラフィアは貝の首飾りを大切そうに見せた。
「喜んでくれてよかったよ。一緒に沢山拾ったからなぁ」
満足そうに答える彼であったが、ガゼットに『不器用な奴』と冷やかされながら作っている時は、相当恥ずかしい思いをしたのであった。
その頃、闇市では慌ただしく『商品』が売り買いされていた。
この市場に商品を注文するのは、一部の好事家に手を汚す度胸が無い貴族達。そして、帝国や共和国の関係者。果てはテロリストも来る。
この『黒闇の市場』を利用する不文律は、昔から厳しく存在していた。
商品の仕入れ先を問わない。客の素性を詮索しない。そして、それを破ろうものなら殺されても文句を言えない。
この闇市を若くして受け継いだ男が、薄暗い酒場で指示を出していた。
「おい、例の商品の仕入れ状況はどうだ?」
「すいません、マークさん。難航しています。どれも憲兵に見つかったり、精霊師が邪魔をしたりで……」
「新しい港湾局長が来てから兵の動きが変わったな。やりにくくなったぜ。それに精霊師か……。俺は顔を見た訳じゃないがな。お前ら、気合い入れろ! 邪魔すんなら、そいつ殺せや」
「了解!」
そう返事をした男達は、蜘蛛の子を散らす様に立ち去って行った。一人残ったマークは、重い溜め息を吐いた。
「ったく、モールの奴も困ったもんだぜ。ガキを攫ってこい、なんてよ。ま、商品がどうなろうが知ったこっちゃないが」
乾いた笑いを漏らしてマークは、モールの氷の様な瞳を思い浮かべた。
既に長い付き合いだ。彼がこの市場を取り仕切る前から、出入りしている男であった。
マークはこの市場で生まれ育った。母親も父親も知らない。自分が『親父』と呼んだ、以前この市場を取り仕切っていた男がマークを育てたのだ。
(まぁ、飯は食わせてくれたし、金も女も不自由しなかったな。親父は存外、俺を可愛がってくれたしな)
マークにとって親父と呼ぶ男が、自分に対して教え込んでくれた事が全てであり、彼の人間像が自分の理想であった。
その親父がマークに言ったことがある。
「モールの奴は良い商売相手だが、やばい仕事が多い。貴族や帝国、共和国、テロリスト。奴は「何でもござれ」と言わんばかりに仕事を受ける。いいか、気を付けろよ。手に余る仕事は、この市場を潰す事になるぞ」
マークは手元にあったグラスを見つめる。
(この仕事は『手に余る』仕事なのか……)
またマークは、脳裏にモールの顔と彼の言葉を思い返す。
「貴方はこの市場で育ったのですねぇ……。羨ましいですよ。私が育ったところよりも明るくて活気もあって……。何よりもまだ、人間の街ですからねぇ」
その言葉のどこかに引っ掛かっていた。その時は分からなかったが、彼の言葉の裏を返せば、モールの育った場所が「人間の街」以外になる、ということだった。
(奴は人間なのか?)
愚問だな、とマークは頭を左右に振る。たまにやってくる彼とは、既に酒を酌み交わす仲だ。皮肉な笑みを浮かべながら、酒を飲む彼は人間としか思えなかった。
想いを巡らすマークの下に、
「注文の魔石が出来あがりましたぜ」
下卑た笑いを浮かべながら、中年男がテーブルの上に小さな袋を置いた。
マークは中身を取り出し、傍らの魔石灯の光にかざしてみた。青い魔石は形こそいびつだが、不純物が無く、美しく透き通っていた。
「腕の良い職人が磨けば、特上品だな。モールが連れてきた魔石師は、逃がさない様に大事にしないとな」
袋の中に魔石を戻したマークに、
「しかし、何処から連れてきたんでしょうかねぇ。うちに居る職人とは腕が違う。ありゃぁ、グラセルでしょうかね……」
中年男の勘は間違いなかった。
「さぁな。下手に詮索して、モールに何処かに連れていかれたら、うちは痛手を被る。知らん顔をしてな」
マークはとぼけて答えた。
黙って頭を下げて出て行く中年男の後ろ姿を見送り、もう一度魔石を取り出した。
この魔石を作った男の名は、デボス・エンデュラ。火精の乱心で名前が上がった魔石師だとマークは知っていたのである。
(有名人だわな。モールの奴は面白い人間を連れて来る。あの若い女も変わっているし……。ビアーネ、とか言ったかな)
連れて来られた時、彼女はとても痩せて腹を空かせていた。
モールはひたすらテーブルの上の食べ物を貪る彼女の様子を眺め、
「彼女にはね、龍を生み出すほどの精霊力を操る素質があるんですよ。精霊師じゃなくても出来るんですよ」
うっとりとした表情を見せていた。
それまで金を稼ぐ以外、何の目的があるのかモールに尋ねた事は無かったが、
「龍なんか出してどうするんだい?」
思わずマークは口にした。
「まずは黒銀の龍でも、空に飛ばせて見せましょうかねぇ」
そうモールが楽しそうに答えたのを覚えている。
(何だかなぁ……。俺にゃぁ、分からんわ)
マークは大きな溜め息を吐いた。
★作者後書き
お待たせしました。更新出来ました。それと、何故かツイッターに入れなくなり(たぶん機種が古いので……)お知らせが出来ません。来月、パソコンを買い替える事にしました。作業ももう少し早く出来るようになると思います。
★次回出演者控室
シリウス「話はまだ続きますよ」
エア 「そんな事が……」
ユウ 「思わん名前を出たな」