第四章 黒きフクロウ その五
王都アンボワーズにいるラルフの前に、インクの匂いが強く鼻をくすぐる、真新しい刷りたての号外が積み上げられていた。
「どれどれ~。良い出来じゃないか~」
内容に目を通して満足そうな顔をしているラルフの視線の先には、次々とすりたての号外が運び出されていくのが見える。
「さあ、頑張ろうぜ! 今回は特ダネだ! 国中に配りまくろうぜ! フォルモントへの便には俺も乗って行くぜ!」
思わず彼の声も弾んだ。
久しぶりに彼の胸中は充実した気分で満たされていた。それは心地よい陶酔感を伴っていた。だが彼は、まだ仕事は残っている、と自分に言い聞かせる。
フォルモントで闇市に起こる事を見守ること。そして、それを記事にする。
他人に命令されるのは気に入らないが、自分の思う通りに書いて良いなら話は別だと割り切った。それに、他に気になる事もあった。
(他の『フクロウ』の事は見過ごせ、と言ってやがったな)
その言葉は、今回の闇市の件で『フクロウ』が動いている事を示唆している。
(俺とした事が、気が付かなかったなぁ~。そんな奴、居たかなぁ~。それとも、あのお嬢さんが暴れるんかい)
飛行船の中で出会った、自分と同じ『黒きフクロウ』でラナリスと名乗った若い女性を思い浮かべた。
(いや~、多分違うな。彼女は伝言のみに俺の前に現れたんだろう。なら、やっぱり他の奴だな)
ラルフは眠気がまとわりついている頭を思い切り左右に振り、
(考えてもしょうがないな。早くフォルモントへ戻ろう)
くたびれきった上着を抱え、無精ひげも剃らずにラルフは街へと飛び出して行った。
その日の夕刻、フォルモントにラルフの姿があった。
街中に号外を配るのは、この街に常駐している他の社員と手分けをしつつ、彼は勢いよく走り出した。
「それ! フォルモント市民の皆さん! トルネリアタイムスの号外だー! 選挙活動の裏事情! 知らなきゃぁ馬鹿を見るぜ!」
彼は大声で叫びながら、抱え込んだ号外を集まる市民に撒き散らかして行く。
受け取った多数の市民は、立ち止まって夢中で読みふけった。そして、戸惑いの表情が驚きへと変わって行くのがラルフにもよく分かった。
(最高だぜ!)
爽快な気分を味わいながら彼が向かった先は、フォルモントの精霊師協会であった。
「いよ~、皆さん。お待たせしましたぜ。これが俺の記事が載っている号外だ!」
彼は勢いよくテーブルの上に号外を叩きつけた。
「さすが国一番の新聞社。早かったね」
シリウスはその中の一枚を取り上げ、
(イワンを教会に行かせて正解だった。この記者に見つかったら、死んだはずのイワンが生きているとばれてしまう)
などと内心、冷や汗を掻きつつ号外に目を通し始めた。
今朝早くに現れたリゲルが、イワンを連れ出していたのだ。聞けばリゲルの手伝いで、グラセルへ急いで行かなければならないとの事だった。
(グラセルには大工房が在るはず。あの人形の事で何か分かったのだろうか……)
などとシリウスがぼんやり考えていると、
「うわぁ~。ラルフさん、寝てないでしょ?」
エアはラルフの無精ひげと眼の下の隈が酷くなっている事に気がついた。
「おう! 三日は満足に寝てねぇな」
ラルフは上機嫌で答えた。
「熊と間違えられるから、髭ぐらい剃っておけよ」
にこりともせず、ユウが言い放つと、
「ホントだよね~。むさ苦しいわ~」
とルテネスが冷たく応じると、
「浮浪者に間違われると、警備兵に収容所へ連れて行かれますよ」
さらに、しれっとシリウスが追撃した。
「なんだよ~、人がせっかく知らせに来てやったのによぉ~」
ラルフはがっくりと椅子に座りこんだ。
いささか、ふて腐れ気味のラルフがシリウスの入れた珈琲を飲んでいると、
「それにしても味のある書き方ですね。選挙制度と献金制度の在り方。さらに商会と貴族の繋がりを指摘すると同時に、反女王派の貴族の存在も臭わせてある。過去にチュダックがレイメル市長を務めいた時の失策も明快にしつつ、その時と何も政策が変わっていない事を指摘。そのチュダックの秘書が闇市に出入りしていた人物で、その闇市では人身売買の為に子供がさらわれ、殺害された事件があった事を記事にしている」
シリウスは感心しながら記事の内容を分かりやすく読み上げる。
「新聞記者って容赦の無い書き方をする時があるんですね」
エアが両目をパチパチとさせながらラルフに尋ねる。
「これでも規則は守っているんだぜ。相手を一方的に批判するのではなく法律や制度にも問題があると指摘する。チュダックや商会だけを批判するだけじゃぁ解決しないからな」
得意そうにラルフは胸を張って答える。
「そこのおっさんの号外は、国中に配布されるだろうな……。言論の自由を守る、という名目でトルネリアタイムスはある程度、独立性が守られている。しかし財源は広告代や購買代金だけでは不足しているだろう。その不足分を誰が埋めているんだ?」
ユウはシリウスから号外を受け取りながら、ラルフに問いかける。
「厳しいねぇ~、そこの青年」
黒髪の青年の名前を思い出せないラルフがチラリと視線を送ると、
「ユウ・スミズだ。俺と彼女はレイメル支部の所属だ」
「エア・オクルスです」
エアがぺこりと頭を下げた。
「二人ともレイメルから来たんかい。この前は急いでいたし、そこの兄さんから話しを聞いただけだからな。そういやぁ、二人ともゆっくりと話しもしなかったぜ」
ラルフは二人をそれとなく観察する。いささか鈍臭そうな風変わりな容姿の少女と、見るからに不愛想な異国人と思える青年。
(変わった取り合わせだな……。そういやぁ昔、ばぁちゃんに聞いたなぁ)
「そこの嬢ちゃんは、『妖精の取り換えっ子』なのかい?」
思いがけないラルフの発言に、
「はぁ?」
エアは口を大きく開けている。
「妖精の取り換えっ子?」
ユウがラルフに訊き返す。すると彼は珈琲を音を立てながら啜って、
「ん? 聞いたことがないのか。まぁ、俺も死んだばぁちゃんから聞いたんだがな。大昔、人間と精霊が一緒に住んでいた頃には、稀に種族が違っても結婚をする事があったとさ。その精霊の血が、ひょっこり何代も先に生まれた人間に現れる事がある。それを『妖精の取り換えっ子』というんだとさ」
その話にエアはふと、
「確かに『似てない』て、言われたんだよね。私、お父さんもお母さんと、髪や瞳の色が全く違うんだよ。でもね、二人とも、『お前は大事な娘だよ。あんまり大事な子だから、精霊が守ってくれるように、目立つ色にしてくれたんだよ』て言ってくれたの」
幼い頃に他人と違う容姿の事を指摘された時、子供心に疑問に思った自分に両親が話してくれた事を思い出した。
「精霊の血を引いているとしたら、お前の父親の方かも知れんな」
ユウはエアの父親が、天才的な魔石師だった事を思い出した。王宮付き筆頭魔石師であったエドラド・フィーメル。神霊石の研究をしていた彼は、妻と共に殺されてしまったのだ。
(彼女は黙っているが、両親を殺した相手の『マーク』と呼ばれている男が、このおっさんが言う通り、チュダックの秘書だとしたら、心中は穏やかじゃないだろうな)
ユウはエアの顔を見つめる。
思ったよりも彼女は我慢強く、そして悟られぬ様に言葉を選んでいる事を、短い付き合いだがユウは知っていた。
「へぇ~。大事にしてもらってたんだねぇ」
そう答えたラルフは、直観的に『面白い』と感じた。
(この二人、調べてみると意外な事がわかるかも知れんな。精霊師なら『フクロウ』なんて事もなかろうしな)
ラルフの目が少し笑ったのをルテネスは見逃さなかった。
「うちの身内をネタにしたら、命が無いからね~」
彼女は眼を細めて笑いながら、ラルフを脅した。実際のところ、エアの両親の事など、ルテネスは興味が無かったので聞いたことが無い。しかし、他人とはいえ、同じ精霊師仲間の事をほじくられるのは好まなかった。
「駄目ですよ、ルネ。彼は脅されると燃える性質の様ですから。大事件でもないのに、反応するなんて、彼は徹夜明けで勘が鈍っているんですよ」
と、事も無げにシリウスが言うと、ラルフは首をすくめた。
「えっ? 何?」
この不穏な空気が読めなかったエアは、会話の意図が全く飲み込めずに戸惑っていると、
「大丈夫だよ。お前の様な『妖精の取り換え子』は話題になるのさ」
と言いながら、ユウはエアの頭を軽く撫でた。
ユウも変わったね、とその様子を眺めていたルテネスは、
「さて、これからどうなるかな~。選挙期間中だから捕まえる事が出来ないけど、さすがに女王が捕縛命令をだすかな~」
面白そうに呟いた。
「あの女王だからな。何をやらかすか……」
ところが、ユウは心底嫌そうな顔をした。
「どうしたの。ユウ?」
「爺さんの持ってくる依頼は国の体制に関することが多い。そして、結果は女王に都合のいいようになる。爺さんもそうだが、あのばあさんも食えない人物だよ」
エアは前回のレイメルでのことを思いだした。結果として気の毒だったのはマッシュ市長だった。結果として追加の予算を手に入れたが、女王はあろうことか予算を値切ろうとしたらしい。一般庶民の買い物じゃあるまいに、女王が値切るとはケチくさいことだ。
「結果はどうあれ、僕達は依頼を果した。思わぬ形だけどね。後は皆がどうするかだよ」
そう言いながら、シリウスが机の上に置いてあった貝殻のペンダントを握り締める。
「さて、今の女王に出来る事は、せいぜい監視程度さ。当然、市民の選択を待つしかない。なぁ、俺はこれでも、人の『良識』てもんを信じているんだぜ」
ラルフの言葉に皆は静かに頷いた。
ラルフの記事は王都でも配布された。それは女王の手元にも届けられた。
「よし、これでようやく軍が動かせるかのぅ」
女王は満足気に記事を読んでいる。そこへ侍従長のフルカスが部屋に入ってきた。黒龍将軍でもある彼は、女王の前に一枚の紙を広げた。
「陛下。御覧の通り、ポストル地区の地図が出来あがりました」
「あの男、執念じゃのう……。では、命令書を書かねばならんの」
女王の前に、フルカスが必要な紙を数枚差し出す。
「さて、わしも動かんといかんかのぅ」
アンキセスはそう呟いて、ゆっくりと立ち上がった。
「タヌキよ。あの魔道機の設計図は完成していると思うか?」
「分からん……。じゃが、相当な腕前でないと複製も量産も出来ん。そもそも理解できる機械師がおるのかのぅ」
アンキセスの表情が暗くなった。そして女王も……。
だが、彼女にはどうしても闇市を潰しておきたかった。あの人形があるなら、直の事である。
好機は逃さず。
「よし! アンキセス・リーズン。お主に直接、フォルモントへ行ってもらうぞぇ」
女王は毅然として宣言した。
「命令など出さんでも、初めからそのつもりじゃわい。やり残したことの一つじゃしのぅ」
アンキセスは諦めたようにして言った。
「おや、もう少し抵抗すると思ったがの」
「さっき妖精が来ておったろう。あれはミリアリアからじゃ。内容は察しての通り、我ら精霊師の中で、誰よりも闇市を消し去る為に準備を進めていた者が動くと連絡があった。わしはその覚悟を見に行くのじゃ」
「なるほどの。昔、あの橋で精霊師が殺された。その亡霊か……。よいか、闇市の首謀者を生きて捕らえさせるのじゃぞ。直々に尋問がしたいが故になぁ」
女王は杖を手にして微笑んでいる。
これは必ず連れて来いという事だ、とアンキセスは思ったが、
「あの男の執念ゆえ、難しいかも知れんぞ」
そう言い返しつつ、部屋を後にした。
その後、女王の部屋からは高笑いが聞こえて来たという。部屋に残っていたフルカスは、笑いながら命令書を書いている女王を目撃した。こんなに上機嫌で居るのはここ数年なかったという。
翌日、ユウとエアはチュダックの選挙演説を聞きに行った。
「皆さん、刺激的な記事に踊らされてはいかぁ~ん。この記事に書いてある事実は一切ありませんので、安心してくださいよ~」
ワインの木箱の上で演説しているチュダックに、市民の一人が罵声を浴びせた。
「嘘付け! 記事に書かれた商会の代表が捕まっているじゃねーか。それもそろって記事の内容を認めている。これをどう説明するんだ!!」
「「そうだ、そうだ!!」」
民衆の声が大きくなる。
すっかり焦ってしまったチュダックは、終始弁明に追われていた。
その様子を見ていたユウとエアは何とも言えないといった表情だった。
「ただの言い訳だね」
エアが呆れた声を出した。
「そうだな。既に何を言っても言い訳だな。一度疑惑がでると信頼されなくなる。それは俺達も同じだ。だから依頼人には誠実である必要があるんだ。だが、世の中そんなに甘くない、不正に手を染めた精霊師もいる」
ユウの言葉にエアは驚いた。
不正に手を染めた精霊師がいるとは思わなかったからだ。いままでそんな人に出会わなかったし、考えたこともなかった。
「そんな人が……」
「ああ。俺たちだって人間だ。いろんな誘惑だってある。依頼人を脅した精霊師もいたくらいだ。そんな事をする精霊師は帝国出身が多い。帝国は荒れているからな。人の心も荒んでいるのだろう。もちろん、そんな人間ばかりではないんだが……」
帝国に行ったことのあるユウはその時の光景が忘れられない。
森林が少なく荒涼とした景色。そして、作物の実りも少ない。自然との共存を無視した人間を中心とした灰色の国。
そんな国の先は見えている。資源は先細るしかなくなるのだ。だからこそ帝国は他国を侵略して植民地としている。
「でも、それでも……。人の心を私は信じたい……」
エアの言葉は消え入るようだった。
「そうだな」
ユウも同じだった。
二人が立っている傍の花壇には、クロッカスの花が風に揺れていた。
花言葉は『切望』。
エアだけではなく、このフォルモントの市民が新しい時代を切望しているようだった。
同時刻、別の場所でルテネスはティファリアの演説を聞いていた。
「ただ、相手を批判するのでなく、その政策が市民の生活にどんな効果をもたらすかを考えたいと思います」
ティファリアの演説はそつのないものだった。普通なら相手の失敗をあげつらうことをするのだが、柔らかく批判する程度で自分の政策を丁寧に伝えた。
(お見事だね~。批判のしすぎは逆に反発される。それでも、あの記事はティファには追い風かな~)
演説をしばらく聞いていた。
―― 翌朝の早朝、投票が始まった――
選挙は不正が無いように立会人が中央より大量に動員された。それは女王の指示であった。また、不正が無いように最初に投票する人が、投票箱に何も入って無い事を確認した。その確認作業は最初に投票する人の権利だと言われ、一番に投票所に来た市民は喜んだ。
そして、二重投票が無いように事前に住民登録より選挙案内の紙が配られていた。これに関しては精霊教会が手伝う事になった。闇市の存在を忌まわしく思っているのは教会とて同じであった。その配布された紙と住民登録から作成した名簿と突き合わせたので時間が掛かったが、そのおかげで不正は無かった。
フォルモント市民の選択はティファリアだった。
選挙の結果発表後、チュダックは王都に護送された。
ところが、秘書のハウラスことマークは投票開始と共に、フォルモントの街から姿を消していた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、本当にありがとうございます。
折り返しも終わり、物語の最後まで頑張りたいと思います。
★次回出演者控室
シリウス「ここまで来ましたね」
ルテネス「ほら~、早く教えてよ~」
シリウス「何の話ですか?」
ルテネス「三年前の事件の事だよ~」
エア 「それって……」
ユウ 「ああ、デボスが巻き込まれた事件だな」