第四章 黒きフクロウ その四
王都行きの飛行船に乗り込んでから、ラルフは窓の外から闇に包まれた景色をぼんやりと眺めていた。
ラルフにとって闇は、大きな街どころか小さな村や森すら呑み込み、世界を染めようとしていると思えた。だが、その中で身を寄せ合って生活を営む人間は、明りを灯して闇から身を守っているかの様に見えた。
(希望は何処にだってあるさ。己が人間である事を忘れなきゃぁな……)
人間にとって希望は光だ。人間が生きて行くには光が必要なのさ。闇の中で見つけた僅かな光を求める事こそ、人間が生きて行くのに本当に必要な幸福なんだろう。欲と希望は別なもんだ。欲とは、より多くの光を集めようとし、集めた光で己の身を焼いてしまうものだ。
闇を見つめていたラルフは、溜め息をついて薄暗いラウンジのソファに腰を下ろす。
他人を自分の思うように動かしたい。それは自分の心や身の保全しか考えていないのだろう。それを意識的に、または無意識的に行っている者が存在する。そんな奴は人格の形成がゆがんでしまっているんだ。
ラルフは仮眠をとる為に、ゆっくりと目を閉じる。すると心地よい睡魔が彼を襲う。
人間が睡眠をとる時は、闇も必要なもんだな。人間は『光と闇』で出来ている、と教会の奴らが言っていたが、まんざらでもでもないな。
彼がそんな事を自分に言い聞かせていると、突然、
「ラルフ・ラッツマンさん。起きていらっしゃるのでしょ? 私、貴方の様な一流記者とお話がしたいの……」
隣に座りこんだ若い女性が、そっと小声で話しかけてきた。
「せっかく若いお嬢さんに話しかけてもらったんだが、俺相手じゃ色気なんて関係の無い話なんだろうな」
目も開けずラルフが答えると、
「あらら、私が何者か御存知の様ですね」
少し媚びるような笑顔をラルフに向けた女性は、
「記事は書けそうですの? あの霧の街には有益な情報がありましたでしょ」
ラルフは片眼をうっすらと開けて女を眺めた。
「俺に手紙を送ったのはお前だな?」
「ええ、そうよ。詳しい話は、私の部屋でいかがです?」
彼女は彼の視線を微笑んだまま受け止めた。
「黒龍軍所属、情報操作部隊。ラナリス少佐です」
部屋に入るなり、上流階級の姿をした若い女性は敬礼をした。栗色の髪と大きな瞳が印象的で、軍人とは思えない笑みをこぼした。
「近づいてきた時に、足音がしなかった。よほど訓練をしなければ、その靴で足音は消せないだろう」
ラルフは口の端に、皮肉な笑みを浮かべた。
「黒きフクロウは正体を見せない。その原則を破ってまで俺に接触した理由は?」
どっかりと椅子に身を沈めたラルフは厳しい視線をラナリスに向けた。
彼女は悠然とその視線を受け流し、テーブルの上に置いてあったワインをグラスに注いだ。
「如何です? ラヴァル村のワインですよ。彼らは「ブドウ酒」と呼んで「ワイン」と言われるのを嫌がっていますけどね」
グラスを目の前に置かれたラルフは、
「滅多に飲めない代物だ。ありがたく頂くが、話しをそらさないでもらおうか」
向かいに座ったラナリスは表情を崩さず、
「そんな厳しい事を……。貴方も『黒きフクロウ』なのに」
「痛い事を言う。記事の内容は俺の自由だ。その約束は守ってもらうぞ」
あからさまに不快な顔をしているラルフだったが、
「勿論、承知しておりますわ。その上で将軍からの伝言を持って来ましたのよ」
そのラナリスの言葉に厳しい顔つきになった。
「フルカスの爺さんは、俺に何を書かせたいんだ?」
「今回の記事を出されたら、霧の街に戻って『闇市の壊滅の始終を見よ』との事です。ただし、他のフクロウの存在は気がついても見過ごす様にとも……」
彼女は顔色も変えずに話し、ワインを口にした。
「なるほど。どう闇市を潰すのか見当もつかんが……。フルカスの爺さんが気を回しているのかも知れんが、闇市を潰せば国民に対し女王の株も上がるってもんだし、反女王派の貴族たちも少しは大人しくなるしな」
ラルフは唸った。闇市の壊滅をいち早く国民や反女王派の貴族に知らせる。その役目を自分にやらせようとしているのだ。
「お前ら黒龍は狡猾だ。黒きフクロウになった奴は、過去の古傷を抱えている。でも、唯一の希望を支えに生きようとしている。その希望は認めてやるが、その代わりに配下として働けと言う。確かに闇市の壊滅の記事は書きたい。あんな存在を許してはいけない」
長い沈黙が部屋を支配した。
「いいだろう。俺の書く記事に文句はつけないならだ。真実を伝える事が俺の希望であり、存在意義だ」
その言葉を聞いたラナリスは、改めてグラスにワインを注いだ。
「フクロウの自尊心を傷つける事は、陛下も将軍も望んではいませんわ。人間は過去を忘れる事は出来ませんし、無かった事にも出来ない。しかし、我ら黒龍の力があれば、その過去を人に知られないようにする事は可能です。有能な人材が過去に縛られ、己が抱える最後の希望を捨てざるを得ない事態を防ぐ事が目的ですわ」
ラルフはグラスの中で揺れる赤い液体を眺めつつ、
「黒龍が救うのは、王国にとって有益な人間のみだがな」
そこで初めてラナリスの表情に陰りが見えた。
「あからさまに言ってしまえば、そういう事になりましょうか。でも、ただ有益だからという訳でもないんですよ」
以外にも憂鬱そうに答える彼女を見つめながら、ラルフは問いなおした。
「どういうことだ?」
「最後に残った希望を叶える事だけを念じ、普通では考えられない程の執念で、生きようとあがく者。そして闇に生きても構わないと、これまでの生を捨て去れる者だけが『黒きフクロウ』として生まれ変わる事が出来るのですわ」
彼女は話し終わった後、喉が渇いたのかワインを一気に飲み干す。
「……生まれ変わるか。お前も、叶えたい希望があったのか?」
言葉に詰まったラルフは、返事が返って来ないと思いつつ、彼女に問い返していた。
静まり返った夜更けの王宮は、何処かお化け屋敷のように気味が悪い。その一室には妖怪と変わりない人物達が頭を寄せ合っていた。
フルカスは温めてあるカップに紅茶を注ぎながら、
「ラルフという新聞記者の処遇についてですが、陛下に申し上げた通りにしたいと思います。しかし、闇市に関わらせると言う事は人形の件にも関与させると考えても宜しいのでしょうか」
女王は紅茶の芳しい香りを吸い込み、気持ちを落ち着かせながら、
「良いのじゃ。もはや腹をくくらざるを得まい。それにその者の存在は、そこのタヌキにとっても可愛い弟子の助け手になって良かろう」
急に話の矛先を向けられたアンキセスは、
「人々を見守っておった筈の神霊が封印されておった。この事実は神霊教会にとって都合が悪く、隠したかろぅて。それを広めるためにはその者の力を必要としよう。しかし何故、神霊が封印されておったかは謎じゃが、おおよその見当はつく。しかしそれも又、教会には都合が悪かろうのぉ」
渋い顔をしているアンキセスに、いたずらっ子のような表情を浮かべた女王が聞き返す。
「それは王家も同じじゃ。ところで、そちが言っておるのは『精霊の乙女』伝承かの。それとも『暁姫』の物語の事かぇ。まぁ、どちらも真実を含み、また嘘も含んでおろう」
アンキセスは芳しい匂いを放つ湯気を見つめながら、
「この二つの物語は、そもそも別の物じゃったのだろうか。暁姫の物語には、既に魔道機の存在がうかがえる。乙女の話しにしてもそうじゃ。しかし、この二つの物語には決定的な違いがある」
それまで黙って聞いていたフルカスは、
「それはどの様な事なのでしょうか? アンキセス殿が解放した大地の神霊・テレベラムは、現在グランドール家を守護しているはず。私もその輝かしい姿を拝見した時は仰天いたしました」
そっと目を閉じたフルカスの脳裏には、将軍の継承の儀に現れた神霊の姿があった。そして、言葉を続ける。
「あれはマッシュ殿が地龍将軍を継承する時でありましたね。レイメルの遺跡で解放した後、アンキセス殿が預かっていた神霊をグランドール家に返還された折に、その姿を現されました。その後は拝見出来ませんが……。アンキセス殿は神霊・テレベラムから何か聞いておられるのですか」
あの時、現れた大地の神霊は何も告げなかったはずだが、とフルカスは思い返す。
「……否。わしに聞こえたのは、神霊名と『光を集めよ』という言葉のみであった。わしはすっかり困ってしまってのぅ。じゃから神霊・テレベラムの血を引くと言い伝えの残る、グランドール家に返す事にしたのじゃ。まぁ、大人しくマッシュの魔道機の魔石に収まったのを見ると、取り合えず文句はなかったようじゃ」
アンキセスは腕組みをしながら唸っていたが、女王はふと思い出したように、
「それではその神霊殿はマッシュの下に居るのかぇ。今の地龍将軍は弟であったが」
「グランドール家が神霊を大事にしておったせいか、それともあの家の人間の気質のせいか、機嫌良く弟君の魔道機に移っていったようじゃ。じゃが……。長く神霊が住んでいたせいか、マッシュの魔道機・グロリオーサは今も強い力を宿しておる。しかし、それほど長く神霊と過ごしていても、声を聞く事はなかったとマッシュは言っておった」
いそいそと新しい魔石に引っ越す神霊の姿を、ちらりと頭に思い浮かべながら女王は、
「マッシュの事じゃ、嘘など言うまい。ところで話しを戻すのじゃが、二つの物語の違いとは何じゃ」
「簡単に言えばのぉ。精霊の乙女では、神霊は人間を滅ぼそうとしておる。しかし暁姫での神霊は、人間に力を貸しておる。全くの反対の行動。しかし、この二つの物語は繋がっておるような気がする。そこに神霊封印という人間がとった行動の意味があるんじゃなかろうか」
そのアンキセスの問いに答えられる者は、その場には誰もいなかった。
地下の遺跡はひんやりと、しかし動かぬ湿った空気は、階段を下りる侵入する者の身体にまとわりついている様に思えた。
「辛気臭い所だなぁ」
思わず感想を口にしたリゲルに、
「……今思えば、この場所は人形を封印する為に存在していたと。私はそう強く確信しています」
カイルはヴェルヌイユ島の神霊教会を訪ねてきたリゲルを地下の遺跡に案内をしていた。そして青く輝く髪を広げて横たわる、儚げな少女の人形を想いつつ、カイルはこの教会の歴史を思い返す。
「この教会の歴史は王国の中では一番古く、改築や増築を繰り返し、約三百年前に現在の形になりました。ところが王国が建国される前から、この場所には神殿があったそうです。それがこの地下神殿なのかもしれません。つまり、古王国時代の文明と信仰を塗りつぶす為に新しく教会を建てた。そんなふうに考えるのは神霊教会の司祭にあるまじき事なのかもしれません」
階段を下りるカイルの手に持っていた魔石灯の青白い光は、大きな空間を照らし出す。鈍く青黒く光っている岩に囲まれた中央には、人形が置かれていた祭壇があった。
リゲルはそっと、その祭壇に手を置き、
「おめえ、相変わらず正直だなぁ。人間が良いって言うのかよぉ。確かに教会と王家が広めてきた『精霊の乙女』の話は、真実とは違うのかもしれん」
その言葉にカイルは唇を噛み締め、呼吸をするのも苦しいのかと思えるほどの荒い息で、
「それでも! それでも私は! この国の、否、人間の歴史の真実が知りたい!」
その声は薄暗い空間の中に大きく響き渡る。
「それが人間にとって都合が悪い事実であっても、それを受け止めて歩み出さなければ、真に人が歴史から学ぶ事にはならない!」
叫んだカイルの両の手は強く握り締められていた。
「やっぱりおめぇは頑固な奴だなぁ。優しそうな面をしているんだが、とんでもない頑固もんだぁ。まぁ、だから信用もしているんだがな……。何処から来たのかわからん小僧どもを拾ったあの時も、おめぇ相手だから相談が出来た」
リゲルはユウとケントを連れて教会に駆け込んだ時の事を思い出した。あの時のカイルは「きっと神霊が彼らと我らを引き合わせたのでしょう」と動じることなく、微笑んで受け入れていた。リゲルは苦笑しながらカイルに向き直り、
「おめぇに頼みがあるんだがよ。どうしても読めねぇ古文書の写しがあるのよ」
「古文書の写し?」
カイルが怪訝そうな顔をすると、
「今は『悲嘆の魔石師』と称される男が、邪妖精に監視されている中で、もがき苦しみながら命と引き換えに残したもんだ。読めても意味が理解できねぇのもあったぜ。なんか、こう、だから何なんだみたいな物語とかな」
リゲルの真剣な表情に、カイルはメリルから聞いた報告が、ふと頭を過った。
「それはひょっとしてレイメルでの……」
カイルの問いに無言で頷いたリゲルは、
「古文書の写しが残されていた事は、王家にも教会にも報告されていねぇ。知っているのは、ワシとメリル、精霊師協会の先代とレイメル市長、そしてグラセルの工房長のみだ。とにかくワシがどうにか理解できるのは魔道機に関しての古文書だけだ。他のもんは専門外だ。きっと大事な内容なんだろうから、おめぇに託したい」
自分が全く知らない歴史が、目の前に現れるかもしれない。その魅力は学者としてあらがえないと感じたカイルの身は震えていた。しかし同時に、禁断の歴史を紐解く事は自分の身に危険が及ぶ事も理解出来ていた。
だがカイルは、この古文書の写しを残した男の人生をメリルから聞いていた。その一生に涙し、精霊王にカイルは祈りを捧げていた。世界樹の下で彼が妻と出会えるようにと……。
「彼の行動や思考を深く考えた時、私があれ程までに慈悲深く、そして命を掛けられるのかと……。人の強い想いに、私は深く感銘いたしました。きっと、その彼が残した古文書の写しにも、強い想いが宿っているのでしょう」
カイルは深く息を吸い込んだ。
「私が彼の古文書の写しを引き受けましょう」
人の想いは伝わるものだと、彼は日頃から信じていた。
しかし、それが成立するには、想いを受け取る人間の覚悟が試されることなのだと、カイルは初めて実感した。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、本当に感謝しております。今回の話は書いていても、以外に楽しいものになりました。勿論、悩みながらですが……。
ラルフはちょい役だったのに、存在が大きくなってしまいました。
★次回出演者控室
エア 「徹夜明けの人が、更に徹夜するんだよね」
ラルフ 「俺だって少しは寝ているぞ」
ユウ 「忙しいからって、風呂ぐらいまともに入れよ」
シリウス「身だしなみが問題ですね」
ルテネス「隣で歩きたくない男よね~」
ラルフ 「俺も頑張ってるんだから、褒めてくれよ…」




