第三章 猫被りの精霊師 その三
二人の座っているテーブルに、秋の爽やかな風が吹き抜ける。
「それでルネの方はどう?」
「う~ん……。他の精霊師はやりにくい都市だって言うわね~。此処はさぁ~」
ティファリアは「やりにくい」という言葉に引っかかった。
「やりにくいとは?」
「そのままの意味だよ~。この都市ではバランスが悪いの。この街は政治、貴族、市民、商人に大ざっぱに分けられる。分かっているとは思うけどフォルモントは商人の力がとても強いの~」
「それは理解できるわ。ここの地方の収入の全体の六割以上が商人からの税金よ。後は観光と農家からの税金。一番を上げるなら、当然ワイン収入ね。この都市での最大勢力はトラミネールワイン商業組合ね」
「ブドウの蔓で円を作って、真ん中にブドウの房が描いてある紋章の組合ね~」
「そう、そこよ。ここの利権は大きいわよ。これは市長にとっても、貴族にとっても大きいわ。それに伴う汚職もあるわね。脱税を競争みたいにやっている商人もいるみたいだし」
ティファリアはフォルモント市の収入内訳を話した。
「なるほど~。でも、その商人にしてみれば精霊師は警戒対象な訳なんだよね~」
納得したルテネスは大きく頷いた。
この仕事を始めた頃に商人からの依頼を受けたが、相手が自分の顔色をチラチラと盗み見ている事に気が付いた。何か裏があると感じたルテネスは、その商人が隠していた脱税の証拠となる裏帳簿を発見してしまったのだ。
結果的に依頼の仕事も片付けたが、その依頼人の商人も警察に捕まり、結果として精霊師は商人を取り締まると勘違いされたのだ。
この職業は自分の正義の価値観を試されるのだ。
「そういうこと。警戒理由は簡単ね。自分達の痛い腹を探られたくない訳よ。真面目に納税している人にとっては馬鹿らしい事ね」
ティファリァは「馬鹿らしい」と切って捨てたが、ルテネスは危惧している事をズバリと指摘した。
「その馬鹿らしい事を真似する市民も現れ始めたみたいでね~。『脱税』と『節税』を勘違いしているのよ~。何とかしないと、この都市は財政が本当に破綻するわよ~」
苦虫をかみつぶした様な顔をしたティファリアは頭を片手で描き始めた。髪が乱れていく。
「分かっているわよ。確かにこの都市は商人の力が強過ぎて影響力が在るのよ。おまけにあの闇市! 存在その物が犯罪よ! あれには行政も手が出せないみたいなの。前市長はそこから多額の裏金を貰っていたそうよ」
「黙認してもらう為の工作かな~」
ルテネスは小さくつぶやいた。
「たぶんね。最近ではチュダックの秘書でハウラスという男が変装して出入りしているみたい。なんでも変わった品を買っているそうよ」
「変った品?」
「機械の部品だそうよ。調査員の話では何に使うか判断できないそうよ」
「よく調べられたわね~。あの闇市の不文律を知っているでしょう~?」
「ええ、だから同じ調査員は二度とあそこには近づけさせない。命には代えられないからね。断片的にしか情報が入らないけどやむを得ないわ」
「その方がいいわね~。過去に精霊師が亡くなっているそうだから~」
その言葉にティファリアが首を傾げた。
額に手を当てながらティファリァは記憶を探る。
「う~ん。私が当時の調査記録を見たのは随分前だけど、当時の精霊師は亡くなっていないはず。大怪我をしたという調査結果だったと思うけど……」
ルテネスは腕組みをして、
「じゃぁ、その後に死亡したのかな~。あのシリウスが間違った情報を出す事はないから信用しているけど、おっかしいな~……」
「今となっては真実なんてわからないわよ。ま、対立候補の秘書には気を付けるわ」
「そうしてくれると助かるかな~。何か情報があったら教えてね~」
「勿論よ。私が市長になったら、あの闇市を絶対に潰すわ。裏で美味しい汁を吸っている貴族に喧嘩を売ってやる」
不敵な笑みを浮かべるティファリアに嫌な予感を感じたルテネスは、深い溜め息交じりに呟いた。
「はぁ~っ。ティファは『やる』と言ったら必ずやるわよね~。その時は協力するわよ~。ただし、精霊師の規約に反しない限りね~」
ルテネスは学園時代にティファリアがルテネスを巻き込んで学園で悪さしている人達を懲らしめていたのを思い出した。女子にストーカーしていた男子や、貴族の出身を鼻に掛けている横暴な輩をボコボコにしてみたり、その行為は様々だった。
頭に血が昇って飛び出して行く正義感の強い彼女の後を追って、やむを得ずルテネスもその後を走って行った。無謀に喧嘩を売っている彼女を見捨てられず手伝っていたのだ。強烈な太陽の日差しの如く、やましい心を照らし出す彼女は敵を作ることもいとわず、『正すべきものは正すべき』との信念を貫いていた。
これが男なら大人物になるか、それとも真っ先に潰されるか、二つに一つだ。しかし、幸いなのか不幸なのか女性に生まれた。それ故に苦難の道もあるだろうが、取り合えず今は潰されることはない。相手が「小娘」と侮っている間は……。
この無鉄砲で太陽の如く輝く親友に危険が迫ったら、必ず自分が守るのだとルテネスは心に決めていた。
ティファリァはにやり、と笑って、
「この市長選を利用して闇市を潰さないと、絶好の機会を逃すことになるわ。ルネ、市の地図を作ると、闇市のあるポストル地区は真っ白になるの。道も家の配置も全く分からない、それすら行政が把握できないなんて冗談じゃないわ」
「呆れたね~。まぁ、いいわ~。どうにかなるでしょ~」
ルテネスは何とかなるだろうと思いつつ、話題を変えることにした。
「そう言えば仕事がしやすいと評判の都市はレイメルだね~。あの街は精霊師に協力的で、市長が前精霊師協会会長アンキセスと個人的なつながりがあるから~」
「レイメルね。あそこは行政の中では成功例になっているの。終戦後の都市計画や経済的な復興計画まで、マッシュ市長の手腕を高く評価する人は多いわ。わたしも参考にしたい政治家の中では一番に名前をあげるわ」
ティファリアはかつてレイメルに視察に行った時のことを思い出す。観光客が多くて賑やかで、きっと忙しいだろうに、それでも穏やかな人々の笑顔が忘れられない。きっとレイメルの市民は幸せだろう。
それに比べてこのフォルモントはどうだろうか。
日々時間に追われて仕事をする人々。その人々の顔には商売の為の愛想笑いと将来を悲観して不安を現している顔が多い。その人達を心から本当の笑顔にすることは出来るのだろうか。
ティファリアは改めて思った。市長になったら、その人達を笑顔にするのが私の仕事になるのだ。常に市民ために最善を尽くす。
「マッシュ市長のようにわたしはわたしのやり方で政治の最善の手を尽くす。それが政治家を志したわたしの目標よ」
「そう気負わないでね~。あまり張り切り過ぎると長く続かないわよ~」
「おっと、気を付けないと」
二人は顔を見合わせて声を立てて笑う。
相変わらず人の感情を読み取るのが得意だな、と笑いながらティファリアは思った。本当はルテネスの方が私より政治家に向いているのではないかと思う。
ふと、最近話題になった事をティファリァは思い出した。
「そう言えばレイメルで大規模な戦闘があったわね」
「精霊師協会では会長と前会長、レイメルの精霊師と新人が戦ったそうだよ~。人的被害は無かったけど、工房などの建物の被害は大きかったみたい~」
「会長と前会長が出るなんて、確実に相手を捕まえるつもりだったのね」
ティファリアは呆れたように言った。普通は組織の長はなかなか表に出てこない。そういった意味では精霊師協会の会長は動きが軽い。
「あそこには愛想の無い黒髪の精霊師がいてね~。ちょっと心配なのよね~」
「珍しいわね。ルネが他人の心配を口にするなんて……。そのレイメルのことなんだけど、候補者のチュダックは前市長だったそうで解任運動の末に追い出されたそうよ」
「なるほどね~。チュダックはこの市長選までの間は何をやっていたんだか~」
「それがさっぱり……。秘書のハウラスも只者じゃなさそうだしね。チュダックが秘書を誘ったのか、秘書がチュダックをそそのかしたのか、それも不明。どっちが糸を引いているんだか……」
溜め息をついてティファリアはテーブルに額に左手を当てた。
「秘書のハウラスかぁ~。こちらも気を付けておくわ。胡散臭そうな奴みたいだし~」
ルテネスは先程引き受けた仕事と関連がある人物かもしれないと感じていた。しかし、ティファリアにその事を告げる事は出来なかった。闇を暴く仕事に彼女を関わらせてはいけない。一点の曇りもない青空のように彼女は輝いていなければならないのだ。
闇に染まった者が彼女の行く手を遮る事は許せない。
「無理しないでね。もしハウラスがあの市場の関係者だったら、例えルネでも只ではすまないわ。単独で侵入する事だけはやめてね。危なくなったら私を呼ぶのよ」
ティファリアは真剣な顔でルテネスを見つめる。この気まぐれな親友は自分に黙って行動する事を知っていた。体術や魔法の腕はルテネスの方が上だと分かっている。いつも授業で敵わなかった。でも、ティファリアは親友を独りで戦わせたくないと強く願っているのだ。
「大丈夫だったら~。シリウスにも協力してもらうからさぁ~。シリウスの奴、黙っているけど、市場の情報を集めているみたいだしね~。因縁があるみたいだけど、奴は口が堅いからさ~」
扱いにくい奴と思いつつ、ルテネスがシリウスの名前を出すと、
「シリウスって受付の彼ね。適当に世間話もするし、別に無口とかじゃないんだけど、隙の無い知的な感じの人よね。怪我が原因で軽く足を引きずっているんだけど、それさえも優雅に思えるわ」
ティファリアの言葉にルテネスは目を剥いた。
「はぁぁぁっ! ティファはシリウスが好みだったの~!」
驚くルテネスの言葉に、ティファリアは『しまった』とばかりに口を手で押さえた。
「別にいいじゃないの! 私はああいうタイプが好きなの!」
ティファリアは赤くなりながらも、はっきりとルテネスに宣言をした。
「まぁ、良いけどね~。で、話がそれちゃったけど、そのチュダックの解任運動の理由は?」
「この都市でも同じことをするつもりよ。減税と役所機能の縮小。いわゆる『市民の自己責任の拡張』ね。結果は目に見えているわ」
チュダックを市長にするということは商人に完全に都合のいい都市となる事だ。それも古株の商人達に。もっと悪くいえばお金が全ての都市となるということだ。ただでさえやっかいな闇市の存在が広がるようなものだ。噂では人も売っていると言われている。それが本当なら許せるものではない。
「減税かぁ……。それだけでは人や企業は集まらないわね~。人が住む環境整備、企業が活動する環境整備、どれもがあって初めて減税が成り立つし~。精霊師の仕事で商人や企業に顔を合わせるけど、この都市には企業や商人が過剰にいる気がするわ~」
「ええ、私も演説であちこち回っているけどその意見には賛成よ。この都市で企業や商人は増えるわ。だから無理して目先の利益をちらつかせて呼ぶ必要はない。むしろ環境整備が重要だわ。貿易港の改造、商人からの税を確実に取る為の会計制度。やる事は山積みよ」
ティファリアの言葉に強い決意を感じたルテネスは安堵した。例え相手がどんな嫌がらせをやってきても彼女は跳ね返すことが出来るだろう。
「そう言えば、この選挙戦、嫌がらせとかあった~?」
「地味なのが幾つかね。ここはトラミネールの商人達が仕切っているからね。自分たちに都合が悪い人間には冷たいのよ。そういえば献金を申し出て来たわね。入り口で追っ払ったけど」
ティファリァの顔には嫌悪感が露わになっている。
「よくやったわね~」
「違法な金で当選しても嬉しくないし!」
ティファリアは少し怒ったような顔をして答えた。
「それに間違いなく繋がっているわ~。闇市と~」
「間違いなく、商会と闇市は手を組んでいる。ここは人が集まっても新規のワイン商人が少ないのよ。商会に従わないと嫌がらせを受けるから。その嫌がらせに闇市の人間が関わっているのを確認したわ」
「本当にこのフォルモントは闇市で回っているわね~」
「ええ、腹が立つけど仕方ないわね。やる事は古株商人の排除、新規の商人による新しい風を入れる。できれば闇市も纏めてやりたいところね。というか、絶対にやるわ」
「頑張ってね~」
「他人事じゃないわよ。ルネにも手伝ってもらうから」
「あちゃ~。ティファの巻き込む宣言かぁ~。これは諦めるしかないわね~」
学園時代にティファリアの『巻き込む宣言』で強制的に巻き込まれた人間は数知れず。そして必ず最初に巻き込まれるのはルテネスなのだ。今では仕方がない事として諦めている。
「そう、諦めて協力してね」
にっこりと笑って止めを刺した。
「はいはい~」
「おっと、そろそろ次の演説が始まるわね。では行きましょうか」
「私も仕事があるから、そうしましょうか~」
代金は二人で割った。政治家は身ぎれいにしなければならない。それがとても大変だということはルテネスもわかっている。
立場が変わっても友人でいようとする気持ちは二人とも同じだった。
「頑張ってね」
「そっちもね~」
二人は向き合って言葉を交わし、それぞれの戦場に向かって歩き出した。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、本当にありがとうございます。更新をする事が出来ました。連休中にもう一話出来そうです。
男性だけでなく、女性同士の間でも固い友情の絆があると思って描きました。この二人は以外と爆裂してくれるのではと期待しています。
★次回出演者控室
ルネ「まぬけな泥棒を捕まえるのは苦労無いけど」
??「港を管理する私にとっては大事件ですよ」
??の部下「いや~、久しぶりにお祭りだな~」




