第三章 猫被りの精霊師 その二
「気を付けてくださいね」
シリウスは背を向けたルテネスに言葉をかけると、振り返りもせずに手を振るルテネスの姿は扉の外に消えていく。
ルテネスが来てから三年近く経つが、シリウスは彼女を計りかねていた。
(猫被りの精霊師とは、良く言い当てたものだね……)
平素の彼女はのんびりとした口調で他人をからかったりしているが、いざ戦闘になると人が変わった様に厳しい口調や態度で相手に臨む。
どちらを装っているのか見当もつかない、とシリウスは溜め息を吐いた。ただ、今まで仕事を一緒にして彼女の事ではっきりと分かっていることが在る。
ルテネスは気難しい。
普段の人当たりの良さから分かりにくいが、人の好き嫌いがはっきりしている。それとなく気を付けて彼女を観察していると、気に入らない人間とは意図的に会話を避けている事が分かるのだ。
あえて敵を作るつもりはないが、気に入らない相手とは話をしたくない。そんなところだろうか……。
それにどんな仕事でも引き受けるが、気に入らない仕事だと解決方法は苦情が出ない程度に手荒い事が多い。シリウスは報告書を受け取って目を通してから、彼女がその仕事に対して不満を持っていた事に気が付くのだ。
やらないとは言わないが喜んでやった訳じゃない、そんなところだ。
これほど受付泣かせな精霊師はいない。
しかし、シリウスがそれを本人の前で口にする事はない。
彼自身、手加減が出来ないからだ。口に出すと反論不能まで追い込んでしまう。依頼人を問い詰めた時にはルテネスに「いい加減にしなよ~」とたしなめられ、他の精霊師には「面倒な奴」と呆れられている。以前、ユウには「気を付けろ」とはっきりと言われた。
シリウスは自分の性質が直情だと分かっている。
「悪党は許せない」
過去、彼はそんな強い想いに囚われ身を躍らせ、目的を達成できずに他人に迷惑をかけてしまった事を後悔している。そんな自分と比べれば、彼女の方がよっぽど世の中に通用するのかもしれない。
不器用な自分が心配しても仕方が無いのだが、それでも若いルテネスの事を気に掛けていた。
(きっと余計な心配でしょうが……)
彼女は本気を出す事を恐れている。否、それとも本気を出せる時を待っているのか……。
彼が何故、そう感じたか理由は分からない。しかし、ルテネスからたまに感じ取れる気配は、そんな雰囲気を漂わせていた。
ルテネスはフォルモントの街を気に入っている。
街中を商人が行き交い、活気が在って賑やかで、上品ぶってなくて自分に似合っていると感じていた。勿論、『黒闇の市場』の存在を許してはいけないとは思っている。どす黒い想念を強く感じさせるあの場所は、ルテネスにとって肌の合わない不快感を生む存在だからだ。
そしてその不快感と同じ匂いを感じさせる声が選挙中のフォルモントの街中に響き渡っていた。
「皆さんの清き一票をよろしくお願いしますよ~」
そう、この特徴的なだみ声だ。
ルテネスは遠くから響いて来るその声を耳にした途端、眉をひそめた。
「本当に嫌な声ね~」
「私もそう思う」
ルテネスの言葉を肯定する言葉が後ろから掛けられた。
「あら~。そんなこと、この場で言っていいの~?」
ルテネスは振り向いて、言葉をかけた主に忠告した。
「大丈夫よ。候補者といえども人だからね。それに、どうとでもなるわよ」
「なら心配はないわね~。ティファ」
「ええ、ルネ」
ルネと呼んだ女性は、ピンクのブラウスに緑のロングスカート、黒のロングコートを見に纏い、胸には翡翠のブローチを付けている。
背は女性としては平均的な160センチメートル弱で、顔は小顔で緑色の瞳が大きく、口は小さく、品の良い顔立ちだ。茶色の長い髪を後ろで一つに束ねている。
彼女の名前はティファリア・プリンセプス。
ルテネスの無二の親友にしてチュダックの対立候補だ。
「ねぇ、ルネ。時間はある?」
「時間なんて作るもんよ~。そっちは?」
「次の演説までに時間があるの。いつものカフェにでも行きましょうよ」
「賛成~」
ルテネスは即答した。彼女は時間に余裕が在る時は、親友の誘いは出来るだけ断らないようにしている。何故なら精霊師の仕事は焦って予定を詰め込み過ぎると自分の時間が無くなるからだ。
ルテネスは仕事と自分の時間の区別を付けるのが得意だった。
「相変わらず仕事のやりくりが上手ね。感心するわ。わたしなんか気が付くと詰め込みすぎちゃうから」
軽やかにティファリアが足を向けたのはカフェ・セラムス。
広いフォルモント市内にある隠れ家的カフェである。
二人は店の前のオープンテラスのテーブルに着くとカフェを注文した。
トルネリアでは『カフェ』と注文すると基本、濃いエスプレッソが出てくる。そして、アイスコーヒーやアイスティーを置いてある店は少ない。この店もやはり濃いエスプレッソであった。
店内の装飾は落ちついていて、フォルモントの街と同様に歴史を感じせる。
「さて、学園を卒業してからだいぶん経つけど、ようやく一歩踏み出せたみたいね」
「あの約束の通りにね~」
ルテネスの声を聞きながら、ティファリアはカップに視線を移した。濃いエスプレッソには自分の顔は映らない。果して自分はどんな顔をしているのか、気になってしまうのだ。
「おやぁ~、自分の顔が気になる?」
ルテネスはとぼけている様で鋭く核心を突く質問をしてくる。ティファリアにとってルテネスは大切な友人だが、この部分だけは好きになれない。下手をすると心の底まで見透かされてしまう気がするからだ。
「うん、忙しいから。酷い顔では人前には出られないしね」
「大丈夫よ~。ティファは選挙に勝てるって~」
「いつもの勘?」
「私を信じなさいって~」
「よく当たるものね、ルネの勘は」
そう、ルテネスの勘はとてもよく当たる。これも学生時代から変わらない。
「そういえば、卒業する時に就職先について喧嘩したわね。今となっては良い思い出だけど」
「そうだっけ~。私は後悔してないわよ。この仕事、やりがいがあるもの~」
シリウスが聞いたら涙を流して喜びそうな返事を晴れやかな笑顔で答えた。ティファリアはそれが羨ましくもあるのだ。
「やれやれ。それを言われると、何のために喧嘩したのやら。あの時、珍しくルテネスの怒鳴り声が聞けたけど」
「あ~…、あの時か。恥ずかしいなあ~」
その時の喧嘩を思い出して、ルテネスは頬が少し赤くなった。
ティファリアはその時の言葉を口にする。
「私はてっきりルネと同じ道を歩いて行けると思っていたのに、精霊師になりたいと言い出して、挙句の果てに『例え、泥臭い職業でも人の為に最善を尽くしている人達を何だと思っているの!』と叫んだよね」
「もう、勘弁してよ~。ティファもしばらくは自己嫌悪で大変だったでしょう~」
「まぁね。さすがにやり過ぎたと思って後悔したわ。あの時はちょうど、女王の改革で官僚にも平民が就職できるようになった時よね。特に平民の女性が政治にも関われるようにもなったしね。就職の幅が広がったときだったわ。わたしはてっきりルネがそっちにいくと思っていたのに!」
ルテネスに向かって指をさした。指さされた本人は涼しい顔している。
ルテネスは身分で言えば平民、ティファリアは貴族なのだ。職業に身分の差別は無くなりつつあるが、今でも根強い職場がある。官僚や軍人がそうだ。
「だって興味がなかったもの。それに同じ空に太陽は二つも輝かないのよ」
「じゃあルネは月になるってこと?」
「ええ、ティファが『政治』という表の道を歩くなら、私は裏の道を歩くわ~。人を影で支える精霊師にね~」
そう、彼女が治めるフォルモントの街で、人々の生活を守る職業に着く為に精霊師を選んだ。彼女が太陽になって明るく照らす街を守る為に……。
ティファリアが得心したような顔で頷いた。
「なるほど、それが精霊師を目指した理由かぁ。他にも理由があるんだろうけど改めて納得したわ」
「人への関わり方は何も政治家だけじゃないでしょ~。精霊師は人の心を守る事も出来るし、国家間の争いを止める事が出来る可能性もあるのよ~。私が精霊師になったのは直接、人と密接に関わりたかったからよ」
「そうね。人の為に何が出来るのか、自分が役に立つ為にはどうすればいいのか……。それは人それぞれ、だもんね」
ティファリアはふぅ、と大きく息を吐くと話題を変えた。
急に眉尻と肩を下げたティファリアは、
「そういえば、ふと思ったんだけど。学園時代、色々と競ったけど勝てなかったわね。主に試験で」
「そうだったかな~」
ルテネスは建物で区切られた空を見上げた。
「そうよ! いつも、いつもあたしが二番だったのよ。どれだけ勉強しても敵わなかった。おまけに寮は相部屋だったから知っているけど、あなた勉強してなかったよね!!」
ティファリアの顔がだんだん険しくなっていく。
「大体一回聴けばわかるからさぁ~」
「だぁー!! 腹が立つ!!」
感情が昂ぶったティファリアはテーブルをだんだんと叩いた。ルテネスはカップを持ち上げ、ひっくり返るのを防いだ。
「こらこら、淑女がそんなことしてはいけませんよ~」
「分かっているわよ。あたしがどんだけ努力したと思っているのよ」
地が出てきたのか、ティファリアは自分の事を「私」と言わずに「あたし」になっていた。
「本性が出ててるわよ~」
ルテネスの冷静な指摘にティファリアははっとして、居住まいを正した。
「本当に変わらないね~。テストの度に勝負、と言って点数を競って……。さらにイベントでも競ったわね~」
「結果は私の負けだったわね。それも一方的に」
二人はお互いを見て笑った。
この二人の勝負の歴史は学園では伝説となっている。今後、塗り替えられることはないと言われている記録もある程だ。
ティファリアはその時の事を思い出す。ルテネスはどのイベントでも楽しんでやっていた。そう、彼女の特徴として物事を楽しんでやることが出来るのだ。
「ま、今となっては良い思い出ね。諦めない事を学んだし。でも、おしいなぁ、本当に……。私の秘書になってくれれば心強いのに」
「いくら言われても、この仕事を辞めるつもりはないよ~」
「残念。秘書に欲しかったんだけどな」
再びティファリアはそう言って、カップの苦い液体を口に含んだ。
ルテネスは選挙の話題を持ち出すことにした。
「選挙活動はどう?」
「手ごたえはまぁまぁってところね。まぁ、不思議なのは相手の選挙資金ね。わたしのところは実家の援助でギリギリの選挙活動をやっているわ。そもそも、選挙にお金を賭けるのは間違っていると思うのよね。持ち出しが多いと候補者が少なくなる。とはいえども能力の無い人がなってもらっては困るし。そういえば共和国では選挙資金の上限は決まっているわ」
「へぇ~」
ルテネスにとっては初耳だった。ティファリアが今話した知識は彼女が大学で学んだことなのだ。
「大学の専攻は政治学だからね。続きなんだけど、共和国がそう決めた理由は中傷合戦が過熱したからよ。いまでは使用した金額の明細を独立組織がチェックしているわ。不正がないようにね」
「それでも法の目をかいくぐる奴は出てくるわね~」
「その通りよ。選挙をやるたびに一人か二人が捕まってるわ。でも実態は国政だったら与党と野党の足の引っ張り合い。市長だったら、その椅子からの蹴落としよ」
民主主義の手本にする為に見に行った共和国の現状を目の当たりにした時に、この国は果して小回りが利く政策が打てるのか、緊急事態の時にすぐ政策が通るのか、と疑問に思ったのだ。
しかし、共和国では市民も国会を見学することが出来る。自分が選んだ政治家が仕事をしっかりやっているかチェックできるのだ。
「でも有権者も有権者で、投票を棄権する人がいるのよね」
「それはもったいないわね~」
ルテネスは仕事柄、権利を行使するのにためらいは無い。勿論、権利を行使するという事は、責任を回避出来ない事だと理解している。
人を選んで投票する行為は、受容している権利に対して責任を果たす事なのかもしれない、とルテネスは考えていた。
「そう、棄権した人が決まった言葉があるの。それは『自分には関係ない』ってね」
「あら、それは無いわね~。まだあるんでしょ、決まった言葉が~」
「ええ、あるわよ。わかってるんでしょ」
ティファリアはニヤッとした顔で聞いてきた。苦笑しながらルテネスは答えた。
「何となくね~。この言葉じゃないかなぁ~。『どの候補者にいれても同じだから投票しない』じゃない?」
「当たり。そういう人達に限って自分に害が及ぶと文句を言うのよね。民主主義は自由の度合いが高いぶん有権者の責任はそれに応じて高くなるわ。大切なのは考える事。この候補者の調子のいい言葉が信用できるとか上辺だけで選ぶとか、わからないから棄権するとか、それは責任を放棄しているのと同じよ」
うんざりといった表情でティファリアは呟く。
「それがティファの選んだ世界でしょ。なら、最後までやりきるよね?」
今度はルテネスが微笑みながら聞いてきた。
ティファリアは不敵に笑いながら、
「当たり前よ!」
青空に輝く太陽の様に力強く宣言した。その言葉をルテネスは目を細めて見つめていた。
★作者後書き
忙しい中、やっと更新をする事が出来ました。本当にお待たせしました。ルテネスが猫の皮を何枚被っているのか、当てられた方はお見事です。女性二人の友情が、この事件にどうかかわっていくのかお楽しみください。
★更新について
年度末と次の年度始めを迎え、鬼が血相を変えて追いかけてきていると思えるほど、忙しくなっています。(すいません。私事で……)更新は原稿が出来次第させて頂きたいと思っております。(すいません。不定期で……)
★次回出演者控室
ルテネス「かったるいなぁ~。誰か適当に片づけてくれないかなぁ~」
ティファ「何を言っているの。ルネがやらなくちゃ!」
ルテネス「だって面倒じゃん~」
シリウス(大丈夫ですかね。この事件……)
エア 「私達は少しお休みね」
ユウ 「まあな」