第三章 猫被りの精霊師 その一
人形が盗まれた同時刻、フォルモント近くのコメンス港で男が追われていた。
(何故、今回に限ってバレたんだ?)
走りながら男は考えていた。
いつも通り今夜も依頼人の指示で積荷を盗んでいた。指定された物は魔道機の部品ばかりだ。誰が欲しがっているのか知らないが、自分にはどう使うかさっぱり分からない物ばかり。
おまけに依頼人は初めて会った時から常に仮面を被っていた。
「私と組んで仕事をしませんか? 良い稼ぎになりますよ」
その仮面はピエロの様にひょうきんな男をイメージしているが、それとは裏腹に冷たい印象の声だった。
そして指示通り何回か盗んだところで、今、長槍を持った女性に追われている。
「くそっ、何でこんな事になった」
男はわかりきった回答が返ってくる言葉を吐いた。
そう分かりきっている。
俺は盗人だ。
そして、その通りの回答が返ってきた。涼やかな凛とした声で――。
「それはお前が盗みを働いたからだ。とりあえず、おとなしく捕まってくれればいい」
振り向くと、肩まで伸びた栗色の髪に切れ長の橙色の瞳がこちらを見据えていた。顔は美人の部類に入る。その表情には気負いも迷いも無い。
彼女は肩の力を抜き、シンプルな形の槍を構えている。男は咄嗟に火の盾を出すが、何故か掻き消されてしまった。
男は何が起こったか判らなかった。
もう一度出すがやはり消滅してしまう。だが、消える時に見た。いや、理解した。
彼女が白の魔法を纏った槍を使い、超速の斬撃で盾を切り裂いている事に。
男は震えるその足で、その場から逃げようとしたが動けなかった。
「何故、動けないっ。な、猫だと……」
足元にはいつの間にか金茶の猫がいた。しかしその猫が男の足にまとわりつき、地面に男の足を縫い付けていたのだ。男の足は盛り上がった地面に埋もれていたのだ。
「妖精か!」
ただの猫ではないと気が付いて慌てふためく男に、
「面倒だからちょっと寝てなさい」
そして、地の魔法を纏って橙色になった槍を叩きつけられた。斬られはしなかったが衝撃をともなっていた様だ。
男が覚えているのはここまでだった。
「ふぅ……、やっと終わった~。今回は大変だったな~。しかし、この人はどうして機械部品ばかり盗んだんだろう。技師でもなさそうだし~」
さっきとは打って変った柔らかい声を上げたのはルテネス・プロプス。フォルモントの精霊師だ。その足元に地属性の猫の姿をした妖精がいる。
「お疲れさま~、シェリル~」
名前を呼ばれた猫は槍に向かって走り、ふっと消えた。ルテネスの性格は気まぐれだが、その妖精も気まぐれな様だ。
そして、ルテネスの足元では男が気絶している。
「さて、警備兵にこいつを預けたら報告して寝ようかな~」
ルテネスは腕を上にあげて伸びをする。
彼女はこれから先に起こる事件に巻き込まれていく。運命の糸に絡みつかれる様に。
人形を盗まれた翌日――
「シリウスさん、戻りました」
「戻ったぞ」
冴えない表情でエアとユウはそれぞれの言葉で帰還を伝えた。
「二人ともお疲れ様だったね。おや、そちらの方は?」
にこやかな笑顔で迎えたシリウスだったが、二人の後ろに見慣れない青年を見つけた。
「彼は見習い修道士のイワンだ。教会から俺達の仕事を手伝うように派遣されて来た」
シリウスとは対照的にユウは真顔で答える。初めて入る場所に緊張気味のイワンも無言で頭を下げた。
「入りたての修道士さんだね」
シリウスはイワンの顔を穴があくほど見つめていた。
「僕は司祭のカイル様の許可をいただいて、彼らに同行する事になりました。よろしくお願いします」
イワンが再びぎごちなく頭を下げると、
「成程ね……。こちらこそ、よろしく」
シリウスも頭を下げる。
ふと、エアはカウンターの近くにいる見慣れない女性に目が留まった。
「や、久しぶりね~。ユウ」
エアの視線に気が付いた彼女もにこやかに挨拶をして来た。
「そうだな」
「相変わらず無愛想だね~」
「そちらも間延びした口調は変わらないな」
ユウと女性の会話が止まったところでエアが割って入った。
「あの~、彼女は?」
その問いかけにシリウスが答える。
「彼女が前に話したフォルモントの精霊師、通称『猫被りのルテネス』だよ。ルネ、この子がレイメルの新人だよ」
「初めまして~。ルテネス・プロプスといいますぅ。よろしくね~」
ルテネスはエアを見下ろした。エアとルテネスとの身長差は約二十センチだ。
逆にエアはルテネスを見上げる感じになる。
どうしてこう自分の周りには身長の高い人が多いのだろうか。エアは自分の身長が伸びないのが恨めしく思えるのだ。
「こちらこそ、初めまして。エア・オクルスです」
「笑顔が引きつってるよ~。背ならこれからいくらでも伸びるから~」
ルテネスが笑顔でエアの考えている事をさらっ、と言った。
なんで考えていることがわかったのか、とエアは驚いて目を見開いた。
「エア。お前が他人の感情を感じ取りやすい様に、こいつは表情から考えている事を読み取る力が秀でているんだ」
ユウにそう言われて、エアは改めてルテネスを見た。
身長は高く、エアは見上げなければならない。下はカーキのパンツで、上は紺のニットデニムチュニックに上着として茶系のチェック柄のシャツワンピースを着ている。首には青のネックレス。左手には先端に布がかぶせられている槍を持っている。
なんというか、服装はおしゃれである。
「なんか、うらやましいなぁ……」
「お互いそうだって~」
ルテネスはエアの言葉をお互い様だと返した。無い物ねだりはよくないのである。
「さて、君達。仕事はどうだった?」
シリウスは一段落したとしてユウに報告を求めると、エアと顔を見合わせ、
「失敗したよ」
「幽霊の正体をはっきりさせる前に盗まれちゃった」
それを聞いたシリウスは、
「おやおや、珍しいね。詳しく訊かせてくれるかい」
「ああ、まあな」
ユウとエアは二人に事情を説明した。思った以上に長く、そして、悔しかった。
「成程ね。大変だったね。まぁ、元が幽霊の出所を探すことだ。人形が盗まれることがなかったら君達が最低一カ月あの島にいた可能性高いね。下手をすると年単位でいる事になる。そうなるともう一つの依頼がこなせない。それに精霊師協会としては優秀な精霊師が一つの仕事に拘束されるのを嫌う。ただでさえ多忙だからね」
シリウスの言葉をルテネスが続ける。
「そうよね~。確かに一つの仕事に拘束される訳にはいかないしね~。かといって依頼を効率よくこなすために依頼人の意思をないがしろにしては駄目よね~。私達に求められる能力は高いのよ~」
「そうだね。それは事務も同じだけどね。とりあえず、幽霊の依頼は破棄して人形の奪還依頼が来た訳だね。ルテネス、ここからは君も参加して彼らに協力してくれ。えっと、見習い修道士のイワン君だったよね。君の具体的な目的は?」
急に尋ねられたイワンは、
「僕は人形の声を聞いたんです。悲しそうな声で助けを求めていた。僕は人形を探し出して、望みを叶えてあげたい」
自信なさげに俯きながら答えていた。その彼の小さな声を耳にしたシリウスは、少し意地悪な質問をした。
「自信は無いけどそう思っている、てとこかな……。本当に君はその人形の声を聞いたの?」
ばっ、と顔を上げたイワンはシリウスを睨みつけ、
「聞こえたんだ! か細くて、震える様な声で! 僕に聞こえたのは理由が在る筈なんだ。何で助けてほしいのか分からないけど、あの声を聞いたら、じっとしていられなくて」
大声で反論したイワンに対してシリウスは、
「それは『誓い』なのかな?」
その冷静な問い掛けに、言葉を失くしたイワンは戸惑う。
「何かを成そうとする。それは自分の為に? それとも人形の為に? どちらにしてもそれは、何者かに対しての『誓い』であるはず。君はただ、自分の想いを撒き散らしているだけなのかね? もし、そうならば足手まといなので教会に帰ってもらいたい。でも、君に同行の許可を与えた司祭は、君に何を期待したと思う?」
畳みこむシリウスの言葉に泣き出しそうになっているイワンを見かねて、
「そこまで言わなくても~。シリウスが仕事に対して真面目だし、厳しい事は分かっているけどさ~。誰でも自分の事が最初から分かっている訳じゃないし~。はっきりするまでシリウスが面倒を見れば~」
ルテネスが助け船を出した。
「まあ、いいでしょう。人形はポストル地区に運ばれた。あそこしかあり得ない。盗品を自由に売りさばき、そして警備兵の目に届かない場所。協力者を通じて確認しますよ。それまで君はこの事務所内で私の手伝いをしてもらいますよ」
溜め息交じりに言い終えたシリウスの顔を見る事も出来なかったイワンは黙って頷いた。
「さて、人形の特徴は二人から聞いているから問題ないし。ユウにしては珍しく落ち込んだ顔も見られたし。この件について誰かを責めるのは無しにしましょうね~」
ルテネスはこの話は「これで終わり~」と言って終了宣言をした。
「ルテネスさんって、私達が来る前に何していたんですか?」
エアは終了宣言でほっと息を吐いてから、気持ちを切り替えて質問した。
「積荷泥棒を追っていたのよ~。大変だったわ~。取り締まる方の港湾当局にも内部犯がいてさぁ~。捕まえるのに苦労したわ~」
ルテネスはカウンターに肘をつきながら、事の経過をぼやき始めた。
――ユウ達が来る三日前――
朝出勤したルテネスはすぐにシリウスに呼びとめられた。
「ルテネス、昨日は御苦労さま」
「たいしたことないよ~。農場に出た魔物退治なんて。それに白昼堂々とブドウの木を襲っていたからね~」
ルテネスは農場に出た魔物を一時間で退治したのだ。
農場に出たのはブドウ荒らしといわれるウサギに似た魔物、特攻アンプ・ラパンとリーダー格のリュゼ・ラパン。
ラパン達はブドウの木をかじって倒してしまう。ブドウの実を食べられるより始末が悪い。
特攻アンプ・ラパンは倒すのが大変だ。その理由は集団で無謀に突っ込んでくるからだ。そして、リーダーのリュゼ・ラパンは死んだふりが得意で死体だと思って近づいてきた相手をグローブのような手による強烈なアッパーで殴る狡猾な兎である。
ルテネスはアンプ・ラパンを手早く倒したあと、槍でなぎ払って倒れたリュゼ・ラパンが死んだふりをして息をひそめていたが、潜ませていた猫の妖精で縛ってから止めを刺した。
幸い、早く依頼されたので被害は最小限にとどめる事が出来た。
ルテネスは報告の為に依頼主の元へ行こうとした時に、ふと花に目がいった。
ブドウ園にはブドウを守る為に花を植えている。
バラの花だ。バラはブドウの木より先に虫がついたり病気になったりするのでブドウの状態を知る手掛かりになる。
咲いているバラには様々な色がある。植えられているのは黄色。
黄色のバラの花言葉は『嫉妬』。
過去の時代に黄色は女王の色とされた。市民は弾圧を嫌い黄花に否定的な花言葉をつける傾向があった。他のバラと違って陰のこもった言葉なのはこの為である。
実際の黄色のバラは高貴で奥深い美しさを持っている。もしかしたらこの花言葉は羨ましさから来ているのかもしれない。
ルテネスは少し花を見た後、依頼主に報告して戻って行った。
「いやいや、迅速だったよ。で、次の依頼なんだけど。最近、港で積荷が消えているそうだ。で、その積荷泥棒を捕まえてほしいそうだ。依頼主はコメンス港湾局と盗まれた荷主の連名できているよ」
シリウスは資料を手渡した。そこには盗まれた積荷と犯行時刻と思わる時間が記載されていた。
ルテネスは盗まれた回数を計算した。盗まれた回数は十を超えていた。
「連名か~。なんか大変そうな依頼だね。港湾当局で捕まえられなかったということは、かなり巧妙な手口なのかなぁ?」
「そうだね。人がいない時間と場所を熟知している。港湾は常習犯と見ているけど、僕はただの常習犯ではないと思っている。なぜなら、いままで積荷を盗んだ奴は捕まっているから。此処の港湾局は優秀だからね。それに一人では無理と思っているよ」
「組織的なのかな。でも、それならぼろが出そうなものだけどな~」
そう、どんな犯罪でもぼろが出る。上手の手から水がこぼれ落ちるように。
「そうだね。これは内部犯を疑うべきだね」
「わかった。そのつもりでとりかかるわ~」
ルテネスはそう言って手渡された資料を詳しく見た。そこで盗まれた積荷に共通点がある事に気がつく。
盗まれたのは全て魔道機の部品なのだ。
最近では価格が落ち着いたとはいえまだ魔道機の部品は高価だ。それを盗むと言う事は高額で転売が可能だと言う事だ。
「盗まれたのは部品かぁ……。この盗まれた部品って売り捌くならあそこだよね?」
眉を寄せながらルテネスは資料からシリウスに視線を向けた。
「うん、あそこだね」
「黒闇の市場。あそこならなんでも揃うからね。まいったな~、あそこは貴族が出資している場所でしょ。調べにくいな~」
フォルモントの影と呼ばれている闇市だ。精霊師は調べたくても調べる事ができない。なぜならそこに独自規則があるからだ。
「他人の詮索および商品の出所を調べてはならない。それを破ろうものなら殺されても文句は言えない。さらに貴族が関わっているから殺人は揉み消される……」
シリウスが流れるように述べたのは闇市のルールだ。
かつて調べようとした精霊師が死体となって出てきたことがある。フォルモントの精霊師協会は闇市に関わらないようにしているのだ。
「まさに闇だね~」
「そうだね。女王も頭を悩ませているらしいよ。なにせあそこに出資しているのは有力貴族達らしいから。中心人物はこの地方の領主のバカラ家だと噂されているよ」
「利益が上がるからって、なにも闇市にしなくてもいいのに~。それになんでそういうのが捕まらないのかしら~」
「決定的な証拠が無いんだよ。悔しいけどね。僕の前任が異動する時に言っていたよ。黒闇の市場を丸ごと爆破したいって」
シリウスはその時の事を今でも思い出す。前任者は男性で優秀だった。仕事のイロハを叩きこまれたものだ。
「物騒だね~」
「仕方がないよ。前任者の代に精霊師が亡くなったのだから……」
「だとしたら、別の道を模索するしかないね」
「うん、その方がいいよ」
シリウスはそう言って書類整理に掛かった。ルテネスは依頼の基本指針をまとめていく。
「とりあえず、港湾当局の事務所に向かうわ~。そこから犯人の目星を付けるわね」
ルテネスは資料をシリウスに返すと扉に向かって歩き出した。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、本当にありがとうございます。第二章に入りまして頑張ろうと思っていましたが、またもや年度末に差し掛かり、とてつもなく忙しい状況になってしまい、二か月ほど休載を決めました。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
★次回出演者控室
ルテネス「作者、頑張ってね~」
シリウス「いい加減な事をしていたら、私が気合いを入れてあげましょう」
ルテネス「本当にシリウスは厳しいから~」




