第二章 青き人形 その三
心地よい海風が吹き抜ける中、メリルは教会の前に立っていた。
高台から眺める海から反射する太陽の光は七色に輝き、時間を忘れて見とれてしまうほど魅惑的な表情を見せている。
「晴れの日の海は本当に綺麗ですわね~」
そう言いつつもメリルはこの海のもう一つの顔も知っていた。
嵐の日は鉛色の雲が強い雨と風を伴って空を覆い、この広い海までが荒れ狂って灰色の波しぶきを上げるのだ。もし沖に船が出ていたら、波にもまれて沈んでしまうだろう。
圧倒的な自然の前には、人間の営みは小さなものなのだ。
「あっ! メリル~。オムレツごちそうさま~」
メリルは声のする方に視線を移すと、青銀の髪をなびかせながらエアが駆け寄ってきた。その後ろを黒髪の青年が苦笑しながら歩いて来る。
「あらあら~、転んでしまいますよ」
ふとメリルの視線はエアの胸元で弾むペンダントに吸い寄せられた。
(エアちゃんのペンダント。晴れの日の海に似ているわね~)
彼女の両親の形見だとメリルは聞いている。七色の輝きを放つ不思議な青い石と肉眼では読めない小さな文字を刻んだフレーム。そして刻まれた言葉には両親の愛情が込められていた。
彼女の幸せな家庭は悪意によって壊されてしまった。同じ孤児だったメリルにとってエアの身の上は他人事では無かったが、笑顔を見せている彼女を見て少し安心をしていた。
心は摩耗するのだ。
衝撃を受けて傷ついた心が回復する前に、さらに何度も傷つけられれば心が疲労しきって回復出来なくなるのだ。
(良かったわ~。この笑顔がみられる限り、きっと大丈夫……)
メリルは両手を広げ、駆け寄ったエアを抱きとめた。
「あらあら~、いい笑顔ね。さあ、教会の中を案内しますよ」
メリルは二人を連れて教会の中へと歩き出した。
「お待ちしておりました。私は司祭のカイル・ランサールと申します。しかし、お二人ともずい分とお若いですね」
メリルと共に訪れた教会の礼拝堂ではカイルが待っていた。彼は若い二人を見て、少し不安を覚えた。
この若い二人で解決出来るのだろうか。
いや、依頼の中身は怪談話だ。誰であっても解決は難しいだろう、とカイルは思い至った。精霊師が調査した、という事実が大事なのかもしれないのだ。
「精霊師のユウ・スミズだ」
「同じくエア・オクルスです」
二人は揃って挨拶を交わした。カイルはユウという青年に微かに見覚えがあった。
「ユウ君と言ったね。君は前にあった事が無いかな……?」
「もしかしたら会ったことがあるかもしれない。俺はこの近くで拾われたからな」
カイルはあの少年が精霊師になったのかと驚いた。
「あの時の! もう一人いましたが彼はどうしましたか?」
「事故で亡くなった」
ユウの心情として「殺された」と言いたくはなかったのだ。
「そうですか……。貴方だけでもここに戻って来たのは何か縁があるのかもしれません」
カイルは視線を祭壇にある精霊王の像に向けて答えた。そして、ユウの隣にいたエアに視線を向けた。
「そして、そちらのエアさんも、珍しい髪と瞳をお持ちですね」
カイルはエアを観察する様に不躾に見つめた。困惑するエアの表情に気が付いたユウは、
「すまない。依頼の話に入らないか」
「あらあら~。悪い癖ですね~」
とメリルもさりげなく注意をした。
「すみません。気になってしまうと追求する癖がありましてね。元々は教会史が専門です」
「学者さんですか?」
エアはカイルに問いかけた。
「ええ。さて、依頼になりますが。この教会で女性の啜り泣く声がするのですが、調べて欲しいのです。そして先程、私は厨房でその姿を見ました」
「見た?」
エアと顔を見合わせたユウは手帳を取り出しながら聞き返す。
「はい、青く半透明で少女の姿をしておりました。そして厨房以外にも教会全体で目撃されています。ああ、ちなみに一緒に目撃したイワン君は気絶したので、食堂に寝かせてあります。メリル、介抱してもらえますか?」
「あらあら~、気絶したなんて気の小さな男ですね~」
と明るく笑いながらメリルは食堂へと小走りで去って行った。
「イワンって、あのイワンなの?」
とエアが首を傾げながらカイルに尋ねると、
「ええ、元詐欺師のイワンです。今はこの教会で修行中ですよ。朝早く起きて皆の為に食事の支度を手伝い、巡礼者の世話や教会内の掃除をして、薬草の世話をする。その一日は忙しく、余計な事を考える時間は無いでしょう。自己の何かを犠牲にして他者の世話をする事は、結局自己の精神の成長につながるのです。誰かの世話を続けるのは、自分の身体や心を整えなければ難しいものですからね」
「何となく分かる気がする……」
エアはふと、ついこの前まで食欲がなく、ユウを始め皆に心配させていたことを思い出した。きっとメリルも心配して、あの店のオムレツを御馳走してくれたのだろう。
自分の気持ちが萎えていると、仕事に立ち向かうことが出来ない。それどころか自分の生活ですら面倒になってくるのだ。それでは他人の世話をするどころか、自分が世話をされてしまうことになってしまう。
「そうだな……」
親友が亡くなった後、他人が自分の心配をしてくれる事ですら疎ましくなっていた。自分が崩れそうになるのを支えるのが精いっぱいだった。自分の身を自分で抱えなければ過せない時間だったかもしれない。でも、今は誰かを支えながら自分も生きていきたいと思える様になった。デボスが示した生き様は、自分のありようを考え直すには十分なものであった。
「私も皆様と幸せに生きる為に、更に精進していきたいと思っております」
カイルは満足そうな表情を浮かべ、しみじみとしている若い精霊師達を見つめていた。
優しさに満ちた沈黙の中で、我に返ったユウは
「それにしても、幽霊の奴が現れるのは教会全体か……」
「あの~、目撃証言が集中している場所とかありますか?」
エアはやっぱり怖いと思いつつ目撃証言が多い処はないかと尋ねた。
「そうですね。特に多いのは地下の遺跡でしょうか。発掘された人形に寄り添う姿が目撃されています」
「時間帯は決まっているのか?」
ユウは手帳に書き留めながら質問している。
「いえ、最初は夜だけでしたが最近は昼間でも目撃されるようです」
その時、祭壇の近くにある扉の奥から悲鳴が聞こえた。
「ぎゃあ~――――、で、出たーーーー!」
三人は顔を見合わせてすぐに行動に出た。
「地下からですね。案内します」
「急いでくれ。幽霊の顔ぐらいは拝んでおきたい」
「えっ?」
思わずエアは身体が硬直した。
「当り前だろう、前提となる幽霊の顔を見ずにどう対処する」
「わ、わかった」
三人は地下へと階段を掛けていく。先頭を行くカイルは声のする方向へ駆けていった。その後をユウ達は続いて行く。
部屋に入るとそこには怯える作業員と少女がいた。
その少女は青く長い髪と青い瞳をしてぼろぼろのドレスを着ている。そして、透けて向こう側が見えていた。
「本当にいたのか……」
「うそ……」
「私も顔をはっきり見たのは初めてです……」
カイル司祭が驚きの表情で幽霊を見つめている。
幽霊は新たに現れた三人に目を向けて、エアを見ると指を差して口を開いた。
(……やっと……。たす……)
口は動いているが声が聞こえない。
そのまま幽霊はふっと消えた。
「何を言いたかったのかな?」
「わからん、だがエアを見て表情が変わったな」
三人の頭には幽霊が消えたことより、エアに向かって話しかけたことで疑問が一杯だった。
「今までの話だと、幽霊が誰かを指差す反応をしたことは無いそうです。やはり幽霊はあれと似ていますね……」
カイルは顎に手を当てて考え出した。
「あれ、とは何ですか?」
エアはカイルの言葉に引っかかった。
あれと似ている。
それは幽霊とそっくりの人がいるということだ。
「ええ、つい最近が何の目的で造られたのか判明していない魔道機と思われる人形が見つかったのです」
「その人形を見せてくれるか」
ユウはカイルに許可を求めた。発掘された品は厳重に保管されている。ユウ達にどれだけの調査権限があるのか分からないが、司祭の許可が有れば調べる事ができると彼は思ったのだ。
「ええ、構いませんよ。メリルから二人の自由に調査をさせて欲しいと言われていますからね」
「それなら教会内と発掘現場、それと発掘品を見たり、場合によっては触ることを司祭の権限で許可してくれ」
「それは調査の為ですね?」
カイルは念を押す様に問いかけた。
「ああ、最低限自由に動き回れるようにしたい」
「わかりました。すぐに通達を出します。では、案内します」
カイルは薄暗い通路を目的の場所に向けて歩き出した。
ユウ達は工事用の魔光灯がつけられている大きな空間に辿り着いた。
崩れかけた石柱や石壁などか何故か青白く光っている様である。
「全体的に青いね」
「ああ。あれは祭壇か……?」
カイルはユウの一言に反応した。
「ええ、そう考えています。人形は祭壇に横たわる様に置いてありました」
カイルは祭壇にかぶせてある布を取り払った。
「な……」
カイルは息をのんだ。人形の瞳が開いていたからだ。硝子の様な精気の無い青い瞳がそこにあった。
「どうした?」
「いえ、前に見た時は瞳が閉じていたのですが……」
「今は開いているね」
エアは人形をまじまじと見た。腕から出ている線維組織を綿だと思うと、等身大人形の様に思えた。
「エア、すこし離れてくれないか」
「え、うん」
エアが離れていっても瞼が閉じなかった。
「今度は俺が離れてみるか。カイルさん、瞳が閉じるか見て下さい」
「承知しました」
カイルは人形の瞼を見ている。
ユウは少しずつ離れていった。ある程度離れたところでカイルが声を上げた。
「閉じました!」
「やはりか、エア戻るぞ」
「うん。で、どういうこと?」
ユウ達はカイルと合流すると人形を前に推論を語った。
人形の瞼は開いている。今にも動き出しそうな感じがエアにはした。
「こいつは力の強い人間に反応するんだ。俺達精霊師は就職条件に四属性のうち三つが使えることになっている。何故反応するかはわからんがな」
「少し解明できただけでも大きいです」
カイルは胸に手を当て、大きく息を吐き出した。
エアは祭壇の奥の石壁に何か文字の様な物が掘られていることに気が付いた。
(う~ん、文字かなぁ。でも、何処かで見た様な気が……)
近づいてその石壁の掘られた溝を指でなぞりながら、ユウとカイルの会話を何気なく聞いていた。
「司祭、これを使っていいか?」
「これですか。これを使ってどうするのですか?」
「噂の確認だ。こうするつもりだ……」
「なるほど! そのような精霊魔法が在るとは!! では……」
カイルの驚きに満ちた声を聞いて、エアは振り返った。
すると、ユウは腰に下げた双剣を抜いて人形の上にかざしていた。彼の双剣はただの武器ではない。リゲルが造った武装用魔道機で、銘を『寒緋桜』という。
「我は二枚の羽を持つ者。我の求める時に風はその姿を変え、我の求める者の行方を示したまえ」
ユウが祝詞を呟くと彼の双剣は緑の光を小さく放ち、そして人形を中心に緑色の光が周囲へと広がって、ラベンダーの強い香りがエアの鼻先を通り過ぎた。
「あ、あれ? この香りって? それに何の魔法?」
「ラベンダーだ。匂い袋を人形に持たせた。この匂い袋を持つ者は何処に行っても追跡出来る様になる。その為の緑の魔法だ。もっとも幽霊に効くかどうかわからないが……」
ユウは双剣を戻しながら答えていたが、
「司祭、イワンの奴に話が聞きたいのだが?」
「食堂へ案内しますよ」
カイルは地上への通路へ向かって歩き出した。
「エア、上に戻るぞ」
「えっ! 置いていかないで!」
エアはユウに促されて慌てて後を追って駆け出した。
その頃目を覚ましたイワンの頭の中は、混乱状態に陥っていた。
「何であんたがここに居るんだ!」
彼が指を差す先にはメリルの姿が在った。
「あらあら~、相変わらず肝が小さいですね~」
メリルは面白そうに笑っているが、対象的にイワンは口を開けたままで青ざめている。
「おや、イワン君。目を覚ましましたか?」
イワンはカイルの声を聞いて、天の助けだと思って振り返ったが、
「何でレイメルの精霊師がいるんだ!」
エアとユウを見たイワンは再び言葉を失った。
「そこまで驚くとは思わなかった」
「同感だな」
呆れ返った二人はまじまじとイワンを見つめた。
「反省してるって! フェニエラを騙したことも、魔石を盗んだことも……。でも、僕も自分の帰る場所が無くなって、どうして良いか分からなかったんだ!」
イワンは思わず叫んでいた。
「うん、聞いたよ。お父さんに死んだことにされて、家へ戻れなくなったって」
エアは泣き出しそうなイワンに向かって答えたが、彼は声を荒げた。
「僕が僕である事を、どうやって取り戻したら良いんだ! 僕は僕なのに!」
勝手に父が戦死したことにして、弟に家督を継がせようとしている事にイワンは腹を立てていた。当然、自分の居場所であると思っていた場所に弟がいる。自分は幽霊のような存在になってしまったのだ。
「良く分からないけど……。『貴族』である『イワン・バカラ』でなきゃ生きていけないの?」
「そうだな。自分を捨てた父親を見返してやる気持ちは必要だと思うが、犯罪に手を染めて胸を張って『これが自分です』とは言えんと思うがな」
エアとユウは拳を握り締めている彼に素直な気持ちを伝えた。イワンと同じく二人にも帰る故郷は無い。だから彼の悔しい気持ちは分からなくもないが、誰に対しても恥ずかしい事はしたくないと思っているのだ。
「イワン君。急がなくても良いのですよ。人生の最後に胸を張っていられれば……。その途中は苦しい事や悲しい事、悔しい事ややるせない事も有るでしょう。その全ての出来事が心を磨いて深みのある虹色の輝きを与えてくれるでしょう。私も貴方も、まだ修行中なのですから迷って当然です。ですが迷いながらでも生きていきましょう」
カイルはそっとイワンの肩に両手を置いた。
★作者後書き
更新が遅くなりまして申し訳ありません。頑固な風邪に取りつかれてしまいました。皆様も気を付けてお過ごしください。
今年の更新も最後になり、また新たな年を迎えようとしています。頑張って完結を目指していきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
★次回出演者控室
モール「皆さん、私の事を忘れていませんかねぇ」
ユウ 「お前、レイメルでも見かけたな」
エア 「そうなの?」
モール「おやおや、因縁ってやつですかねぇ」